宇宙の法則

瞑想者的思考

本日の福岡は少し雪がちらつく寒い日でした。温かい鍋や温泉に癒される季節です。

寒くなって参りますと 体調を崩しやすくなりがちですので 免疫力を上げて身体を大切にお過ごしください。

 

今日は瞑想者的もののとらえ方についてお話します。

私が瞑想を始めたのは 悟り というものを知りたかったからですが、

その悟りを邪魔しているものがカルマである というお話はしましたでしょうか。

 

私たちの魂が肉体にいる間にさまざまな体験がありますが、この人生の経験は 宿命によって大筋が決まっているようです。

大筋 というのは 日々の細かい選択や、人生の岐路に判断する決断で 多少のルートが変わるので 同じ宿命を持っていてもバリエーションがさまざまに彩を添えます。

大筋から離れる方向に進みますと、それはそれで、また戻される流れになるのですが。

当の本人にはなかなか その大筋というものがわかりません。

 

この大筋を知る ということが 悟る ということでもあります。

 

瞑想を本格的に始めて以来、幾多の場面で師匠や友人たちにそのような話題についての話を聞きました。

そして 気づき始めるのです。

何を気付くか と言いますと、 この世界の真理です。

宇宙はどのような方向性に流れているのか  です。

 

少しばかり前の時代は科学で証明されることだけが真実で解明されていないことは迷信

と片付けられていました。

 

ですが、いろんなことがわかりだして、これまで証明されていなかった物理的事象は

存在することが明らかになってゆくのです。

 

面白いことに 科学的根拠も持たないであろう古い時代の人々が 真実を知っていることが はっきりしてゆきます。

本来、生き物は体感として この世界のことを感じ取って知っているのです。

いえ、魂そのものが知っているのです。

 

瞑想でカルマという感情の摩擦のエネルギーを取り除くと、自然の流れと共に生きる生命力と方向性を見出します。

これをカルマに邪魔されない 真の叡智 と呼んでいます。

 

通常はこのような話をすると世間一般の観念では 宗教的であるとか、妄想にハマっているというような見方をされてきました。

ですが、実際のところ、この辺りの事情を知りだすと、

いえ、ある日真実の全貌が見える悟りという転換を体験しますと

実に冷静な心境で 今までの勘違いした見方のからくりが見えるようになるのです。

 

これは天動説が真実だと知った瞬間 のようなものです。

 

あらゆる謎が解けるのです。

 

全ては流れと共に進み、同じ方向へむかっている。

そして 私たちは愛(慈しみと受容)を知り とらわれから自由になるためにこの世に降りてきたことに気付くのです。

とらわれの正体は観念です。自我の意識がとらわれた意識から解放されると 神の視点に立ちます。

これが悟り なのです。

これはとらわれが外せるならば すべての人間に可能だと思いますが、

とらわれというものは 実になかなか手ごわく体に付着しているものなのです。

 

ですから、悟った後も、体の方では 自我の感情としてはとらわれの反応は起きます。

それらは 手放し始めて 解放されてゆきます。

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調和

何が良くて何が良くないの?

という疑問に頭をなやまされたことがありますか?

 

〇〇に困ったらどうしよう?

〇〇がなくなったらどうしよう?

トラブルが生じたらどうしよう?

??? いろんな不安は出始めるとキリがありません。

 

その答えは 対処する です。

 

その時その時ベストの対処なので

一律の答えではないのです。

 

ですから、 前もって答えを出すことはできません。

事が起きてから 最善の対処をします。

 

答えになってないじゃないか!! と怒りが出て参りますね(笑)

 

はい。でも、問題は一つ一つ 状況やエネルギーや 根本に流れる原因が違うのです。

そして 根本が整っていないと 表面だけ整えてもすぐ再燃していまします。

 

ですから、瞑想マスターは 根本を見ます。

そして こう言います。

流れに任せなさい

 

自然は 調和する法則があります。

歪みのあるエネルギーは安定できない運命です。

安定する状況に囲まれてこその平和です。

まず、自分の心を安定させることで 自分の周りに落ち着きがやってきます。

現実の出来事も落ち着くのです。

引き寄せの法則です。

心配をして不穏な波動を引き寄せてはつまりません。

 

まず心を落ち着かせてください。

瞑想は心を安定させます。

苦しみは瞑想やEFT療法で和らぎます。

 

