宇宙の法則

真我と真実 

この世の出来事は すべて因果があります。
私達自身のせいかどうかに関わらず、出来事もエネルギーも 全てが繋がって影響し合っています。
 
原因になるなんらかのエネルギーや波動たちのめぐりあわせです
決められてきたこともあるかもしれませんし、偶然のこともあることでしょう。
 
どちらか なんて確かめる必要はありません。
 
目の前に起きている事 
それをどう取り扱うか(逃げるか受け止めるか) で私たちの次の瞬間が決まっていきます。
 
現実の予想なんてしないでください。
物事はそうそう計画通りに進むことばかりではないです。
特に流れに逆らって 思い通りにしようと思っていれば思っているほど
流れとは逆行してしまうものです。
 
流れって何?
どちらに向かっているの?
 
それを知ることがこの宇宙の学び だったりします。
目に見えないダルマの大いなる流れは 抵抗・摩擦 を体験する体験(試練)によって 見つけることができます
私達には乗り越えられる試練しかやって来ません。
 
 
私たち人間は意識に上がることも上がらないことも いろんな要素を持っています。
自覚しているかしていないか、 どちらにしろ あるのは真実そののも だけです
本当のところ、自覚できているものはごくわずかしかない と 言っても過言ではありません。
 
でも、自我は違います。 
本当の事は あまり知りたくないのです。
本当の事よりも、着色して綺麗に着飾った 自己イメージが欲しいんです。
 
それで自己イメージを脳内で誇れるものに飾ってしまうのが アイデンティティーです。
実際は 隠したい真実は 自分自身で否定して 自分はそうではない と思い込んだり
何か理由をつけて 仕方がない と折り合ったりしています。
でも、他人はその要素を見つけて 時折指摘してしまうことがあります。
世間の大人の人は 本人が嫌がるそんなことはしないようにするのがマナーになっていますが、
時々 やけに正直な人がいたり 無遠慮な人もいるのです。
「失礼な人」って言われたりします。
でも 真実はどうなんでしょう?
 
あなたは 真実がどんなものか わかりますか?
 
本当の真実は とってもシンプルなんです
 
 

超訳般若心経 現代若者語

 

ネットではもうかなり出回っている ラップ調 若者語の般若心経の訳をご紹介したいと思います。

かなり意訳してあるので 本当の現代語訳を読んでおられる方は ちょっと戸惑われるかもしれません。

明日は本式 現代語訳をアップしますので

今日は この般若心経を味わってみてください。

なかなかいいと思いませんか?

 

現代若者語訳「般若心経」music

超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
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見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』


心配すんな。大丈夫だ。

釈迦如来坐像

意識の世界2*海のような意識のつながり

私たちの意識を 海に例えますと

今、この世界を見ている私たちの意識は海面の波のようなものです 

海の表面から外の世界を見ています。

小舟

自我の意識は小舟に乗る人 のようなものです。

小さな自分が広い世界を見ています。

身の回りの環境が自分の世界の全てです。

 

コミュニティは大きな船です。

大勢の人が乗っていて、丈夫ですが他者と一緒に載っています

 

海面が静かに凪いでいる時、

それは平和で 美しく穏やかな世界

そして、ずっと変化が無いと ちょっと退屈かもしれません。

感情の波は 風や波紋に刺激され起こります。

波もよう

波は伝わって全体に拡がります。

意識は周囲のバイブレーションを受けています

 

でも、私たちの意識は 海面だけじゃないということを

瞑想をしている方々はもうお気づきでしょう。
 
瞑想の時は水面下に入り海を体験します。
そう、私たちは海面の波ではなく、海そのものなのです。
 
海中
 
全ての命は(まだ生まれていないものも含めて) 海そのものです。
 
一人一人の個性や人生が、海面の1つ1つの波にすぎません。
 
自分の意識の内側は 全体= 神(高次元の意識)と繋がっています。
 
この意識の領域には終わり というものがありません。
死はただの通過点でしかありません。
魂は死ぬことはないですし、恐れる対象もありません。
この世界全てが自分自身でもあります。
宇宙意識です。
 
そうそう、
お釈迦様は そういうことを話してたんですね。
苦から離れるためには 色から離れてください
この世界では景色は変化し続け、そこに色付けして見ているのは私たちの意識です
色を掴むことを手放せば、ただ空(宇宙全体)があるのみ 

