2022年02月08日

悟りに近いもの

書くことが思いつかないなぁ と思う日が続いておりましたが、
1人の瞑想者さんとやり取りして書きかけていたお返事がブログにちょうどいい感じなので載せてみます。
いつかは悟ってみたい と まだ悩みがちだという方のメッセージに対して。
 
 
そうですね
悟りは、起きることを思い通りにしようと思わなくなるとやって来る ということが言えるような気がしますね。

 
良いも悪いも、天候が変わるように巡るのがこの世の道理です。
それに逆らうことを止めると起きることの本質が見えて来るんです
執着やエゴが絡まないからでしょうか。
 
嫌なものは嫌だけどそれもまあ、起きてしまうのだから仕方がない。
そして、やがて
すべての事柄は過ぎ去ってしまいます。
 
好ましいことも好ましくない事も、
起きてはやがて過ぎ去って消えていく。
 
永遠に存在しているものなどありません。
すべてが常にうつろい行く世界で生きているのが私たちです。
なので、同じ状況  や、固定された状況を望んでもそれは叶わない。
 
ありのままに 起きるまま 流れのままに身を任せてそれを楽しむのが瞑想者流と言いましょうか。。
 
仏教もそのことを教えていますね。『諸行無常』 です。
  
そして、流れと戦わなく(抵抗しなく)なったら、感動することも多々あることに気づき始めます。?
 
期待を捨てると 恵みを感じるようになります。
思いがけず、いろんなものがやって来るのです。
私たちがどれだけ与えられているかを知るようになります。
 
悟りは、ある意味、期待には絶望してるかもしれません。
もしくは絶望したことがあった。
期待通りにならないんだという諦めを受け止める事から始まる気付き なのかもです。
 
悟ってる人は期待はあまり持たないかもしれません。
何でもいいというか、何でもあり というか。
状況次第で身の振り方を変えるやり方をしていると思います。
コントロールをやめてバランスを取るようになるようです。
 
それと、
子供さんがメリットがある時以外はこちらの希望に沿ってくれなくなった ということに関してですが、
生き物の行動傾向は、自分も他人も人間も動物もあまり変わらないと思います。
そうすると、すべての行動が「なるほどな」って思えてきますよ。
 
私は他人のために存在しているのではない。
 
他人は私のために存在しているのではない
 
存在しているから存在しているだけなので、そこに意味や価値を求めても答えは出ない
 
それらはコントロールできるものでもない
 
自分自身の行動に関しては多少思い通りに動かせる。
 
でも、身体は?というと、体すらも思い通りにはいかない。
この身もまた自然のままに存在しているだけなんです。
 
そんな期待通りにならない世界ですが、予想外の出来事を面白がったり、適度におふざけたしりしていると人生はけっこう楽しくなってきます。