2023年01月

ユニバースのすること

私たちが意識の波動を整えると、本来の調和へと全体が動きます。

その過程で自我はちょっと不安を感じたりします。

なぜなら、偏ったバランスは崩れ、本来の安定したバランスに戻るので

偏りは取り除かれるからです。

事を起こしたくない自我は焦ります。

「バランス?そんなことより、怖い目に遇いたくないんだ!」

怖い目 といっても、潜んでいる病巣を取り除くために手術をするのと同じです

歪みを直すことを避けてずっとその偏ったストレスを抱えて行かなければならない状況で
そういうジレンマの中で生きて来た、

そのアンバランスの終わり なんです。

ベルリンの壁が崩壊したり、ソビエト連邦が崩壊したり、バブルがはじけたり

そんな出来事もその一環でしょう。

あなたの生活の中に起きる騒ぎは、水面下にある問題が炙り出された結果です。

ユニバース(この世界)は、アンバランスは崩れやすいので、

もろい所から崩壊していきます。

そんな不安定な脆いものにしがみつかないでください。

そんな頼りないものに依存しなくても あなたはもっと安定的に幸福でいられるのです。

孤独とか 欠乏とか 枯渇は 幻想です。

じっとしていてはいけません。

あなたは動けます。話せます。意思の疎通ができます。生きているのです。

そのどれかができなかったとしても、あなたの中の愛という輝きが光り出した時

豊かさは内から外から降り注ぐようになるのです。

自我の怖れにふりまわされてはいけません。

涙枯れるまで泣いたら立ち上がり、愛をみてください。

誰かの愛ではありません。あなたの愛です。

それはそこにあるでしょうか。

あなたが あなたの中の愛を確認できる限り、ユニバースはあなたを放っておきません。

あなたがユニバースの愛を拒まないかぎり 愛は入ってきます。

そして信頼。

あなたの中の信頼が 信頼に値するものを呼び込みます。

あなたがユニバースを信頼すればするほど

ユニバースはあなたを活かします。

この世界は愛でできていて、

あなたが愛を拒めば、ユニバースは愛を押し付けません。

シャッターを閉めて愛を拒めば、無理に与えてこないのです。

でもその時も、あなたは見守られている。

あなたが 声を出して「愛されたい、愛したい」と叫ぶのを待っています。

ユニバースにこう言ってください。

「私は愛で満たされます。私は愛で満たされています」

もし、心の中で「違う、私には愛なんかない!」と叫べば、そのことが叶います。

あなたが選んだあなたの状況を受け取ります。

これがあなたの世界観です。ユニバースは裏切りません。

願いが叶うのではありません。

あなたが創るのです。

これはダルマ、この世界の法則なのです。

一部だけを見て判断しては誤ります。

流れは大きいものです。タイムラグもあります。どうぞ気長に。

イライラは天に預けましょう。カルマは瞑想で昇華します。

あなたが光を放つ時、あなたに光が降り注ぎます。

あなたの信じていることが現れます。

あなたがすることは、あなたがされること。

されたいようにしてみましょう。

天の梯子

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案ずるより生むが易し です。

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自我の意識と真我の意識と瞑想

私たちの意識を、大自然と対照的に

マクロからミクロへ視野をフォーカスしていくと、

個人的な世界観に入ります。

他者も知らない 私の世界。

実際は、自分も気付いていない、私の世界観。

それは意識的に作り出したようで、それほど意識的ではなかったかも。。

偶然か宿命か、ここに生まれて、出逢ってきた人々、出来事。

それは個人の意思とは関係なく与えられた環境、ご縁です。

その中でいろんなことを体験し、なんらかの反応も体験します。

感情の解放です。このあたりはとても微妙で、いろんなことが微妙なタイミングで起きることによって体験も変わります。

体験はそれぞれに与えられます。良きにつけ悪しきにつけ。

その中でもどう反応して どんな結論を選択するか が 徳(愛)だったり業(カルマ)だったりします

徳(愛)はプラスの波動

業(カルマ)はマイナスの波動

これが積み重なって 人々が持つそれぞれの波動が決まります

