宇宙の法則

カルマの解放に気付く時

先週末は暑かったですが、今日は28℃で幾分過ごしやすい福岡です。

アトリエ霽月のサロンは風が吹き抜けますので それはそれは 気持ちがよいのです。

都会でありながらも 南公園のそばで 緑の多いエリアです。clover

 

さて、

引き続き、カルマの解放についての話題です。

ネガティブな感情の解放のことです。

 

怒りの感情は カルマの解放である ということをお伝えしておりますが、

この怒りの感情、 冷静に見ている時は 「そうなんだ~」 と思えますが、

自分自身に起きている時は、客観性がなかなか持てません。

 

だって、どう考えたって あの人がひどい!!ように見えるからです。bearing

 

あんなこと許していいのか!? という気分です。annoy

ダメにきまってるじゃないですか!! という気分です。punch

 

ムカムカしてます。 だって あの人がひどいから! 当然じゃないですか!  という気分です。pout

いや、気分の問題じゃなくて 本当に ひどいことじゃないですか! 意味がわかりません! と言いたくなるでしょうthunder

 

その怒り、 カルマの解放です。typhoon

 

理由はともあれ、 『怒り』  カルマの解放です。

エネルギーが歪められた摩擦が そこにあります。

それは、外側にあるのでなく、 自分の内側に生じた摩擦 ストレスです。

まず摩擦のエネルギーを抜きましょう。 

 

瞑想はネガティブエネルギーを抜いてくれるのにとても役立ちます。

 

 

なぜ こんなことをするかといいますと、

 

shine  内側の波動shineを 整える shine ことによって、 

clover 現象が変わる   からです

 

自分が落ち着いた時、 相手も落ち着いています。

自分が攻撃的なエネルギーを持っていると、相手も戦闘態勢で来ます。

また、意識的にでなくても、こちらが更に苛立つ事をしてくる流れになるのです。

 

表面的な態度そのものよりも、内面的なフィーリング、深層心理、

持っている波動そのものが影響力を持っています。

どう感じているか 自分自身に注意を向けてください。flair

 

心の中の 『矢』 『剣』 を手放していきます。

それは 身を護るものではなく、自分自身を傷つける武器だからです。

矢はブーメランのように戻って刺さり、剣は両刃で自らを傷つけます。

自分の持っている棘(トゲ)そのものを消していくのが カルマの解放です。

 

それらカルマのありかを気づかせてくれる出来事は ユニバースが与えてくれる学びの出来事です。present

すべての出来事が必要があって起きています。

自分の内面をお掃除すると、煩わせるものが溶けて消えていきます。

 

sun 手放して 軽やかにshine 爽やかな happy01 笑顔になりましょう shine

 

 

 

 

 

自我について④ 自我の癖

さて、自我についてお話を進めています。 

ちょっと日が開きましたが続きを書いてみます。

 

自我のマインドは自分自身を安全に永らえるため、体に備わった保安システムで

とても熱心に仕事をし続けます。

しかし、この自我の目線で見えるのは、 守るものは自分自身 外界は警戒すべき敵 なのです。

 

これを全体との分離 と言います。

この分離が分離でなくなった時、ワンネス体験をします。

世界は切っても切れない1つで、その一部としてずっと全体と一緒に生きてきた と実感するワンネス体験ですがこれは言葉で説明しても伝わりにくいばかりか 固定したイメージを植え付けてしまうと邪魔にもなるので 話過ぎるのはやめておきましょう。(^_^;)

 

できれば皆様には 瞑想を続けていただいて ぜひともワンネス体験をご経験していただきたいのです。

 

ワンネス体験は 自分という個と 全体の意識がつながった時に起きますが、

それを邪魔しているものが思考です。

ものを考えずにただ観察することができれば、それはうんと近くなります。

 

自我はとても視野が狭いのですが、自分の視野の中だけで理論を完結させてしまおうとします。

大きなものは 小さな入れ物には収まりません。

 

大きな意識は我関せずな感じで スルー なんでしょうね(笑

個として理解するよりも 意識を拡大して全体を理解すると 

そこに調和と安らぎが生じます。

 

瞑想は意識を拡大させる作業です。

内側のお掃除が進むにつれて そこには全体の意識につながる意識だけが残ります

それをマインドが理解する

啓発(悟り)です。

 

フルフィルメント瞑想は いち早く内面のお掃除を進める手法だと確信します。

 

 

蓮

 

 

 

天候

梅雨明けのサムネイル画像

九州地方も梅雨明けしたもようです。

 

