宇宙の法則

意識が見る世界

真我というのは 魂の意識です。

私達人間が ふだん色々と考え事をしたり物事を処理したり物事を認識したりしているのは 自我の意識です

自我の意識は この体の意識 と言ってもいいでしょう。

私たちの脳が考えています。

 

普段 私たちは考える自分を 自分そのもの 「私」 と思っていますが

実はそれだけじゃないんです。

考えている私 と  感じている私 は ちょっと別物だと思いませんか?

それをやりたい! と思う私と、 いやいや、やっちゃダメ! と思う私

どちらが本当の私なんだろう?

どちらも自分だけど、2つの私が真逆の方に行こうとして葛藤する

ここで自分の意識が一つではない ということに気付きます。

 

腹が立つ私 と 怒っちゃダメと思う私

泣きたい私 と 泣いたらダメと思う私

 

そんなことしたらダメなのに どうしてもやりたい! なんてことは無いです という人もいるかもしれませんが(笑)

身体の衝動や感情は どこから来るのでしょうか?

これはコントロールできさえすればいいのでしょうか?

 

バランスよくコントロールできて、平和で幸福なら 問題はありません。 happy01heart01

でも 世界にはいろんな要素がありますので、時には耐えることも。

 

我慢は美徳 沈黙は金なり と ずっと忍耐していると

ストレスが溜まって 身体の具合が悪くなるのは なぜでしょう。

物理的刺激で起きるストレスの他に

意識の中で起きるストレスがあります。

 

意識は 理想を持つと 理想に自分を合わせたくなります。

理想でない自分にストレスを溜めることもあります。

理想があるために ストレスで具合が悪くなる というようなことが多くの方に起きています。

こんな私じゃ嫌だ

こんな私大嫌い

 

自分を嫌いになったら 人生はとても生きにくいですね。

好き嫌いしているのは自我の意識なんですが

この自我は 現在の状態に好き嫌いや善悪、正義の基準を当てはめて

この世界を 良いものと悪いものに分けています。

 

この世界の悪いもの と 判断したものに対して 摩擦の感情(嫌だ・不快)を持ちます

頭が良すぎたり、この分別作業が大好きだったりすると、摩擦の感情が増えます。

 

この世界にあるものを そんなに嫌わないでください。

だって、私たちはこの世界で出来ているのですから。

 

この体は自然の生命の神秘の仕組みによって 形作られている

神の創造物だということを 思い出してください。

 

私たちの魂に与えられた 身体という乗り物です

判断に夢中になりすぎないように。

 

この世界は ただ 流動して常に変化をしています

その景色を楽しみましょう。

地球

視野を広げると 世界はゆっくり生きています

世界を感じる時間が 増えるといいですね happy01shine

 

今はこの一瞬にしか存在しません。 

そして 常に 真実の今しか存在しません。

自分との対話

皆さんは自分自身の意識について考えたり、どんなものであるか観察してみたことはおありでしょうか?

人は何か行き詰ったり困ったことがないと それについて深く考えることは なかなかしません。

最初は外側に起きる出来事や周囲にいる人々に不満などを持つのですが、

外側をなんとかしようとしているうちは まだまだ視野が狭いんです

 

出来事の表面しか見ておらず、それに自分が持っているイメージを重ねて物事を解釈しています。

そして その事に一生懸命抵抗しています。

 

ですが、その外側の出来事をどうにも持て余し始めると どうしたものか悩んで

ある時ふと自分自身に意識が向きはじめます。

どうにもならない出来事を気にせず 平気な自分

あるいは どうにもならない と もがくより うまくやり過ごして乗り越えてしまう自分になれないものか? と。

そこでまた 一つの壁にぶつかります。

自分 というものが実は思い通りにならないものだ ということに気付くのです。

 

私たちの感情は 意識とは別に発生してきます。

意識は冷静に対処したくても 感情は内側から湧いて出てくるんですね。

この感情を瞑想ではカルマの感情と呼んでいます。

カルマはエネルギーで それが感情という形になって内側から外に出て行きます。

 

この感情に飲まれている時

私たちの意識は冷静になることができません。

感情と世界の出来事がごっちゃになって 世界は酷いもののように感じてしまいます。

 

瞑想は このカルマのエネルギーを掃除しますので

内側から噴き出す感情の量が減って参ります。

感情に飲まれにくくなるのです。

感情は少しは出てきますが

冷静さもあるので 飲まれずに 自分の感情を観察することができるようになります。

 