色んなタイミングは本当に微妙なものですが、微妙さが縁を織りなす中で、私たちは導かれるように何かを掴みます。

そう、この自然の法則に気付くまでその流れのただ中にいるのです。

嵐に揉まれる大海の小舟のような自我の意識。

そこから、瞑想状態に入りますと、自我から離れた真我の意識の領域に入ります。

この意識を体験したことが無い という方はまだ自我の意識を手放した状態を認識されていません。

何もかも手放して委ねる 自我の意識が消えた状態になりますと、

ただの認識だけの真我の状態を経験します。

瞑想を始めて間もないうちはまだ自覚できずにいるかもしれません。

でも、瞑想に慣れてきた頃、誰でもない意識になることを客観的に認識できるようになってきます。

安心しきって瞑想状態に身をゆだねることができるようになった時起きますので、最初から体験する人もあれば、何年か越しでやっと体験する人もいます。

邪魔しているのはカルマのエネルギーです。

緊張や不安感がそれです。 思考がグルグルします。

特に不安でもないけど 思考がグルグルする という方もいます。

これは不安という自覚は無いけれど、自分にリラックスを許していない方に多く起きます。
頑張らなければダメだ という考えの方に多くあります。

瞑想は頑張ってするものではありません。

何も掴まないニュートラルな状態に自分を放置します。

そこでは最初は様々な反応が起きるでしょう。

あれこれ、思考が湧いてきたり、ムズムズ、モソモソ、落ち着かない とか。

これは解放期ですので放置しておきます。

出るものが出たら治まります。

瞑想に慣れた頃、自我の意識は瞑想に意味を求めだします。

もし、意味が欲しいなら作ったってかまいません。

健康になれるから とか よく眠れるようになるから とか 

疲れがとれるから、集中力が増すから、良いアイデアが浮かびやすい、

パフォーマンスが上がる とか

色々あります。

でも、一つのものを信じ込みすぎないでください。

トータルで上がっていきますが、好転反応で 溜め込んでた疲れがどっと出てしまう なんてこともあるのですから。

自分の疲れを誤魔化している人は要注意。必要な休養はどこかで清算されます

無理ができる自分が理想形なのではありません。

本来の自然体が持つ安定性へと導かれます。

真我の意識を自覚するには緊張から離れなければなりません。

緊張はフォーカスです。

リラックスがマクロへと拡がる基本なのです。

リラックスは無防備ではありません。

感覚が研ぎ澄まされたパラボラアンテナのような情報網拡大の状態です。

それは超能力に近いものかもしれません。

パラボラアンテナ

バランス

バランス

このブログの中でも何度も書いたことのあるテーマです。

どう生きればいいのか? と思った時
一番重要になるキーワードです。

何が大事か、何を基準にしたらいいのか?という問いかけの答え でもあります。

バランス、つまり調和です。

エネルギー法則の、安定したところ。

現状も、この世界そのものが 常にバランスの取れた状態に安定しています。

「え?そんなはずはない、こんなに生きにくい世の中なのに?」って思う方がおられることと思います。

それは、個人のバランスではなく、世界のバランスのことを話しているからでしょう。

現在は、搾取する側と搾取される側のバランスが取れて安定しています。

でもこれは、無理なエゴの力が加わっているので、あるいみ、かなりの軋轢を含んだバランス状態です。

軋轢=不満 です。

エゴはそのギリギリのところまでエゴを優先します。

いや、ギリギリをこえるところまでやろうとするので、世界は度々破綻します。

おごれるものは久しからず ってやつです。

無理が限界を超えると崩壊します。

Youtube動画でひろゆきさんが、「優秀な人」という言い方をしますが、
全体の状況を見渡せたり判断できる能力を持った人 とも言えるでしょう。
バランスを判断して対処、維持、利用 できる人のこと。

何かにとらわれた狭い視野では無理でしょう。
偏見のない観察眼は不可欠かと思われます。

これはある意味自我だけではできないかもしれないなぁ って思います。

と言ってもひろゆきさんが何も偏見が無い とも思わないんですが coldsweats01
彼は彼なりの世界観があるようで、それは他の大多数の方々とは違うので多くの方が気付かないことを気付けるんでしょうね

