宇宙の法則

お寺

若い方々も集印張を持って寺社巡りをすることが趣味 という方が増えてきたそうで

雑誌などに神社情報の特集が組まれているのもよく見ます。

神社は神道、お寺は仏教 という宗教の違いがあり、

お寺と神社は目的やエネルギーがちょっと違います。

今日はお寺について ちょっとお話してみます。

 

お釈迦様が説かれた仏教の教えの大きな目的は、真理(この世界の本当の在りよう、法則)に目覚め、悟りを開くことが目的なのですが、

お寺は その教えを教え聞かせることと同時に 従事する僧侶や 祀られている仏様の修行の場でもありますので、菩薩業 といって、悩み苦しむ人々を苦しみから救う という修行が行われています。 そのために苦しみから救ってください とお寺を訪れる人々も多いのです。

本来は苦しみというのは心の持ちようで手放すことができる というのが仏教的思想ですので、仏教の 苦しみから救う というのは物質的に救うのではなくて 心から苦しみを取り除く教えを得る場所 ということになりますが、 実際には 物質的願いを叶えます とうたわれているお寺も多く これは 難しい話が分からない人々も祈ることで安心を得る = 救われる ということなのでしょう。 

 

実際は、安心した心の波動が 良い流れを導きますので、これはけっこう理にかなっていることでもあります。

つまり 憂いを手放す場所 が お寺であるとも言えましょう。

ですから、我欲を満たしたい と願うことや 他人を呪ったりするような願いは聞き届けられないばかりか、因果応報によって 自分自身がその念を受けることになりますので

お気をつけください。

自分や人が救われることを願い、試練を乗り越える強さをください とお祈り下さい。

 

もし、あなたが与えられた試練を乗り越えることが出来ましたら

仏さまも喜び、そういうあなたに喜びのご褒美が与えられることでしょう。

 

宗教は日々を清々しく生きるための教えです。

もし、あなたが宗教に煩わされたり裁かれたりすると感じましたら

それは真の宗教とはちょっと違うものかもしれません。

神仏は 人を裁きはしません。

人は自ら放った自分の毒を受け苦しむのです。

この世の苦しみは身に覚えがないかもしれません。

ですが、 過去、前世の償いであるかもしれませんし、根性で魂を磨く学びだと理解すれば、何も恨むことはないのです。

この因果応報の法則から 今あなたがすることがあなたの未来をつくりますので、

沢山の人へ温かいお気持ちをお配りください。

そういうあなたは、きっと沢山の人から愛されることになるでしょう。

高野山根本大塔

幸せのありか

人は皆誰しも幸福を願います。

幸せになりますように。 これからも幸せでありますように。

自我の意識は、自分が幸せになることに余念がありません。

あなたの幸せとは どんなものでしょうか?

 

心地よい状態が 幸せだとしたら、

その心地よい状態が続いてしばらくしますと、何か物足りない感じがしてきます。

それで、また満足する状態を探し始めるのです。

 

自我は何が足りないのだろう? と一生懸命 自分を幸せにしてくれるものを探します。

何かを得て幸せを手に入れようと必死で探し回りますが、実際にそれを実現しても、とことん突き詰めても永遠の満足 というものが見つからないことに気付き始めます。

物を得た満足は持続性がないのです。

欠乏があって それを充足させた時に満足があるので、そもそも欠乏がなければ満たされる ということが起きないのですが。

 

何かを得る それがゴールでないことに気付き始めます。

はて、幸せとはどこにあるのだろうか?

スタート地点に戻ります。

 

ある人がこう言いました

「あなたはそう言うけど、それは得た人の傲慢な見解だ。私は得てみたいだけなのだからそれを止める権利はあなたにはない」

当然のことです。体験型の人はやってみなければ納得しません。

誰もそれは止めません。

やってみればわかることなのです。

なにせ、私もそういうタイプの人間だからよくわかります。

 

でも、もし カルマの衝動が薄い人であったなら 遠回りの体験をしたいと思う衝動は起きないでしょう。

やらなければ気が済まない という衝動は その人の持つ宿命でもあるのです。

もし、心が静かであれば、 ユニバース(世界)からのメッセージはすんなり体に入って感じられることでしょう。

カルマのノイズ(雑音)はそれらのメッセージをかき消してしまいます。

カルマは外に追い出されて 心がクリアにあってゆきます。

心が動揺する時、理性を持って観察してください。

私たちからカルマが出ていく瞬間を見届けて それと永遠にサヨナラするのです。

困った体験ではありません。

カルマが昇華された証です。

 