瞑想経験が多くなっていくと、もはや感情は私たちから冷静さを奪えなくなります。

感情が噴き出す前に自分の内側で感情と対話し ベストの解決策をいち早く見つけることが可能になります。

 

もちろん、外側の世界はとても大きいものですので

阻止できないものもあります

そういう時は安全に避難することが先決です

 

真の冷静さはあなたとあなたの周りの人々を護ります。

真の冷静さには この世界を受け止める大きな愛と慈悲があります。

それは私たちの魂が元々持っている命(真我)の性質です。

別の名を神の意識 神の視点と呼びます。

学歴や頭の回転速度とは関係なく魂の大きさ 愛の大きさによるものです。

成長した魂の姿です。

 

存在の幸福

私たちの魂は いろんな経験を積んで心を拡げて世界と一体であることを知ります。

この世界と一体であることを感じることを 悟り体験 と呼んでいますが

そのために必要なのは

自我の意識が握りしめている思い込みを 外す必要があります

なぜなら、この思い込みの枠の中にいる限り、広い世界を体感することができないからです

 

自我は自分の周りの状況をコントロールしたいと思っています。

御願いしたり 泣いたり 怒ったり 甘えたり 甘やかしたり、説得したり 画策したり、

いろんな手段を使って 関わる人を自分の希望に沿うように動かそうとします。

 

でも、希望が通らないこともあります。

相手に強い希望をもっているのに それが叶わないと、

悲しいという思いから 腹立ちに代わり、怒り、恨みを感じることもあります。

 

自分が相手に注ぎ込むエネルギーが大きければ大きかったほど、外れた期待へのくやしさが大きくなり、相手に裏切られた と感じるようになります。

相手は本当に裏切ったのでしょうか?

 

もし、相手があなたが傷付くと分かっていてわざと嘘をついてあなたに何かをさせていたとしたら、

それは本当に酷い事かもしれませんが

そうであってもそうでなくても 実は問題はこちらの自我にあります。

 

思い通りにさせたかった欲があった ということです

この世界は こちらが摩擦の原因を持っていると それを表現して私たちに見せます。

 

私たちが無意識にでも持っているエネルギーは どうしても表現されてしまうのです。

 

ですから 逆に 起きる出来事を見て、自分がどんな思い、どんな波動を持っているかを知ることができます。

 

このような出来事や このような人物に遭遇する ということは 私にそれなりの引き寄せる原因がある ということか と

 

そうして 自分自身と向き合って 自分を見つめ 自分を知ることで

私たちの中に真我 という神の目線が目覚めてきます。

 

自我は 真実を知ることを恐れていますが 真実を受け止めた時に

人の魂は神に近づきます。

神が 見ていたものを見ることができるようになるからです。

 

抵抗していた自我、

自我は理想の自分を望んでいますが、それを手放さない限り、真実をつかむことができないですから

私たちは自我も手放す必要があります。

 

自我を脱皮して 真我にたどり着いた時

真の平和と ただ在る幸福を感じられる 心の窓が全開になるのです。

 

自我が悲しむときは 泣かせてあげてください。

そして涙が枯れた時、真実を受け止めることができるようになるのです。

 

そのままでも 本当は幸せだということを感じる感性が目覚めるのです。

山々

心が静か

今年は 比較的暖かい冬でした。

もう梅の花がすっかり咲いて 気分は春です。

 

天候は 晴れたり曇ったり、雨が降ったり、大雨が降ったり、豪雨が降ったり・・・

いろんな変化があります。

雷とか 竜巻とか、台風とかも。

 

自然エネルギーすごいですね。大きいです。

人の心も お天気があって、晴れたり曇ったり、

身体の調子が良いと、自然と上機嫌。

ちょっと頭が痛かったりすると 憂鬱

ホルモンバランスの乱れも体調に影響し、心にも影響します。

 

あの人、なんであんなにイライラしているんだろう?

こんなことで怒るなんて どうかしてる

こんなこともしないなんて、なんてヤツだろう!

信じられないわ!

 

なぜそこまで言われなきゃならないの?