そうい意味では日本の価値観と違う価値観に触れるだけでも多くの気付きがありますよね。

当たり前は 正義ではない ということ。

一定の価値観にとらわれることから離れることで ずいぶんと違う見方の可能性を得られるものです。
カルチャーショック、大事ですね(笑)
 

バランスの話に戻りますが、
バランスが崩れると事態は崩壊します。

物事は生命体が成長するのにも似た成長、発展、繁栄、衰退 という進化をします。

創造 → 維持 → 破壊 というサイクルです。

何かを一つづつ積み上げて、大きな高い塔を作り上げ、なお 積み続けた時、土台が全体の重さを支えきれずに崩壊する。

巨木などでも起きますよね、根元が空洞化して全体を支えきれずに
台風が来た時などにボキっと折れちゃう。

これ、経済でも同じなんですよ。
高度成長期があってオイルショックが来たり、

バブル景気のあと、バブルがはじけたり。。

好景気がずっと続くなんて無いですし、

消費社会がずっと持つわけもありません。

だから 今注目されているのがサステナブルという持続可能な在り方

自然との共存です。調和。

この調和が、愛 というエネルギーでつながりやすいんです。

この調和は安定しています。

なぜなら 緊張感あふれる奪い合い ではなく

与え合うという豊かさと温かさで出来ているからです。

私達一人一人がこの波動で生きると 全体は調和します。

大自然も我々一人一人が作り出している ということでもありますね。

雄大なこの世界の一部である私達 ?

空の景色

 

 

真我と自我

自我の意識と真我の意識、何が違うのだろうと違いを考えてみました。


自我の意識は『コントロール』を司る役目があります。
いろんなことを意思でコントロールしていろんな体験を選択していくんです。
どうしたいか、取捨選択していくんですね。自主的に選んでいく、特に都合の良い方を選んで。
良し悪しの基準は、それぞれに違いますが。

真我の意識は コントロールを目的としていません。単なる認識です。
とても感覚的とも言えます。感じ取って認知する。

そこには判断は入っていません。

判断し始めるのは自我の意識です。
思考そのものが自我の意識

私がこれを書いているのも、マインド(思考)を使っているので自我の意識 ということになるでしょう。
目的を持っていますからね。ブログを書く という目的です。

何かについて語る時は言葉を使う以上マインドを使わざるをえません。
ただ、内側に移る景色を写し取る作業はマインドではないのですが、
理屈で考えている時はマインドです。

写し取ったもの(リーディング的なこと)つまり
ユニバースとアクセスしてのチャネリング とか
波動を読み取る作業は真我にしかできませんが、
その文章が的確に表現されているか とか、誤解を受けないか、とか
効果的に伝わるか などの判断はマインドがします。

人間は肉体がある以上、自我の意識を消すことは不可能に近いのだと思います。
肉体を生かす というお仕事がありますから。自我は肉体の意識です。

真我は魂の意識。

マインドは自身を維持するために必要な意識です。肉体がある以上切り離すことはできません。
マインドがなくてはお料理も食事もできませんしね。

マインドは文化的な生活をする上でも不可欠な要素です。社会に適応する能力になります

ただ、マインドが力を持ちすぎて、自分自身をコントロール、支配下に置いた時、
真我の自由性は失われます。

エゴの肥大 と言いますか。自分自身をもコントロール支配しようとするのです。

本当はそんなこと心地よくはないのに、それが良い事だと決めこんで
行動を制限したり、強制したりするのです。

これは困ったことに気が付くとこの構造が出来上がっていたりします。

でも、その事に気付いた時には、
自分を自由に戻すこともできますので
安心してください。

現代社会はマインド無しに生きていくことはむずかしいです。
でも、マインドに支配されずに生きていくことは可能です。

あなたが真我の意識、『どう感じるか』を大切にし始めると

あなたは本当の望みを見つけることができます。

更に、本当はどうした方が良いのか という答えも見つかります。

ハッピーに感じるものを選んでください。
 

そして、それを邪魔する意識があったなら、それがカルマのエネルギーですので
そこを、理解し、解き放ってあげましょう。

カルマはただ、手放せばいいのです。

味わって、そして手放します。
それだけなのです。

ダブルレインボー

 