事が終わり、事態も心も静かになるのです。

あなたは 目を瞑り終わらせることも可能です

 

あなたの心が静まれば、その波動に呼応して 世界が穏やかに変化してゆきます。

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ユニバースの意図

悟り というものを理解する という体験は

自分自身のネガティブな幻想(カルマ)から解放されることですので、

見ていた世界からネガティブなエッセンスが抜けて クリアな現実を見ることができます。

 

ただ、このカルマは とても頑固に脳裏にくっついているので 剥がすのがなかなか難しいのです。

それが何かを くっついたままの目で見ているので、目の内側にそれがくっついていることになかなか気づきにくいのです。

 

外側の私たちを包んでいる世界(ユニバース)は、そのカルマを剥がすために揺さぶりをかけてきます。

わざと というよりは引っ掛かりがあるので引っかかっているだけなのですが。

 

具体的に言うと、危機感を感じる事件や状況、これまでの観念が崩壊するような大きな災害など。

平和では 頑固な自我やカルマは動かないですが、上手に引っかかるようになっているのでカルマは揺さぶられます。

この時の世界は明王のように、憤怒の表情で カルマやエゴの横暴と増長を押し流しします。

平和の持続はその平和に対する感謝が伴わないと維持が難しいのです。

当たり前なことは 価値がないのではなく 価値を感じにくくなるということです。

本当に大事なものが何か を 世界は教えてきます。

私たちにとって 本当に大事なのは、一人一人の中の愛を目覚めさせることではないのでしょうか?

自分の愛が目覚めていない人は外に愛を欲しがります。

 

自分が愛する ということに気付いた人は幸いです。

その愛はだけにも奪われることがないからです。

 

自分から出てくる愛は自分自身をも愛せますし、他者を愛することもできます。

その愛が大きいほど外側に拡がります。

 

あなたの中に 新しい視点ができた時、 それは目覚めです。

新しい視点で生きることをしてみませんか?

瞑想がより早く あなたに目覚めをもたらします。

アトリエ霽月では 瞑想の原理をご指導し、上質な瞑想生活をサポートいたします。

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エネルギー的歪みの治し方

温暖化や大気汚染、森林伐採、地下核実験など、地球環境の悪化の問題はがクローズアップされて久しいですね

地球は 人間の加える圧力に耐えうる限界に来ているということを 少しづつメッセージを寄越していることにお気づきでしょうか。

異常気象や天変地異は歪みを修正しようとする地球の体動です。

地球の内部も、地球を包む大気も 地球そのものなのです。

内圧が生じれば爆発が起き、ずれが生じれば修正されます。

地球そのものは自浄作用を持っていますので、放置していればもとに戻ろうとします。

でも、人間がその元に戻ろうとする力を越えた圧力を加え続けると、バランスは破綻してしまうのです。

ダムの決壊のように。

地球のメッセージを感じ取る人々もいますが、多くの人間のエゴたちはそのメッセージを無視してしまいます。

 

エゴが望むものを邪魔するものとして排除したがるのです。

エゴは 表面しか見ていないのいで やがて訪れる歪みの破綻は まったく考えていないのです。

これは地球に対してだけのことではなく、人間関係でも同じ構造です。

自分が出すエネルギーが他を圧迫すれば反発が返ってきます

 

歪みを戻すのはどういうことなのか? と言いますと、

これまでやってきた罪の償いをする とか 誰かが犠牲になる ということではありません。

周囲と調和し、奪い合うことをやめ、与え合う関係へと変えていくだけのことなのです。

それは他人を変えようとしてもかわりません。自分自身が変わることによってしか変化できないのです。

人間同士もそうですし、自然もそうなのです。

 

 

自分自身は この意識において世界の中心にあり、世界へいかなる波動を与えているのでしょうか?

