2019年03月07日

自分との対話

皆さんは自分自身の意識について考えたり、どんなものであるか観察してみたことはおありでしょうか?

人は何か行き詰ったり困ったことがないと それについて深く考えることは なかなかしません。

最初は外側に起きる出来事や周囲にいる人々に不満などを持つのですが、

外側をなんとかしようとしているうちは まだまだ視野が狭いんです

 

出来事の表面しか見ておらず、それに自分が持っているイメージを重ねて物事を解釈しています。

そして その事に一生懸命抵抗しています。

 

ですが、その外側の出来事をどうにも持て余し始めると どうしたものか悩んで

ある時ふと自分自身に意識が向きはじめます。

どうにもならない出来事を気にせず 平気な自分

あるいは どうにもならない と もがくより うまくやり過ごして乗り越えてしまう自分になれないものか? と。

そこでまた 一つの壁にぶつかります。

自分 というものが実は思い通りにならないものだ ということに気付くのです。

 

私たちの感情は 意識とは別に発生してきます。

意識は冷静に対処したくても 感情は内側から湧いて出てくるんですね。

この感情を瞑想ではカルマの感情と呼んでいます。

カルマはエネルギーで それが感情という形になって内側から外に出て行きます。

 

この感情に飲まれている時

私たちの意識は冷静になることができません。

感情と世界の出来事がごっちゃになって 世界は酷いもののように感じてしまいます。

 

瞑想は このカルマのエネルギーを掃除しますので

内側から噴き出す感情の量が減って参ります。

感情に飲まれにくくなるのです。

感情は少しは出てきますが

冷静さもあるので 飲まれずに 自分の感情を観察することができるようになります。

 

瞑想経験が多くなっていくと、もはや感情は私たちから冷静さを奪えなくなります。

感情が噴き出す前に自分の内側で感情と対話し ベストの解決策をいち早く見つけることが可能になります。

 

もちろん、外側の世界はとても大きいものですので

阻止できないものもあります

そういう時は安全に避難することが先決です

 

真の冷静さはあなたとあなたの周りの人々を護ります。

真の冷静さには この世界を受け止める大きな愛と慈悲があります。

それは私たちの魂が元々持っている命(真我)の性質です。

別の名を神の意識 神の視点と呼びます。

学歴や頭の回転速度とは関係なく魂の大きさ 愛の大きさによるものです。

成長した魂の姿です。