宇宙の法則

カルマの法則*執着するものは失う運命

今回の法則は ちょっと重いテーマです。

 

執着なんか何もないわ~ と思われるみなさんは おめでとうございます。

この問題に悩まされることはないでしょう。

でも少なくない人たちが 手放せない思い を抱えています。

何か 自分にとって とても大事なことがあり、それがないと不安でたまらない 

あるいは 生きていける気がしない という感覚をお持ちの方です。

 

本当は なんだって無ければ無いなりになんとかなるのですが、 

失ったことを考えると恐ろしく感じたり、絶望感を感じたり

感情に飲まれて 冷静でいられなくなる という不安を持ってしまっている

 

これはちょっと強めの依存が入ってしまっています。

これらの不安に 本当は実体はありません。

まだ起こっていないことを どれだけ不安がっても起きるまでは対処できないのです。

それが起きないようにいろんなことを止めたり、ガードしたり遠ざけたり

けっこう必死になることもあるかもしれません。

でも、起きる宿命のものは どうしたって起きるのです。

ジタバタしたってしょうがない

不安も依存も ネガティブな幻想です

 

保険とか 災害対策は 起きた時にあわてず対処できること としてOKじゃないかと思います。

不安要素を消せるならいいことでしょう。

でも、それが今の生活を圧迫するなら それはやりすぎです。

 

これから起きる出来事は 

今の時点ではわかりません。

いろんな予測の方法ができて、かなり危険は回避しやすくなりました。

でも、災害など 予測のつかないことは しばしば おきてしまうのです。

それはもう しょうがない。

 

起きた時は、対処するのみです。

できるだけ冷静に 状況を見極めて うろたえないことが大事です。

 

起きる前から不安でフラフラ なんて まるでコメディです。

 

しかも、 不安なあのことが起きたらどうしよう!? なんて イメージすることは

 

夢を叶えたいので、常々叶ったところを想像する というのと同じくらい

イメージしたものを現実化する働きがあるのです。

 

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引き寄せます。

夢は叶うと信じると叶います

不安は 手放さないと現実化します

 

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さあ、困りました

かつて失った時の恐怖が張り付いて 取れない という人

 

強烈な心の傷です。

 

自分で手放そうとしても手放せない痛み

 

それは癒すしかありません。

 

瞑想は あなたからネガティブな記憶を消す効果を持っています

瞑想は あなたの脳、あなたの身体 あなたの細胞を癒します。

それもELM瞑想のカルマの浄化力は他に類を見ません。

どの心理セラピーにも引けをとりません。

 

執着を無理やり剥がしても 心の傷が癒えていないうちは痛すぎて死にそうになってしまいます。

そういう宿命を持ってしまっている方は もう迷わずELM瞑想を実践していただきたいのです。

 

ただ 毎日の瞑想の実践が 傷ついた心を癒してくれるのです。

 

そして 瞑想の波動があなたにこびりついた執着を取って あなたを自由にしてくれるでしょう。

 

1年2年と瞑想を続けますと、心の傷が消えてゆき、心が丈夫になります。

あなたは身体だけでなく、心も 自己治癒力を増して 試練に打ち勝つことができるようになるのです。

あなたの心が丈夫になると あなたはもう カルマを恐れる必要がなくなります。

 

やってくる出来事は恐れるに足りません。

次々に乗り越えて新しい境地に到達します。

それは苦しい試練ではなく 乗り越えた感動へと変わるでしょう。

 

すべてのカルマの体験は あなたを磨く磨き石となります。

辛い摩擦、耐えられないストレス ではなく まるで滝行のように あなたを浄化し、たくましく育ててくれる出来事へと変わります。

 

怖れやとらわれは手放して 自由な心になってください。

瞑想とダルマ(大いなる流れ)があなたに新しい生き方を導いてくれます。


雪の中の花

アトリエ霽月が あなたの瞑想とあなたの生きる力をサポートします。

カルマの法則*気にして引き寄せるもの

いつも のんびりゆったり生きていけるといいのですが、

なかなか理想通りにはいかない と言う方も多い事でしょう。

今日は 普段から いろんなことが気になって気になって仕方がない という方に向けて

お話してみたいと思います。

 

日常のストレス、イライラや 思い通りにならない居心地悪さ ある種神経質にこだわって気にしているという状態

これはカルマの感情  身体の中に残る 過去の体験の感情からやってきます。

特に感受性の強い方は 些細な刺激を大きく感じてしまうので

大多数の人が気にもならずにスルーしてしまうことを ことさら拾ってしまいがちです。

でも、本人にとっては見過ごせぬ刺激ではあるので どうしても気になる ということになります。

でも、摩擦として感じているものは さらに感じているものを現実化させる力を持っています。

感じれば感じるほど その現象が身近に起こってしまいます。

うーむ、まずい。。。(-_-;)

 

これは どうすればよいのでしょうか??