お天気は自然現象。 晴れたり 曇ったり 台風が来たり

 

エネルギーバランスで起きます。

高気圧を低気圧の配置にえいきょうされて

太陽の照射角度によって

地形の影響

あちらとこちらの湿度の加減

 

エネルギーバランスは 天候だけに影響するものとは限らず

この世界のすべてにエネルギーがあり、エネルギーバランスが存在します。

 

あちらとこちらのエネルギーバランスは均衡か 不均衡か

片方からプレッシャーを受けると 圧迫されたエネルギーは加圧し、

別方向に流れ、

行き場がないと、弱い部分から外に出ようとする

 

もやもやとした圧迫感は 早いうちに外に出さないと 加圧しますよ!

 

ため込みすぎると ほら、 普賢岳とか新燃岳みたいに 噴火しちゃいます。

地球さん、辛抱たまん ブハ~って 息吐いちゃいました。

ごめん、出ちゃった。  なんて言ってるかも・・・

 

人間の感情も自然現象ですから 封じ込めたらだめです。

ただ、出しどころを工夫しないと被害が大きいですから

 

太平洋上か 日本海で。 (^_^;)

 

あ、でもでも、台風さんは 

雨降らせてくれないと この夏の水不足が心配ですから 

上手に力を分散させて 降ってくださいね

一か所で集中豪雨とかやめてください。

 

上手な発散をお願いします。

 

人間さんの感情も同じですね。

被害が出ないように 調節しましょう。

 

無理に抑圧したり

エネルギーの偏りにはお気をつけください。

 

 

私たちが見る世界 真の姿

日頃、目の前に展開する世界を あなたはどのようにとらえていますか?

 

世の中とは・・・?

人間とは・・・?

 

私たちは 自分の中にあるイメージを 世界に投影して見ています。

 

あまりよろしくない言葉で言うと 色眼鏡をかけている状態。

 

こういうことが起こるであろうイメージ

人はこう思ってこうするであろうイメージ

物事はこうなってああなるであろうイメージ

 

あなたは 世界にどういうイメージを持っていますか?

 

スピリチュアルの分野では もう思いが現実化するのは周知のことですが、

 

おさらいとしてちょっとその法則を書いてみます。

facebookにも今日記事にしてます。

http://www.facebook.com/hisako.notsu

動画を見たい方はこちら

http://www.youtube.com/watch?v=nv7WQqJLru0

 

意識のエネルギーは 我々が感じる以上に外側の世界に影響を与えます。

 

どのように影響するか と言いますと、

自分が当然だと感じていること。

こうなるに違いない と感じていること

イメージしたこと

確信

 

が反映します。

 

え?願ったことは叶わないの?

思えば叶う って言うじゃない?

 

これはですね、

願い方にコツがあるんですよ。

 

○○になりますように  と願うと、 これは  今はなってません というメッセージになる

まだなってませんが確信されてるので なってない今が反映される。

なるに違いない 

当然なる という確信が より強力に作用します。

 

表面的に思うのではなく、 本当に確信するのです。疑いがない ということ

これはちょっと難しいことかもしれません。

みんななかなか疑り深いですし。

 

確信はしがみつく必要がないので ふつうは願いません。

願わなくてもなるからです。

 

どうせ こうなるんじゃないの? どうせならないんじゃないの? という思い 

反映してませんか?

 

笑顔がいいのは、笑顔でいるとこの世界を楽しんでいる今 という思いの中にあり、

その思いが反映して世界は楽しい状況を展開するのです。

もちろん、愛想笑いがその思いを含んでないことは間違いありませんが

体験したい未来を 今の自分が小さくここで展開させる

 

人は親切にしてくれるもの

自分が当たり前に人にすることが 人に反映し

出会う出来事の予想が反映するので 恐れは現実化しやすくなる。

深層心理まで反映されるので 思いを整えるのは表面的ではうまくいきません。

 

この世は 温かいもの と 思う私に

辛く当たる人はいなくなるのです。

出てくる登場人物や環境は与えられた材料ですが、

あなたを包む世界をどのように展開するかは あなたの思い次第。

温かいものを望んでいる場合、

まずあなた自身が温かさを体現(表現)してください。

ただ、自分の中の笑顔をみつけるだけでいいことかもしれません。

 

もし、今が不満でしたら

思いを変える というチャレンジ してみませんか?

