宇宙の法則

意識の波動は物質界へ影響する

宇宙の法則で 一番根本とも言える法則 波動の法則 と言われる法則を

ご存じの方も多いことと思います。

 

聞いたことはあるけど

知っているけど

イマイチ活用できていない  という方もいらっしゃることでしょう

 

今日は まだよくわかっていない方にもわかるように

その波動の法則について書いてみたいと思います。

スピリチュアルの法則 初歩的なお話です。

 

私たちは常に波動を発生しています。 生命エネルギーの放出です。

オーラなどとも呼ばれています。

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この波動の原理は 

我々生き物の肉体は全て 分子構造で構成されていますが、

 

その分子構造は原子から成り、

その原子は陽子と中性子から成り、

 

その陽子や中性子は クウォークという素粒子からできています。

クォークの説明

その素粒子が常時回転運動をしているのです。 

われわれの組成は微粒子の回転運動の集積によって成り立っているのです。

これを聞いた時、私はスチール金ダワシ を思い出して笑ってしまいました。ぐるぐるになったやつです 笑 そんなに粗雑なつくりじゃないでしょうね 笑

2018325104423.jpgいや、個体じゃないから!

 

個体 液体 気体 すべての物質 は みな、微細な振動数を持っているのです

 

この振動数が 意識の状態で速度が変化するようです。

 

高い振動数は喜びや幸福感の時に。 

低い振動数は哀しみ怒り苦悩などネガティブな思いの時。

微細な変化かもしれませんが、それは集まると大きな変化になるのです。

 

そして、その振動の波動は 音と同じように同じ波動に同調しやすく、同じ波動に共鳴する性質を持っています。共振です。

 

なので、私たちの意識は 自分の波動と同じものをキャッチし、そこに同調して引きよせられる性質を持っています。巻き込まれやすい ということですね。

 

これは意識に上がるか上がらないかは関係なく 波動で引き合うのです。

類は友を呼ぶ という言葉は個の法則を言ったものですね。

実際、自分に縁のある人は そういう意味で限られています。

もし 自分の周りに とても厄介な人物がいるとしたら、

それに巻き込まれる自分になんらかの引き寄せる要素がある ということになります。

あなたの意識と同じというよりは対になる関係性でくっつくものも多いです。

いじめっ子といじめられっ子 のように。

 

関係には双方の役割があり、その役割の片方を演じていますが、

時には別の人と同じ関係のもう一方の役割をすることもあるのです。

つまり、例えばですが、 迷惑をかけたり、かけられたり とか

悲しませたり 悲しまされたり、

怒ったり 怒らせたり、 などです。

そしてそれを引きずっていつまでも悩ましい。

 

その時、あなたはその人との出会いをヒントに自分の心をお掃除する必要がある ということを知らされています。

人生の学びと成長の機会です。

もし、あなたの波動が変ったら、あなたはその役割の相手に悩まされることはなくなります。関係が成り立たなくなるからです。

悟った人が悩みごとがほとんどないのは 他者との絡みがその場で完結してしまうのです。

わだかまりや憎しみの感情にもなりません。

面倒な人物に出会ったとしても カルマがなくなっているため 反応する摩擦は起きないか、少しあったとしても瞬時にして消えてしまいます。

悟った人が生きる事が楽で悩みごとが無く日常を楽しんで生きる事ができる という理由はここにあります。

 

悩みや苦しみの多い人は それを続けていると同じ波動の者が集まってしまいますので、 そのような出来事を引き寄せないために 反応するカルマの感情を手放す作業をします。

それが 瞑想であり 感情解放のプログラムやセッションです。

感情は抜けてしまうと心がスッとして穏やかになれます。

こだわっていたことも 心が軽くなり もういいや と思えるようになる。

そして更に 抵抗の感情の下に隠れていた真我の観察力が発揮されます。

洞察力が現れ 多くの気づきをもたらすのです。

この結果 カルマがほとんど出てしまって内側に少ない状態が悟りの境地です。

 

 このお話は 少しながくなりそうなので 続きは後程 wink

 

カルマというもの

カルマは 過去のネガティブな感情の記憶です。普段は種のように体の中に入っていています。

これはDNAに残された感情の記憶なのです。

これらのカルマの種は 外側の刺激を待っていて、その刺激に誘発されて発動し、

感情の波を起こしながら外に出て行きます。

出ていくと 内側からカルマが一つ終わります。

 