 

感受性が強いグループにとってはかなり重要な問題です。 生活が落ち着きません。

意識と現象の悪循環です。

 

あなたが 今 生きている環境は のどかでしょうか?

はたまた 喧騒の多い場所でしょうか?

 

海辺の断崖絶壁に家を建てると 大変海風が強く 冬場は厳しいものとなるでしょう。

沖縄に住むと 毎年、夏場は強烈な台風に見舞われます。

 

それらの天候に文句を言っても 天候は私たちを避けてはくれません。

ただ、ひどい被害を被らないように対策を立てるしかありません。

 

内向的な方は営業職には向かなかったり

とてもエネルギーが強くて大きい人が 田舎の老夫婦のような生活は合わないのも 同じ問題です。

私たちは 生活する場所を選ぶ権利も持っています。

穏やかに過ごしたいのに 喧騒の中にはわざわざ入って行きません

 

また、この世界は100%意識を満足させてくれる世界ではありません。

意識が抵抗していたとしても 激動の時代に生まれる ということは

魂を磨いて より強くたくましく大きな魂へと成長することを約束して この時代に生まれてきています。

覚えてませんが 選んで生まれてきたようです。

この世に生まれたからには 人生という川下りをやりおおせなければ終わらないのです。

嫌がりながらやるか、楽しみながらやるかは自由なんです。

出発した川下りは 途中でやめることはできません。

でも、かならずゴールがあるんです。

人間の肉体は致死率100%ですから。

終わればあの世に帰れます。

 

全くストレスがない場所 というのは 肉体のない世界のことです。

 

この世界にいる間は この世界と上手に付き合わなければなりません。

心地よさ とは あなたのバランス感覚です。

この体と上手に付き合うのことでもあります。

この自我と上手に付き合うこともです。

 

あなたの自我は 肉体の意識です。

肉体の意識は 心地よさや心地悪さを示してきます。

もし、選べる条件なら 心地よい方を選びましょう

もし選べない条件なら ただ受け止めましょう

避難すべきは 避難し、

危ういものにはわざわざ首をつっこまない(やりたい場合は別ですが)

 

外側で起きる刺激は ただの景色にすぎません。

世界は独自に対流して 様々な景色を見せてくれるでしょう。

それに反応しているだけのことです。

 

それは支配はできません。

世界は大きいのです 戦っても無駄です

改善に働くことはできます。

少なからず影響をあたえることもできます。

ただ、戦おうとしたらできません。

変える力を持っているのは愛です。

 

温めてコートを脱がすように

あなたは愛を放射すればいいのです。

 

あなたはいつもどちらの力を使っていますか?

 

北風パワー と 太陽パワー  無意識に出ているのはどちらですか?

北風と太陽イラスト

 

カルマの反応は瞑想によって 手放すことができます

途中経過は必ずあります。 でも、それは空になる途中経過なのです

人生は大きな川下りですが 日常の出来事は小さな川下りです

事が起きて川下りがスタートし、ドキドキハラハラな景色を見せて 穏やかな大河に合流します

あなたは大河に意識を合わせるだけです。

 

運転に例えると、目的地に着くまでは山道だろうが悪路だろうが 前に進まなければなりません。

安全に落ち着いて進行してください。

感情が高ぶっていては いい運転ができません。

無理をせず 障害物に遭遇したら 安全に迂回することも 必要です

そんなに急ぐこともない ゴールまでのんびり生きましょうよ。(笑)

どのみち あの世にはアイデンティティすらも何も持っていけないのですから。

 

カルマの法則*インド神話より

神話 というものは 自然エネルギーを擬人化して現したものです

インド神話からお話ししてみましょう。

 

 

負の感情はしばしば破壊的です。 エネルギーのネガティブな側面を神格化したのが 

インドの ドゥルガ と カーリー という女神たちです。

 

エネルギーに偏りや摩擦が生じるとそこに負の感情が起こります

最初は戦いが好きなエゴ、アスラ族の神々が世界に戦いを仕掛けてきて、

空であるシバや、意識の源ブラフマーが困り果て、怒りが溜まってきました。

 

カルマです。カルマは蓄積されて限界がきます。許容量をこえてしまい、耐えていたダムを決壊させてしまいます。

 

その怒りから生まれたドゥルガーがアスラを倒して戦いを制圧します

神々から沢山の武器を与えられたドゥルガーは強いです

ドゥルガとアスラ

水牛に化けたアスラを倒してしまいます。

 

これでやれやれと思っていたのもつかの間、

アスラの兄弟たちは、懲りずにまた戦いをしかけてきます。

エゴはしつこいですからね。

 