世界に向けるエネルギーは世界に反映し あなたにその姿を見せます。

これが鏡の法則と言われるものです。

 

穏やかに存在し、愛を向けてください。

それを邪魔するのが体の中に残るカルマのエネルギーです。

瞑想でカルマを昇華させます。

建設的な使い方で カルマのエネルギーを消費してしまいます。

あなたも周囲も豊かに調和するのです。

その手段をお教えしています。

あなたの心の鏡を磨く方法です。

河

核心のありか

今回はスピリチュアルに関心を持ち始めた方向けに書かせていただきます。

熟知されていらっしゃる皆様は周知の内容です。

 

自我というものは外側の現象界でどう対処するかを選んだり判断したりする機能ですので 多くは外側に注意を向けています。

障害を乗り越えたり、回避したり、対処したりする能力です。それはついつい問題を外側にに意識が向かいます。

自分から外を見ていると、つい自分の内側に目が向きません。

そこから離れるのが内観法 という手段で、これは自分自身をただ見つめ続ける作業を長時間(何日間か)続けます。深く深く自己を見つめる作業です

瞑想を続けていらっしゃる方は、神意識という 物事を自分も含めて客観的に俯瞰できる視点が身について参りますので、神意識の視点からの観察だと、問題が内側にもある時、すぐに見つけることができます。

 

これまでの自我からの見方はついつい原因を外に探そうとするので 一番根本である自分自身が発する波動に意識がいきません。

そもそも、そこに何らかの原因がある ということにすら気が付かないでいたのです。

でも、それは しかたがないことでもありました。

なぜなら 私たちの周りにそのことを教えてくれる先輩がほとんどいなかったのです。

もし、このことに気付いていて 良く知っている魂の成熟した人物がいたとしたら、

皆の見本となって 幸福な人生の作り方を示してくれたことでしょう。

今でも自然と調和して生きる人々にその精神は受け継がれていたりします。

ネイティブアメリカンのシルバーバーチの教え とか ハワイのホオポノポノ とか インドのヴェーダ

そして釈迦が教える仏教です。

(仏教は広い世界を渡るうちに伝言ゲームのように変質している部分もあります)

 

人類は自我のパワーに押され切って 自ら世界に歪みを作り、その歪みに苦しむことになるのです。それがカルマです。

自我は思い通りにすることへ走りすぎ、世界に限界がある ということを忘れてしまいます。

本当に目先の表面の事しか見えていない状態です。それに気づき危惧し、警鐘を鳴らす人々もいますが、ひどいことになるまで自我は高を括っているのです。

これを 無知、無明 と言います。

身を持って懲りる というのも大切な人生の学び ではあるものの、 早めに懲りておきたいものです。

 

なかなかあきらめが悪かった私自身が言うのもなんではございますが、(少なからずの申し訳なさを感じつつ)

だけど、この世界に ただ一つの特例もなく、ただ一律に自然の法則が働いております。

 

自我は証明されないことは信じないなどと言いますが、地球上の稚拙な文明水準で宇宙のいかなる現象を証明しきったと思っているのか と思います。自我は未知のものを嫌い、自我が納得できることにしがみつきます。

この宇宙が広大であることを思えば この小さな自我が知りうることが塵ほどに小さいということに気付きます。

瞑想で空に入る ということは 意識が肉体を越えて全体と一致してくる という意識の拡大を体験します。

ここにきて始めて 意識と宇宙が同調するのです。

その体験を知っている意識と知らない意識では理解の領域が天と地ほどの差が出るのです。

自我の壁を越えて 理解を拡げることは難しいことではありません。

ただ、自我の抵抗を緩め、穏やかに安らかに自我を癒すことが必要なのです。

怖れた自我に愛を。

静かに瞑想しませんか?

夢 蓮華

 

カルマを投げると自分に返る

ELM瞑想は、現在急速に起こっている地球の集合意識の変容に対応するために、フルフィルメント瞑想をアップグレードさせたものです。

現在多くの人たちが、肉体的な問題、生活状況の急激な変化などの多くの試練を経験し、不安の中で生きています。

世界の状況を見回すと、様々な混乱、自然災害、社会の闇の表面化、古い価値観の崩壊が起こっていますが、そういったすべての事柄が、世界がより良いものへと変容し、地球が本来持っている自然のバランスを取り戻すために起こっています。