ああ、言い過ぎた。

今日の私はどうかしてる。

 

そんなこともあります。

 

妙な態度を取るのは

心がねじ曲がっているから ではありません。

常識外れのひどい人だから でもありません。

無神経で 無知 だから でもありません。

 

あなたの周りの人は 繊細で心優しいのです。

そして 別の一面も持っています。

 

あなた自身や、あなたの周りの人を理解するには 思い込みを外す必要があります

あなたの見ている人や世界は 見えているものだけが全てではないのです。

 

世界を平面(上っ面)だけで見るのではなく、

立体的に理解するようになると、

あなたの心は どんどん 冷静に 静かに 神の目に近くなっていきます。

あなたの中の 神の目は あなたそのもの。

あなたの真我です。

世界に育てられる

掛軸制作に追われる今日この頃です

表装制作中 徳王観音表具制作中 不二観音

掛け軸は 絵と 裏打ちをした布を組み合わせた後、全部を繋ぎ合わせて1本の掛軸の形に裏打ちして仕上げます。

何度も何枚も和紙を裏打ち(貼り合わせ) をします

作業にハマる人間としては 楽しくてたまりません。

微妙な加減でうまくいくかいかないか が決まるので そういうドキドキ感もハマるポイントです。

難しい作業ほどやり甲斐がありますが、できるかできないか 微妙なポイントがいいんでしょうね。

 

人生も 自分に越えられるか越えられないか 微妙な加減の試練が来ます。

人生には越えられない試練は来ない と言われています。

一見 越えられないと思っても 越えられないと思い込んでいるだけだったりします。

 

運命は いろんなチャレンジを私たちに持ってきますが、それをできないと思い込むのは

自分だけの力でそれをどうにかする と 考えているからです。

 

私たちは この世界の一部です 運命もこの世界のもので 私たちのエゴだけで好きにコントロールできるものではありません

でも、この世界をもっと信頼すると 世界があなたと一緒に運命を受け止めて 

この世界の真実と愛を作ります。

 

辛いことがあったら 独りで苦しまないでください 

そこから あなたの意識が大きな世界へ解放されるきっかけがはじまります。

 

この世界は 本当は愛に満ちています。

その愛に気付き始めたら 私たちが孤独でいることは不可能です。

私たちもその愛でできています。

 

世界の愛と幸せを感じる楽しみは 瞑想することで より感じられるようになります。

幸せは 自分自身を感じる事で より清まっていきます。

瞑想で 意識のお掃除と開拓を楽しんでください。

あなたの知らない世界観はすぐそこにあります。

 

カルマの感情を終わらせる

カルマ とは 過去のネガティブな体験による 負の感情(怒り、悲しみ、怖れ、罪悪感など)のことを言います

カルマが無い時は この世界の全体の大きな流れに沿っているので抵抗を感じることはありません。自然体でいます。

この世界の大きな流れ のことを ダルマ と言います

私たちはダルマの中で生かされています。

 

ダルマはこの世界のエネルギーの対流のようなもので 全体のエネルギーバランスによって流れが起こります。

お天気も空気の温度の上昇や冷却によって大きな流れが生じ、雨が降ったり晴れたり、また、大きな歪みが生じた時には竜巻などが起きます。

自然現象は 全体のバランスを取ろうとして起きる流れです。

 

人間たちの世界にもそういったエネルギーの均衡を保とうとする法則性は常に働いており、

人間が活動することによってエネルギーに波が生じたり 不均衡が起きたりして

感情の波も起きます。

 

私たちは常に感情の波の中に暮らしています。

 

波を大きくするのは 感情によるアクションです。

体調がすぐれない、痛みがあって不快、誰かの言動にイライラしたり、思い通りにならない現実に腹を立てる など

自分の中に発生する負の感情を持て余して誰かにぶつけることを 八つ当たり と言います。

これは本来自分自身が感じて受け止めて処理して終わりにするのですが、

八つ当たりをする人はその自分で受け止める ということから逃げたいと思っているのです。

 

このイライラは あいつが私をイライラさせるからだ 

と受け止める責任 感情を発生させた責任を他人に押し付けてしまいます。

 

怒りを発散したり他人のせいにすると、自分は楽です。

責任を持たなくて済むのですから。

 

でもこれは人間の機能の中に 自分の負担を軽くする手段として本来備わっている性質でもあるので、何も考えないで行動すると 自然とそのようなアクションを起こしてしまいます。

自分の行動に無自覚 ということです。

しかしながら、それをやってしまうと、内側に起きている摩擦を外にまき散らすことになったり、

自分の怒りの感情に他人を巻き込んで負のウェーブを作ってしまいます。

ちょっとした諍い(いさかい)がしこりになり反目し合い、敵対視し、相手を敵とみなし、

全体を巻き込んだ喧嘩 戦争に発展していきます。

奪い合い、傷付け合い、殺し合い、これらの発生源の人間そのものを消滅させて 負の波は終息します。

こんな解決手段は まっぴらごめん ではありませんか?