怒りのドゥルガのエッセンスを更に凝縮したのがカーリー女神です。

「おまえらぁ、いいかげんにしろ~、もう頭にきた!!」と 冷静さを欠いて あらゆるものを巻き込み一気に圧を逃します。

ドゥルガは美しいですが、カリーは真っ黒に怒っていて、すごい形相です。

もうありとあらゆる殺戮を極めてしまいます。彼女は全てを破壊し尽す勢いです。

カーリー

怒り心頭 常軌を失って ありとあらゆる残虐なことをも 敵味方の見境をも失って

強烈な破壊の威力で敵を圧倒します

流出するカルマのエネルギーは 様々なものを巻き込んで破壊活動を行います。

敵がいなくなっても勢いに収まりがつきません、

近づけば巻き込まれてやられてしまうので 誰も止めることも近づくこともできませんでした。

これを鎮められるのは 空(くう)である シバ神だけです。

空は無になること 究極の破壊 を司っているシバ

どの神々にも止められなかったカーリーの足元に潜り込み自分を踏ませて破壊活動を止めさせました。

ドゥルガ・カーリー・シバドゥルガとカーリーとシバ

空の領域は全てを包み込む力を持っていて 怒りすらも飲み込み 鎮めてしまいます。

空(くう)はあまりにも大きいので その中に入ってしまうと エネルギーの圧は拡散して薄くなり

やがて消えてしまいます。あっても無いのと同じなのです。

 

これらのエネルギー、エッセンスは

神の子である私たち人間にもあります。

心当たりはあるでしょうか。

この要素全てが 内側にあるのです。

使っていてもいなくても。

 

そして 無限の無 空でもあるのです。

内側に拡がる宇宙は 空です。

カルマのエネルギーが消えた時、絶対静寂を体験します。

 

 

宇宙の法則*意識の波動が持つ力2

前回に引き続き 思いが現実を作る というテーマをお話していきます。

 

この法則の重要なことは、

無意識層の思いも、 いえ、無意識層の思いこそが 強く反映します。

自我が誤魔化している本当の気持ちが あぶり出されてしまうのです。

 

ですから、思いは純粋に 心からそう思わないと実現しないのです。

 

あなたが信じているこの世界に対する観念は どんなものでしょうか?

世知辛い? gawk

渡る世間は鬼ばかり? sad

 

恥ずかしながら、かつて人生は辛い事ばかり despair なんて思っていた私は

その思いを手放して、思いを変えてみました。

 

この世界はまんざらでもない confident

必要なものは与えられる

いつも見えない存在に守られている

結局最後はハッピーになる

生活は 生きていくことに不自由していない

自分にちょうどいい今

私はけっこう幸福 heart04

神からは愛されてる (気の合う)人からも愛される heart

この世界が大好き lovely

この世界は美しい fuji

すべてがOK! shine

全てが完璧! shine

 

そんな風に思いを変更していきました。

最初は抵抗あることも だんだんなれていきます

もちろん、

途中経過はいろいろあります。

 

要らない要素を取り除くために

世界は予想外の手段を取ってきます。

根底に潜む問題は、一度大きく揺さぶられ、あぶり出されて膿を出し切り

完全に消えていきます。

(大手術中はけっこうすごいです(笑)怒涛の流れ)

 

思いがなかなか変えられないのは まだカルマの感情が内側に沢山残っている時です。

カルマの感情は 私たちが幸せを選択することをなかなか許しません。

 

人間が沢山いますから、世界全体ではまだ多くのカルマが存在しています。

でも、あなたのカルマ、あなたの担当するカルマはバケツ1杯なのです

あなたは自分の感情だけに責任をもって それを終えていきます。

 

カルマを解放し終わると、カルマに覆われていた真我が現れます。

真我の意識は 自然に浮上してくるのです。

 

苦悩は、受け止めて   そして  過ぎ去らせてください

ただ手放して世界に任せます。

手放すには勇気が要ります。 コントロールしないことに怖れを持っているからです。

困ったことになったらどうしよう? という思いを手放せずに葛藤します。

ですが、

世界を信頼すると 世界、神、あなたを守る見えない存在は 信頼に応えてきます。

こう言葉で書くと 違和感を感じられる方もいるかもしれません。

事前に保障があるわけでもなく、そんな存在の証明もないからです。

でも、流れは確実に存在します

 

これは思いを変えてみる ということを実践してみた者にしかわからない経験なんです。

とりあえず信じてみるしかありません。

願望 ではなく 確信でなければ 実現しません。

だから難しんです。

 

お医者さんに連れてこられてパニックで暴れる猫に 大丈夫だよ と言っても理解しないのと同じです。

見守る人が同じように焦ってもパニック猫は落ち着きません。

途中経過に自我がドキドキしても 流れを信頼しましょう。

伝わるのは 本当の安心の波動のみ なんです。

そして怖れを手放すこと 世界を信頼すること です。

完全に着地するまで 暴れないことが秘訣です。

飛び立った飛行機は着陸するまでは空中にいるのです。

そこで下ろせ!と叫んでも どうにもなりません。

大いなる流れも同じなんです。

 