安定した意識が定着すると 心配や悩みは あなたを困らせません。

起きたことを冷静に見て 冷静に対処するのです。

ドキドキハラハラは とるに足りません。

瞑想仲間同士 また、瞑想教師が良きアドバイザーになることでしょう。

 

観念に制限や縛りがあると、八方ふさがりになることがあります。

自分の悩みにはまり込んでしまうと視野がせまくなるのです。

長い時間考え込んでも解決しません。

考えるのをやめて 意識を拡げると 新しい考えが閃き 降りてきます。

 

瞑想で意識をリフレッシュしましょう。

 

そして 調和をイメージしてください。

平和の形は一定ではありません。 全体が調和すればよいのです。

柔らかく自由な心で 人生という波乗りを楽しみましょう。

 

静かに浮かぶも好し 急流を行くも好し

鳥の群れ

 

 

あるがまま という愛

あるがままにさせておくのが 神の愛

神は我々を裁く存在だと思いますか?

 

実は神は何も裁かないのです。

 

因果応報 というのは 自ら発したものの結果 ですので これはただのエネルギーの法則なのです。

エネルギーの法則は万物に平等に作用しますので 例外はありません。

ただ、どの例も それぞれに環境的条件が変わりますので 作用の仕方、時間や現われは一律になるような単純なものではないのです。

 

それらの作用の中で翻弄されながら 自分の身の上に起きることを学んでいく人間を

 

神は静かに見守っています。

 

それぞれの学びを邪魔しないのです。

 

荒ぶる神 と呼ばれるものは 自然現象のエネルギーです。

それを神と見て 作用を 意思に見立てているのが 日本の八百万の神です。

創造主の神(命の源) は 手を出しません。

ただ 意識が存在しています。

調和 という意識です。

 

私たちに人間の学びは あるがままにさせておく愛 というものを知ることです。

 

他者への干渉は 支配欲から来ます。

あるがままを愛し、その存在そのものを愛する ということが神の愛を知る ということです。

 

リーダーシップのあるものは リーダーとなり 集団を統率し護りますが 支配してはならぬのです。

エゴが支配を始めたとき、そこに歪みが生じ、軋轢と亀裂ができはじめるのです。

リーダーも 一般も それぞれが人として敬愛しあうことが 平和そのものです。

 

エゴを持った人間と付き合うことは 摩擦はつきものですが、

エゴにエゴで対応すると、 衝突し、喧嘩になり、憎み合い、争い、戦いはじめるのです。

戦わない初めの一人になる勇気は 本当に必要だと思っています。

愛として存在することが世界を調和へ導きます。

 

そのままにさせておくにしろ、止めるにしろ、、

愛が動機の選択は 愛ある結果を生みます。

 

始めの一人になる勇気を持ちます。

あなたは源です。

 

もちろん 独りではありません。

キバナセツブンソウ

 

死後の世界

生きている人間には確かめようのない 死後の世界の事 皆様はどのようなイメージをお持ちでしょうか

 

宗教や文化によって 様々な死後の世界のお話が語られています。

 

そして

死ぬことを極度に恐れている方もいらっしゃいますし、

まったく恐れていない方もおられます。

 

私自身は 生き方は色即是空の仏教的考え方がベースにありますが、

六道輪廻にある地獄 などは死後の世界とはとらえていません。

 

で、 死後の状態 をどのようにイメージしているかと言いますと、

 

あちらの世界といいますか、魂の故郷、 生まれる前に私たちの意識が存在していたところ から

 

魂の乗り物であるこの肉体に 人 という生き物として宿り、

人生という旅をするのか 人間の一生で

 

肉体が古くなってあちこち不具合など生じ、活動に不自由を来してくる乗り物の終わり がやってくると

 

一度その乗り物を降りて、故郷に戻り 意識の海に混ざります。

 (これが成仏です)

 

そして、他の意識と一度まざりあってから  今世の私という意識のエッセンスを含む新しい意識となって

 新たに生まれる肉体に乗り、再び人生という修行の旅をスタートさせるのです。

 

これは本当かどうかは断言はできません。

私はかつていたあちらの世界のことは覚えてはいないのです。

ただ、とてもそのような気がして その流れに納得しているだけのことですが。

この仕組みはとても気に入っています。

 

母が病気で体が動かなくなって そういう自分の身の上を嘆き こんなになって生きていたくない と言ったり、

死んだらどうなるのか とおびえる時は いつも この話をしました。

 

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病身の身体から抜けると 身が軽くなって(質量がなくなるので当然) とても自由で

どこにでも行きたいところにいけるらしいよ!

