真我というのは 魂の意識です。
私達人間が ふだん色々と考え事をしたり物事を処理したり物事を認識したりしているのは 自我の意識です
自我の意識は この体の意識 と言ってもいいでしょう。
私たちの脳が考えています。
普段 私たちは考える自分を 自分そのもの 「私」 と思っていますが
実はそれだけじゃないんです。
考えている私 と 感じている私 は ちょっと別物だと思いませんか?
それをやりたい! と思う私と、 いやいや、やっちゃダメ! と思う私
どちらが本当の私なんだろう?
どちらも自分だけど、2つの私が真逆の方に行こうとして葛藤する
ここで自分の意識が一つではない ということに気付きます。
腹が立つ私 と 怒っちゃダメと思う私
泣きたい私 と 泣いたらダメと思う私
そんなことしたらダメなのに どうしてもやりたい! なんてことは無いです という人もいるかもしれませんが(笑)
身体の衝動や感情は どこから来るのでしょうか?
これはコントロールできさえすればいいのでしょうか?
バランスよくコントロールできて、平和で幸福なら 問題はありません。
でも 世界にはいろんな要素がありますので、時には耐えることも。
我慢は美徳 沈黙は金なり と ずっと忍耐していると
ストレスが溜まって 身体の具合が悪くなるのは なぜでしょう。
物理的刺激で起きるストレスの他に
意識の中で起きるストレスがあります。
意識は 理想を持つと 理想に自分を合わせたくなります。
理想でない自分にストレスを溜めることもあります。
理想があるために ストレスで具合が悪くなる というようなことが多くの方に起きています。
こんな私じゃ嫌だ
こんな私大嫌い
自分を嫌いになったら 人生はとても生きにくいですね。
好き嫌いしているのは自我の意識なんですが
この自我は 現在の状態に好き嫌いや善悪、正義の基準を当てはめて
この世界を 良いものと悪いものに分けています。
この世界の悪いもの と 判断したものに対して 摩擦の感情(嫌だ・不快)を持ちます
頭が良すぎたり、この分別作業が大好きだったりすると、摩擦の感情が増えます。
この世界にあるものを そんなに嫌わないでください。
だって、私たちはこの世界で出来ているのですから。
この体は自然の生命の神秘の仕組みによって 形作られている
神の創造物だということを 思い出してください。
私たちの魂に与えられた 身体という乗り物です
判断に夢中になりすぎないように。
この世界は ただ 流動して常に変化をしています
その景色を楽しみましょう。
視野を広げると 世界はゆっくり生きています
世界を感じる時間が 増えるといいですね
今はこの一瞬にしか存在しません。
そして 常に 真実の今しか存在しません。