でも抵抗したり、拒否すると出て行かなかったり、出しても新たなカルマを作ってなかなか終わることができません。

 

このカルマは一人一人担当する量が決まっているそうで、それを一生のうちで昇華させることになっているそうです。

ですから、担当分のカルマからは逃れることはできないのですが、

 

でも、落胆や心配はしなくていいのです。

カルマの感情を感じることに抵抗したり拒否するとなかなか出て行きにくいのですが、

抵抗をやめると かなり早々と出て行ってくれます。

 

もし 怒りや悲しみの感情が湧き上がってきたら、

慌てず、ただ、その感情を味わってください。

 

それは 人間にとってとても自然な感情なのです。

 

ただ、その感情を持て余すあまり、他人を傷つけたり、自分が不快なのを誰かのせいにしたり、八つ当たりなどしますと、 また新たなカルマをくっつけてしまうのです。

 

ですから、感情は自分で味わって終わりにすることが一番平和に解決してゆきます。

 

もし、とても大量のカルマを担当していたら

トラウマとかPTSDなどの辛い試練に見舞われるかもしれません。

もし、そんな運命を持っていたら、その人は

自分のカルマだけでなく一族のカルマを背負って 大きく浄化を行うのです。

きっと その人生で 悟りを得ようとしに来たのかもしれません。

そのような大きなカルマを終えると、人はすっかり 学んでしまうのです。

終えるまでは大変ですが、 その後の人生は大きく濯がれるのです。

 

カルマのエネルギーは発散され内側から出て行きます。

瞑想は 静の発散で、日々カルマを解放していきます。 

 

カルマの解放が終了すると、今までカルマに覆われていた真我の意識が現れてきます。

新たなる視線、気付きが起こり

そして あなたは啓発の意識を見るでしょう。

そこには 生きる という魂の輝きが見えます。

それは輝かしく 幸福な 愛に満ちたエネルギーがあります。

白タラ

世界を見守るホワイトターラの慈愛に満ちた眼差し

あなたもその波動を感じることができます。

 

 

 

 

 

試練はなぜ起こるのか

カルマというものには 時にひどく理不尽な思いをさせられることがあります。

生まれてこの方 何も悪いことをしていないのに

真面目に善良につつましやかに生きてきたにも関わらず、

突然 天災や不慮の事故などで命を奪われたり、家族を奪われたり、

生活が一変してしまうことなどが 起きることがあります。

 

カルマは因果応報 と言いますか、どこかにこの運命の 種 があると言われますが、

自分には何の落ち度もないのに なぜ そのような試練に見舞われるのでしょうか?

 

カルマは 独りだけのものではないのです。

あるカルマを 一族は共有し、 同族は共有し、人類は共有します。

そのカルマは 避けられるものではないのです。

一人一人担当分のカルマがありまして、

それは生まれてくる時にその試練を通して 魂を成長させる と約束してチャレンジしにこの世に生まれてきます。

もちろん そんな約束は記憶からは消されています。

これから死ぬまでに何が起きるか どんなテーマの学びをするかを 決めてきているらしいのですが、

決めたことなどは覚えていないので いつも我々現世の人間は驚かされます。

いえ、ショックを受けるのです。

 

踏まれて傷ついても、そこから立ち上がり また真っ直ぐに

行くべき方向を目指して延びてゆく植物のように 

私たちの生命は輝こうとします。

 

ショックを受けた意識は 一時フリーズしてしまうかもしれません。

でも、そこから 新たに新しい芽を出すように

新しい生き方と新しい意識が芽生えて 新しい人生の始まりのチャンスがやって来るのです。

上を向いてください。

前を見据えてください。

いま、ここにしっかりと立っています。

立ち上がる足がなかったとしても、いま、確かにここに存在して命の灯が輝き続けているのです。

あなたの命が存在することに価値があるのです。

 

目覚めた意識は全てを包み込む懐の深さを持ちます。

魂の成長です。

雪原の樹

 

 

 

あなたの才能

あなたには どんな才能がありますか?

あなたは どんなことが好きですか?