私たちを待つ運命で 信頼を持つか持たないかは あなた次第です。あなたのカルマが抵抗します。

だからこそ、カルマを減らす瞑想が必要になってきます。

瞑想は心の安定剤です。

 

私たちの宿命としての大きなイベントは避けられませんが、 どちらでも自分次第な出来事は

日々の意識の選択によって運命を変えられます。

一瞬一瞬の小さな選択の違いは 長い人生において 大きな違いを作ります。

既に入り込んでいるカルマを手放し 自分の望む世界観を手にしてください。

 

 

各宗教もまたそのガイドラインの1つでしょう。でも、形骸化した宗教には効力がありません。

本当に大事なことを知ることは 宗教だけにはとどまりません。

自分の人生観を どのようなものにするかは 本人に選ぶことができます。

宗教という形をとらなくても 意識が変われば人生は変わります。

EELM瞑想は宗教的エッセンスは含みますが 宗教ではありません。

あなたの生き方のガイドです。

 

あなたは幸せでいたいなら、今 幸せである要素に目を向けて それを味わってください。

カルマの感情が出てきたならば、それを世界にリリースして 任せてしまいましょう。

もうその思いは要らないからです。

 

この世界はまんざらでもありません。

今、生きていられることは 幸福ではないでしょうか?

殺される恐怖に直面していない人は幸福です。

追い立てられる今を 手放す選択もできます。

どんな風に生きるか あなたには選ぶ権利があります。

 

あなたをしばるものは あなたの思いです。

手放すことを恐れて 檻の中にいるのも 選択です。

それが安全ならそこにいる幸せもまた まんざらでもないのです。

 

私は自由が好きですから 自由に生きています。

どこで生きるかは 個性にもよると思います。

選択したものを喜び、合わなくなったものは手放します。

諸行無常ですから 自分で選べないものもありますが、

与えられた世界をどう生きるかが あなた自身にかかっているのです。

工夫して幸福を沢山作り出してください。

 

あなたの意識の反映なのです。 

宇宙の法則*意識の波動が持つ力1

カルマの法則はネガティブエネルギーの流れを主に扱いましたが

ポジティブなものも含むお話として 宇宙の法則 というテーマで 改めてお話します。

前回と重複する部分もありますが、大事な部分ですので 心の中でイメージしながら読まれて下さい。

 

これまでのブログにも何度も書いてまいりました。

思いは現象界に影響を与える

あなたの思いが流れを作る

この説が世界を駆け巡ったきっかけとして

『ザ・シークレット』という本があります。

 (アマゾンで調べて見たら現在はkindle版が販売されているようです。本は厚いものだったようですが)

引き寄せの法則について描かれたもので 実は私はこれを読んではいません。

内容は 引き寄せの法則がどのように起きるか、私たちはどのようにすれば 私たちにとって好ましい事象を引き寄せられるか について書かれています。

今や引き寄せの法則はスピリチュアル分野では基本的な認識です。

私自身はこの引き寄せの法則については 別の所で教えてもらいました。15年ほど前の話です。

 

思いが事象に影響する

意識の波動が これから何が起きるかに重要な影響を与える

意識がこの世界の現れを作っている

見る世界は自分の意識の反映である

この世界は私たちの意識が作っている

 

というものです。

 

私たちが この世界がどういうものなのか を決めていて その意識に見合った現象を世界が起こしてくれる

そう聞いた時

最初は  何を言っているんだろう? と思いました。

私が先に決めたわけじゃない って 自我の意識は思っています。

 

でも、何か起きた出来事のどれかが強烈に印象に残って そのことを意識に強く焼き付けると

それに似たことが頻繁に起きるようになります。

何かで腹を立ててイライラしていると 次から次に嫌な出来事に遭遇する 泣きっ面に蜂 的なものだったり、

愚痴を言うと それに関連することが起きやすい とか。ネガティブな言葉は不幸を呼びやすい とか。

噂をすれば影、話題を出すと本人が現れたり、

良いジンクスなどもありますね

ありがとうshineを沢山いうと 良い事が起きやすい とか。

感謝の気持ちを持っていると 喜びが舞い込みやすい とか。

ジンクスは上手に引き寄せを法則を使っていますね。

信じれば救われる というのは 本当です。

神が というより、あなたの意識が世界に反映されて内なる神に救われるのです。

 

人によっては 根拠のない話だ と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、

ちょっと意識して 行動や思いを変更してみると

実際には 法則通りの現実を見ることになります。

 

 少々長くなりますので 明日のブログに続きます・・・

カルマの法則*真実を受け止める勇気

カルマを無事に解放してしまうには 目の前で起きていること

今 そのものの真の姿を受け止める勇気が要ります。

そう、自分に都合の悪い現実です。

 