色 この世の変化する状況やその景色

空 全てを包括する広大な宇宙

 

物事を捉えて一喜一憂していた意識は 空に入ると 即座に宇宙そのものになってしまう。

ミクロの視点の小さな憂いにスポットを当てて悩むことを止めて

宇宙を感じなさい 

 

行こう行こう みんなで 宇宙意識になろう というのが般若心経です。

明日は般若心経の現代語訳をご紹介しましょう

 

 

 

 

 

意識の世界

前回のご質問の続きがあります
 
clover ご質問
 輪廻転生を外れてしまった魂というのは永遠に現世を彷徨うことになるのでしょうか?
 
 
fullmoon 回答
 
彷徨うという表現はちょっと違うと思います。拡がって全体にいる とイメージしてください
 
私はお墓なんかにいません。風となって吹きわたっています~♪ なのです
 
神 や仏、 高次元の意識、ユニバース 等と様々な呼び名がついていますが、
魂の故郷の海に戻るので個人の意識はなくなります。
すべてが1つで他はない状態で 大きさが無いくらい大きいのでどこにでも存在している状態になります。
 
人間界とはチャンネルの違う ここにいます。 狭いここ ではなく広大な ここ です
 
生きている人間でも、思考を外して感覚だけになると 感じることができるので  それを人は神と呼んだのでしょうね。
 
私たちの命の意識です。
輪廻から外れたら、仏になります。
 
瞑想では宇宙意識と呼ぶ状態です。
 
私たちの魂は、命の海の一滴 で、身体にいる間は身体の中に留められていますが、
肉体が死ぬと、意識は解放されて命の海に戻って混ざります。
ただ どれだけ愛を体験したか が現世の旅のお土産なのです。
これは あなたの発振した愛の体験です
 
 
どうです? あなたはお土産が沢山溜まりましたか?
 
そうは言ってもなかなかそれができないんだよね って思いますよね?
私も以前はそう思っている一人でした。
怒りや抵抗の感情はある限りなかなか抑えられません。あるうちはないものにできないのです。
 
当然です。
 
良い事を素直にできるようになる
仏の心と同調するためには 必要な事があります。
それは意識の中の カルマのエネルギーを解放して 内側を浄化する必要があるんです
その昔は 修験道とか 滝行とか いろいろあったんでしょうね。
 
現代の浄化の一番の方法は瞑想です。
 
もし、瞑想を使わなければ 感情を吐き出してしまう、感じきってしまう
感情のエネルギーを出してしまう ということをしなければ終了しないのですね。
瞑想以外の方法では 感情の解放を意図的に起こすセラピーなどは効果的です。
封じていた感情をお掃除してしまえば 内側はスッキリです。
 
感情の解放という点では ものすごく辛いことを体験した人の中に
既に悟っている方が多くいるのも興味深いです。
現実の体験でカルマのエネルギーを昇華してしまったんですね。
 
魂はこのカルマの解放を終わらせてしまいたいようです。
瞑想でスムーズに浄化できれば 
現世の揉め事を沢山体験する必要がありません。
他の瞑想ではこれほどまでには進まないようなのです。
ELM瞑想は 本当にすごいツールだと思います。

 

 

霊の話題

先日、ある方からご質問があり、普段はあまり取り扱っていない話題なので ここでシェアさせていただきたいと思います。
 
 
clover ご質問
「憑依」という現象がありますが、これも宇宙(自然)の法則に含まれるのでしょうか?
もっと言えば、何故「不浄霊」というものが存在してしまうのでしょうか?
 
fullmoon 回答
霊は、肉体のない意識です。
人生を終えた後、魂は身体から抜けると通常は魂の故郷に吸収されてしまいます。これを成仏と呼んでいます
成仏したくない魂は、この世に強い執着を残していて、元々いたあちら(彼岸)に戻ることを拒否して人間の世界に留まっています。
自然な成り立ちに逆らうのですから かなり強力なエネルギーがあります。思いが強い ということです。

人々の意識には波動とエネルギーがあります。
物質として存在しなくても 波動は存在します。

他人の感情がそれとなく分かる 怒っている人の近くに行きにくい 、
なんとなく行きたくない場所があるなど、私たちはそれを感じとる能力があります。

空中を電波が飛んでいるように 波動も世界の中に沢山存在しています。
これは物質ではなく バイブレーション(振動波)です

人々が強い念を持つ時、感じる時に
その強い波動が周りを共振させて波動だけ残してしまうんですね。
そこに来た人は、波動を被って同調してしまうことがあります。
波動が強ければ強いほど多くのものを巻き込みますが
通常は波動は、元々持ってる波動と似た波動にしか同調しませんので、全ての人が影響を受けるわけではありません。