痛みや不快感もなく 心地よいイメージで幸せな気持ちになるらしいよ♪

 

今はまだお迎えが来るまでは 生きるという修行が残されているけど、

運命を受け入れて 優しい気持ちになると 苦しまずに人生を卒業になるんだって。

だから、この世の恨みも無念も 全部捨てて逝くの。

許すということは 自分が苦しみから解放される ということなので

もう何も思い悩むことも手放して 流れにお任せすればいいんよ。

うまくやれなかったと思うかもしれないけど、

こんなに頑張って 一生懸命生きてきたんだから 何も後悔することなんかないんよ。

 

意識だけになったら 幸せを思うだけで 幸せが現れるんだって。

だからもう 何も心配することなんかないんよ。

私たち子供みんなが愛してるよ お母さん。

 

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yacht この世は魂の修行の旅先なのです。

いろんな条件を用意して この肉体という乗り物に乗り、

幸福とは何か?を思い出す旅なのです。

旅の道連れと 仲良くするもよし喧嘩するもよし

自分が何をすれば喧嘩になり なにをすれば仲良くなるか を 思い出す旅なのです。

 

その体験と学びの結果を持って 一回り成長した魂を故郷に持って帰るのです。

 

うまくできなかったことが悔しければ また戻って来ることでしょう。

 

身体から抜けて 気づけなかったことに気付いた時、また再チャレンジしたくなるそうです。

今度は逆の立場 の体験をしに。

いろんな立場、いろんなシチュエーションをやってみて 全てを理解していくのでしょうね。

 

今の自分の価値観だけが正義なのではなく すべては多種多様の条件で 与えられるものが違えば 表現は変わる

 

ということを知り、自分の肉体以外も同じ世界 同じ故郷 同じ魂 同じ一つのものである ということを思い出して

全てを慈しみ 愛を向ける 

 

そういう 宝探しゲームをしに ここにやってきているようです。

 

愛を見つけた者から 幸せになってゆきます。

 

愛は 存在だけで 愛を拡げていくことができるのです。

 

あ、そうそう、たまに乗り物の自我の意識が文句垂れてますけど(笑)

なだめながら機嫌よく旅しましょう♪

 

死後の世界は怖くはないし、 この世で 苦しく生きるも幸福に生きるも すべて自分次第だ ということが 今はよくわかるのです。

失敗はないんです。 ただ 体験があるだけ 今生はそれでよかったのです。clover

 

辛かった記憶は癒して 自分の命を愛してあげてください。shineheart04

そのレッスンが人生です。shine

 

 

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神 という存在

神という言葉ですが、みなさまはどんなイメージをお持ちでしょうか

神 と 言葉で表現すると 受け取る人によってイメージが違っていますと、

語弊が生じることがあります。

伝えたいことと 聞いた方の取り扱うイメージが違ってしまって 理解が混乱するのです。

 

何か信仰をお持ちの方は信仰するご本尊?としての神 とおもうと、

その神 という表現は 神聖なものを汚された気分になるかもしれません。 

なので、神という言葉の扱いにはいつも 躊躇してしまうのですが、

私が神と表現するものは 特定の宗教宗派のものではありません。

 

神 と呼ばれているもの、

仏 と呼ばれているもの

大いなる存在 と呼ばれているもの

ユニバース、高次元の意識、 いろいろな言葉で表現される それ

私はそれらの存在はじつはいろんな人間が同じもののことを見ていて それぞれの解釈で自分たちの神、仏として信仰しているのではないかと思っています。 

これは私独自の解釈ですので 特定の宗教宗派を否定するものではありません。ただの見解です。

なのでここでは私の解釈での神を扱わせてください。

 

その、 神という存在

ずっと最初から今、未来まで 在る普遍的な意識 として存在した 神 です

それは私たちの意識の故郷なのだろうと とらえています。

私の認識する神には特定の宗教における教えや戒律のようなものはありません。

(宗教における戒律に関してはまた解釈と見解がありますが、それはまた別の機会にお話ししようと思います。)

