エゴの技

エゴは自分自身の肉体を護るシステムです。感情を巧みに操り、個体を有利な位置へと導こうとします。

ですが、判断は表面的な事柄に反応しているので 全体性とは繋がっていません。

 

自分自身の立場からの視線なので ものの見方が一方的です。

自分(心と肉体)を護るために 観念の修正も行われます。

私は悪くない・・・

正義という隠れ蓑を使います。 自分の意識に対して隠れるのです。

他者はあんまり騙せていません。

 

自分に都合の悪い対象を見つけた時に 

その対象を 悪者に見立ててしまいます。

自分自身の肉体を護るために心のシステムがそうさせるのです。

肉体を持った生き物としての心のシステムです。 ある意味正常に働いています。

でも、それは、真実とは違うのです。

システムは一生懸命働こうとします。本能的に。

 

真実に対する理解と智慧がないと表面的な事象のみをとらえ、反応的にしか行動を起こせません

自分は正しい 相手が悪い

そう思ってしまうのです。

 

全ての人間にそれぞれの正義が存在します。

 

時代やエリアによって

正義の基準も変化します。

 

人間は大脳が発達していて、表面的な反応だけでなく、 物事の理解を深める能力があります。

仏教では 智慧 と言います。

 

表面的な事象への反応だけだと、感情に振り回され 苦悩が生じる

 

ですから、物事の本質と この世界の法則性を理解することで 無駄にうろたえることをしなくて済むのです

 

本質的に物事を見ますと ただ事象が存在して 生命体がそれに適合したり反応したりして

生命活動がなされますが、 全体として 俯瞰(ふかん)する 神の目から客観的に見ますと、

全体が豊かになる方向性と、荒廃する方向性があります。

 

どこを見ればわかるかと言いますと、

 愛 と 愛でないもの  を見分けてください。

 

愛は 他者への思いやりや尊重で、 自分同様 全体を大切にする大きな愛です。

愛でないものは 利己的 と言います。 自己愛のみの小さな愛でもあるかもしれません。

 

他者がどうであるか ということよりも、

一番に大切なのは この世界を観ている 中心である 『自分の目』 が どうであるか が

大事なのです

 

エゴは混乱するかもしれませんが、

意識の奥深く 空(くう)に触れて世界を感じたとき、 神の見ている愛を感じるようになります。

 

目まぐるしく変化する夢幻のような現実は この世界の表面にしか過ぎない

深い意識の奥に 神に通ずる感覚と 真理への理解がある  と。

神の視線は穏やかで平和を好み 根本を整えようと動きます

全体の調和を目的に動いています。

エネルギーの調和の法則です。

 

仏陀の目