 

 

プロジェクター

 

 

 

 

カルマ 細胞の記憶 

カルマは種のように

 

カルマは最初は形になっていません、

仕込まれた火薬が化学反応のように 特定の刺激によって発火し発動します

 

身体のカルマは痛みや不快感の

感情のカルマは、 怒り、怖れ、不安、などのネガティブ感情エネルギーの 

カプセルのようなもので、

カプセルが開くまでは存在に気づかなかったりします。 

 

これはすべての人間が 持っています。

肉体が生まれ 意識としての魂が 肉体に乗って現世という3次元の世界で様々な体験をし、

いろんな刺激で 魂が経験を積み磨かれていく ということです。

魂のお勉強はカルマとしての感情を放出、昇華して何らかの気づきを経て 魂を成長させます。

そう、試練です。

 

意識としての魂がそこから逃げ出そうとする場合もありますが、試練は宿命でもありますので、

逃げれば事象が追いかけてくるのです。再チャレンジの機会が与えられる。

 

一度逃げると、次に追ってくる試練はワンランク規模が大きくなって、逃げにくいものとなります。

逃げれば逃げるほど、抑え込めば抑え込むほど、さらに上をいく規模の試練がきますので、

逃げない方がいいのです。

目の前にやってくるものを一つずつ 乗り越えていけばそこで試練が合格になりますから

人生の中の障害物がどんどん減っていきます。

小さいうちに済ます のが らくちんコースです。

 

乗り越える というのは戦うことではありません。

戦うことは受け止めない 受け入れない 拒否の表現なんです。

自然の学びは人間の好む好まざるに容赦なく 必要な試練を与えてきます。

でも、落胆する必要はありません。

乗り越えるほどに人生は軽くなるのです。

 

なかなか試練が終わらない という方。

ちょっと立ち止まって 静観してみます。

向かう方向が間違っている場合、試練は終わりません。

 

本来の流れ、道 の方向に修正させよう というのが 方向性ですが

その方向性がどちらかを向いているのか? というのは、 けっこう難しい問題に思えるかもしれません。

最初から、ノーヒントなのです。

ただ、法則だけが存在し、間違った方に歩むと 流れの摩擦がある というただそれだけが存在します。

 

これまでの人間社会は自我の価値観のもと、

全体的に自然の流れと違った方向に進もうとしてきました。

そうでなければ このように摩擦の多い社会にはなっていないのです。

 

これは、ある意味、魂が流れ以外のものを見たり体験したかった ということなのかもしれません。

失敗をして 成功の甘美さをより強く実感する ということなのでしょうか。

 

失敗を担当する魂は勇気があります。苦労を買って出てやってみせてくれています。

 

流れそのものを見つけた魂は摩擦を感じることが減ってきます。

なんでもがスムーズに。。

 

摩擦は手放して みてください。

本来の流れが戻ります

 

川

 

どんな生き方がいいの?

いろんな良い生き方の例がありますが、 それをまねて幸せになる場合と ならない場合があります。

 

( ゚Д゚) え?

 

なぜ? 何が違うのでしょうか!?

 

それはですね、

幸せになれると言われる行動を 嫌々やっても 幸せにはなりません。

魂が喜んでないのです。

 

でも、形から入って

やっているうちに 変化が現れて 楽しくなってきたりすることも多々あります。

やってみてよかった  

こういうこともよくあります。

 

もちろん、楽しく変化すればいいのですが、何度やってもそうではない時、

 

そのいいことはあなたにとって正解ではないかもしれません。

 

 

先日、

ある方が 「何が好きかわからないんです。何をやっても虚しさがやってくるのです」 と言われました。

このことで長年悩まれたのだと思います。

これまでいろんなことにチャレンジして、そうして 結局

何をやっても虚しい ということがわかった。。

何をしたらいいのかは今のところ誰にもわかりません。

その答えはご本人にしかわからないからです。

 

進む方向はご本人のハートだけが知っています。

ハートで感じる方向性は 人生の羅針盤なのです。

 

話を戻します

何をやっても虚しい 

これは、 原因として考えられるのは 

・方向性が違っている(自分の役割ではないことをしている)  

・もしくは 本当に自分を満たすものを避けて 他を探している 

・嫌なことを体験せねばならない試練として与えられている

 

ということが考えられます。

 

最初の 方向性が間違っているものは、

 自分に合わないことはお勧めしません。

向いてないことに努力するほど時間がもったいないことはありません  と 

出来不出来に偏りのあるワタクシは思います。

 