ただ、この世界の法則性と 原点が存在しています。

 

神 という意識は 始まりはいつなのかはわかりませんが、宇宙が存在する最初からあったとも言われています。

意識 そのものが 存在しているのだと思います。物理的な実態はありません。あるのは波動だけかもしれません。

 

その意識には方向性があり、流れを持っています。

それは 調和 であり、その調和が 愛 であり、 繁栄と豊かさと美しさに包まれているのです。 

 

海上の虹

 

私たちが気が付くことは 愛を持って調和することで豊かな繁栄に向かう のですが、

自我という個々のマインドは それよりも肉体のプログラムを優先して目先の損得で動いてしまいがちなのです。

全体の流れが見えず、目の前の反応だけで対応してしまいます。

これがエゴです。

 

生き物ですからエゴがあるのは当然ですが、

想像力・創造力を持った人間のエゴは 増大していくのです。

 

内側の神を忘れ、表面的なエゴが増大した時、神と法則を忘れ、この世界のバランスを見失います。

神を思い出すと、神の意向を知ると 調和に向かいます。

これが平和と豊かさと繁栄につながるのです。

 

神と人間

宇宙に良い悪いはない 

 

この世を 神が作ったとしましょう。

 

神は生き物に 生きるための仕組みと情報を入れました。

その仕組みに従って動いて生きます。

 

ある条件下では 大正解! 適合して繁栄します

 

また、別のある条件下、環境下では この体の仕組みは合いません。

生命維持困難になると死に絶えてしまいます。

 

いろんな種類の生き物がいろんなDNAの情報によって 適合したり 衰退したり

 

また、増えすぎて 食糧難になり 飢餓になりまた減ります。

 

これが自然の摂理です。

 

自然は全体のバランスを取りつつ 生きているどれかにDNA情報を乗せて、DNAを後世に運び続けるのです

 

神にとっては全体が子供であり、それは連続したものであって 一つ一つは要素にしかすぎません。

一つ一つの要素が喜び輝くその波動を心地よいと感じるのでしょう。

 

でも、自然、地球、宇宙 というベースは 生き物が支配できるほどには安定はしていないのです

大きく変化し、動き続けます。

 

私たちは 神から分けられた 一滴の神のエッセンスである魂を宿した肉体なのです。

 

瞑想を通して 神の意識を感じる ということが体感できるようになりました。

私たちは神の記憶も 持っているのです。

 

そして 更に 神の意識に いつでも通じることが可能です。

 

それを妨げている観念や感情を 取り除いていくと、ワンネスという体感を経験します。

宇宙

 

 

エゴの技

エゴは自分自身の肉体を護るシステムです。感情を巧みに操り、個体を有利な位置へと導こうとします。

ですが、判断は表面的な事柄に反応しているので 全体性とは繋がっていません。

 

自分自身の立場からの視線なので ものの見方が一方的です。

自分(心と肉体)を護るために 観念の修正も行われます。

私は悪くない・・・

正義という隠れ蓑を使います。 自分の意識に対して隠れるのです。

他者はあんまり騙せていません。

 

自分に都合の悪い対象を見つけた時に 

その対象を 悪者に見立ててしまいます。

自分自身の肉体を護るために心のシステムがそうさせるのです。

肉体を持った生き物としての心のシステムです。 ある意味正常に働いています。

でも、それは、真実とは違うのです。

システムは一生懸命働こうとします。本能的に。

 

真実に対する理解と智慧がないと表面的な事象のみをとらえ、反応的にしか行動を起こせません

自分は正しい 相手が悪い

そう思ってしまうのです。

 

全ての人間にそれぞれの正義が存在します。

 

時代やエリアによって

正義の基準も変化します。

 

人間は大脳が発達していて、表面的な反応だけでなく、 物事の理解を深める能力があります。

仏教では 智慧 と言います。

 

表面的な事象への反応だけだと、感情に振り回され 苦悩が生じる

 

ですから、物事の本質と この世界の法則性を理解することで 無駄にうろたえることをしなくて済むのです

 

本質的に物事を見ますと ただ事象が存在して 生命体がそれに適合したり反応したりして

生命活動がなされますが、 全体として 俯瞰(ふかん)する 神の目から客観的に見ますと、

全体が豊かになる方向性と、荒廃する方向性があります。

 