 

もし、あなたがそれを好きなら それは才能です。

もし、あなたが それをいとも簡単にやってのけることができたら、それは才能です。

もし、あなたが それをうまくできなくても もっとやりたいと思ったら それは才能です。

もしあなたが それをしている時に楽しかったら、それは才能です。

 

自分の才能は 容易くできたりするので、ある人は できることよりもできないことを克服することに夢中になることもあります。

 

足らないことを埋めることが 人から認められることと思っていると、そちらを先にやりたくなるのです。

 

でも、実際は、できることを磨き、より高度なレベルに才能を磨くと、それを人が評価します。

 

できないことを責める文化はつまらない。

それは攻める側の人が責められることを恐れているに過ぎないのです。

人にはみな長所と短所があり、人は得意なことを人のためにも活かして

支え合うのが人間の本来の関係なのです。

集団で生きる生き物ですから。 孤立すると苦しくなります。

批判されることを恐れているかもしれません。

でも、実際は批判する人は 一番恐れているのです。

自分を護りたいがために 他人を批判します。

一皮剥けば、小さな赤子が泣いているのが見えます。

「私は間違ってないでしょ?」と叫んでいます

強さや正義を鎧にすることで 守っているつもりが、その鎧が(排他的に)自分自身を閉ざし、孤独へと追い込んでしまいます。

 

『怖れ』というカルマのなせる業です。

 

あなたはあなたらしく、生きてよいのです。

苦手なことを恥じることはありません。

できる人を賞賛し感謝してお任せしましょう。

あなたはあなたの得意分野で貢献します。

 

あなたが活きる場所で生きてください。

 

最初は ヨチヨチ歩きでも、次第に人より上手になります。

仕事にすれば どんな好きな事でも 辛いことも生じます。

逃げずに取り組むことも必要ですよ。

好きな事なら耐えられるのです。

あなたの人生のすべての出来事は あなたを育てています。

自信を持って あるがままを生きてください。

あなたはあなたでよいのです。 個性を光らせてください。

 

家事でも 歌うことでも 地味な作業でも 力仕事でも 本を読むことでも パソコンにずっと向かってることでも 旅をすることでも ありとあらゆる職業があります。

昨日見たTV番組で プロゲーマー (コンピューターゲームを試し続ける人、あるいはゲームコンテストで賞金稼ぎをする人)が 出ておられて、自分の職業に罪悪感がある とおっしゃっていたのがすごく切ない気持ちがしました。親御さんが真面目過ぎて ご本人も真面目なので、それを職業と認められないようなのです。

生活はできているのに、将来性とか保障が何もない と。

そんなの商売人や個人事業主はみんなそうです。

企業務めでもいつリストラが起きるかわかりません。

生きる道はまっすぐじゃなくてもいいじゃないですか。人生は旅のようなものです。

 

そして、変人が必ずしも人に迷惑をかけるわけではありません。

個性は誇りにしてください。

譲り合い、認め合いましょう。個性を尊重して協力しあえば

愛ある素敵な世界になります。

あなたのの能力や働きを人が喜ぶことにも使いはじめると

あなたの世界はすばらしく豊かになります。sun

 

自分の才能を大事に 愛してください。

あなたが喜ぶことで世界は喜ぶのですshine

自分や現実から逃げる必要なんてないのです。

一生懸命生きるのみ です

あなたらしく。あなたの花を咲かせましょう。

サボテンの花

 

 

幸せである理由

かつての私は 自分が幸せではないと感じていた頃がありました。

辛いことがあると 誰しも その時は幸せなんてなかなか思えません。

 

それで そこから流れを幸せに転換するためにはどうしたらいいか 

みなさまはご存じでしょうか?

 

まずは辛いと感じている今を否定する必要はありません。

辛いものは辛いのです。

辛いよぉ~ と泣いてもいいし、

なんじゃこりゃ~!! と怒りが湧いてきてもいいのです。

そんな自分はとても自然な在りようなのです。

そう、それが人間の感性です。

喜怒哀楽を発揮して 感情のエネルギーを放出するのが 生きている ということです。

 

問題はここからです。

その感情 喜びだったら当然まき散らしてもほとんど問題がありません。

むしろ、その喜びの波動は、新たな喜びを呼んでくることでしょう。どんどん、大いに喜んでください。

 

今の感情が辛い、苦しい、悲しい、怒る、といったネガティブなものの場合、

愚痴放題とか 八つ当たりや 泣き言、など 周囲を巻き込んでしまうと 好ましくないものの引き寄せにつながってしまいます。自分の発する波動のものが集まってしまうのです。

