宇宙の法則

新しい世界の予感

色々と人間のエゴを目の当たりにすると 嫌な気持ちになったり、

他人のエゴから何かを奪われたような経験があると 世の中が殺伐としたように見えると思います。

 

でも、ごく客観的に見てみますと、

ひと昔前に比べると 人々の意識は確実に洗練されてきていると思います。

差別や戦争に対しての認識も、多くの人々が人権への認識や 平和への願いが大きくなっていると思います。

 

ただ、今の日本は 大きな存在、社会全体の傾向や権力に対しての無力感がまだだいぶ残っているので

政治や選挙への関心が薄いのです。

 

私たちが暮らす世界は、

誰かが作ってくれるものではありません。

私たち自身が 自分の見る世界を作り上げる源であるのです。

どうせダメだ と 思い込むことで 改善することを放棄してしまうのは とても勿体ないことです。

 

政治家全員が権力を奪い合っていて、私たち国民が搾取されている存在 なんて

そんなこと私は嫌ですね。

 

困ったことには これまでの認識を引きずっている社会で、新しい動きを始めるのには

各所でエゴの抵抗があります。

それらを上手に扱いながら 新しい方向に向かわせるのはとても大変な作業でしょう。

 

それを動かすことができるのは一人一人の意思が集まった集団の意識のパワーです。

 

一人が 本当の幸せとは何か? ということに気付き、この世界の真実を見るようになると

その人の周囲の100人がその気づきの影響を受けます。

 

ほんの10年前、いえ、5年前ですらも 

悟りの意識を理解する人はごく少数でしたが、

今 悟りを知り始めたり、色即是空を理解する人が 爆発的に増えています。

 

この世界に 目にはみえないけれどもあるエネルギーや波動が存在することが科学の分野でも証明され始めています。

 

その昔、SF(空想科学小説)では、高度な文明を持つ地球外生命体が 地球を侵略しにくるお話が沢山作られましたが、

宇宙を旅して地球を訪れるほどの文明を持った生命体が エゴの欲にまみれて 他の生命を殺戮するような野蛮で低い認識を持っていることは考えにくいのです。

戦争 などというものは 兄弟げんかで殺し合いをするようなもので

そのような下等生物が宇宙空間をワープして他の惑星を侵略することはないでしょう。

それはまるで 重たい泥船を海に浮かべるようなことなのです。

 

コンピューターや精密機器をしのぐ人間の能力ESPは

欲などをまとっていては使えないのです。

 

意識の中の雑音をお掃除するには 瞑想が一番効果を上げます。

人間の研ぎ澄まされたセンサーには精密機器も及びません。

ただだ研ぎ澄まされた能力に訓練できている人間は まだ少ないです。

それは人間が自分たちに制限をかけて能力を封じてしまっているからです。

日本人は特に長けた才能を持っていますが、封じている抑圧も強い民族です。

 

思い込みを外して 大きく羽ばたいてください。

あなたの能力はあなた自身もまだ気が付いていないかもしれません。

 

思い込み

思い込みというものは あまりにもそれが当然のように感じているので 

思い込んでいることを自覚していません。

 

この世界の事 どんなものだと感じているのか

自分自身はそれを現実と受け止めてきたので 自分の見ている世界が 真実だと思い込んでいます。

 

実際には 真実は一つしかありませんが、

人はそれにいろんな解釈を加えるので

それぞれの人によって 様々な世界を見ています。

 

この世の中は生きにくいものだ とか

渡る世間は鬼ばかり とか

この社会は腐ってる とか よく聞く言葉ですが・・・

 

それはこの世界の一面、いや 断片に過ぎません。

 

あるものは もちろん キレイなものばかりじゃありません。

醜いもの 黒いもの 悲劇や 苦しみ 

実に様々な要素が存在します。

 

ある時に見た衝撃的な体験が 心に焼き付いてその記憶が脳裏から離れない人は

それを世界だと思い込んでしまいます。

記憶は何度もそのイメージを見せてしまうので、

今起きていないものも今感じてしまう。

このネガティブな記憶がカルマです。

 

