抵抗

幸せなこと と そうでないこと

大好きな事 と とても我慢できないこと

やりたいこと と やりたくないこと

やらなければならないこと と 手放した方がいいこと

 

私たちは 何を受け止めて 何に抵抗すべきなのか

この見分け方はちょっと難しいと思います。

 

この世界が 私たちに望んでいることは 

好きにすること なんですが、

自我は世界にとっては好ましくないこともしてしまいます。

自分の喜びのために 自分以外の多くの意識を苦しめる事 また 傷つける事

 

これは 世界や神がどう受け止めているか? と言いますと、

好きなことをするのは自由、ただ、そのことをしたことで被る波は自分で責任を持つ  です。

自分が起こした波を 自分で受け止める  

これは 誰も他の人間に交代することができないのが この世界の道理です。

ただ、後程受け止めるものへの覚悟が決まれば 自由です。

 

この世界の裁きは 法律ではありません。

ただの物理的法則。 人間がまだ把握しきれていない 計測不能の波動も含めて

物理的な法則通りに 自分が起こした波を 後程受け取ることになる。

それだけの話なのです。

 

あなたが 人にしたことは また 自分がされることになる。

そういう波が繰り返されている。

 

祖先の行為は子孫が受け止める 

個人的なものだけでなく、集団的にも同じことが言えますので

自分に身に覚えがなくても、祖先の責任を私たちは受け止めている

 

そういう因果応報の仕組みの中で生きています。

 

先祖から受け継いだカルマが 自分の所で発動して ネガティブ体験、いわゆる不幸な出来事として

起きてくる。かつての加害者は被害者となり、かつての被害者は 今生で加害者を体験する

そんな風に いろんな役割を交代で体験しています。

 

今生が痛い出来事ばかりだと 気持ちがしおれてしまいそうですが、

凹まないでいてください。

あなたの試練を 上手に乗り越えて、あなたの意識が愛へと育ったならば

あなたのもとには おおきな祝福が訪れることになるでしょう。

 

不幸が不幸なままなのは 受け取る者が 被害者の立場を取りたがる時、それが続きます。

 

被害者は 罪悪感を持たなくて良いので 比較的楽なポジションなんです。

 

それから 病気、

無意識は 病気も道具に使います。

愛がほしい時、責任を逃れたい時、現実から逃げたい時、

また、意識が体を奴隷のように使うのをやめない時

無意識は 病気と言う道具を使います。

 

それはズルというのとは違います。

身体は正直なのです。

本当の気持ち、本当のことを知らせるためにやってきたメッセンジャーなのです。

 

意識は欲張りなんです。

そして自分の都合の良いように世界をコントロールしていたい。

そのためにいろんなものを利用します。 しかも無意識に。

 

抵抗と支配を 手放してみてください。

 

あなたのいる世界に あなたの愛を反映させてほしいのです。

 

カルマの摩擦は ELM瞑想が消してゆきます。

カルマのお掃除中はザワザワするかもしれません。

それだけ効果がはっきりしている ということです。

ザワザワ期は速やかにやり過ごして はやく自由になってください。

 

今現在、判断がわからない と思う方は 

今のあなたが ハッピーであることを選択してください。

義務や道徳、世間体やプライドはちょっと脇に置いておいて

あなたが ハッピーであることを選んでください。

あなたは 好きにしていいのです

世界はあなたが幸せでいることを喜びます。