以前から お伝えしたいと何度か文章にすることを試みていたのですが
なかなか伝わるような文章にならずに苦心していた内容があります。
先日、Facebookで信頼している友人の一人
熊本市内でヒーリングカフェさゆらを長年運営されていたレイキヒーラーの浅川路子さんが
体験談を通してとても分かりやすく表現されていたので
記事を掲載させていただきます。
浅川路子さんは実に聡明で多くのみなさんを温かい愛で包み導いて来られたヒーラーさんで
現在はヒーリングカフェは閉じられたものの そのスペースを多くのヒーラーさんに解放したり
レイキの指導で、熊本ではなくてはならない方です。
とても心に響きましたので みなさまにもシェアしたいと思います。
今の仕事は年末までの短期契約なので、来年からの職探しをしています。
その中で自分の変化に気づいたのでシェアさせていただきますね。
一言でいうと、今回はこれまでと違って観察者の視点で仕事を探しているということです。
これまでは「当事者」として仕事をどうするか考えていました。「自分はどうするか」という視点です。
でも、今回仕事を探していて「神の意図したこと以外起こらない」という信頼が自分の中で根付いていることに気づきました。
もちろん人間らしく(笑)求人情報に目を通したり、来週はハローワークに行こうかなとも考えているのですけど、自分が探して自分で決めるという感じがありません。
かと言って「聖霊にお任せする」みたいなこととも違うようです。
神の意図したこと以外起こらない。この信頼だけがある感じです。
わたしは10年以上、のべ百人以上の人にレイキ伝授をしてきて、その中で力説していたことがあります。
それは「順調なこと以外起こらない」ということです。
でも今の自分の中にある確信は、そのことともちょっと違います。
以前お客様に伝えてきた「順調なこと以外起こらない」には、出来事を、良きこととそうでないこととジャッジする視点が入っていました。
一見望ましくない出来事も、すべて必要があって良きことへの導きとして起こる。と、そういう観点で伝えていました。
でも今はそのジャッジ自体を放棄してしまった感じです。
なぜならそれは決して分かりっこないということが「分かった」からです。
何が良きことなのか、わたしには一切の判断ができないのです。
聖霊に委ねていればいろんなことが順調に行く、という引き寄せ的なことを全く期待していない自分がいます。
来年から縁あって始めることになる仕事が自分(エゴ)にとって良い仕事なのか、そうでないのかはどうでもよくて、ただ起こったことが神の意図したことだというそれだけだと思っています。
「超楽観的まな板の上の鯉」みたいな感じです(笑)
未来に対する期待や予測、良し悪しの判断が無くなると、ただ観察する人になるみたいです。
何が起こってもいい。それに対する意味付け、価値判断は決してわたしにできるものでは無い、という気持ちでこれから起きることを目撃するのは、不思議とわくわくするような面白さがあります。
私もちょうど路子さんと同じように その途中の段階のお話をしていました。
こういったお話は スピリチュアルの初歩の方に向けてお話する時によく出てまいります。
苦しみを伴ったこだわりを手放すために必要なモチベーションが求められる場合があるからです。
それらの 信じれば良い事がある という類のお話は嘘ではありません。
実際にご本人の波動が緩めば 起きる出来事は変わってきます。
周りにいる人の反応は本当に変わります。
ただ、私たちが成長する 『摩擦を感じる出来事』は相変わらず起きるのです
これだけ多くの人間と自我がある限り、この世界にカルマは存在し続けますし、
自然そのものが 創造・維持・破壊 のサイクルの繰り返しで輪廻のように回っているからです。
その中を生きる ということが わくわくしたものに変わります。
出来事は ただ 起きているのです。
それを観察している意識は ブラフマン意識・宇宙意識といわれる コアの意識
観察者 なのです。