霊でなくても、
実在する人間が出す波動にも私たちは影響を受けています。
視覚や聴覚も加わるので生きてる人間を直接会う方がより強く影響を受けますね。
波動は特に肌や第六感に響いて来ます。フィーリングです

見えない波動のみの場合は、
受ける側のセンサーが感度が良いか、
チャンネル(周波数、波動)が 元々あるものに近い時に特にキャッチしてしまいます。
ラジオのチャンネルを回すと周波数の合うところで声が聴こえてくるのと同じです

自分と近いもの、好きなものを集めてしまいます。

成仏できない霊(思いの記憶)に憑依される人は、ある意味その波動の中に居ることを選んでいます

被害者 という立場
怨み という思い
自分を憐れんでいる、
誰かに助けてもらいたい、
または誰かのせいにしたい
鬱憤を晴らしたい(感情の解放)

 などの思いがあります。

霊というのは、成仏していない全体と分離した魂  です。
霊はこの世に思いを残して何かをしたいというエゴを持っているので、同調してくれて乗っ取れる身体は都合が良いのでしょう。
霊自身は身体を持たないので誰かに憑依して動きたい。
そこまで強力な霊はごく僅かなのだと思います。生きてる時はすごい念を持ったエゴイストだったのでしょうね。
そういう意味では死んだ者より生きている者の念の方が強いと思います。

でもこれは、波動の周波数が合わない人間にとっては チャンネルの違う別世界の出来事です。

仏教でいう天国や地獄などの六道はチャンネルの違いで、それぞれがこの世界の中に重なって存在しています。
ラジオやテレビの中にいろんな局があるのと同じことです
同じ場で、違う景色を見ているんです。
私たちの脳は受信機です

憑依は、気持ちの波動を落としてしまった人が、悪い友達にそそのかされてしまうようなものです。
肉体を持たない意識(霊)と友達になってしまい、相手に執着されてしまうことを許してしまったのかもしれません。
本人が毅然と断らなければ立ち退いてくれません。
まずは、本人が抜けると決意することと、
幸福であることを選択する意思が必要です。

病気であることは、ある意味、現実と向き合わなくてよいので 病気を心地よいと無意識に感じている人も少なくありません。
その人たちは口で治りたいと言い、症状が無くなることは望みますが、現実と向き合う覚悟は出来ていませんので、治ることを選びません。
無意識に病気を必要なものとしているんですね。
でも そのことは表面の意識には上がりません。

どんな状態も  学びの1つなんです。
この状態を作り出しているのは自分だった。もうこんな状態はこりごりだ。抜けられるなら何でも手放す
そう覚悟すると 身体は 自分が握りしめていた思いを手放して 回復を始めます。

この手放すことに抵抗する思いが強い念や執着となり カルマ として残ろうとします。

どれも 波動の世界 思いの世界のことです。

悟りは これらの思いを手放してしまいますので 波動が変わり、カルマの縁がなくなってしまいます。
思いを手放す というのは 消し去ることではなく、どうにかすることを
ダルマを信頼してお任せすることです。神や仏にお任せする というのも同じことです。
 

 

 

 

自我の消える時

以前から お伝えしたいと何度か文章にすることを試みていたのですが

なかなか伝わるような文章にならずに苦心していた内容があります。

 

先日、Facebookで信頼している友人の一人

熊本市内でヒーリングカフェさゆらを長年運営されていたレイキヒーラーの浅川路子さんが

体験談を通してとても分かりやすく表現されていたので

記事を掲載させていただきます。

 

浅川路子さんは実に聡明で多くのみなさんを温かい愛で包み導いて来られたヒーラーさんで

現在はヒーリングカフェは閉じられたものの そのスペースを多くのヒーラーさんに解放したり

レイキの指導で、熊本ではなくてはならない方です。

とても心に響きましたので みなさまにもシェアしたいと思います。

 

 clover clover clover clover clover

 