 

私達人間は平和に生きる知恵を持つことができる生き物です。

動物たちのように弱肉強食と増えすぎの飢餓による個体数の維持のみの自然淘汰で存続するのではなく、 増えた今も 人間同士、自然との共存の方法を高い知能で考え出し、上手に調和しながら生きていくことが可能です。

 

私達内側の本能から来る感情は 自然の波です。

その自然の波は 自分自身で受け止めると 自然との調和の折り合い地点を体得することができます。

 

この世界は人の思い通りになるほど ちゃっちい作りではありません。

この世界は、自分自身の身体も含めて 神の創造物です。思い通りにするなど傲慢な考えなのです。 

自然と調和するためには、一人の人間の力の小ささや無力さを理解しなければなりませんし、

人間の心が多数で団結すると大きな力を持つことも、

支配による圧で負の感情が地下にため込まれることも 

この世界の構造を理解することで 本当の世界のバランスとは何か を知ることができます。

 

行動を起こす前に 自分自身の怒りの感情の世話をしなさい 

ティク・ナット・ハン師はそのように言われます。

 

感情は自分で味わい尽くすと終わる

と、私の最初の先生は言いました。

 

カルマの感情は解放してしまうと 二度と体に戻って来ることはありません

ボブ・フィックス氏は そう表現されます。

 

あなたの中に負の感情が湧いてきたら、それがどんな感じがしているのか

まずは独りで感じてみて、しばらく観察してください。

心地よくはありません。 それが摩擦の感覚です。

あなたのカルマが摩擦を感じています。

それは本来のあなたではありません。 ただ、あなたにくっついたカルマのエネルギーです。

 

感じることで終わっていきます。 ただ過ぎ去るものなのです。

 

感じることを拒否すると、何か対象物を見つけて恨みを向けたくなります。

違います。ただ、摩擦があるだけです。

 

負の感情を持て余したら

瞑想をしてください。

 

それでも持て余す時は

瞑想教師に声をかけてください。

 

あなたの心の声をじっくりお聞きします。

プライベートなご相談は瞑想セッションで対応しております。

遠方の方は LIN、 Facebookメッセンジャー、 zoom  あるいはお電話で

対応できます。

お申込みはお問合せフォームからご連絡ください。

すでに伝授を受けている方は直接お電話やラインからご連絡いただいても大丈夫です。

 

嵐は 空気が洗い流します

あなたの心も 感情の嵐が過ぎ去れば 澄み渡った静寂です。

阿蘇

無くなりもしなければ生まれもしない世界

今日はちょっと個人的な感覚かもしれませんが、私が感じていることをお話してみようかと思います。

 

人間というのは自分も含めて かなり謎な存在です。(笑)

観察していると徐々にパターンなんかが分かって来るのですが、それにはしばらく観察することが必要です。

一つの出来事や思い込みで判断すると、とても偏った見解になり、違うパターンが受け入れにくくなったりするものですが、決めつけは一番つまらないな と思ったりします。

 

しかも、ケースバイケースと言いますか、決まった形なんかは本当はないですから、

あくまでも傾向としてざっくりとらえるのがコツだったりします。

 

固定観念を手放して 物事を見ていると、 

いろんな事例が微妙なバリエーションで拡がっていて

その変化がとても面白く感じられます。

 

そして、この世界って どれだけバリエーションが多いんだ!と思うと

感動といいますか、 

一つの固定観念で決めつけることがバカバカしいことだな と思うようになってきます。

 

そして、この世界には様々な現われがあって それがこの世界の妙である とも感じるのです。

 

もし自分の中に多くの良い悪いという基準があったら、

それらの変化を見ながら
思い通りでないこの世界にイライラするのかもしれません。

泣いても笑っても、天気は変わるし、雷も鳴れば嵐も来る

 

私たちはただ なるべく傷を最小限にやり過ごすしかないのです。

そして晴れの日に 伸び伸びと喜ぶ

それが生きているということではないでしょうか。

 

イライラして 喧嘩したり、

ストレスで叩き合うことは 賢い生き方ではないでしょうね。

 

必要なのは 悪を叩くことじゃなくて

傷を癒すこと。

 

気に入らない芽を摘むことじゃなくて

幸せを増やす芽を伸ばすこと。

 

雨も晴れも慈しむこと。

どうせダメだと思わないこと。

 

