2023年01月06日

幻想 その2

幻想は良いにつけ悪いにつけあります。

それはどちらも摩擦の種になります。

ある先生の体験。

その方はカリスマ性もあって多くのファンがいました。

その方の話を聴いて人生が変わったという方も多く、沢山の人に尊敬されていました。

その方の発信する内容は、愛と真理がいっぱいでしたので、

とても優しい人柄に見えますし、その言葉が自分に向けられているかのように感じるので

そこに愛と包容力を見ます。私を愛してくれている ように感じてしまいます。

(その方は全ての存在を愛しているのであって特定の個を特別に愛しているわけではありません)

ただ、とてもユーモアに溢れ遊び心と人を引き付ける個性をお持ちで 明るく前向きな発言で沢山の人がその人を大好きになるのです。

でも、ご本人はそれをそれほど好ましいとは感じておられませんでした。

それは、ある意味誤解だと言うのです。

好きになる というのは 好きになる側の理想や幻想を通して 

その人がまるで自分の理想であるかのように錯覚して好きになる。

そして、近づき、理想でない部分を見つけて 怒りを向けてきます。

「そんな奴だとは思わなかった」 とか

「だなしたな」 とか言うのです。

騙したも何も、最初からずっと このままだっただけで、誤解したのはそちら・・・ というわけです。

カリスマ性を利用したお仕事、インフルエンサーは

ある意味そんな誤解の上に成り立っていたりしますが、

名前が有名になればなるほど、ファンとアンチが増えるのはそういう理由です。

ファンの愛は、理想が剥げたら消えます。

酷い時は好きの度合いだけ恨みを持たれたりします。

差し出したエネルギーを返せ とでも言うように。

勝手に好かれたり嫌われたりするので いくら前向きな性格でも傷付くこともあるのでしょう。

でも、人とはそういう生き物だ という理解も得ます。

この、ファンの立場 を経験したこともあります。

尊敬していて関心がありすぎるあまり、話題にだしてしまうのです。

見聞きしたことだけでなく、推測や想像を盛り込んでしまうこともあります。

自分がそれをされたらものすごくイヤなのに。

される側の立場も多少経験しました。

友人に何かネガティブなこと(当時不安に思ったこと)を言った時「あなたはそんなひとじゃないはずだ」なんて言われて

そんな人じゃないはずだも何も、私は私なんだよ、何だよそれ、 って思った(笑)

良く見られる ということは、その分、その理想形を崩した時のダメージがある ということで

本当の自分ってなんだろう・・・? なんてことになります。

 

本当の自分はエゴも真我も、ポジティブもネガティブも全部あるのが人間。

そして、その部分だけしか見ない とか 部分だけしか愛さない というのは無理があるのです。

表裏一体ですからね。

そう、1つの真実(全部ひっくるめたそのもの)しかない。

そしてその全部をすべて把握する事も不可能なのです。

この世界はあまりにも大きなものだから。

ただ、全てを包み込む愛だけがそれより大きくなることは出来るのだと思います。