二番目の 本当に自分を満たすもの  それは 何でしょう

愛と安心  信頼 かもしれません。

人との関わりで深く傷つく経験などがある場合や、人との摩擦の解決が未経験であるがゆえに過度に恐れている場合

人とのかかわりが怖いものだという大人の価値観が子供時代に入っている場合 などに

人と関わることに怖れを持ってしまい、 人や世界から遠ざかってしまう人に起こります。

エネルギーの出入りがコミュニケーションでは得られないのです。

確かに人間同士のコミュニケーションでは傷つくことがしばしば起こります。

これはある意味魂の磨き石でもありますので、体験としては貴重な学びの体験だったりします。

視点を変えてみましょう。 

コミュニケーションは、人間としかできないものではないのです。

世界に対して心を開くと 自然界のエネルギーを得ることができます。

 

三番目は 背負っているカルマは 宿命であり 避けることができません。

そのカルマの体験によって ある学びを得るため、与えられたもの 引き受けたカルマなのです。

渦中にいる時は 何でこんな目に遭わなければいけないのだろうと、運命や状況や当事者を呪わしく思ってしまったりしますが、その思いを受け止めて、尚、前向きに生きることを決意したとき、

魂のシフトアップが起きるのです。

このシフトアップの際には 祝福のような出来事を体験します。shine

 

この体験は言葉では言い表し難いものですが、確かにあります。

 

この世界に 神のような意識があることは 私には確信なのですが、

これは経験したものでしか確信はできないかもしれません。

 

でもそれは 確かに存在します。

祝福は喜びとと共にやってきます。

皆様のところにもたくさんの祝福が舞い降りますように。。。shineshine

 

この世界との門戸(ハートの窓)を開けば そこには分離感は存在できません。

世界に向き合うとき、オープンハートでいてください。

 

キラキラ

 

 

 

カルマの解放

カルマはネガティブ感情を伴います。

ダルマという大いなる自然の流れに対する

摩擦 です。

 

この摩擦のエネルギーは、

エネルギーとして開放されますので、

解放の形はいろんな方法があります。

 

要はエネルギーの発散です。

発生したエネルギーが出所を失うと抑圧されて溜まりますが

エネルギーとして消費されれば 内側から出ていきます。

 

カルマの解放が起きるのはこういう時です。

怒る 泣く  の感情表現

発病、 痛み

悪夢を見る

何かを破壊する作業 (暴力、破壊、解体作業)

声を出す、思いを現す(話をする)  などの表現

スポーツ、運動、体を動かす作業でのエネルギー消費

何かに没頭して無思考状態での集中

瞑想

 

どの方法でも カルマは軽減していきます。

 

ただ、感情や暴力を他者や生き物に向けてぶつけると、新たなカルマも作るので、

カルマの量はプラマイゼロ ということになります。

 

この中で 静かな解放 と言えるのは、

作業に集中すること と 瞑想 でしょうか。

 

平和に溜まったエネルギーを出すと争いは起きません。

出しどころを意識的にコントロールできるのは 人間のみ かもしれません。

 

あなたは どのようにカルマのエネルギーを処理したいでしょうか?

 

もし、あなたのそばで 怒っている人がいたら、

それはカルマの解放である とも言えます。

あなたはそれに罪悪感を感じなくても大丈夫です。

必要なことは怒っている感情を脇に置いて、

今、何が起きているかを見極めてください。

 

冷静に状況を判断して対処することができます。

カルマの解放は 悪者は存在しません。

ただ、自然のエネルギーの流れが そのように流れている ということです。

人もまた 自然の作り出したもの なのです。

魂の年齢

ががぶた

 

今日は認識の成長段階について話します。

 

悟りを得たいと願われる方は 

ご自分の感情と戦ってしまわれる方も多いことでしょう

 

でも、その必要はないのです。

 

ご自分の感情を責めないでください

 

人の苦しみの大きな原因が 罪悪感 と 葛藤です。

 

この思いから逃げ出したいので いろんな形を取り始めます

自己防衛反応  防衛機制  です。

 

防衛機制の説明は長くなっちゃうのでこちら

※防衛機制  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E6%A9%9F%E5%88%B6

自分の心を苦しみや混乱から守るシステムです。

 

これはDNAに組み込まれた体を護るシステムなので 起きるのはしかたがないのです。

 

でも、時としてこれが自分の立場や周囲との関係を悪化させる原因になります。

 

周りを見まわして、自分のことしか考えない嫌なやつ っているじゃないですか。

 

あの状態になっています。

 

