本日の福岡は少し雪がちらつく寒い日でした。温かい鍋や温泉に癒される季節です。
寒くなって参りますと 体調を崩しやすくなりがちですので 免疫力を上げて身体を大切にお過ごしください。
今日は瞑想者的もののとらえ方についてお話します。
私が瞑想を始めたのは 悟り というものを知りたかったからですが、
その悟りを邪魔しているものがカルマである というお話はしましたでしょうか。
私たちの魂が肉体にいる間にさまざまな体験がありますが、この人生の経験は 宿命によって大筋が決まっているようです。
大筋 というのは 日々の細かい選択や、人生の岐路に判断する決断で 多少のルートが変わるので 同じ宿命を持っていてもバリエーションがさまざまに彩を添えます。
大筋から離れる方向に進みますと、それはそれで、また戻される流れになるのですが。
当の本人にはなかなか その大筋というものがわかりません。
この大筋を知る ということが 悟る ということでもあります。
瞑想を本格的に始めて以来、幾多の場面で師匠や友人たちにそのような話題についての話を聞きました。
そして 気づき始めるのです。
何を気付くか と言いますと、 この世界の真理です。
宇宙はどのような方向性に流れているのか です。
少しばかり前の時代は科学で証明されることだけが真実で解明されていないことは迷信
と片付けられていました。
ですが、いろんなことがわかりだして、これまで証明されていなかった物理的事象は
存在することが明らかになってゆくのです。
面白いことに 科学的根拠も持たないであろう古い時代の人々が 真実を知っていることが はっきりしてゆきます。
本来、生き物は体感として この世界のことを感じ取って知っているのです。
いえ、魂そのものが知っているのです。
瞑想でカルマという感情の摩擦のエネルギーを取り除くと、自然の流れと共に生きる生命力と方向性を見出します。
これをカルマに邪魔されない 真の叡智 と呼んでいます。
通常はこのような話をすると世間一般の観念では 宗教的であるとか、妄想にハマっているというような見方をされてきました。
ですが、実際のところ、この辺りの事情を知りだすと、
いえ、ある日真実の全貌が見える悟りという転換を体験しますと
実に冷静な心境で 今までの勘違いした見方のからくりが見えるようになるのです。
これは天動説が真実だと知った瞬間 のようなものです。
あらゆる謎が解けるのです。
全ては流れと共に進み、同じ方向へむかっている。
そして 私たちは愛(慈しみと受容)を知り とらわれから自由になるためにこの世に降りてきたことに気付くのです。
とらわれの正体は観念です。自我の意識がとらわれた意識から解放されると 神の視点に立ちます。
これが悟り なのです。
これはとらわれが外せるならば すべての人間に可能だと思いますが、
とらわれというものは 実になかなか手ごわく体に付着しているものなのです。
ですから、悟った後も、体の方では 自我の感情としてはとらわれの反応は起きます。
それらは 手放し始めて 解放されてゆきます。