教育、ビジネス、政府を含む私たちの惑星の全てのシステムは、エゴやマインドによるコントロールから量子的意識に適応する必要があります。

ELM瞑想は、私たちが未来に対して選択を下す方法を変化させて、私たちのハートの内側の宇宙の量子的意識を、愛と慈悲、叡智の高次の次元へと開く助けをしてくれます。

私たちがその変容の大きな波にスムーズに適応していくために、ELM瞑想は最善のツールとなるものです。

私たちの心や体には、長年にわたって蓄積されたストレスや未消化の感情があり、それによって、身体的またはメンタル的な障害を引き起こします。

また私たちは、思い込みや固定観念によって、常に独自のフィルターを通して現実を認識してしまい、人生の可能性を制限してしまっています。

マントラと呼ばれるエネルギーのバイブレーションに身をゆだねて座っているだけで、心や体に長年蓄積されていた摩擦や抵抗、過去の感情や観念が自動的に解放されていきます。

瞑想中の体験には、個人差があります。純粋な静寂などの体験をすることもありますが、不快さや雑念のみを経験することもあります。

しかし、瞑想中の体験に関わらず、常に基礎代謝が16~20%減少し、肉体的にも深い休息をもたらし、肉体と心のバランスを自動的に整えていきます。

この瞑想で活用していくマントラ(愛のフォース)は、この宇宙の源である空・くう(量子場)が振動して電気的なエネルギーを帯びたものです。

このエネルギーを活用することによって、私たちの存在を構成する様々な層である物理的肉体(先祖から伝わるDNAの記憶)、感情体(古い感情の層)、メンタル体(価値観や信念)、記憶体(魂が持つ様々な記憶)に蓄積されたネガティブなバイブレーションを解放していき、新しい現実の周波数へと調律してくれます。

宇宙全体が持つ流れと共鳴することによって、個人的に満たされた人生が実現していきます。
その結果、よりシンプルにより自然体で日常を楽しんでいくことができるようになります!

ELM瞑想を実践してその変化を実感されてください。

何が変わるか あなたの目で確かめていただきたいのです。

 

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癒し 愛

幸福感は 何をもって得られるのでしょうか?

自我は何か足らないものを探します。

満たされる感じがしないからです。

その時 心のなかにある欠乏感は かつて感じた経験の中の寂しさや孤独感 失望感の残像を見ています。

そう、それらの残像は 現在あるものではなく、心の中にある幻のようなイメージ

自我はそれらと共に生きています。これがカルマです。

カルマとなった残像の感情は 通常では似たような体験によって残りが浮上し感じきることで終了していきます。

繰り返す体験は 感情を感じきると終了します。

ですが、自我はこれを感じることが嫌なので抵抗してしまい、終了を先延ばしにしてしまうのです。

味わいきったら感情は終わります。

 

心残りな事 諦めきれないこと どうしてもこだわってしまうこと

そういう時は中途半端な諦め方しないで とことん体当たりするのも解決策の一つです。

心残りのないようにやりきってください。

そうすれば 自然に手放すことができるのです。

泣いたり ジタバタしてみる体験も 気が済むならそれでよいのです。

そのことで何を作り出したか 自覚できれば尚良いのです。

 

泣きたい時は泣き、腹立つときは 独りでその腹立ちを味わう。

腹立つ自分を許します。 (暴れていいのとは違います。感情があることを許すのです)

感情に向き合って 見つめます。終わりが来るまで、またはウンザリするまで。

「神様、私はもうこの感情は要りません」とつぶやいてください。

そうやって 日常的にも カルマを終わらせていきます。

 

そうすることのメリット?

カルマが消えると 本来の私たちの意識が 現れて 真実が見えるようになるのです。

 

愛と癒しが そこにあります。

心が静まり、今にくつろげるようになります。

愛の光

 

 

 

瞑想と世界観の変化

何のために瞑想をするか という動機は人様々でしょうが、

瞑想の目的に 啓発 = enlightment = 悟る ということがあります   

啓発は ただ頭で理解するだけの事ではありません。

悟り体験は ある体感を伴った体験なのです。

この世界の意図 や 構造 流れていく方向性 何を目的としているか

そのようなもののことを知り、感じ、共感する体験です。

その瞬間が、コンピューターのデータのダウンロード と似ている と言われます。

 

