瞑想マスターが言った言葉で とても印象に残っているものがあります。
一人一人のカルマの量は多い少ないがあって それぞれ違うけど
一生のうちに終えるカルマの量はその人のバケツ1杯分なんだ。
それだけでいいんだよ。
私たちが生まれてくる時に
この人生で何を学ぶか を決めて生まれてくる と言われています。
生まれる前の記憶はおおかた消されてしまうので 覚えてはいませんが
この人生で自分が学びたいことが学びやすい環境に生まれてくるのだそうです
そして 自分の学びに相応しい出来事を起こすように 無意識に導かれて
私たちは人生を作っていきます。
どんなものが好きなのか
どんなことがしたいのか
あなたのハートが望む方向に その学びがあります。
そして いろんな摩擦やカルマの感情の体験をし終えて 真我の理解が浮上してくるのです。
私たちの意識の中心には 真我があります。
真我は私たちの命の意識です。 人間は そこに自我がくっついています。
自我はマインド とも呼ばれ、 この体を大切にするために備わった機能なんですが、
その機能が過剰に働きすぎますと 行動を過剰に制限して 何もできなくなってしまいます。
本来の人生と言う旅や冒険ができなくなって 体験による学びは遠くに押しやられてしまいます。
動けない 体験できない 学べない というのは まるで牢獄のような気分です
でも、その牢獄から出ていくことを恐れてしまうのが 過剰な防衛反応のマインドです。
教育を通じて 世代間を渡って伝染してしまいます。
体験の学びは 痛みを体験して 痛みというものがあることを知り、理解します。
体感で理解するのです。
それは深い理解です。
痛みの体験は他者の痛みへの共感となり、思いやりや優しさを育てます。
ですから 子供時代の人間関係の摩擦は 排除してしまってはいけません。
子供たちは 摩擦を体験して その解決のために
人と人が誠実に本心を語ることや 相手を理解しようという努力を経て
人が 本当の繋がり 愛の関係を持つことができることを学んでいきます。
これは 愛のない大人からは学べません
ただ、自然の関わりの中では 彼らは自発的に自分たちでそれを乗り越える力も持っています。
物事と 真摯に向き合うこと 恐れやネガティブ感情から逃げないこと が大事です。
カルマの感情は 感じきった時に内側からなくなり、私たちはネガティブな思いから解放されます。
また、ネガティブエネルギーは解放することで外側に出してしまえるものでもあります。
渦中にいる時は 向き合うことは苦しいのですが それから逃げずに終わるのを待ちますと
最期には真我が現れてきます。
真我を覆っていたカルマの感情が取れて 下に隠れていた真我が表に出てくるのです。
時々、仏さまのような美しい波動の 愛の意識の人を見ることがありますが
そういう人たちの多くは かつて大きなカルマの解放を体験した人々です。
苦労して 自分の感情から逃げなかった人は 魂が大きくなり 真我の光が増します。
苦労して 自分の苦悩を人のせいにしてしまうと この浄化は起こりません。
誰にもカルマを肩代わりさせずに 自分のところで終わらせる ということが
とてもたくさんの徳を積むことになるのです。
悔しさや悲しさ 怒りは 自分のところで終わらせればいい
このことを神々はとても評価するのです。
天からのサポートを感じるようになり ご褒美のような出来事が起き始めます。
そして多くの人に愛され始めます。
カルマを解放すればするほど
あなたは真我そのものになり
魂は輝きます。
今あるカルマの解放を恐れないでください。
それは宿題を終えるようなものです。
時々 ものすごい量のカルマを一手に引き受けている人がいます。
解放の感情に溺れて 滅茶苦茶だったり、もがいて人まで巻きこんだり
頑張っているのに次から次に試練が起こり、
なんて悲惨なところにいるのだろう?と思うような。。
そういう方々は 沢山のカルマを引き受けて生まれてきたチャレンジャーな魂です
それを乗り越えるエネルギーを持っています。
あるいは、自分を犠牲にすることによって この世の多くの罪を浄化して行きます。
それを見た者の学びのために。
カルマの解放は 速やかに終わらせることが望ましいです。
特に学びを手にすると 嘘のように終わっていきます。
カルマの解放は 学びの一環だからです。
すべて あなたの魂を磨くために存在しています。
恐れる必要はありません。
今の自分自身を整え 今の思いを癒し、今を誠実に生きてください
それだけで 次々にカルマが終わっていきます。
バケツ1杯のカルマが終わってしまうと あなたには真我が残ります。
そして真我で人生を生きるようになるのです。
新たな人生のスタート
今 息づく あなたの命を実感してください
存在の至福が そこにあります。