どこを見ればわかるかと言いますと、

 愛 と 愛でないもの  を見分けてください。

 

愛は 他者への思いやりや尊重で、 自分同様 全体を大切にする大きな愛です。

愛でないものは 利己的 と言います。 自己愛のみの小さな愛でもあるかもしれません。

 

他者がどうであるか ということよりも、

一番に大切なのは この世界を観ている 中心である 『自分の目』 が どうであるか が

大事なのです

 

エゴは混乱するかもしれませんが、

意識の奥深く 空(くう)に触れて世界を感じたとき、 神の見ている愛を感じるようになります。

 

目まぐるしく変化する夢幻のような現実は この世界の表面にしか過ぎない

深い意識の奥に 神に通ずる感覚と 真理への理解がある  と。

神の視線は穏やかで平和を好み 根本を整えようと動きます

全体の調和を目的に動いています。

エネルギーの調和の法則です。

 

仏陀の目

愛という定義

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愛というと 日本人の多くはなんだか甘ったるいムードを連想しますが、 

ここでいう 愛は ちょっと違います。  

恋愛の愛とは少し質の違う 愛 です。

 

情熱的な愛  ではなく ほんわかあったかい愛 を想像してみてください。

 

恋愛の愛は エゴの愛 としたら、 こちらの愛は エヴァの愛 と呼んでいました。

ユニバースの愛 神の愛 とも言います。 真の愛 純粋な愛 と表現してもいいかも。

 

神の愛は あるがままにさせておく 見守る愛 なのだそうです。

神は裁くことは 本当はしていません。

本人の選択を尊重します。自由意思を尊重してただ見守るのです。

本人の成長を見守ります。

 

何か悪いことをしてそのあとひどい目にあう時、バチが当たると言いますが

バチが当たる という感覚は 神がしているのではなく、

エネルギー法則の結果、したことが自分に返ってきているだけのことなのです。

 

神は 我々の魂が幸福に満たされることを喜び、悲しみ傷つくことを悲しみます。

愚かなことに人間はなかなかそこに気付きません。

ですが、今からでも気づいていくと神は喜ぶのです。

 

人が愛を心に持ちますと 調和 が起きます。 

世界との調和  他人との調和 です。

この調和を ダルマ と呼んでいます

人間以外のものが調和することも愛です。

調和は満たされた繁栄へと進化します。 そこには喜びのエネルギーが溢れています。

 

ダルマ の反対は カルマ

カルマは 摩擦 です。

 

人間の感情で言うと、抵抗、嫌悪、否定、攻撃、

 怒りや悲しみを伴っています。

 

愛には否定がありません。

否定がない というと、全部肯定しなきゃいけないのか? と憤りを感じる人もおられると思いますが、

全部肯定するのとは違います。 否定も肯定もないのです。

神の世界では 良いも悪いもありません。

ただ 創造的 調和的な 愛の現象と、

摩擦が起きるカルマの現象があるだけなのです。

 

人間が生きていく上で

危険なものや、何らかのもの、あるいはエネルギーを奪おうとしてくるものからは、

回避 や 避難 静観(注意深く見る) を使います。

そこには恐れは必ずしも必要ではなく、むしろ冷静にただ観察 見守ることが望ましいです。

 

対象を観察すると、その根底にあるものが見えてきます。

それを理解することは 愛。  ただ受け止める。

 

すべての生命は 懸命に生きようとしています。

時にこじれ、揉まれ、傷つきながら。

 

この理解に行きつくには 魂の成長過程での体験が必要です

わからないこと、できていないことを責める必要はありません。

理解できた時、魂の成長が起きます。

世界観が拡がるのです

 

愛ある行動 愛ある意識 は、しなければならない のではありません。

できればより自分の周りが豊かになり、できていないことは、ただ、自分自身が生きづらくなる というだけのことなのです。

心が温まりたいなら、自分の心を温かくすることから始まります。

心が温かい人に出会うと温かさをもらいます

そして心の温め方を知ります。

人の心も温めてあげましょう。

世界が喜びます。

 

自分の周りに温かさがいっぱいになります。

あなたが愛の源です

 

私が愛の源ですshine

漠然としたもの

時々 言葉にすることに詰まる時があります。

 