これが具体的なビジョンであることもあるし、

イメージが明確でない感情である場合もあります。

自覚しないほんのりしたエネルギーで存在している時は 

それが過去のものだと自覚せずに 現実に重ねて その 色 を見てしまいます。

感情という色です。

 

仏教の色即是空の 色 というのは

この世界を見ている私たちの目に映る世界のことです。

車窓の風景のような 記憶の風景 記憶の世界

でもその風景の実体 つまり 真実の世界そのものは

常に一瞬一瞬 姿を変え さっきまでの瞬間は 今は存在していないのです。

もちろん、流れ となっていますので、さっきのものが徐々に移り変わるので まるで同じものが恒常的にあるようにも見えますが、

それはさっきの世界とはバランスが違う状態です。

この常に移り変わる流動的な今 しか 存在しない。

 

しかも、その『今』を認識しているあなたの意識がなければ、 あなたの世界は存在しない ただの空(くう)に過ぎないのです。

空とはこの世界、この宇宙の器のようなもの

その中に存在するエネルギーと それらが具体化し、結晶して物質になる現象界

その両方にアクセスできるのが 私たち、肉体を持つ魂です。

魂は 観察者なんです。

肉体という体験を見届ける観察者

これを自覚している状態は 啓発(悟り)の状態です。

この空に限りなく近い意識、真我の意識は、思い込みの無い意識エリアです。

ただの観察者

ここから見ると 波動というものをリアルに感じます。

光か闇か 重いか軽いか 幸福かそうでないか

はっきりと明暗を感じ取ります。

 

あなたの人生を光に満ちさせるのに

何も所有する必要はありません。

ただ手放して存在そのものを体感することで

自分自身の存在そのものが光であることを実感します。

 

このような経験があることを魂はどこかで知っているのでしょう。

だから瞑想をするのかもしれませんね。

 

光を遮っている カルマの浄化をするために

ELM瞑想はあります。

 

あなたが求めているものは何でしょうか?

 

物質? それとも 光のような幸福感?

後者であれば 手に入れることは難しくないと思います。

このような真我の幸福感は 開いてしまうと 失うことがありません。

 

ただ、開くために必要なことを 続けさえすれば できます。

なんでこんな断言をするのかと言いますと、

強烈なエゴを持っていた私のような者にも出来ているからです。

 

エゴが大きな人は、元々エネルギーが強く、カルマさえ取り除けば

世界を救う力も持っています。

カルマにエネルギーを使うより 愛にエネルギーを使う方が

ずっとずっと幸せになれます。

カルマが減って 真我の意識を体感している者は、教育を誤ることも

社会を生きづらくすることもありません。

 

心地よい風を楽しんで 世界を慈しんでいます。

 

まずは 思い込みに気付くところから 豊かなな意識への道が開けます。

家族という意識 

家族とは? という質問に、あなたはどんなイメージを想像しますか?

 

家族と言うと 例えば、血縁者

生まれ育った家庭 

自分を愛してくれている両親や兄弟、自分が作った新しい家族、結婚して子供を持って 一緒に暮らしている運命共同体

だけど、家族はワンパターンではありません。

夫婦2人 親と子 祖父母と父母と子と孫という大家族 一緒に住んで愛情が通っているのでペットも家族かも。

また、最近は ちょっと変わった形の家族も受け入れられるようになりました。

お母さんが二人の家族、お父さんが二人の家族、血縁はないけど家族

愛情でつながれば家族。

最近、NHKの番組でジェンダーフリーやLGBTなどの言葉もよく聴くようになって

日本も随分意識が開けてきたなぁ と 微笑ましく思います。

 

かつての人々の意識は自我のマインドが基準を握っていましたので、形にこだわる ということがよく起こっていました。

だからちょっとイレギュラーな形を受け入れにくかった。

変だとか、奇妙 見慣れない という違和感を持つと、排除したくなっちゃうんですね。

自我のマインドは 未知のものがちょっと苦手です。

それは 未知=危険かも=怖い という原理に基づいています

 

本当に危険でしょうか?     (。・ω・)?