実は人間の自我の意識は 本人が生きやすいように 真実を自分のつごうのいいように解釈して誤魔化してしまう癖があります。

ほとんどの人が無意識にそうするように 人間の意識の構造がそうなっています。だから恥ずかしい事でもなんでもありません。ただ、自我の意識というものがそういうものなのです。

 

ですが、真我の意識はそうではありません。 真我の意識は 誤魔化しはできないので 

真我の気付きが自我の意識にとって都合が悪い場合は 

真我の意識を眠らせてしまいます。 意識の奥底に隠してしまうのです。

 

ここでネックになるのは 自分に都合の悪いと思っていたことは

本当はさほど都合が悪いわけではなかった ということに気付く必要があるのです

 

自我の意識は 肉体としての自分自身を守るための意識ですので

決まりを作ったり 安全なエリアにいたり、またその安全な場所を守ることに必死になります。

肉体としての自分を守る というのは 物理的肉体だけではなく、アイデンティティを守ったり

価値観を守ったり、コミュニティの維持を守ったりもします。

 

そして、これらが損なわれそうになると 緊急事態のアラーム、カルマの感情が発動します。

あなたの自己保全システムのセキュリティレベルが高くなれば高くなるほど

多くの制限と規制が介入し 作動し始めるのです。

そのレベルボリュームを上げる張本人は 怖れ です

 

あなたの恐れは あなたを守るために あなたにいろんな行動制限をかけ、

自他を裁き、真実を歪めて安心しようとします。

 

怖れは実体のない頭の中のイメージですが、

安心もまた 実体のない頭の中のイメージです。

自我は 自分が気が済めばそれでいいのですから。。

このイメージは 実は 自我が掴んでいる幻想なんです

自我の価値観という基準がジャッジしている善悪、良し悪し、好き嫌い

 

この選り好みは 真実しか見ていない目からみると

とても奇妙に見えると思います。

実際に危険な箇所、問題がある箇所はそこではないことが多いからです。

 

また、自分が反応してしまうことに目を奪われすぎて

必要なことがおろそかになり、必要でないことに必死になってしまうことも起こります。

引っかかる箇所に振り回されて ジタバタすることも ただの徒労に終わってしまうことが少なくありません。

こんな時の様子を 独り相撲 なんて言ったりしますね。

 

そしてふと思います

私はなぜ こんなに気苦労が多く ストレスがたまるんだろう? と。

 

その葛藤のエネルギーは 外側に向かうと、誰かや環境が悪い と思ってしまい、

自分自身の内側に向かってしまうと 自己否定や劣等感になってしまいます。

 

真実は 誰も悪者はいないんです。

みんな もがきながらも懸命に生きてきただけのことです。

人同士のジタバタで摩擦が起きたり

誰かのカルマの解放のとばっちりを受けたり

カルマの解放は 自我から見ていると 自分の中の問題 とは気づきにくいのです。

 

反応するのは自分のカルマ ということを知らずに

反応させる誰かが悪いと 思ってしまいます。

 

この世の真実が何か なんて なかなか誰も教えてくれませんし、

現代社会のような真我のことを忘れて生きている社会では 見つけることも難しいのだろうと思います。

 

だけど 真我は気付きます

あなたの中にもいる 真我は このストレスは 甘んじない方がいい と気付いているんです。

 

自分自身でややこしくしてしまうのは カルマのエネルギーが原因なので

瞑想をして 内側のエネルギーや波動と整えると いろんなことが解決してきます。

 

この辺の仕組みは 物理的な事や詳細を話しだすと一晩中でも終わらないので今は割愛しますが

自我を大人しくさせることは 頭で理解するより 内側の掃除した方が断然早いですし苦労がありません。

 

内側から摩擦のエネルギーがなくなって 初めて なんてしんどいものを抱えてきたんだ!と驚くのです。

 

いままでいた世界の喧騒は 自分が掴んでいたものだった

 

手放すと どうなるでしょう?

 

あなたの中の静けさと出会う瞑想を 始めてみませんか?

 

すでに初めておられる皆様は 

カルマの感情は ただ 過ぎ去らせてください。

カルマは過ぎ去り消えてなくなります。

マントラの流れとダルマの流れが あなたを洗い流してゆくのです。

 

ダルマ(大いなる流れ)はあなたと共にあります。

ダルマの向かう方向は 愛 です。

海から虹

カルマの法則*カルマの解放の意味

カルマの法則をシリーズで書いています。

何が必要なのか 基本的な理解を進めていくと物事がスムーズに流れます。

 

そもそも カルマって何? って思う方も多い事でしょう

一般の日常ではあまりメジャーじゃない言葉です

 

カルマ ・・・ 過去のネガティブ感情の記憶 摩擦を起こす感情の記憶 の事です

 

ずっとブログを読んでくださっている皆様は もうご理解していらっしゃるかと思いますが

私達人間は カルマの感情(感情の摩擦、と その種)を取り除くと とても生きやすくなります。

 