幻想 その2

幻想は良いにつけ悪いにつけあります。

それはどちらも摩擦の種になります。

ある先生の体験。

その方はカリスマ性もあって多くのファンがいました。

その方の話を聴いて人生が変わったという方も多く、沢山の人に尊敬されていました。

その方の発信する内容は、愛と真理がいっぱいでしたので、

とても優しい人柄に見えますし、その言葉が自分に向けられているかのように感じるので

そこに愛と包容力を見ます。私を愛してくれている ように感じてしまいます。

(その方は全ての存在を愛しているのであって特定の個を特別に愛しているわけではありません)

ただ、とてもユーモアに溢れ遊び心と人を引き付ける個性をお持ちで 明るく前向きな発言で沢山の人がその人を大好きになるのです。

でも、ご本人はそれをそれほど好ましいとは感じておられませんでした。

それは、ある意味誤解だと言うのです。

好きになる というのは 好きになる側の理想や幻想を通して 

その人がまるで自分の理想であるかのように錯覚して好きになる。

そして、近づき、理想でない部分を見つけて 怒りを向けてきます。

「そんな奴だとは思わなかった」 とか

「だなしたな」 とか言うのです。

騙したも何も、最初からずっと このままだっただけで、誤解したのはそちら・・・ というわけです。

カリスマ性を利用したお仕事、インフルエンサーは

ある意味そんな誤解の上に成り立っていたりしますが、

名前が有名になればなるほど、ファンとアンチが増えるのはそういう理由です。

ファンの愛は、理想が剥げたら消えます。

酷い時は好きの度合いだけ恨みを持たれたりします。

差し出したエネルギーを返せ とでも言うように。

勝手に好かれたり嫌われたりするので いくら前向きな性格でも傷付くこともあるのでしょう。

でも、人とはそういう生き物だ という理解も得ます。

この、ファンの立場 を経験したこともあります。

尊敬していて関心がありすぎるあまり、話題にだしてしまうのです。

見聞きしたことだけでなく、推測や想像を盛り込んでしまうこともあります。

自分がそれをされたらものすごくイヤなのに。

される側の立場も多少経験しました。

友人に何かネガティブなこと(当時不安に思ったこと)を言った時「あなたはそんなひとじゃないはずだ」なんて言われて

そんな人じゃないはずだも何も、私は私なんだよ、何だよそれ、 って思った(笑)

良く見られる ということは、その分、その理想形を崩した時のダメージがある ということで

本当の自分ってなんだろう・・・? なんてことになります。

 

本当の自分はエゴも真我も、ポジティブもネガティブも全部あるのが人間。

そして、その部分だけしか見ない とか 部分だけしか愛さない というのは無理があるのです。

表裏一体ですからね。

そう、1つの真実(全部ひっくるめたそのもの)しかない。

そしてその全部をすべて把握する事も不可能なのです。

この世界はあまりにも大きなものだから。

ただ、全てを包み込む愛だけがそれより大きくなることは出来るのだと思います。

 

 

幻想

あなたの見ている世界は、あなたの解釈が入ったあなたの世界観です。

それが幸福なものであるなら 何を付け加えることもありません。

あなたが幸福であることがユニバース(神)の喜びです。

でも、難しいのは自我のマインドです。何かと不服を言います。

足らないところを見つけるのがマインドの仕事です。

マインド(自己防衛システム)が働きすぎると必要以上に不快を感じます。

それとトラウマ。ショッキングな出来事。

あなたの記憶では摩擦が大きいほど、心に傷を作ります。

心は不思議ですね。本当は存在しないけど、イメージで存在させます。

あなたがそのイメージを持っている限り傷が存在するのです。

 