今の仕事は年末までの短期契約なので、来年からの職探しをしています。
その中で自分の変化に気づいたのでシェアさせていただきますね。

一言でいうと、今回はこれまでと違って観察者の視点で仕事を探しているということです。
これまでは「当事者」として仕事をどうするか考えていました。「自分はどうするか」という視点です。
でも、今回仕事を探していて「神の意図したこと以外起こらない」という信頼が自分の中で根付いていることに気づきました。
もちろん人間らしく(笑)求人情報に目を通したり、来週はハローワークに行こうかなとも考えているのですけど、自分が探して自分で決めるという感じがありません。
かと言って「聖霊にお任せする」みたいなこととも違うようです。

神の意図したこと以外起こらない。この信頼だけがある感じです。

わたしは10年以上、のべ百人以上の人にレイキ伝授をしてきて、その中で力説していたことがあります。
それは「順調なこと以外起こらない」ということです。
でも今の自分の中にある確信は、そのことともちょっと違います。
以前お客様に伝えてきた「順調なこと以外起こらない」には、出来事を、良きこととそうでないこととジャッジする視点が入っていました。
一見望ましくない出来事も、すべて必要があって良きことへの導きとして起こる。と、そういう観点で伝えていました。
でも今はそのジャッジ自体を放棄してしまった感じです。
なぜならそれは決して分かりっこないということが「分かった」からです。
何が良きことなのか、わたしには一切の判断ができないのです。

聖霊に委ねていればいろんなことが順調に行く、という引き寄せ的なことを全く期待していない自分がいます。
来年から縁あって始めることになる仕事が自分(エゴ)にとって良い仕事なのか、そうでないのかはどうでもよくて、ただ起こったことが神の意図したことだというそれだけだと思っています。
「超楽観的まな板の上の鯉」みたいな感じです(笑)

未来に対する期待や予測、良し悪しの判断が無くなると、ただ観察する人になるみたいです。
何が起こってもいい。それに対する意味付け、価値判断は決してわたしにできるものでは無い、という気持ちでこれから起きることを目撃するのは、不思議とわくわくするような面白さがあります。

 

 clover clover clover clover clover

 

私もちょうど路子さんと同じように その途中の段階のお話をしていました。

こういったお話は スピリチュアルの初歩の方に向けてお話する時によく出てまいります。

苦しみを伴ったこだわりを手放すために必要なモチベーションが求められる場合があるからです。

 

それらの 信じれば良い事がある という類のお話は嘘ではありません。

実際にご本人の波動が緩めば 起きる出来事は変わってきます。

周りにいる人の反応は本当に変わります。

 

ただ、私たちが成長する 『摩擦を感じる出来事』は相変わらず起きるのです

これだけ多くの人間と自我がある限り、この世界にカルマは存在し続けますし、

自然そのものが 創造・維持・破壊 のサイクルの繰り返しで輪廻のように回っているからです。

 

その中を生きる ということが わくわくしたものに変わります。

 

出来事は ただ 起きているのです。

 

それを観察している意識は ブラフマン意識・宇宙意識といわれる コアの意識

観察者 なのです。

 

 

抵抗

幸せなこと と そうでないこと

大好きな事 と とても我慢できないこと

やりたいこと と やりたくないこと

やらなければならないこと と 手放した方がいいこと

 

私たちは 何を受け止めて 何に抵抗すべきなのか

この見分け方はちょっと難しいと思います。

 

この世界が 私たちに望んでいることは 

好きにすること なんですが、

自我は世界にとっては好ましくないこともしてしまいます。

自分の喜びのために 自分以外の多くの意識を苦しめる事 また 傷つける事

 

これは 世界や神がどう受け止めているか? と言いますと、

好きなことをするのは自由、ただ、そのことをしたことで被る波は自分で責任を持つ  です。

自分が起こした波を 自分で受け止める  

これは 誰も他の人間に交代することができないのが この世界の道理です。

ただ、後程受け止めるものへの覚悟が決まれば 自由です。

 

この世界の裁きは 法律ではありません。

ただの物理的法則。 人間がまだ把握しきれていない 計測不能の波動も含めて

物理的な法則通りに 自分が起こした波を 後程受け取ることになる。

それだけの話なのです。

 

あなたが 人にしたことは また 自分がされることになる。

そういう波が繰り返されている。

 

祖先の行為は子孫が受け止める 

個人的なものだけでなく、集団的にも同じことが言えますので

自分に身に覚えがなくても、祖先の責任を私たちは受け止めている

 

そういう因果応報の仕組みの中で生きています。

 