これは 心がまだ初期段階の未熟な精神状態だ ということです。

つまり 子供なのです。 若いだけ

自分よりも広範囲を理解する視野が育ってない。

え?あの人 大概もういい歳だけど? って思っても、

 

これは肉体の年齢には関係ないんです。

一説では 魂年齢が若い ということらしいですが、

魂の生まれ変わりの経験が浅いので、まだ自我を経験する という段階にしかし存在できないのだそうです。

 

だからと言って 馬鹿にしていいわけじゃありません。

ただ、若いだけで、これから 成長していくのです。

今生で成長しきるとは限りません。

 

このことが理解できる大人の魂の方も かつては未熟だったことでしょう。

過去の己として見るといいです。

 

今生の肉体と精神の成長も いろんなことを経験して相対的に上向きのベクトル(右上がり)に成長しますが、

前世から今世、来世 も 右上がりです。

まだ途中の魂は 先を行く魂に導かれて 愛を学びます。

間違った方向に行くと、世界の流れがそれを阻止してくるので 困難に見舞われて己の在り方を見直さざる負えなくなってきます。

本来の流れとの摩擦、カルマの体験です。 辛い出来事はみな 魂の学びなのです。

好む好まざるにかかわらず、与えられます。

その経験を乗り越えたときに心が大きく成長するのです。

だから怖れなくても大丈夫。

 

乗り越えたときに新しいステージが開けます。

その時、魂が1歳年上になって お誕生日のような祝福があるように

私は感じます。

 

エネルギーの世界は不思議です。

 

無料瞑想体験会は毎月第1土曜日の午前10時から開いております

人間

テーマ:

 
昨夜、福岡、台風直撃か?と緊張しましたが 影響はさほどではありませんでした。
九州は通過しましたねぇ。熊本あたりは大丈夫だったでしょうか
 
 
この夜景は、昨夜 台風に備えて窓を閉めながら 周辺の住宅の灯りがキラキラしていて思わず撮りました、
 
街を見ると、こんなに沢山の人が毎日を暮らしてるんだ!という驚きと言いますか、感動と言いますか 感慨深い思いになることがあります。
 
無数の命がそこにある。 
 
そう、住宅街などを見ると蟻塚とか連想してしまいます。
どちらも生物の生息地だなぁ なんて。。
 
虫と一緒にしちゃったりして すみません。(^_^;)
いえ、虫を見下してるわけではありませんが。
 
 
話を戻します。w
 
それぞれの灯りの部屋で 家族というものがあって、何人かであるいは一人で暮らしてる。
 
この町内でも沢山。市内はもっと沢山。
県内となると、もっと様々なバリエーションで、大都会、首都圏に出ると、それはもう、目が眩むような街の広さです。
 
蟻の巣が一つの意思をもった生命体に見えるように 人間のコミュニティも大きな目で見ると一つの生命体に見えるのでしょうね
 
でも、ズームアップしていけばグループは細分化し、別個のものとなり、個人に行き着く
 
 
 
更にその個人は、表層意識と無意識の狭間で
意図と目的をもっているかと思えば 無意識に支配されていたりします。
 
集団のエネルギーは、そちらの無意識に支配されたものかもしれません。
 
自分で生きてるつもりですが、生かされています。
 
無意識に何らかの役割を担っています
これは役割なので、自分が外れると、他の人がやります。
 
役割の運命は与えられるのですが、するかしないかを選択することができます。
 
 
でも、最初の選択で、そこではきっかけしか見えていません。
 
その向こうにどういう展開があるか、わからないのです。
 
ただ、心がぶれずに決意している者は、真っ直ぐに進むでしょう。
 
その道が誤った道でなければ追い風が吹きます。
 
ただ、障害物が内側にある場合、
それが取り除かれるのを待っています。
 
 
大きな流れと 末梢の問題
別の問題のようですが、
ミクロとマクロは一体です。
ただのズームアウトとズームインです。
 
ただ視点が変わるだけです
 
 
  次回へ続く

愛はどこにあるか

愛は 形の無いものです
 
愛は エネルギーです
 
愛は受けとると嬉しく、
 
自分から愛を溢れさせると幸福で満たされます。
 
 
愛は 貰うもの というよりは、
自分から溢れさせるものです。
 
足らないのは、相手がくれないからではなく、
自分にある愛を出すことを忘れているからです。
 
生きとし生けるもの、自分自身に、そして見えない意識にも、
愛を向けて下さい。
 
愛の泉が自分にあることを
思い出させてくれた巡り会いに感謝を。
 
 
はす