 

危険かもしれない という恐れから 先制攻撃を仕掛けた場合、

攻撃された側にとっては 攻撃してくる者は 『敵』です。

 

自分と相手を 仲間ではなく、見知らぬもの に分離してしまったところから この悲劇は始まります。

 

相手を見知らぬもの、あるいは 知っているけどよくわからないもの 受け入れられないもの と とらえることから

分離が始まります。

 

知らない=害を為すかもしれないもの

 

そう思って威嚇する本人が一番攻撃的なんですが。

 

住みにくい世の中は 不信感であふれています。

なぜそんなことになっちゃうのでしょうか?

 

もちろん、危険な場所、危険な存在 というものはあります。

それには十分な注意とマインドフルな意識が必要なんです。

 

崖っぷちなのに神に委ねて目をつむって歩く人はいません。

 

問題は、危険じゃないものまで危険とみなして先制攻撃をかけてしまうことです。

この原動力がカルマですね。

過去の恐れの記憶。

これを家族のような身近な人々に向けると なかなか生きづらくなります。

 

さて、家族という定義に戻ってみましょう。

家族

どこからが家族か?

同じ家に住んでる?

DNA型が極めて似ている人?

親?兄弟?子?孫?

でも、会ったことがない血縁者は?

一緒に住んでいない家族は?

どこまでが家族で どこからが親戚かな???

 

よくよくとらわれを手放してしまうと、

全ての生命は一つの樹のようにつながっています。

この地球上の生命が誕生した時から。

そもそもの始まりは誰?

生物系統樹のサムネイル画像

人類系統樹

この図、系統樹っていうんですけど、

親の親の親の親の親の・・・・・・・と果てしなくたどっていくと、

進化の源流にたどりつきます。

なんだ、全部親戚じゃん!

人類は家族のようなものですね。

あなたは どこまでを家族と制限しているでしょうか?

 

それと、 家族という認識にも様々なとらえ方がありますので それは次回にいたしましょう。

つづく confident

心の景色 

人間の 自我の意識・マインドは いろんなものを特定し、分析し、判断・解釈します。

そして分別するのが好き。

ついつい  良いと悪いに分けることに夢中になってしまいます。

 

分別する作業は、これまで生活する上で いろんな場面で役に立つ作業だったかもしれません。

でも、マインドの弱点は 夢中になってしまうこと なんです。 あれもこれも 分別。

度が過ぎても気づかない。

こだわりすぎて それ以外の事が居心地が悪くなっても、

そのことだけに夢中になって それをどうにかするまでは許せない!なんてことも。

 

お掃除も 本来は心地よく幸せでいるためにするんだけど、

お掃除にこだわりすぎて、自分以外の人間が居心地が悪くなっても気づかなかったり、

汚したり散らかしたりする人を攻撃したり・・・

汚れたら掃除すればいいんです。

 

自我の意識って 奇妙だな と思うこともあります。

何がしたかったのか 自分で見失ってる

 

幸せのための指針であるルールが、人々を裁いたり攻撃したりする道具に変質していることになかなか気づかない。

本人(自我)は 大真面目なんですけどね。

 

自我のマインドって そういうものです。

 

そんな自分に気付いていくことが 『啓発』や『悟り』につながります。

気付く気付かない というよりは、カルマの感情を除去(解放)すれば 勝手に啓発するしかないのですけど。

カルマの感情は、色眼鏡のように 私たちが見えるものにフィルターをかけてしまいます。

 

カルマのネガティブ感情は 手放せばいい と一言でいわれても、どうしたら手放せるのかがわからないことが問題です。

どこからどこまでがカルマなのかも 見分けがつかないくらい カルマは私たちに密着して同居してきましたから

 

そんな時は 考えるよりも 瞑想をする方がずっとずっと早いです。

 

