家族という意識 

家族とは? という質問に、あなたはどんなイメージを想像しますか?

 

家族と言うと 例えば、血縁者

生まれ育った家庭 

自分を愛してくれている両親や兄弟、自分が作った新しい家族、結婚して子供を持って 一緒に暮らしている運命共同体

だけど、家族はワンパターンではありません。

夫婦2人 親と子 祖父母と父母と子と孫という大家族 一緒に住んで愛情が通っているのでペットも家族かも。

また、最近は ちょっと変わった形の家族も受け入れられるようになりました。

お母さんが二人の家族、お父さんが二人の家族、血縁はないけど家族

愛情でつながれば家族。

最近、NHKの番組でジェンダーフリーやLGBTなどの言葉もよく聴くようになって

日本も随分意識が開けてきたなぁ と 微笑ましく思います。

 

かつての人々の意識は自我のマインドが基準を握っていましたので、形にこだわる ということがよく起こっていました。

だからちょっとイレギュラーな形を受け入れにくかった。

変だとか、奇妙 見慣れない という違和感を持つと、排除したくなっちゃうんですね。

自我のマインドは 未知のものがちょっと苦手です。

それは 未知=危険かも=怖い という原理に基づいています

 

本当に危険でしょうか?     (。・ω・)?

 

危険かもしれない という恐れから 先制攻撃を仕掛けた場合、

攻撃された側にとっては 攻撃してくる者は 『敵』です。

 

自分と相手を 仲間ではなく、見知らぬもの に分離してしまったところから この悲劇は始まります。

 

相手を見知らぬもの、あるいは 知っているけどよくわからないもの 受け入れられないもの と とらえることから

分離が始まります。

 

知らない=害を為すかもしれないもの

 

そう思って威嚇する本人が一番攻撃的なんですが。

 

住みにくい世の中は 不信感であふれています。

なぜそんなことになっちゃうのでしょうか?

 

もちろん、危険な場所、危険な存在 というものはあります。

それには十分な注意とマインドフルな意識が必要なんです。

 

崖っぷちなのに神に委ねて目をつむって歩く人はいません。

 

問題は、危険じゃないものまで危険とみなして先制攻撃をかけてしまうことです。

この原動力がカルマですね。

過去の恐れの記憶。

これを家族のような身近な人々に向けると なかなか生きづらくなります。

 

さて、家族という定義に戻ってみましょう。

家族

どこからが家族か?

同じ家に住んでる?

DNA型が極めて似ている人?

親?兄弟?子?孫?

でも、会ったことがない血縁者は?

一緒に住んでいない家族は?

どこまでが家族で どこからが親戚かな???

 

よくよくとらわれを手放してしまうと、

全ての生命は一つの樹のようにつながっています。

この地球上の生命が誕生した時から。

そもそもの始まりは誰?

生物系統樹のサムネイル画像

人類系統樹

この図、系統樹っていうんですけど、

親の親の親の親の親の・・・・・・・と果てしなくたどっていくと、

進化の源流にたどりつきます。

なんだ、全部親戚じゃん!

人類は家族のようなものですね。

あなたは どこまでを家族と制限しているでしょうか?

 

それと、 家族という認識にも様々なとらえ方がありますので それは次回にいたしましょう。

つづく confident