ですから、ネガティブなものが出ている場合はできるだけ 静かに自分だけでそれを処理していきます。

 

私の場合、そう言う感情が出てきた時には しばらく一人で味わっています。

味わうことで感情は外に出てくれるのです。または瞑想です。

瞑想時はネガティブ感情のエネルギーは外に出て行きます。 つまって溢れていたネガティブは出て行って、内側が空(からっぽ)になり静まります。

これができる時はこれだけでOKです。

それをしてもおさまりがつかない場合、もうしばらくその感情と向き合います。

この時についうっかり 気持ちを人に話してしまうこともあります。

大概は、そういうことを上手に取り扱える信頼がおける友人であることが多いですが、そこまで人を選べるようになるまでには少々時間がかかりました。

当事者に感情をぶつけると、大概はカルマのエネルギーとして同じものが返ってきます。

反発 です。 攻撃、防御、逆襲 という流れです。そして軋轢 と 敵対が生じます。

これがカルマの関係です。

 

ですから、自分の中に反応するカルマを感じたら それと向き合います。

私はなぜ 怒っているのだろう?

この感情はどこから来ているのか?

 

表面では だって相手が悪い と私の自我は思っています。

することがひどいから とか 失礼だから とか そのやり方はないでしょ とか あんまりだ とか思っていたりします。

果たして 本当にそうなのでしょうか?

自我は 自分を正当化したいので、自分が正しい理由と、相手が間違っている理由を一生懸命探します。 そう、本当にただの正当化 なのです。

自我がつかむ正義 とは そういうものです。

 

実際は なんらかの行き違いや 認識違い、あるいは軽い過失 などが起きています。

それは まだ完成されていない形や手段、途上の未完成状態です。

完璧であるはずがないのです。

改善、進歩する箇所を見つけたら 向上できる、更に摩擦を取り除いて、滑らかな流れに促せばよいのです。

改善点が見つかって よかったね。heart01shine  これが喜びと幸せです。

改善点は相手は聞き入れてくれないこともあるかもしれません

でも、そういう相手との関係性をどうとらえるか 自分の認識を変えることができます。

上手に摩擦を回避する方法はいろいろあります。

 

意識を自我(エゴ)から 真実を見る(発見)へと変化させるにはテクニックが要ります。

自我をなだめなければいけないのです。

自我の声を無視して 黙らせていると 自我は更に怒ります despair pout bomb

怒りのエネルギーは先に抜いてしまいましょう。

 

誰も悪者はいません。 悪意がある割合は少ないのです。

ただ、本当に悪意があって、意図的に人を落ち込ませようというものを感じた場合は 立ち上がってください。

ここで被害者になると、相手は図にのってしまいます。

落ち込ませたい時、落ち込んだら作戦成功なわけで その手は有効になるのです。

期待はずれな結果を見せてやりましょう。 そんなことで屈するとでも思ってるの?

これが私のプライド でもあります。 

私は我にも不幸にされません。

誰かを貶めたい人は 自分のちょっかいにひっかからない相手は面白くないので去っていきます。

 

ちょっと話題がずれました。(笑)

 

自分自身の負の感情のエネルギーはいろんな別の形で抜いてしまいます。(こういう時瞑想は便利です)

 

問題がある場合は その問題をどうすればみんなが幸せでいられるか を考えます。

目的は? どうすれば豊かになるか 

自分だけでなく、関係者みんなのWIN&WIN(共に勝つ)を意識します。

自分は被害者ではなく ただ関係者であり、みな同等に一生懸命なのです。

共に成長して 共に豊かになる

これが未来の人間関係です。

 

もうすでにそれを当たり前にしている人たちが 繁栄と豊かさを手にし始めています。

多くの人々がこのことを自覚し始めると社会全体は活性化して 豊かさが蔓延します。

 

親切にされると自分も人に親切にしたくなります。

その親切にされた人はまた別の人に親切にしたくなります。

 

以前放映された洋画で ペイフォワード という映画がありましたが、それがまさに豊かさのムーブメントなのです。

あなたは自分と周囲の人に無償の愛を持っていますか?

