2023年01月10日

自我の意識と真我の意識と瞑想

私たちの意識を、大自然と対照的に

マクロからミクロへ視野をフォーカスしていくと、

個人的な世界観に入ります。

他者も知らない 私の世界。

実際は、自分も気付いていない、私の世界観。

それは意識的に作り出したようで、それほど意識的ではなかったかも。。

偶然か宿命か、ここに生まれて、出逢ってきた人々、出来事。

それは個人の意思とは関係なく与えられた環境、ご縁です。

その中でいろんなことを体験し、なんらかの反応も体験します。

感情の解放です。このあたりはとても微妙で、いろんなことが微妙なタイミングで起きることによって体験も変わります。

体験はそれぞれに与えられます。良きにつけ悪しきにつけ。

その中でもどう反応して どんな結論を選択するか が 徳(愛)だったり業(カルマ)だったりします

徳(愛)はプラスの波動

業(カルマ)はマイナスの波動

これが積み重なって 人々が持つそれぞれの波動が決まります

色んなタイミングは本当に微妙なものですが、微妙さが縁を織りなす中で、私たちは導かれるように何かを掴みます。

そう、この自然の法則に気付くまでその流れのただ中にいるのです。

嵐に揉まれる大海の小舟のような自我の意識。

そこから、瞑想状態に入りますと、自我から離れた真我の意識の領域に入ります。

この意識を体験したことが無い という方はまだ自我の意識を手放した状態を認識されていません。

何もかも手放して委ねる 自我の意識が消えた状態になりますと、

ただの認識だけの真我の状態を経験します。

瞑想を始めて間もないうちはまだ自覚できずにいるかもしれません。

でも、瞑想に慣れてきた頃、誰でもない意識になることを客観的に認識できるようになってきます。

安心しきって瞑想状態に身をゆだねることができるようになった時起きますので、最初から体験する人もあれば、何年か越しでやっと体験する人もいます。

邪魔しているのはカルマのエネルギーです。

緊張や不安感がそれです。 思考がグルグルします。

特に不安でもないけど 思考がグルグルする という方もいます。

これは不安という自覚は無いけれど、自分にリラックスを許していない方に多く起きます。
頑張らなければダメだ という考えの方に多くあります。

瞑想は頑張ってするものではありません。

何も掴まないニュートラルな状態に自分を放置します。

そこでは最初は様々な反応が起きるでしょう。

あれこれ、思考が湧いてきたり、ムズムズ、モソモソ、落ち着かない とか。

これは解放期ですので放置しておきます。

出るものが出たら治まります。

瞑想に慣れた頃、自我の意識は瞑想に意味を求めだします。

もし、意味が欲しいなら作ったってかまいません。

健康になれるから とか よく眠れるようになるから とか 

疲れがとれるから、集中力が増すから、良いアイデアが浮かびやすい、

パフォーマンスが上がる とか

色々あります。

でも、一つのものを信じ込みすぎないでください。

トータルで上がっていきますが、好転反応で 溜め込んでた疲れがどっと出てしまう なんてこともあるのですから。

自分の疲れを誤魔化している人は要注意。必要な休養はどこかで清算されます

無理ができる自分が理想形なのではありません。

本来の自然体が持つ安定性へと導かれます。

真我の意識を自覚するには緊張から離れなければなりません。

緊張はフォーカスです。

リラックスがマクロへと拡がる基本なのです。

リラックスは無防備ではありません。

感覚が研ぎ澄まされたパラボラアンテナのような情報網拡大の状態です。

それは超能力に近いものかもしれません。

パラボラアンテナ

バランス

バランス

このブログの中でも何度も書いたことのあるテーマです。

どう生きればいいのか? と思った時
一番重要になるキーワードです。

何が大事か、何を基準にしたらいいのか?という問いかけの答え でもあります。

バランス、つまり調和です。

エネルギー法則の、安定したところ。

現状も、この世界そのものが 常にバランスの取れた状態に安定しています。

「え?そんなはずはない、こんなに生きにくい世の中なのに?」って思う方がおられることと思います。

それは、個人のバランスではなく、世界のバランスのことを話しているからでしょう。

現在は、搾取する側と搾取される側のバランスが取れて安定しています。

でもこれは、無理なエゴの力が加わっているので、あるいみ、かなりの軋轢を含んだバランス状態です。

軋轢=不満 です。

エゴはそのギリギリのところまでエゴを優先します。

いや、ギリギリをこえるところまでやろうとするので、世界は度々破綻します。

おごれるものは久しからず ってやつです。

無理が限界を超えると崩壊します。

Youtube動画でひろゆきさんが、「優秀な人」という言い方をしますが、
全体の状況を見渡せたり判断できる能力を持った人 とも言えるでしょう。
バランスを判断して対処、維持、利用 できる人のこと。

何かにとらわれた狭い視野では無理でしょう。
偏見のない観察眼は不可欠かと思われます。

これはある意味自我だけではできないかもしれないなぁ って思います。

と言ってもひろゆきさんが何も偏見が無い とも思わないんですが coldsweats01
彼は彼なりの世界観があるようで、それは他の大多数の方々とは違うので多くの方が気付かないことを気付けるんでしょうね

そうい意味では日本の価値観と違う価値観に触れるだけでも多くの気付きがありますよね。

当たり前は 正義ではない ということ。

一定の価値観にとらわれることから離れることで ずいぶんと違う見方の可能性を得られるものです。
カルチャーショック、大事ですね(笑)
 

バランスの話に戻りますが、
バランスが崩れると事態は崩壊します。

物事は生命体が成長するのにも似た成長、発展、繁栄、衰退 という進化をします。

創造 → 維持 → 破壊 というサイクルです。

何かを一つづつ積み上げて、大きな高い塔を作り上げ、なお 積み続けた時、土台が全体の重さを支えきれずに崩壊する。

巨木などでも起きますよね、根元が空洞化して全体を支えきれずに
台風が来た時などにボキっと折れちゃう。

これ、経済でも同じなんですよ。
高度成長期があってオイルショックが来たり、

バブル景気のあと、バブルがはじけたり。。

好景気がずっと続くなんて無いですし、

消費社会がずっと持つわけもありません。

だから 今注目されているのがサステナブルという持続可能な在り方

自然との共存です。調和。

この調和が、愛 というエネルギーでつながりやすいんです。

この調和は安定しています。

なぜなら 緊張感あふれる奪い合い ではなく

与え合うという豊かさと温かさで出来ているからです。

私達一人一人がこの波動で生きると 全体は調和します。

大自然も我々一人一人が作り出している ということでもありますね。

雄大なこの世界の一部である私達 ?

空の景色