2020年11月26日

汚れない魂

今日はある方のご相談を元にお話させてください。
 
Q 会社の先輩が業務の滞りや 自分の失敗を全部 私がしたことにして ありもしないことを言いふらして私の悪者にします なんでこんな目に遭わないといけないのでしょうか?
 
酷いことを言われるというのは、カルマの解放の一種です。
人がしてくるものですが、それでこちらのカルマも引き出されて 自分の分は出されることで終わっていきます。
「私のカルマを引き出して終わらせてくれた人、ありがとう」
彼らはあなたがカルマを終わらせる手伝いをする役目を担います。
そう、何も知らずに。
 
内側から出てくるカルマ(感情)を他者にぶつけると、(回り回って)(あるいは投げ返されて) 再び自分に戻って来ますから、
他人にぶつけてしまう人は、カルマを出すと同時に自分に戻すことをしてることになります。因果応報の原理です。
 
なので、それを知っている者は出てきたネガティブ感情を他者に被せたり責任を押し付けることはしないようにしています。
 
出てきた感情(嫌だ とか 悲しい とか 腹立つ とか)は自分が感じて手放すと終わりになります。
手放す工夫をいろいろしています。引きずらないように。
手放したり癒したりしてスッキリして終わるのです。恨みの気持ちは持ちません。
 
たとえ 言われたい放題サンドバック状態だったとしても、そのことがあなたの心のダメージにならなければ問題ないので
傷付いた分 自分で自分を癒したり浄化したりするのです。
あなたの価値は他の誰かが決めるものではありません。
あなたの価値は真実があるのみなので、それ以上でもそれ以下でもないです。
ただ、揺さぶりをかけてあなたの波動を落とすことは出来ますけど
あなたの真実を誰も変えることはできないのです。
 
揺れる心を鎮めたり、平和な波動に戻るために
瞑想したり、温泉行ったり、楽しい事したりします。
喧騒のある場所からはできるだけ離れていましょう。
その場から離れられなければ、平和の波動のバリアを張ります。
瞑想的に内側の静寂に意識を向けます。
あなたの内側の深い所はいつも静寂で
そこには神や仏が存在しています。
神や仏と繋がっている真我です。
 
言いたい人は放っておきます。
マンションの中から、ガラス越しに外の暴風雨を見ても 私たちは濡れません。
 
出て行って毒のある言葉に触れに行く必要はありませんし、舞い上がるゴミを必死に回収する必要も除去する必要もありません。それらは消えていきます。
あるいは嵐が止んでから拾って捨てればいいのです。今は静観しましょう。
私が損をして、あの人が得をすると思いますか?
そんなことはありません。
真実は明らかになってしまうものです。
言った人は自分が吐いた毒で中毒、自滅することになりますし、
放置しておけば、自分の撒いた毒に直面して勝手に学ぶでしょう。
周りの人々は毒に気付かないほど鈍感ではないのです。分かる人はすぐにわかります。
誰が毒を持っていて、誰が清らかなのか。
みんなにバレています。
罰する必要も正す必要もありません。
それらは何の役にも立たないからです。
 
自分の周りに痰やツバを吐き散らすようなことは 賢明な人はしません。
もし他人の吐いたものがかかったら、ふき取って、きれいな水(光)で洗うだけです。
瞑想がすすむと、光に包まれて汚れない身体(オーラ)になっていきます。
瞑想の高波動は光なのです。
高波動の場所には低い波動は入れません
こちらの自浄作用の方が 毒(低い波動)より強くなる ってことですね。
 
神(大いなる意識)は私たち人間一人一人の目の奥から真実を見ています
エゴがどんな考えをしているかすらも見られていますね
だから嘘やごまかしなんて通用しないんです
 
あなたは 何をしますか?
どんな風に生きているかが大事です。
あなたが あなたの運命を握っているのです。
他人ではありません。
雪割草