カルマは、細胞の中に種のようにあります。 

排気ダクトの埃のように エネルギーの通り道にこびりついていたり、、

特定の筋肉の中にたまっている場合もありますし、

生まれる時からすでに 先祖の細胞の記憶として DNAにその情報が載っているものもあります。

病気はカルマの表現型です。

カルマが発動するとまずは感情、そして

感情を抑え込んだ結果、病気にでてくるものもあります。

ストレスで負荷がかかると カルマは形になって出てきます。

 

でも、カルマはただいらないゴミのようなもの ではないんです。

ネガティブな体験 というのは 私たちの魂を成長させる効果があります。

私たちは病気を通して特定の学びの体験をします。

体験して気付きを促されるのです。

感情の解放を体験して、それが終わると気付きが現れます。

自分自身の感情を否定しないで 自分でちゃんと受け止めることができますと、

体験が成功します。

カルマはスムーズに出て行って そして あらたな理解と境地が現れます。

これが人生の学びです。

嫌なものではなく、どちらかというと感動的でさわやかな体験です。

 

一般的には「ふっきれる」と表現しますね

 

また家族に起きるカルマは 体験を家族で共有します 

血族、家族は 同じテーマを共有する仲間 なのです。

病に伏せる人、お世話をしてあげる人、心配する人、感謝する人、見守る人、無償の愛を感じること

トラブルが起きた時は常にそうです。

カルマは責任をなすり、誰かを責め、自分を正当化したくなりますが

それぞれが無償の愛を持っていることに気付いた時、傷は急激に癒されていきます。

カルマは癒されると消えます。

 

カルマを癒すことは 仏教で言う徳を積む ということと同じです。

 

 

個人的な視点から見ますと 

一人一人の意識が自立して 愛することができる成熟した大人の意識になるように 

それぞれにいろんな試練が与えられます

試練は魂の鍛錬をする場です。

体験があなたの魂を成長させます。

それは必ずしも行動を起こすことではないんです。

 

愛の思いから 行動を起こすこともよくありますが、 

暖かく見守る 愛の意識を向ける  も、愛を向けることなのです。

 

ただ、意識が成長して波動が変ることで

行動を起こさなくても解決することが沢山あります。

成長とは、今を受け入れることができること

 

あなたの魂の許容量が拡がります。

 

あなたの魂が拡がり、最終的には世界とあなたが一致します。

 

ノンデュアリティの状態に到達します。

そこには摩擦は存在しません。

 

これが悟りです。

 

アセンションと言われる今の時代は 

この意識の変容が連鎖的に起きて、

これを体感する人々が一気に増えてきています。

 

必ずしもあなたが悟らねばならないわけではありません。

あなたはただ 苦から解放されればいいだけです。

 

百人に一人が悟れば 世界はすっかり平和になってしまいます。

多くの方々が瞑想を取り入れてくださると

悟りの因子は 該当者に到達します。

 

タイでは 一家に一人の男子をお寺に入れるそうですが

悟りの波動を持つ者は 場を浄化してしますので コミュニティやファミリーが平和で仲良くなるのです。

エゴが騒いでも 癒されると静かになります。

周囲で摩擦がおきても、カルマが無いと同調しません。

いつも静かです。

真我の愛は穏やかです。 あなたの中にあるものです、

蓮華

カルマの法則*バケツ1杯のカルマ

瞑想マスターが言った言葉で とても印象に残っているものがあります。

 

一人一人のカルマの量は多い少ないがあって それぞれ違うけど 

一生のうちに終えるカルマの量はその人のバケツ1杯分なんだ。

それだけでいいんだよ。

 

 

私たちが生まれてくる時に

この人生で何を学ぶか を決めて生まれてくる と言われています。

生まれる前の記憶はおおかた消されてしまうので 覚えてはいませんが

この人生で自分が学びたいことが学びやすい環境に生まれてくるのだそうです

 

そして 自分の学びに相応しい出来事を起こすように 無意識に導かれて

私たちは人生を作っていきます。

どんなものが好きなのか

どんなことがしたいのか

あなたのハートが望む方向に その学びがあります。

 

そして いろんな摩擦やカルマの感情の体験をし終えて 真我の理解が浮上してくるのです。

 

私たちの意識の中心には 真我があります。

真我は私たちの命の意識です。 人間は そこに自我がくっついています。

自我はマインド とも呼ばれ、 この体を大切にするために備わった機能なんですが、

その機能が過剰に働きすぎますと 行動を過剰に制限して 何もできなくなってしまいます。

本来の人生と言う旅や冒険ができなくなって 体験による学びは遠くに押しやられてしまいます。

動けない 体験できない 学べない というのは まるで牢獄のような気分です

でも、その牢獄から出ていくことを恐れてしまうのが 過剰な防衛反応のマインドです。

教育を通じて 世代間を渡って伝染してしまいます。

 