しかも何十年も生きた人生、いえ、それだけでなく何世代も生きたカルマの年月を 一瞬で消し去るなんてことは 難しい。

一度にやろうとしたら、大手術を試みて 身を切ってしまうようなもの。

痛い。

 

もし突発的に痛い出来事が起きたら 強制的にカルマの荷下ろしです。(痛いけど、ある意味ラッキー)

 

私はELM瞑想が一番スムーズで早いと思います。

何百年も続いた世代連鎖のカルマも いつのまにか消えてしまうほどスーパーパワフルなELM瞑想

ぜひあなたも体験してほしいです。

 

カルマなんか消えてしまった世界を見てみませんか?

人生はキラキラ輝く生命に戻ります。

 

私たちの命は いろんな形に変化しながら 永遠に消えることはありません。

消えるのはカルマの記憶だけです。出来事はただのほのかな思い出だけになります。

平和な心に生きる  幸福の原点です。happy01 heart01

 

 

桜蓮と露湖面の紅葉雪景色

あなたの心に映るのはどんな景色でしょうか?

そこここに展開する瞬間の美しい体験に感動してください。

信頼

前半 雨が続いたゴールデンウィークですが、 今日の福岡は絶好のどんたく日和です。

福岡以外の方のためにご説明しますと、どんたくは5月3日4日のパレードを中心にした福岡のお祭りです。

私の所も子供たちが小学生の頃は ダンスチームでどんたくのパレードに出演していました。

パレード以外にもいろんなイベントが催されます。

ちなみに どんたくは、オランダ語のzondagの訛り だそうです

 

今朝 起きると 黒猫のじゅん君がスーッと寄って来てスリスリしてきました。

 

それで ふと 気付いたことがありました。

 

信頼 です。

私はこの子たちに信頼されているんだなぁ という実感

 

そう、よその猫、野良猫さんたちは そうそう簡単にこちらを信頼してくれません。

こちらが危害など加えず、優しく扱うつもりでも、

過去にいろんな痛い目にあった記憶から 「簡単に人間を信じちゃダメ」という思い込みがあります。

それは自分の命を守るために必要な反応。

 

これは人も同じなのですが

 

人間にとても慣れていて 甘えたら優しくしてもらえる ということを知っている猫さんは

初対面でも人に甘えて ちゃっかりおやつなんかをゲットしちゃう子もいますね。

 

この猫と人間の関係は

人間と人間

また、 人間と神 の関係も同じなのです。

 

かつて痛い目にあったトラウマの反応 これがカルマです。

 

じゃあ、警戒心など放り出して、無防備に他人の懐に入ればいいのか? というと

そういうことではありません。

 

猫さん的には 良い人と悪い人 もとい、優しい人と 危険なエネルギーを持った人 を見分けなくてはなりません。

そのためには、冷静に観察する必要があるのです。

 

道端に石ころが沢山転がっていると、その石ころを避けて歩く必要があります。

道に亀裂が入っていたら、その亀裂はまたぐ必要があります。

毒毛虫のいる樹には近づきません。

大きな岩は迂回します。


こいつは私が真っ直ぐ歩く邪魔をしているから存在は認めない  なんて言っても無駄です。

あるものはあるのです。

そして

嫌な予感 も なかなか無視できないものですよ。

 

人間の場合、思考が強すぎると 解釈を加えないで見る とか 感じ取って見分ける力が弱まります。

カルマの感情も多すぎると 嫌な予感どころじゃありません。

マインドは、『なんとなく嫌な感じ』などという不確かなものを信頼しない という立場を取りたがります。

マインドは証明を欲しがりますから。

でも、

証明されたことのないものに対しては お手上げなんですね。

 

本当はこちらが近道なんだけど、、

安全性が保障されていない道なんか通れるか! と拒否ります。

自分たちで確かめたこと以外信頼しないんですね。

 

このマインドは とにかく自己に不都合なことを嫌います。

不都合回避、危険回避の回路ですから 当然なんですが。

正しい判断かどうかは わかりません。

マインドは マインドが安心すればそれでいいのです。

 