先祖から受け継いだカルマが 自分の所で発動して ネガティブ体験、いわゆる不幸な出来事として

起きてくる。かつての加害者は被害者となり、かつての被害者は 今生で加害者を体験する

そんな風に いろんな役割を交代で体験しています。

 

今生が痛い出来事ばかりだと 気持ちがしおれてしまいそうですが、

凹まないでいてください。

あなたの試練を 上手に乗り越えて、あなたの意識が愛へと育ったならば

あなたのもとには おおきな祝福が訪れることになるでしょう。

 

不幸が不幸なままなのは 受け取る者が 被害者の立場を取りたがる時、それが続きます。

 

被害者は 罪悪感を持たなくて良いので 比較的楽なポジションなんです。

 

それから 病気、

無意識は 病気も道具に使います。

愛がほしい時、責任を逃れたい時、現実から逃げたい時、

また、意識が体を奴隷のように使うのをやめない時

無意識は 病気と言う道具を使います。

 

それはズルというのとは違います。

身体は正直なのです。

本当の気持ち、本当のことを知らせるためにやってきたメッセンジャーなのです。

 

意識は欲張りなんです。

そして自分の都合の良いように世界をコントロールしていたい。

そのためにいろんなものを利用します。 しかも無意識に。

 

抵抗と支配を 手放してみてください。

 

あなたのいる世界に あなたの愛を反映させてほしいのです。

 

カルマの摩擦は ELM瞑想が消してゆきます。

カルマのお掃除中はザワザワするかもしれません。

それだけ効果がはっきりしている ということです。

ザワザワ期は速やかにやり過ごして はやく自由になってください。

 

今現在、判断がわからない と思う方は 

今のあなたが ハッピーであることを選択してください。

義務や道徳、世間体やプライドはちょっと脇に置いておいて

あなたが ハッピーであることを選んでください。

あなたは 好きにしていいのです

世界はあなたが幸せでいることを喜びます。

 

自然に触れること

京都に行っている間、一人の青年の興味深いお話を聞く機会がありました。

その方は大手広告会社の ストラデジックプランニングディレクターというお仕事をなさっているのですが、

ストラデジックプランニング って何だ?と 調べて見ますと 

 環境変化に対する能動的、革新的な適応。未来の結果を仮設して、現在の決定を扱うことを可能にするもの

と書いてあります。

 

この方は 社会や環境の現状を観察して、新しい見方やアプローチを考え出すのがお仕事で

洞察がとても重要なんです。

 

思い込みを外して人間を観察していきますと、 人間の行動の原理や 心理の仕組み、深層心理と表層意識のずれを見つけていきます。

これまで あたかもそれが当たり前なことのように 皆がそれを基準にしてきたことが、

時代と共に新たな若者はそれとは別のもっと自分たちに合った対応や方法を使うようになるのです。

行動だけでなく もののとらえ方、感じ方 価値観 人生観も。

 

つまり必要なもの ニーズが変わっていくわけですね。

それに伴い、提供側は 古いバージョンを出し続けても合わないわけですから、

新しい方法や商品へと改善していく必要が出てくるのです。

 

それも、まだ消費者側が認識していない更に先のニーズを見つけることも大事なようで 

その青年は普通の企業の仕事 というよりも 大学の研究室の職員のような 実験的な業務に携わっていました。実際に学校でも教える業務もお持ちです。

 

その方がお仕事のことを話してくださった最初に印象的だった話が

 

何か新しいことを生み出さないといけなかったり、研究にアプローチする時に

多くの人が会議室で会議をしたがるんです。でも自分たちの認識のエリアにいたまま 新しい発想は生まれません。

外に出て新しい体験をしていただきたい。

学生にもよくあるのですが、 ネットで調べたものだけで世界を把握しようとする人がいます。

ネットには情報の一部分、ネットに乗せることが可能な情報はネットで伝えられることができます。

写真とか話とか 

写真は2次元の画面に見たものを映せますが、実物はそれだけじゃないんです。

現地に行って、その空気と波動を感じて はじめて 真実の存在を体感することができます。

現代人はそれをしないまま 認識の世界観で済ませようとするんです。

これでは本当のことは何もわからないままなんです。

頭で理解することと 体験で感じることは全然別のものだと体験しないとわからない。

 

 

うわ~、 なんて瞑想的理解なんだろう!!