いろんな可能性や奇跡がありますから shinehappy01

なんて素敵な世界でしょうか 

阿蘇夕景

 

様々な体験

仏教で 色即是空 という言葉があります。

色は この世に起きるいろんな出来事

空は何もない領域

 

この世界の最初は 何もないところから エネルギーが発生して 流れが発生して

それが形作られ そのうち 様々な現われが生じ ついには生き物が誕生して私たち人間が生まれてくるのです

これらは ある意味偶然の産物で 生れ出た現われはそのうちまた 無 へと帰っていきます。

 

私たちが長いと感じている人生も ほんの一瞬の星の瞬きと あまり変わらない。

人間は自分たちのために 人生について 意味を付けたがりますが、

何億年も後には それも塵のような残像としてしか残らないでしょう。

 

あるいは 地球がブラックホールに飲み込まれたら 物質は何も残らないかもしれません。

 

ですから、自分の人生のストーリー作りに苦心しても それはいずれ消えゆくもので あまり意味がありません。

人は無自覚に過ごしていると、自分の頭の中に自分の世界観に囚われていて その中でのつじつま合わせに苦労してしまいます。

これが 自分の悩みごと です。

 

悟りというのは そのような頭の中の幻想から解放されて もっと自由な感覚になる生き方のことを言います。

 

とらわれや思い込みが無い分、とてもいろんな可能性を利用できます。

観念の制限がなくなる ということです。

あれは無理だ とか どうせダメだ とかいう 考えです。

とらわれがなくなると、「なんでダメだと思うの?やってみなければわからないよ?」 ということになります。

 

それに、言えない とか 言葉にならない圧に対して 屈することがなくなっていきます。

無神経になるということではありません。

エネルギーバランスは更によく見えるので もっと広い世界を見ているのです。

そう、可能性の大きく広がった世界です。

 

この悟りの意識へと 意識を変えることは それほどに難しい事ではありません。

ただ、自分自身と向き合うことを避けている人はなかなかそちらに進むことができません。

 

ありのままの自分をそのままに受け止め このままでよかったんだ という理解を得て初めて

あるがままの世界を受け止めることに抵抗がなくなるからです。

 

本当はあなたは そのままでもいいんです。

このままじゃダメだ と言っているのは、お母さんでもお父さんでも先生でもありません。

あなたの頭の中の思いがあなたをしばっています。

 

もし そういうものがまだ残っていると気づいたら まず 手放してみてください。

その思い込みは かつて何かとても悲しい体験と繋がっているかもしれません。

悲しみは 涙と共に流れ去ります

そして 瞑想があなたの内面を洗い流して そのままのあなたを慈しむことができるようになります。

 

瞑想をしないで この浄化を進めるのはとても大変です

でも、瞑想はあなたの心を掃除してあなたをクリアにしてくれるお掃除屋さんみたいなものですから

ぜひ 瞑想習慣を続けられて 何物にもとらわれない自由な心をゲットしてくださいね。

今を幸せに生きてください

 

肉体を抜ければ 魂はどこにでも存在できるそうです。

宇宙も手のひらの中かもしれません。

銀河

心の根っこ

今日も親子の話題から紡いでみましょう。

親との関係性、

親に対する思いが 自分と神との関係に投影される 

ということを初めて聞いた時、

私は頭を抱えました。 shock

 

当時私は親に対して怒りを持っていたのです。

理由は色々複雑なんですが、親たちは子供の気持ちをあまり理解していなかったんです。

それは生まれた時代背景も違うし、社会の価値観も変わっていますし、学校での人間関係も

親の時代と子の時代では違っています。

親子でも体験が違うと 思いも違います。

双方は 立場を越えて理解し合うことが 人生の課題なんですが、なかなかそこに気付かない。

私の親はいい意味でも悪い意味でも頑固でした。(少なくとも私にはそう見えました)

 

当時はスピリチュアル なんて考え方があることも ほとんどの人が知らなかったし、

私の親は信仰を持っていませんでした。

なので、生きる事にはとても迷っていたのではないか と思うんです。

戸惑いながら 自分自身を貫くしかなかった かもしれません。 揺らいでいては生きていけませんから。

 

いろんなこと、宇宙の法則とか どうすれば幸せは作り出せるか ということを知るようになって初めて

親の状況や思い というものを受け入れて理解するようになりました。

 

それまでの経験や辛さは その時その時 誰にもどうすることもできなかったのです。

 