あなたが発する波動が あなた自身に戻ってきます

愛の波動が愛を呼びます。

素敵な波動でいてくださいね。shine 

ペイフォワード

 

不思議

この世界には不思議なことが色々ありまして、

ある人はそれを気のせいだと言い、ある人はそれを偶然だと言います。

が、 私にはそれらは とても偶然とは思えない何か自分以外の意図が働いてるように感じることがあります。

 

いつも概ね 物事の流れ というエネルギーの方向性があるようだ と思っておりまして、その流れの方向性をある種の意図 のように感じたりするのです

 

私の場合、自分のすべきことと しない方がいいことを 自分以外の何者かが流れを作ってさせたりさせなかったりすることがある と感じております。

 

例えば、よく起きるのは

送信しない方がいいメール というのがありまして、

ある種の感情を伴って勢い込んで書いたメール、とか

あるいはかなり苦心して時間をかけて書いたメール などが、

送信したはずなのに、どこに行ったか消滅してしまう とか、

出す直前に何らかのトラブルで 文章データが飛んでしまう とか 

わけわからないくらい遅延して届く とか、 

そういうことがかなりの頻度で起こります。

 

それで、会おうとしていた人に会えない ことや 

言いたいことが全く伝えられない とか 

計画が進められなくなったり など するのです。

 

これは、その方向に進むな というメッセージのようで 私はそのようにとらえます。

 

また逆のことも起こります。

なぜだかわからないけど、普段は言わないようなことを無性に言いたくて言いたくてたまらなくなり 言ってしまうことがあるのですが、

かつてはこの衝動のためにひどく苦労したりもしましたが、今のは過去のそれとはちょっと違っています。

感情は関係ないのです。怒りも焦りもなく、どこか冷めた自分が何で私はこんなことを言うのだろう?と どこか不思議に思っているのです

 

私にはきっと守護霊のような 私を見守っている意識があって 何やら物事を操作をしている という気がしてなりません。

本当のところは確かめる術はないのですが、そうとしか思えない 感じなのです

たぶん、そうなんだろうと決め込んでいます(笑)

 

それで、私は今日 と言いますか日付では昨日、苦心して書いた長めのブログを 消滅させてしまいました。coldsweats02

 

保存を押そうとした途端、アプリケーションが誤作動を起こしたようで、フリーズし、そのまま強制終了され、文章は復活しませんでした。

いや~もう同じものは書けないなぁ。crying

 

ということで、もう手放すことを自分に許しました。bearing

そんなこんな 不思議なことがあるのです。

消えた言い訳? というわけではないのですが

ないのですがっ・・・ coldsweats01

自分の中で もういいんだな ということにも 納得できる理由もあるのでした。

(そそっかしい ということではなく!(笑) それは知ってるけどcatface

 

ありがとうございます。 

この世は とても不思議なことがあるものです。

流れのままに

水の流れ

アセンション

今日はかなりスピリチュアル色の強いお話です。

覚悟してお読みください。(笑)smile

 

アセンションという言葉をご存じでしょうか

これは、地球が変化する時期 を意味するんですが、その内容は様々な説があります。

宇宙の中のエネルギーで違う層に入る という話もありますし、以前は天変地異が起きて世界が滅びるという話も出ていたように思います。

実際には未来のことは起きてみないとわからないものですが(笑)

現時点でだいぶ認識されていることは、

アセンションは意識の上で起きることのようで、

人々の認識が悟りに近く全体的にシフトアップすることが緩やかに起きてくる現象 ということで

そのきっかけとして三次元的な変化 天変地異とか大きな事件とかが起きるようです。

意識が目覚めるためには刺激が必要で、平和で安穏とした生活の中では何も動かす必要がないのできっかけが必要なのです。

この世界では何度も終末思想というのが出て来ては過ぎ去って来た という過去がありますが、

今のアセンションは それらとは少し違って、 終末思想(この世の終わりが来る・人類が滅びる) ではないんですね。

ただ、振り分け ということは起きるといわれていまして、この世界に害を為す存在は世界側の流れの抵抗、摩擦が大きいですので 淘汰される ということになるようです。

(断言できないのは まだ出来事が完了していないからです。すみません。)

現実、目の前に見える物質しか信じられない人々は、意識の世界を 妄想や迷信?などと笑う人もいるようですが、現代科学で証明されていないことは全て迷信でバカバカしい事 と断言もできないのです。今の在りかが以外の存在方法がある のかもしれませんし。