原発は大丈夫 という情報もその一つかもしれません。

(私はそう思っていませんが)

 

実際のところ 負の体験というのは

デメリットだけではありません。

トラブルを通して 多くの学びと気付きがもたらされます。

この体験があったからこそ 気付けたこと。

それを得るために多少の犠牲を払います。

なかなか気づかないと 負のエネルギーは蓄積するので揺り戻しは大きくなります

 

流れに逆らうのをやめて 自然に戻る

愛にめざめることが調和という解決をもたらします。

早く気付いたもの勝ちです。

本当の愛とは何か を知る機会 なんですね。

 

生命は 再生し再び活性化します。

 

神さまや ご先祖さまたちは それを見守っています。

とても長いスパンの見守りです。

 

 

ちなみに

神様やご先祖様とは  私たちの命の根源の意識 ですので

それは私たちの本質そのもの でもあります。

 

この世界、 この意識、 すべては一つのもので

それを観察しているあなたの意識が現象界という世界を見ています。

 

あなたはどんな世界を見ていますか?

物質的には 真実は一つですが

イメージの世界は いろんな解釈や感情が絡まって 世界観は千差万別です。

仏の三千世界のように。

 

果たして それは 信頼できる世界 に見えているのか

信頼しちゃダメな世界に見えているのか

 

あなたの意識次第で 周りは優しくも厳しくも変わります。

 

全てが 自分次第でもあるのですね。

 

世界を信頼するのは 簡単です。

良い事も悪いこともなく、

ただ、起きることが起きているだけ。

そこで摩擦を起こすのは人間の感情です。

 

内側のカルマを掃除すれば、 内側から摩擦が消えます。

 

 

静かな内面に くつろぎましょう

 

あなたにもできることです。

 

世界に委ねる 

まずは 瞑想を始めましょう。

 

体験瞑想 伝授のお申込み 随時受け付けております。

 

 

ノンデュアリティ・非二元

ノンデュアリティ ( nonduality)は  2つではない という意味

全てが一つである という悟りの意識のことです。

 非二元論 と呼ばれています

 

非二元についてのお問合せがありましたので この非二元についてのことをお話ししてみます。

 

私たちの意識(自我の意識)は 自分自身と外側にあるものを分けて考えています。

体は私に所属するけど 外にあるものは 私ではない 

私とあなたは 別のもの としてとらえています。

私は 私として生まれて 私にはいつか終りが来る。

そんな風に思っている。

 

私と他人、私と他、私たちとその他のもの などと この世界を 自分とそれ以外のものに分けてとらえています。

 

お釈迦さまがとらえた悟りは この分ける考えは捨てています。

 

本当は分けようのない 一つの世界が存在していて、

その一部分であるこの体に この意識が乗っかって、この世界を見ているだけなんです。

 

頭の中で確立する 『私』 というアイデンティティー

頭の中で紡ぐ 『私の人生』 というストーリー

 

これらは 私たちの脳みその記憶の中でしか存在できません。

 

この世界は、 刻々と姿を変える 『今、この瞬間』しか存在していないのですが、

私たちの頭の中のイメージは 『私』 というストーリーを常に描いています。

それは 真実 ではなく、 頭の中に現れる 現実 です。

 

一つの真実を、 いろんな脳みそがいくつものイメージで 違った現実を見ています。

勘違い や 思い込み も色付けされて

また、こうあって欲しいという願望も色付けされて。

自分のイメージを良くしておきたい自我は 容易に他者を悪者に仕立てて

自分は善良な被害者を演じたがります。

これは自我が無意識にやってしまう癖みたいなものなのです。

本人の気持ちとしては大真面目です。

間違ったことなんてこれっぽっちも思っていませんし、

自分が見ているものが真実のように見えてしまうので なかなか気付くことが難しいのです。

 

真実は 感情のもつれやトラブルは 単に摩擦が起きたにすぎません。

2人の人間の間に双方の都合の違いが摩擦を起こした。

食い違う都合が摩擦を起こして ネガティブ感情が発生した

善いも悪いもない 

ただのアクシデントです。

 