 

この世界は 本当に観察して感じることで学びは進むんです。

たとえカルマがあっても そのカルマの体験は逃げずに受け止めれば終わっていきます。

 

そう、私の都合で目の前の体験から目を背けることなく ただ 受け止めることができれば。

カルマの体験は 終わって消えていきます。

回避は得策ではないんです。

向き合って乗り越えればさっさと消えていきます。

 

刺激から隔絶された静けさは 限界があります

かと言って、世界を動きのないものにしてしまうことも不可能です。

動きはバランスがとれることが一番なのです。陰陽のバランスです

世界が調和した絶妙のバランスはこの世に豊かさを生みだします。

 

私たちは世界の現われとして この肉体から世界を感じています。

あなたからは 世界にどんなものを発信していますか?

意図的であれそうではない場合も 私たちは常に選択した波動を世界に発信し続けています。

私たちはこの世界の一部分ですし、切り離して生きる事は不可能です

ただ、この世界のどこにいるかは 選ぶことができます。

 

もし、外側から自分を隔離することで自分を守ることを考えておられるなら、

それはとても不安な感覚になられるのではないかと思います。

外側の波を防ぐことばかりに気を取られてしまいそうです。

近すぎることが苦しければ距離をとることも可能です

あなたは自由に選ぶことができます。

私たちは この世界と共に 世界の波を楽しむ存在です。

世界の波に調和してください。

自分に丁度いい波を見つけることもいいでしょう。

 

行動を自由にするには

思い込みと抵抗を手放していく必要があります。

行動を制限しているのは 自分自身ですから。

 

私たちはダルマと共に

真我の目

神の目で 世界を見ることになります。

 

そう、四の五の言ってるよりも 自然に触れにいきませんか?

清々しい空気に触れに 出かけてください。

紅葉

目に眩しい風景と

空気と温度

匂い

そして清らかさ

 

現地で 五感で 感じることで

私たちの意識は開きます

大地に触れてください。

感じてみます。

近所にある樹々からも 感じることは可能です。

彼らは自然と共に生きています

 

あなたの感性は 開かれることを待っています。shine

 

 

 

 

 

 

 

 

生かされている存在

京都から 帰って参りました。

いろんな芸術家や研究者の方々と語り合うと 

未知のものが 姿を現すような感覚になったりします。

私たちがとらえることができなくても

感じているものは 一体なんなのだろうか?

 

興味は尽きません。

 

この世界は繋がっています。

地球という土台があって その上に無数の生命体 

空間には空気が充満しています。

何もない空間など自然界では存在しません。

そして 私たち人間は 何もない真空の空間では生きる事はできません。

 

空気の分子を間に挟んで 私とあなたは 同じこの世界の空間に存在しています。

 

私とあなた だけではありません。

全ての存在が この世界の空間に一緒に存在しています。

地球上でつながっているのです。

 

自分を取り巻く環境は あなたの世界そのものです。

あなたは あなたの身体を通して この世界を体験している意識です。

実は

あなたの身体と この世界には 境目がありません。

皮膚の内側と外側で あなたと あなたでないもの と境目があるように思っているかもしれませんが、

先ほどまであなたの内部にあった 水分は 今まさに 毛穴から あなたの外に出て行っているところです。

内部の水分はあなたでしょうか?

外に出た水分はあなたじゃないでしょうか?

でも 外に出た水分はまた循環してあなたの内部に戻ってくるかもしれませんし、

どこからどこまでがあなたの身体なのか 明確に分けることは実はできません。

今 あなたの身体になっているもの

次の瞬間に身体になっているもの の 構成は 同じではありません

 

あなたの意識の目の前で 世界が あなたを 形作っています。

あなたの意思とは関係なく 私の意思とは関係なく 

あなたも私も この世界に維持されています。

 

生まれてきて 生きて 死ぬ

 

これは私たちが 意図してしているものではなく

自然の摂理です。 悠久の時の中で紡がれる 命のシンフォニーです。

現在の世界の人口が何人なのか調べようとしたら 73億とか74億とか75億とか

色々なデータが出て参りまして

正確な人数はわかりませんでした

当然ですね ずっと 何秒ごとかに変わっているのですから 人数の正解は出せないのです。

私やあなたや 全てを含む この世界は一時として 同じ状態では存在しないのです。

あなたも流動しています。

あなたは世界の現われなのです。 

あなた という現象

 