元々 この世界を構築していたものの在り方を認識します。

言葉で聞いてもピンと来なかったことが 腑に落ちる のです。

 

ああ、そうか、そういうことだったんだ  という得心。

 

これまで自我の思考の部分で考えていたことが カルマの解放が進み、カルマが絡まないでみえるようになると、 真実だけが見えるようになる。

 

そこに怒りや批判が存在しません。

 

ただ、冷静に事象の観察だけをするようになるのです。

 

心に持っていた傷や痛みは癒され、真我の持つ愛と生命力が活性化して輝き始めます。

命の中にくつろぎ、生きていることを喜び謳歌するスタンスへ変わっていきます。

 

そのために 私たちがため込んでいる 真我の輝きを覆い隠すカルマのエネルギーを速やかにお掃除してしまいたいのです。

本来、自然は浄化力を持っていますが、

瞑想は自分の内側に自然のエネルギーを起こして 内面の浄化をしていきます。

水藻

魂の洗濯です。

瞑想と世界観

悟り は 自我の意識を越えた意識です

 

自我は一つの肉体が持つキャラクターにすぎません。

自分、 氏名〇〇△△ という名前の付いた人間が持つ個性で

それを観察する意識は 誰でもない意識 超自我 です。

そこが神意識 と近いもので

世界の構造を 知った という体験の自覚があって 神意識 となります

その意識が観察する 自我のキャラクターは 個性と限界を持っています。

 

そして 個 の保全のために生命活動を行って

脳でイメージをめぐらしながら それぞれの世界観を持って生きています。

それぞれの世界観のイメージは 様々です。

 

ある個体は 忠義という正義の下に滅私奉公することが美徳で 礼節と忍耐のために生命エネルギーをつぎ込みました。そこに疑問を持つ余地はありませんでした。

ある個体は 生き伸びるためにあらゆる手段を使い、自分と 自分に属するもののみの生存に命を懸けます。そのための殺戮に罪の意識はありませんでした。

ある個体は経済と財産が至上のもので それ以外のものに興味がありません。

ある個体はビジネスというゲームに夢中です。

ある個体は 発展とさらなる繁栄 しか見ていません。

 

この広大な宇宙の悠久の時間の中で 地球という惑星の 限られたエリアで 特定のコミュニティでのポジション取りに夢中な 小さな生命体

これが人間です。

 

瞑想は 現実という限られた世界観の観念から 離れる行程です。

意識は肉体という殻に閉じ込められるイメージから離れ、 拡散します。

エネルギーの解放が起こります。

青い光

命 と 意識

命 というものは 私たちの意識を越えたところにあります。

私たち人間は 人生を意のままに操りたいと思ってしまいがちですが、

その意識と 実際の命は別のところにあるようです。

 

命は 生命体を生きています。 DNAのプログラムによって生かされています。

肉体は命のままを生きようとします。

 

自分の身体や心が思い通りにいかない というご経験をみなさんはお持ちでしょうか

 

きちんとやりたいのに できていなくて 悔しい とか

朝 起きたいのに起きれない とか

もっと頑張りたいのに 動けない とか

痩せたいのに食べてしまう とか

おおらかでいたいのに心配してしまう とか

人前で堂々としていたいのに上がってしまう とか

書き出すとキリがありませんが(笑)

 

人間の持っている自我 という心の仕組みは 物事をコントロールしたい という欲求があります。

コントロールする指針は 願望が原動のこともありますが、ただの願望を越えた理想に従っていることもあります。

理想と生体反応が食い違っている場合に葛藤が起きるんですが、

 

理想に従う力が勝てば 肉体にとってのストレスが生じますし

肉体の欲求が勝てば理想を追いたい自我の意識がストレスを感じ肉体にダメージを与えます。

 

抵抗が強ければ強いほど大きな軋轢(摩擦)が生じます

 

自然に逆らう意識を自我の意識 と呼びます

 

しがみつく手(意識)を緩めて 自然に委ねてみる 

瞑想者は そんな方法を取ります。

自然の流れに委ねる。

自然の力 自然の流れ、これを 『ダルマ』 と呼びますが、

ダルマは 人間が想像する以上に大きな力を持っているからです。

 

『あるがまま』 という言葉は これを意味しています。

冬の空