現代科学がどれだけ水準が高いものなのか?それさえも宇宙の水準からみれば蟻塚程度のものかもしれません。

人間が感じ取っているものは 幻想と微細な波動 二種類あると思いますので それらを見極めるには 自分自身の感性を磨かねばならないですね。

 

話がそれましたので戻します。

問題はその振り分け なのです。

高波動 と 低波動 のグループに分けられます。分けられるようです。

南無阿弥陀仏と唱えると極楽浄土に行けます と 同じことかもです。(笑)

 

今回は 南無阿弥陀仏はそちらに置いといて、(忘れてください)

アセンションの際には

善意(光)の世界に意識を置く人と、悪意あるいは煩悩(闇)の世界に意識を置く人と

振り分けられて運命を別に分けられる ようなのです。

 

私が思いますに、これらの2種類の人はすでに別の世界観を生きていますが、

これから更に両極化して グループ分けされて別の星にでもいくのでしょうか?coldsweats01

たぶんそれに近いほどの住み分けがなされるようなのです。

 

極楽浄土のようなところに住みたい場合は、今の心の中に詰まっているカルマをお掃除して

心を爽やかにし、幸福感を持って人に親切にする 物事を愛の視線で見る ということで成就します。

これは他人を裁く必要は全くもって必要ありません。

むしろ、それは逆に邪魔なエゴであるので 他人を裁くことはせず、ただ許します。

恨みも迷惑も 傷ついたことも 全部手放してしまえれば 合格なんですよ。

 

このお話を採用するもしないも あなたのお心次第です。

私も自分が心地よいことと確信を得たことだけ採用してきました。

そして自分なりに解釈理解しています。

カルマと呼ばれる 心のざわつきや抵抗が消えるほどに確信は見えてまいりました。

 

意識のお掃除は 嫌なことで心を引き裂いて無視してしまうのではなく、ただ 傷を癒していきます。

物を所有することで不安を埋めようとしないでください。

災害で所有物を奪われたとき あなたはどうするでしょうか?

奪われることのない 自分自身の心の平安と幸福の確信を手に入れてください。

何かがあなたを幸福にしてくれるのではありません。存在そのものの幸福感です。

幸福を作り出すのはあなた自身なのです。

心が流れを呼びます。不安ではなく幸福を呼び寄せる。

次に何が起きるかには左右されません。 物事は絶え間なく流れます。

流れは信頼するに値します。実に正直なのです。

あなたは意識の目覚めで 幸福を取り戻されることでしょう。

何が起きても失わない幸福を手にして 終わることのない魂の旅を楽しみましょう。

瞑想はそんなあなたをサポートします。

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何か起きた時は、起きた時に全力を尽くす。そんな私でありたい。

この命がある限り、生きることを輝かせる生き方 してみましょうよ。

肉体の最後の一秒まで輝くことは可能です。

それ以降も輝いています。

生きている という喜びと輝き 神秘です。

新緑

雪景色

何に気付くのか?

悟りは 自分の勘違いに気付くようなものだ という表現がよくなされます。

何の勘違い? ということが 最初はわかりません。

観念の勘違い なのですが、

 

自分が(自我が)当たり前だと思い込んでいたことが 思い込みであって 正解や正しさ ではなかった

ということに気付きます。

 

例えば、私が このままでいい ということ とか

世界が このままでOK とか

「あるがままでOK ってあれをどうしてあるがままにさせておけようか!」 という意識がエゴ だ ってこととか

私とあなたは同じ一つのものだった とか

本当は、良いも悪いもない とか

 

スピリチュアルと三次元のこの現実は 別の事ではない とか

こんな世界 と思ってたこの世界は 自分が作り出してた幻想 とか

もうわかっちゃってる皆様には今更 ですが(笑)

分かったと思っていたはずなのにわかってないことがある とか

 

素粒子から陽子中性子、原子、分子、物質、物、構造物、大地、惑星、恒星、銀河

 

一つの点から 線になり

線から面になり

面から立体になり

立体に時間軸がつき、

ストーリーに周波数の軸がつき、

それから、言葉にならない重なり、、

それは無数の今と世界 点の集積

 

それらは一つの塊のようなもの

 

私たちはその塊の表面の一つの点の中の微粒子にしか過ぎない

何にとらわれて生きようというのか。。。

 

意識を拡大させて 広大な空(くう)を体感してみてください。

意識の中の垢のようなカルマは 流れて消えて行くでしょう。

銀河

カルマの摩擦が消えると 気付きと共に真我が現れます。

宇宙を語るには数行の言葉では足りそうにありません。

イメージを言葉に変えるのもなかなかテクニックが要りそうです。

 

みなさまに体感していただきたいです。

宇宙が拡がる実感 楽しまれてくださいませ。

Let it go



ありのままでいることを 禁じてしまったのは、いつからだったんだろう?