私 という 現象

カルマの法則*カルマの役目

私たち一人一人には それぞれバケツ1杯ほどのカルマを担当しています 

・・・と 先日のブログにも書きました。

限りがあり、それほど多くない と言う意味です

 

担当するカルマの多い少ないは個人差があります。

かなり多い人もあれば 最初からほとんどない人もたまにいらっしゃいます。

これは 平等ではありません。

 

なぜ平等でないかと言いますと、

多くの試練のあるコースと 試練の少ないコースがあるからです。

 

それは生まれてくる前に度のコースを選ぶか 自分で決めてくる と言われています。

宿命 と呼ばれるコースのあらすじは 変えることができません。

生まれる場所と家族構成、大きな病気やケガ、恋愛や失恋、結婚や離婚、新しい家族、就職や転職 そして死ぬ時期 などです

 

でも、日々どのような思いで どのような波動で生きるかは自由なんです。

起きた出来事が同じでも、思いは様々です。

例えば、交通事故で怪我をして入院したとします。

 ある人は、  

ちくしょう、なんてこった!ほんとについてない。車は修理だし 仕事は休まないといけないし、

なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ。あいつのせいだ。

相手から賠償金ぶんどってやる! 忌々しいやつめ。 とイライラしながら、

お見舞いに来た人にさんざん愚痴り、世話をしてくれる家族に当たり散らす。 

俺は不幸だと世の中や人をうらみ、幸せそうな人を見ると腹立たしくなって嫌がらせをしたくなる

怒りや悲しみのカルマの感情と、現実を受け止めたくない気持ちが

どんどん事態を悪くして愛する人を傷つけ 自分がひどい人になって人の気持ちも離れてしまいます。

 

 また、ある人は、 

ああ、痛い。痛いって生きているんだな。そうだ 生きててよかった。

怪我はしたけれど、治る怪我でよかった。

心配してくれたり、お見舞いに来てくれて 自分は愛されているんだな。

家族もいろいろ世話をやいてくれてありがたい。

自分は本当に幸せ者だ。怪我をしなかったら このことにも気づかず毎日が過ぎてしまっていたかもしれない。

昨日の看護師さんはとても優しくて嬉しかった

今日の看護師さんはそれほどでもなかったけど、ちょっと疲れた顔をしていたな。

みんな一生懸命働いているんだな。

自分もお世話になったぶん、治ったら一生懸命貢献できるようにがんばろう。 

 

この 同じ状況 事故に遭って入院した二人の運命は どのように展開するか 想像には難くないと思います。

前者はカルマが多い人、後者はカルマが少ない人 です。

では、カルマの多い人はどれにも反応して全部事態を悪くしてしまうのか? というと、

抵抗することで、事態を悪くするので 抵抗をやめると、感情はいずれ抜けてゆき次第に状況が整う ということが起こります。

出来事をただ受け止める 

しかしながら、なかなか流れに任せることに慣れていない場合、手こずります。怖かった、心が傷付いて 恐怖心と拒否感で悲しみから逃げたくて感情と向き合うことをやめてしまうと、終了を送らせてしまいます。

更に受け止めることを抵抗して 誰かが悪いからこのようなことが起きた と 責任を他人に押し付けてしまうと、

自分の体験として終わらないばかりか 人を傷つける という新たなカルマを作り出してしまいます。

 

あなたは カルマを減らしたでしょうか? 増やしたでしょうか?

 

あなたのカルマが減ることによって 世界は穏やかになっていきます。

 

環境がどうであるか よりも 本人がどう感じているか が あなたの幸せの量に関与します。

環境が過酷ですと 辛いと感じる狙撃は多いかもしれませんが、

それによって魂が成長して心のキャパが拡がった人は 同じ刺激を苦悩ととらえなくなります。

魂は磨かれて鍛えられ 強くたくましく そして優しく成長するのです。

それが 心が大人になっていく ということです。

 

大人の心は汚いものを取り入れることではなく

汚いことや酷いことを浄化して癒す智慧を持つ ということです

 

あなたの幸せは あなたが作ります。 

 

あなた自身が 幸せに気付くだけなのです。

 

あなたが心から喜べる生き方を選んでください。

カルマの体験は あなたを成長させる教師とも言えます。

もうこの世に恐れるものはありません。

ただ、成長するきっかけだけがあるのです。

田中直子作品

この絵は 親友の田中直子さんの作品です。

大きく育った樹は癒しの力を持っています。