人間は生き物ですので、摩擦に不快感を感じます。

生物として 不都合な不快感は回避したいものです。

その結果、相手を悪に仕立てて 非難、攻撃、排除  という生物的な行動に出ます。

 

ただそれだけのことです。

 

でも、人間は脳が発達しすぎているせいか、頭の中でイメージを操作してしまうのです。

頭の中で、自我が目の前で起きた事を自分にとって正当なストーリーに仕立てます。

 

自分をOKにするために苦心している自我。。

OKかどうか という基準(ルール)も自我が持ち歩いているので、

基準(ルール)が多ければ多いほど 悩みが尽きません。

 

あまりに悩みが多すぎて疲れ果てた末に、

考えられなくなり、ハタと気付く(疲れ果てたおかげで考えを放棄することができた!)

 

何やってんだ?私は。。。

 

この悩み、頭の中でしか起きていません。

 

世界は相変わらず、喧騒であり、のどかであり、いつものこの世界が 

相変わらず刻々と姿を変え続けているだけです。

しかも地球上を構成する分子や原子、素粒子は 姿こそ変えてはいますが、

何一つ増えもせず減りもせず 存在し続けています。

 

私たちはこの世界の一部の 一つの今の姿にすぎません。

 

 

頭の中の ストーリーや イメージから離れて

ただこの世界そのものを感じた時に 世界そのものを体験する 一瞥体験があります。

 

とても不思議な感覚 としか表現しようがないと思います。

 

世界を感じて感動する 自己というイメージから解放された瞬間

これが 大変感動的でもあるんですね。

少なくとも私のそれはそうでした。

 

それ以来、私 というイメージはとても薄いものになっています。

 

毎日瞑想をするということは、毎日、自我のイメージから離れる時間を体験する ということです。

自然と一瞥が起こりやすくなります。

 

意識が深く空に入る ELM瞑想は 悟りへの近道です。

悟りの感覚を邪魔するネガティブ感情をカルマと呼んでいますが

瞑想がブルドーザーのようにカルマの感情を押し出してしまう  と聞いた時は

何はともあれ スッキリしたいと毎日瞑想をしました。

 

その結果 その意味を体験するのです。

本当に一番の近道は、長期瞑想合宿コースに参加することなのですけど、

まずは おうちで日々心の内側をお掃除しましょう。

 

続ければ続けるほど カルマは出て行ってなくなります。

面白いほどに  です。

 

毎月第1土曜日にELM瞑想の無料体験と説明会を開いております。

 

瞑想実践者の勉強会&瞑想会は第3日曜日です。

 

瞑想合宿は、今年6月の20日頃に ELM瞑想の創始者ボブ・フィックスによる高千穂瞑想合宿が予定されています。

週末の3日、もしくは5日のコースになる予定です。

来月辺りに募集サイトが立ち上がりますので、参加者募集が始まりましたら告知いたします。

瞑想合宿の参加条件は、ELM瞑想のマントラ伝授を受けた方 です。

 

マントラ伝授の受付はお問合せフォームよりご連絡くださいませ。

ゴールデンウィークの連休中にも 対応いたします。

 

個人カウンセリング、及び 瞑想セッション、EFT療法 のお申込みも随時受け付けいたします。

お気軽にお問合せくださいませ。

意識が拡がる仕組み(完成)

今日は 少々 抽象的なことを話します。

平面と立体、 

地図はで表現される位置は平面の上だけで示されますが、

現実にあるのは立体的な空間です。

部屋の床にあるものと天井にあるものは離れていますが、

地図上では同じ点です

 

意識、認識も平面的なものでなく立体的なもの、あるいはもっと複雑な多重構造を持っていて

いろんな層があります。

 

私はその構造を球体みたいに理解しています。

いくつもの層からできてるゴルフボールみたいな感じ。

ゴルフボール断面ゴルフボール構造

これは世界観を現すものですが 自我が小さな点だとしたら 

外側に行くほどスピリチュアルで広いエリアの理解が可能になります

自分が居る層より内側の世界を見ることができるのです。

一度拡がると狭く戻ることはありません。

 

スピリチュアルではこの範囲、自分がいる意識レベルを3次元とか4次元とか5次元 なんて表現します。

私たちの自我の認識が見ているのが3次元の物質世界

その外は肉体から抜けた霊がいる霊界、

意識の波動が高くなれば高くなるほど外側の広い所から内側を見ています。

 

何次元まであるのでしょうか?