後から理解できたことは、どんなにやり方が不器用で 間違った対処だったにしても

親は子供を大事に思い、それなりに一生懸命 彼らにできる限りの忍耐や努力をしていた ことです。

もし、子供を大切に思えない親がいたとしても 同じこと

彼らは できないことをできなかった。

それが先祖から受け継ぐカルマの一つでもあるからです。

 

人にはできる事とできないことがあって 子もそうだし、親もそうなんです。

それを責め合っても なんの良いことも起こりません。

 

私たちにできるのは できなかったことへの謝罪と してもらったことへの感謝です。

謝罪は 罪悪感を持つ必要はありません。

誰かの期待に応えられないことは しばしば起こります。

でも、長所短所のある人間という生き物は それが普通なのです。

出来ないことが多い事で後ろめたく思うことはありません。

器用な人間には器用な長所の他に、別の短所があり、

不器用なに人間には、器用さとはかけ離れた 別の長所があるのです。

 

すばらしいことは それぞれの長所を認め合い、自分の長所を知り、大切にできることです。

 

あるがままを 愛してください。

あるがままを愛された子供は とても伸びます。

心置きなく長所へと自分のエネルギーを発揮することができるようになるからです。

 

社会のルールは知ることが必要です

でもそれは障害物レースのように ハードルをうまく飛び越えさえすればいいのです。

ハードルを担いで走る必要はありません。

ましてや 人の前にわざわざハードルを置かなくても・・・

何もしなくても 道には石ころが落ちています。

邪魔な石ころは取り除いてもいいじゃないですか。

みんなが幸せなら あったものがなくなってもいいですよね。

 

私たちは 幸せになるための常識をもっと広げたいと思っているんです。

大切な子供たちは何を思っているでしょうか

保護者の大人たちは 彼らに何を教えて 何を伸ばしたいんでしょう?

そもそも親である自分がとらえている現実を どう思っていますか?

 

大人はもっと自分自身を振り返る必要があるんです。

一度習慣づいたものは 変更するのにエネルギーがいるかもしれません。

 

出来事の表面的な部分にとらわれないでください。

物事にはいろんな側面があるんです。

見えることが全てではありません。

そして、それを見ている自分の内側でも 何が起きてるか

相手の深い部分、世界の深い部分で 何が起きているか それを見るには洞察力が必要なんです。

 

大人も子供と一緒に成長します。

 

根っこで共生イラスト

表面的には見えない根っこが、とても大事です。

見えてるだけの表面的なこと 自分のエゴの判断で決めつけてしまうと 摩擦が起きます。

もし摩擦が起きた時は 冷静になって 観察してみましょう。

 

何が必要なのか それがわかるには少し時間が必要です。

ゆっくりじっくり 物事を見てください。

心の余裕が必要です。

 

瞑想を続けてくださいね。

 

瞑想のサポートを受けたい方は いつでもご相談ください。

ラインなどのTV電話でセッションをすることも可能です。 お気軽にご相談ください。

 

真我と真実2 命の輝き

私達人間の現世での体験は、嬉しいことも辛いこともあります。
人はついつい苦しい事を避けて通りたいと願いますが
実は避けるよりも受け止める方がずっと辛くないんです。
 
なんて言うと どういうことかわからない方もいらっしゃるかもしれません
「そんなことはないだろう」ってマインドは言います。
これは 思い込みなんです。
 
試練は 逃げるよりも 乗り越える方がずっと楽 なのです。
その場では逃げる方が楽に思えるかもしれません。
でも、試練はクリアするまでずっと課題のままでいます。
一生の課題は早く終らせた方がお得です。
残りの人生と子孫と来世に 課題を残さない。
こんな楽なことはありません。
 
乗り越える前は 越えられない壁のように見えるかもしれません。
それが恐ろしくて 自殺してしまった人は とても損をしています。
そのことが恐れるに足りない という設定を諦めてしまうからです。
 
開く扉の先は まだ見えていないだけです
例え私たちが雲の下に居ようと 夜であろうと
疑いようもなく太陽は常に輝いています
それを見に行くのは私たち自身なのです。
扉を閉じないでください
 
あなたの命も 太陽と同じように あなたの中で輝き続けています
そう、
雲を晴らすのは自分自身なのです。
 
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瞑想を活用してください。
とても簡単な方法で あなたの中のカルマの雲を消してゆきます。
いつも 心に太陽を感じて晴れやかな毎日を過ごしましょう。
 
これは 当たり前にできることなのです。
だって、元々 光でできているのですから。
魂は光です。真我です。