体験の学びは 痛みを体験して 痛みというものがあることを知り、理解します。

体感で理解するのです。

それは深い理解です。

痛みの体験は他者の痛みへの共感となり、思いやりや優しさを育てます。

ですから 子供時代の人間関係の摩擦は 排除してしまってはいけません。

子供たちは 摩擦を体験して その解決のために

人と人が誠実に本心を語ることや 相手を理解しようという努力を経て

人が 本当の繋がり 愛の関係を持つことができることを学んでいきます。

 

これは 愛のない大人からは学べません

 

ただ、自然の関わりの中では 彼らは自発的に自分たちでそれを乗り越える力も持っています。

物事と 真摯に向き合うこと 恐れやネガティブ感情から逃げないこと が大事です。

 

カルマの感情は 感じきった時に内側からなくなり、私たちはネガティブな思いから解放されます。

また、ネガティブエネルギーは解放することで外側に出してしまえるものでもあります。

渦中にいる時は 向き合うことは苦しいのですが それから逃げずに終わるのを待ちますと

最期には真我が現れてきます。

真我を覆っていたカルマの感情が取れて 下に隠れていた真我が表に出てくるのです。

 

時々、仏さまのような美しい波動の 愛の意識の人を見ることがありますが

そういう人たちの多くは かつて大きなカルマの解放を体験した人々です。

 

苦労して 自分の感情から逃げなかった人は 魂が大きくなり 真我の光が増します。

 

苦労して 自分の苦悩を人のせいにしてしまうと この浄化は起こりません。

誰にもカルマを肩代わりさせずに 自分のところで終わらせる ということが

とてもたくさんの徳を積むことになるのです。

悔しさや悲しさ 怒りは 自分のところで終わらせればいい

このことを神々はとても評価するのです。

天からのサポートを感じるようになり ご褒美のような出来事が起き始めます。

そして多くの人に愛され始めます。

 

カルマを解放すればするほど

あなたは真我そのものになり

魂は輝きます。

 

今あるカルマの解放を恐れないでください。

それは宿題を終えるようなものです。

 

時々 ものすごい量のカルマを一手に引き受けている人がいます。

解放の感情に溺れて 滅茶苦茶だったり、もがいて人まで巻きこんだり

頑張っているのに次から次に試練が起こり、

なんて悲惨なところにいるのだろう?と思うような。。

そういう方々は 沢山のカルマを引き受けて生まれてきたチャレンジャーな魂です

それを乗り越えるエネルギーを持っています。

あるいは、自分を犠牲にすることによって この世の多くの罪を浄化して行きます。

それを見た者の学びのために。

 

カルマの解放は 速やかに終わらせることが望ましいです。

特に学びを手にすると 嘘のように終わっていきます。

カルマの解放は 学びの一環だからです。

 

すべて あなたの魂を磨くために存在しています。

 

恐れる必要はありません。

 

今の自分自身を整え 今の思いを癒し、今を誠実に生きてください

それだけで 次々にカルマが終わっていきます。

 

バケツ1杯のカルマが終わってしまうと あなたには真我が残ります。

そして真我で人生を生きるようになるのです。

 

新たな人生のスタート

今 息づく あなたの命を実感してください

存在の至福が そこにあります。

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細胞の記憶の浄化

細胞の記憶 

ネガティブな細胞の記憶を カルマ と呼んでいます。

過去に体験して未消化なまま身体に残ったネガティブエネルギーです

 

ネガティブな感情は 感じきってしまうと 身体から出て行って消えますが

感じることを止めて封印してしまうと 身体に残ってしまいます。

悲しい時 涙が枯れるまで泣いたり、怒りを感じた時 怒ることができれば

カルマは身体に残りませんが、外に出さずに我慢したり、

感じることを避けて その感情に目を背けてしまった時

カルマは心の深い所に沈んでいきます。

 

その時は消えたかのように見えますが 隠しただけなのです。

ネガティブ感情は所かまわず出してしまうと、周囲にも迷惑がかかってしまうこともあり、

大人な態度で我慢をすること、良い子でいることで 感情を封じてしまうこともあります。

それらが溜まったことはあなたが悪いからではありません。

むしろ、とても善く生きようとした証でもあります。

 

ただ、封印されたカルマの感情は ずっと大人しくしてくれるわけではありません。

 

本来外に出る性質のものですから、折に触れ外に出ていきたがるのです。

本来 出すきっかけの出来事は もうなくなっていますので、別のきっかけに乗って 出て行こうとします。

 

イライラして何かに八つ当たりしたい時、

理由がわからないけど モヤモヤしたり、ムカムカしたり、

何かやたら気に入らない時

カルマが動いています。

 

そんなときも 大人なあなたは それを外に出そうとしないかもしれません。

感情で感じることを完全に封じられたカルマは 感情へのアプローチを諦めます

そして 身体に表現し始めるのです。

ストレスによる身体の不調 

そして発病へ と。

カルマは量が大きくなると破壊的なエネルギーを持っていますので

どこかで発散する必要があります。

 