一番外は空(くう)とか、宇宙意識 って呼ぶんですが

ここには価値観も消滅する全てを包括する認識です。

 

層と言っても 実際は境目なんてあって無いようなものかも。

でも意識の中では自分が居る所より外側は壁のようなものを感じて外が見えません。

これは何の壁かと言いますと、自分が作った制限の壁なんです。

幻想の壁ともいえるでしょう。

真実は、壁などの境目はなく、

空気が温度で、勝手に層を作っちゃうのと同じようなものなのかな。

自然と分かれてしまう みたいなことなのでしょう。

空気と温度 ではなく 意識と波動 で層ができます。

 

同じ層にいる認識と共感しやすく、ご縁がつながりやすいのです。

心の状態が良く心の広い人、高波動の人とご縁がつながりたければ

自分自身がそのように懐(許容範囲)を拡げればよいのです。

 

心を拡げるには まず、自分自身を受け止め 許し 解放することです。

波動の法則

先日 ある瞑想者の方と意識が世界に反映する という話をしていました。

精神世界にご興味の深い方はもうご存知かと思います

私たちはそれぞれ波動を放っています。

オーラと呼ばれたりもするそれは普通は目に見えませんが

人によっては色で見える人もいるし、他人の波動を感じ取る能力の高い方もいらっしゃいます。

それぞれの人がみんな 自分の波動があり、それはその時の気分によって上がった下がったりもします。

気分の良い時は波動の周波数が上がり、気分が落ち込むと波動の周波数は下がってしまいます。

そしてこれが、ただ出ているだけではなくて、外の世界に影響を与えているんです。

どんな風に? と言いますと、

ある日、職場に行くと なんだか雰囲気がおかしい、あれ?どうしたの?

誰も何も言ってくれませんが 明らかに空気が違うんです。

後で聞いたら、直前に一悶着あって すごく険悪な気分の人たちがいた。

とか 

おうちに帰ったら、お母さんの後ろ姿が 異様に怒ってる とか。

ありません?

人によっては 同じ部屋にイライラしている人がいると疲れ果てる という方もおられるでしょう。

本当は誰でも、いえ、かなり多くの人が 目に見えないエネルギーや波動、空気を感じ取ることができます。

ほら、若い子たちの間でもKYなんて言葉流行ってますね。

KY = 空気読めない です。

日本人は空気を読むのが得意です。

でも、感じ方は個性もありますから 外の波動が入りにくい人もいるんです。

わかるから、わからないから と人を軽蔑したりなんかしてはいけません。

 

で、 空気を読めるか読めないかは問題じゃないんです。

読まなくてもいい時もありますから。

わかりすぎると困ることも少なくありません。人の波動に引きずられて波動が下がってしまうなんて 面白くないことです。

一緒に引き上げてもらえるのは大歓迎なんですけどね。

 

問題は 他人が出してる波動 ではなく、自分が出してる波動なんです

それは周囲の人たちや これから起きる流れに影響を与えます。

 

あなたの出す波動は 平和で豊かで 優しい波動でしょうか。

あなたの出す波動は 周囲に幸せをまき散らしているでしょうか。

舞鶴公園の蓮

幸福

今がとても辛くて幸福を求めている方

幸福はどこにあると思いますか?