悟りについて興味を持ちだしてから 時々ぶつかった壁がありました。

 

つかみどころがなぬなるのです。

 

それは 言葉と思考で悟りや真理を追いかけたときに起きます

 

この世界(宇宙)は広大でその仕組みはミクロからマクロまで 無尽蔵に巨大なものですが、我々人間は実際には本当に小さく狭いエリアしか見たことがないのです。

ですが、人間は宇宙に思いを馳せることができ、その全貌をつかむことは可能です。(精神世界では)

 

ある時、気づいたのは、 この世界はフラクタル構造になっている ということでした。

フラクタルという言葉は 数年前、ある友人がCG技術で美しい画像を制作していて、それがフラクタル画像だ ということを教えてくれました。

フラクタル 惑星

ある法則に基づいた計算式から その画像が出来上がるのですが、

専門的な説明は難しいので 簡単に言うと この世界は全てがあるパターンの相似形の集まりでできている

分子構造の集まりが結晶になってそれがどんどん大きくなって大きな物質になっていく のです。

フラクタル アンモナイト

ミクロの世界もマクロの世界も 構造が一緒 ということです。

 

話が飛躍するかもですが、 我々が神の分け御霊である (神のエッセンスが魂であるということ) というのもそれです。

 

でも、その構造式には いろんな種類の法則があるので 単純じゃない。

それがとても複雑で美しいパターンとバリエーションを生み出すのです。

フラクタル カリフラワー

複雑なものの表面を見ていると何一つ同じものにはなりませんが、 その根本の構造を見で単純化すると同じものが見えてきて方向性とか法則性が浮き上がってくるのです。

 

人間のDNA はみな、99%同じ であるけども まったく同じものにはならない ってことでしょうか。

でも、根本は同じ

 

他者を知るというのは 己自身を知ることに他ならないのです。

表面的にではなく 己の真実を です。 

未知の自分 かもしれません。

幸福を選択する 2

その昔、お釈迦様は 瞑想で悪魔に立ち向かいました。

 

その悪魔 とは、心の中に生じる迷いや エゴや 感情の 幻想のことです。

悪魔は人の抑圧されたエゴの思いです。

 

その悪魔が増大すると 人は悪魔に操られます。

でも、それらの感情を手放すこともできます。

 

瞑想をして 心を静かに平和にしていくと、その悪魔に負ける気はしなくなります。

瞑想のエネルギーの中に 悪魔は住めないのです。

 

心に住んでいた悪魔の子分たちは 瞑想を始めると、わさわさと騒ぎ出し しばらく騒々しいのですが、

それらは、雑念たちと共に外に退散します。

 

大事なことは信頼です。

 

自分自身の魂が根源の命の源とつながりだすと、世界の流れが自分の運命を運んでくれていることに気付きます。

 

これは、私自身も そんな非科学的な事 と 最初は話を聞いても信じられませんでした。

でも、友人はしつこいほどに 思いというのは現実化するんだよ と私に言い続けたんです。

そうなのか?と思ってみていると それは本当にそうなんだ という確信に変わりました。

自分の思い次第で運命の展開が変わるのです。

 

これは、本人の発するエネルギーが変わるから 外側へ無意識に影響を与えている ということが近年は理論的にも証明されてまいりまして、多くの方々が認識しています。

心を変えろと言われても、人間、心なんて変わらないよ とお思いの方は、

瞑想を試してください。  変わります。

苦しみから逃れたいとお思いの方は ぜひ 瞑想を続けられてください。

いつの間にか心が軽くなってゆくのが瞑想の特徴です。

これは。心に詰まったストレスが 瞑想の効果で 抜けていき、心のわだかまりと 辛い感情が抜けていくのです。

心が変わることによって 運気が変わります。 人とのかかわり方が変わり、幸福感や充実感が変わって参ります。

 

ちょっとやってみたけど、ダメね という方がいらっしゃいますが、

一朝一夕に と焦らないでください。 心に染みついた思い癖はしつこいものもあります。

それらを一つ一つ解きほぐして 緩やかに確実に 心をお掃除していくのが瞑想です。

 

変わることを願っている方、

瞑想と共に、瞑想的とらえ方も身に付けられてください。

物事をカルマにするとらえ方と、 平和に調和させるとらえ方があります。

人は関わりにおいて 人生を学びます。

また このお話は後日に。