ストレス解消になることを何か見つけてください

瞑想は ストレス解消を静かに行います。

 

あなたのカルマのエネルギーを 抜いてくれるのです。

とても身体と心が元気になります。

 

これまで、長年かけて溜め込んだカルマは 一朝一夕には消えません

だからこそ 毎日浄化し続けます。

カルマのない人生は カルマのうんと少ない人生は 実現できます。

 

瞑想教室 瞑想の指導をお受けになりたい方は

アトリエ霽月にお越しください。

まずは伝授から始まります。

 

どうしようもなく暗い人生でも明るくなります。

人生のお掃除に成功した人間が沢山います。

 

不運な人にも効きます。

私たちは幸福に生きる事を選択できるのです。

 

不思議な現象はなぜ起きるのか 

その仕組みもこれからお話していこうと思っています。

芽

ELM瞑想とマインドフルネスの違いと共通点

今日は マインドフルネス瞑想会の日でした。

瞑想の前後に

アン・フーンさんの法話とサンガメンバーからの質疑応答があります。

今日はサンガの中で サンガを訪れる人との関わりについての質問が出ていました。

サンガは在家信者たちのグループのことです。

 

こう書くと マインドフルネスは宗教か? と ドキッとする方もおられるかもしれませんが、

そもそも、宗教と言うのは会社や学校と違って 何を信仰するのか 本人が選ぶもので、

教団が信徒を管理するところじゃない と私は思います。

こういう私もマインドフルネス教団の信徒 などという立場ではなく

マインドフルネスの考え方が好きなので 

こちらの場所をマインドフルネス福岡サンガにお貸ししたことが ご縁でした。

私は良いものはなんでも取り入れ、合わないものとは離れていく という流れに従って生きています。

 

マインドフルネス瞑想は 

ティク・ナット・ハン師の率いるプラムビレッジという僧院での僧侶たちの生き方がベースですので

マインドフルネス的に生き方を整えることが基本です。

 

出家していない在家の人々は 何かのご縁でマインドフルネスに興味を持ち、日常生活の中にその要素を取り入れ、苦悩から離れる生き方を選んだ ということなのですが、僧院にいるわけではないので、自分からでできるだけマインドフルネスな生き方を心がけるわけです

でもまだ信仰に従って生きるライフスタイルには変わりきっていないこともあり、どう行動を判断したらいいか 迷われる人々も多いのだろうと思います。

 

私はまだマインドフルネスと出会ってからは1年も経っていないので 今まで学んできたELM瞑想との共通点や違いなどを見つけては 「ほうほう、ふんふん」と 興味深く見せていただいているのです。

 

基本的には 目指すものは同じだと感じています。 ただ、そこへのアプローチは多少違う部分もある

 

そして共通して 人々が何に引っかかるか どこで苦労するかなどはかなり同じなように思います。

 

ELM瞑想とマインドフルネスの違いは 

ELM瞑想は決まりがない というところが大きく違います。

マインドフルネスは基本が仏陀の教えそのものです。仏教にもいろんな宗派がありますから、現代では戒律については様々かもしれません。

もちろん、マインドフルネスを実践しているプラムビレッジも僧侶としての戒律ははっきりあります。

それを実践する約束で 僧院というコミュニティに参加することが可能になります。

その中では罪は犯しにくくなり 清らかに生きるには生きやすい場所かと思います。

海外の若者たちも 自我の摩擦やエネルギーバランスの偏りの大きい世界で生きる事が苦悩に満ちてきますと

清らかなエネルギーの場で生きる事を望むのだろうと思います。

それはそれで 望む者にとっては幸福な選択なのだろうと思います。

 

在家の人々は 僧侶よりはずっと選択肢が多いです。

ただ、どう行動するか 何を思うかで 自分の人生にどのような色がついてくるか、また

どんな人生を送るか が決まって参りますので 自らそれを選ぼうとするだけなのです。

 

これはELM瞑想では そこが基本です。

より よいエネルギー、より高い波動で生きていくために この世界のエネルギーの流れと仕組みを学んでいます。

もちろん、それが心地よく生きられる秘訣ですから。

 

どんなふうに生きたいか どんなふうに生きるかは 本人が決めます。

本人にしか決められないんです。

ですから あなたは自分で生きたいようにいきてください。

 

ただ、この世界の法則を知らない ということは ちょっと不利 ということなんだろうと思います。

この世界の法則を知りだすと ほとんど法則通りに事は流れていることに気付き始めます。

それを知らないまま 無理やり思い通りにしてやろう なんてことは 無謀なんですね。

この世界の流れの方向を知り、波に乗って 風を切って参りましょう!

ウィンドサーフィン

もし、それができるようになったら、出家も在家も変わりはしないのです。