人生は私たちの記憶の中にあります。
どんな人生であるか どんな人生であったか は
ストーリーを書き換えることが可能です
起きた真実を どのようにとらえるかでストーリーは全く変わってしまいます。
その内容は ものすごく大事なもののように思えますが
実はそれほど大事ではありません。
なぜなら、身体がなくなって 自我が消えてしまったら
どうでもよくなるからです。
私たちに重要なのは どんな今を過ごしているか です
どんな今を体験しているか
同じ状況でも まったく違う体感になったりします。
ある人は 思い通りにならないことにイライラしたり
思い通りにしてくれない相手に腹を立てたり、
理想に届かない自分の状況を不幸だと感じたり
かつて傷付いた心の痛みを抱え、ずっと辛い人生だと感じているかもしれません。
でも、ある人は、思い通りにならないことを 自然だと理解し、その中でより幸福に生きることを選んだり
困ったことをしてくる相手に 穏やかな言葉で自分の立場を説明し、譲り合うことを提案します
人をうらやまず、自分に与えられた恵みを感謝し、つつましく幸せに生きる ということを選択している人もいます。
かつて傷付いた自分の心は癒すことにつとめ、強い心に成長し、痛みを知る優しい心を育てます。
この人には不幸は憑りつくことができません。
今を最大限に生きることは 余計な思い込みや批判や正当化を手放し
真実を見ることに徹します。
もちろん自我の感情、喜怒哀楽は湧きおこりますが、
自我の都合は個人的なもので この世界全体から見ると大きな問題ではありません。
瞑想をしていくと、自我はおとなしくなり、
観察する意識が大きくなっていきます。
真我の意識です。
この真我の意識は 個人ではなく 世界を体験します。
この体を含めた世界 を 生きています。
この視点は 全く世界観が違います。
私たちは海上の一つの波ではなく、海そのものだった という感覚です。
そこにはひとつの人生だけが重要なのではなく
永遠に終わらない命が 様々な形に変化しながら存在している
世界のダイナミズム
雄大な命のハーモニーを感じることになります。
命は 奇跡です。