人は無意識のうちに方向性を見失ってしまいます。


物心ついて、周囲の状況と自分の位置を測り始めた頃からか、


自分を理想形に修正しようとしましたか?


または、愛する誰かに愛されたいために、


または、保護してくれる人を怒らせないために。


誰かを傷付けないために。


私たちは、私たちありのままであることを封じたのかもしれません


ありのままで 愛されないと思い込んだ意識は 愛されるものになろうといろんなものを身に付けようとします。
鎧のようなその何かを。
愛されるために美しい何かになろうとするのです。

また、更に、その反対側の要素を否定してしまいます。

よろしくないものは存在してはならない と思い込んでしまい
徹底的に世界から 忌まわしいものを払拭しようとしてしまいます。


陰と陽、光と影、天使と悪魔、煩悩と仏性

これらは どれもこの世界にある昼と夜のように 切り離してはありえない一つのものです。

ただ、あなたは 昼と夜のどちらに活動したいのでしょうか?

それは夜が存在しない ということではありません。

ただ昼に活動することを好む者 として光の中に生きるのです。

 

闇の中では ただ 静か内側に居ましょう。

 

私は 芸術活動は夜中にすることが多いです(笑)

とっても集中できるからです。

人々の念も寝静まる頃 夜は深々と静寂に入ります。

 

一つの世界の昼と夜

どちらも愛しています。

美しい地球 母なる大地に抱かれて

地球

 

 

 

 

 

調和と抵抗

大自然とか 宇宙には 自然の法則 というものがありまして

地球に万有引力 というものがあって、水は高い場所から低い場所へと流れ、均一の水面を保つ という法則や

気体の圧力は分散し均一化しようとする とか

食物連鎖が生態系のバランスをとっていて、特定の種の生き物が増えすぎると バランスが崩れ、結局は増えすぎた種も淘汰されてある一定の範囲の数を保ちます

自然の生き物というのは 通常はそのDNAに組み込まれた生き方をして存続していくのですが、

人類のみが独自の性質を持たされています。自我です。

この自我は自然の流れではないものを試そうとしたり試したくなるようなプログラムなのです。

新たなものを探し出す能力があたえられているのです。

これによって文明が発生し、科学技術が進化し 高度なシステムを生み出してあらゆる可能性にチャレンジできるよう能力を持たされています。

この進化の過程で 自然の流れと共に調和を保てば何の問題もなく自然と共存できるのですが、この自我は全体を見渡すことが苦手なのか 調和というものを無視して独自の構想を展開してしまいます。

これが自然にとって無理な圧力をかけることになってしまったり、自然との軋轢を生じますと 最終的には圧倒的に自然のエネルギーの方が大きく無尽蔵なので負けてしまいます。

これが自然災害です。(時に人災と言われることもありますが)

 

自我は無理なことがやってみたい。

そして 無力さを痛感するのです。

痛い目に遭わないと なかなか懲りないようで

そのために犠牲は払われます。身を持って痛みと共に学ぶようです。

 

ですが、できるだけ犠牲は少ない方がいいのです。

早めに気付くほど犠牲は少なく済みます。

どうか、自然と調和することを前提に人類の繁栄を考えて頂きたいのです。

伐採しすぎた森林は再生させてください。

 

増えすぎは飢餓を生み、あらゆる食物を食べつくしてしまう

食物連鎖の崩壊が起きてしまいます。

人類のために何かを絶滅させるべきではありません。

 

ただ、なんでもコントロールできると思い込まないことです。

流れは無尽蔵のエネルギーを持っています。

侮ってはなりません。

地球のエネルギーと調和を。

思い通りでないものとも 調和してください。

調和こそ 平和であり 幸福 なのです。欲張らない生き方を。

苦労も分かち合えば幸福へと昇華します。

水色の木