もし あなたの心の傷やダメージを消したいと思うなら、あなた自身がその傷を癒してください。

それができるのはあなたと愛だけです。

そう、愛もまた 実際は物質としてはそんざいしませんが、あります。

愛はエネルギーです。それは受け渡しができます。

摩擦も受け渡しができますが、愛も受け渡しができます。

傷を癒すのは愛なので、愛の交流を沢山行ってください。

一方的に受け取るだけでは途絶えてしまいます。だから流さねばならないのです。

あなたが多くの愛を外に出すことで あなたに多くの愛が流れ込みます。

それはあなたの傷をいやすのに十分な愛の量です。

足りないと感じる場合は、どれだけあなたが愛を出してきたかを思い出してみてください。

挨拶のように愛が溢れる日常を。heart01heart04 

あなたが源ですshine

コスモスに囲まれて

世界観と世界

人はそれぞれに違った世界観を持っています。

みんな、自分が見ている世界だけがあるように思っていますが、違うんです。

1人1人、それぞれの認識する世界は違っています。

世界に対するイメージが違うのです。

それは、見たものに自分の記憶や解釈や意味付けをしたものを世界と思っているからです

実際に起きることは一つなのですが、それに色んな意味付け、それぞれ違った意味付けをしてしまいます。

それは、ではなく  無意識に起きます。

自分(自我)の気持ちが収まりのいいように。(納得しやすいように)

自我の理屈に合った世界 として認識したいのが人間です。

自分と似た認識(世界観)の人と一緒にいると落ち着きます

違和感がありませんから。

でも、自分と違う認識の人と一緒にいると驚くことが出てきます。

「えっ?」何それ、どういうこと?

ちょっとした刺激になります。

びっくり、へぇ~ って言ってるうちはいいんですけど、

その刺激に 受け入れられない という抵抗が生じるとイライラして 怒りだります。

これがストレスです。

イライラ、ムカムカ、

そして相手が悪い人に見えてきます。

ただ世界観が違うだけなので相手はキョトンとしてます。

何を怒っているの?なんかマズイこと言ったかな? なんて思ってる

そう、それは相手のタブーに触れちゃったんですね。 自分は知らない相手の禁忌事項(ルール)に。

ルールは一人一人ちょっとずつ違うのです。みんな違う。感じ方が違いますからね。

これが対人関係の摩擦の原因なんですが。自我はいつも自分中心の世界を見てる。

あなたがルールを沢山もっているほど、ストレスは増えます。

世界は、誰かの意図と関わりなく、ただ存在しているだけで

しかも、意味はありません。

一部の人はそれをコントロールしようと躍起になっていたりしますが。

権力などを駆使したりして。

でもね、

皆、多かれ少なかれ無意識にただあるように存在しています。必死になっている人すらもです。

誰かが一生懸命ルールを作ってルールを守ることで摩擦を減らそうとしても、

無意識の摩擦は起き続けます。

それはただの反応です。そこに良いも悪いも正しいも間違っているも 本当は無いのです。

ただ、事が起きているだけなのです。

もし、そこに意図を持ち込もうとしたら、

「だったらどうするのよ」なんて思うかもですが、

何もしません。

自然は 自然に淘汰していくものですから。

博多湾

 

拡がる意識

温かいお正月を過ごされましたか?

お仕事だった方もおられるかもしれません。

どんな風に過ごしていても時間は過ぎ、日付は変わっていきます。

そして、年を越してもやはりいつもと変わりなく毎日が過ぎてゆきます。

良くても悪くても刻々と変化していく世界

それが諸行無常です。で

日常は 何かが起きるとあたふたしたり騒いだりしますが、

何もないとそれはそれで物足りないというか 退屈してしまうようです。

平和がいい!と多くの人が思っていますが、何かの事情で出来ていたことができなくなったりすると

困惑したり凹んだりするかもしれません。

それは、長い目で見ると全ての人に待ち受ける宿命です。

何かできるということはとても幸せなことでもあります。

 

それでも、忙しすぎる人には刺激のない静かな休養の時間が必要で、

何もない人には逆に刺激や軽いストレスが必要だったりします。

緩急のバランスが大事ですね。

 