私達は つい 自分が置かれている状況で幸せを測ろうとしてしまいます

マインドフルネス瞑想の本場、プラムビレッジでは 身体を自分のおうち(家)と呼びます。

心がおうちに帰って安心

心がおうちでくつろぐ

一番安心できるおうちはこの体に意識が戻って来ている時

いろんな記憶や妄想や 想像とか 頭の中のイメージで意識がどこかに出かけしまっている時は、心はここにいません。

イメージの別の世界、別の時間に行ってしまっています。

おうち(この身体、今この瞬間)に戻って イメージである悩みごとから離れて

この体と共にくつろぎましょう  って

瞑想の時、法話の時、マインドベルが鳴る時 常々言われます。

 

最初は 何のことだろう? と ぴんとこなかったものの、

そのうち、今この瞬間で この体に戻って来て今を100%感じてみると

私たちは 生きてることが本当に幸せで

この瞬間を100%感じている感動を覚えるようになります。

 

ああ、いまここ って 本当にすごく感動的な瞬間なんです。

あれやこれやの悩みや考え事に夢中になっている時は そんなこと 本当に何年もスルーしてきたのかも。

 

この世界に生かされている私たち。

この体の命に生かされている私たち

生きる事は 自分の意思 というよりも 命の意思

命あるこの体に乗っかっている私たちの魂

その魂の意識が 自分に与えられた体を通して 命を感じて

命を観察して いろんな体験を経験しているのです。

どんな出来事も この身体での経験

何をするかを選んで 

何を思うかを選んで

自分の周りの世界を作る一人として 世界に影響を与え続けています。

この体にいるうちは どんな人生を作り出したいのだろう?

あなたのハートは 何を選ぶでしょうか?

 

自我はいろんな希望を言うけれど

どんな流れになるかは 世界全体の流れ次第

何が起きるかわからないこの広い世界を 思う存分楽しんでみてください。

あなたが発する思いや波動が あなたの世界を作るということを知った時から

本当の意味で人生を楽しみ始めます。

 

生きているって 素晴らしい。

若葉

人生

人生は私たちの記憶の中にあります。

どんな人生であるか どんな人生であったか は

ストーリーを書き換えることが可能です

起きた真実を どのようにとらえるかでストーリーは全く変わってしまいます。

 

その内容は ものすごく大事なもののように思えますが

実はそれほど大事ではありません。

 

なぜなら、身体がなくなって 自我が消えてしまったら

どうでもよくなるからです。

 

私たちに重要なのは どんな今を過ごしているか です

どんな今を体験しているか

 

同じ状況でも まったく違う体感になったりします。

 

ある人は 思い通りにならないことにイライラしたり

思い通りにしてくれない相手に腹を立てたり、

理想に届かない自分の状況を不幸だと感じたり

かつて傷付いた心の痛みを抱え、ずっと辛い人生だと感じているかもしれません。

 

でも、ある人は、思い通りにならないことを 自然だと理解し、その中でより幸福に生きることを選んだり

困ったことをしてくる相手に 穏やかな言葉で自分の立場を説明し、譲り合うことを提案します

人をうらやまず、自分に与えられた恵みを感謝し、つつましく幸せに生きる ということを選択している人もいます。

かつて傷付いた自分の心は癒すことにつとめ、強い心に成長し、痛みを知る優しい心を育てます。

この人には不幸は憑りつくことができません。

 

今を最大限に生きることは 余計な思い込みや批判や正当化を手放し

真実を見ることに徹します。

もちろん自我の感情、喜怒哀楽は湧きおこりますが、

自我の都合は個人的なもので この世界全体から見ると大きな問題ではありません。

 

瞑想をしていくと、自我はおとなしくなり、

観察する意識が大きくなっていきます。

真我の意識です。

この真我の意識は 個人ではなく 世界を体験します。

この体を含めた世界 を 生きています。

この視点は 全く世界観が違います。

 

私たちは海上の一つの波ではなく、海そのものだった  という感覚です。

そこにはひとつの人生だけが重要なのではなく

永遠に終わらない命が 様々な形に変化しながら存在している

世界のダイナミズム 

雄大な命のハーモニーを感じることになります。

 

命は 奇跡です。

地球