今日、入院中の方とお電話で話をしたのですが、

その方は認知症もあって、自分が病院から出られないことをとても悲しんでいました。

なぜ自分がそこに閉じ込められていて一歩も外にだしてもらえず、家にも戻れないのか ということを悲しんでおられました。

今、病院はコロナの影響で入院患者さんは外出できず、面会も許可されないので本当にお気の毒なのですが、

認知症でそういう理解もまたすぐにわからなくなってしまわれ「どうして私は・・・?」となってしまうようでした。

そういう時は、今を安心できる方向に促します。

今回はお話を聴くだけでも気持ちが落ち着かれるのがわかりました。

人とのコミュニケーションは大事ですね。

お見舞いは、会えなくても電話でお話するお見舞いもあると思いました。

普段は1人が気楽だ と思っている方も、実は一人ではなく、多くのご縁に繋がって生きています。

繋がりが途切れたように感じると孤独を感じるものですね。

 

その昔、私は孤独恐怖が強いことがあったのですが、その孤独は、『孤独の幻想』でした。

当時の私は、自分には価値が無く見捨てられるかもしれない という恐怖が孤独を恐れていました。

でも、実際はそうではなかった。

みんな、というか、とても多くの人々は自分にしか興味がありません。

自分の家族も友達も 私自身も、基本的にそうなのでしょう。

で、繋がりは自分のためにあると思っていたりします。

相手がどう反応するかは自分にとって都合かよいかどうかを確認するためのものだったりします。

本当に、相手が幸せであることを心から望める 愛 というところから見た時、

そこには全くの見返りを期待しません。

相手が幸せであることを喜ぶのですから、それが自分の下を去る選択でも、

「良かったね!」と言えるのです。

その状態の時、人は 愛として存在するので、そこに自我の都合がありません。

そして自我の不安も無いのです。

それが、愛の至福です。

宇宙くらい大きな意識なので 塵のような不安はもう見えません。

蓮ピンク

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。
2023年になりましたね。
時間って 不思議な感じがします。
あるけど、ない。
ない というのは、本当はいつも今しかないから。
時間について認識している意識の中でしか存在しない時間
でも 私達人間は、常に時間を意識して生きています。
そう思うと不思議。
 
昨年は本当に1年が早く過ぎた感じがします。
一昨年の妹の発病から1年半が経とうとしています。
辛い闘病生活でしたが、お陰様で妹の病気も良くなり、今は元の状態に近くなってきました。
ホントに嬉しいです。髪が伸びて、ショートカットが可愛い。
 
それから、仕事を引退して大阪から転居した父、福岡生活にも慣れてきて、機嫌よく暮らしています。
認知症なので、最初は私の方が戸惑いましたが、返事に困る娘が無口になってもほとんど気にしていないところが助かります。
楽天的でありがとう! という(笑)
そして、
昨夜は姪っ子の誕生日でもある大晦日、毎年恒例で、親族が集まり楽しく過ごしました。
家族は仲いいんですよね。なぜか。
父の楽天的性格が影響しているんだろうか?
いや、母がネガティブだった時も兄弟姉妹仲は良かった。
家庭内がゴタゴタすると逆に結束が堅くなる・・・という。
これは、嫌なことがあっても引きずらない という全体的な傾向にあるのかも。
そんなこんなで、
みんなが笑って年越しできることを本当に幸せに思います。
本当にありがとうございます。
ご縁には恵まれるようで。。全てのご縁が良縁になる と 思っています。
何かあってもなくても 幸せに生きるのは自分次第で、どんな試練も笑顔で乗り越えて行けばいつも笑顔に戻れるという実感です。
何度 年を越してもいつも笑顔に戻ってみんなで笑いたい
今年もそんな年にしていきます。
我が家《アトリエ霽月》では笑顔の源、三にゃんず(じゅん、みな、ゆず)にいつも癒されてます
瞑想と、仏画教室で命の洗濯。今年もニャンズと共に皆さまをお待ちしております。
そして
2023年4月11日~16日
福岡市美術館2FギャラリーA
アトリエ霽月仏画展
 春まで ラストスパート頑張ります!
 多数のご来場お待ちしておりますね。
2023年賀状