2018年04月04日

執着を外す

人生の中にはいろんな学びがありますが、

宇宙の法則 の中に 重要な法則があります。

これは人間、特に自我にとっては重要な試練です。

 

基本的に私たちは 愛になる学びをしていますが、

愛と間違われやすいものに 執着 というのがあります。

執着 愛着 愛情 情 これらは煩悩の元になります。

 

愛情の何がいけないのか? と言いますと。

いけない というわけではないのですが、 一方的な思い 観念や情を押し付ける というのは エゴから出た思い なのです。

 

エゴは 我の思いで、自分の都合であって それは愛ではありません。

正しさとか正義のおしつけもそうです。

 

葛藤するのは、相手が学びの試練に向かう時 

 

その学びは失敗とか挫折の体験でもあるので、

その時の痛みを考えると 避けて通って欲しい と思ってしまう親心のようなものがあって、これは人間に近い霊的存在(守護霊)もこのような思いを持っています。

 

でも、高次元の意識(ずっと高い所の神様)は すべての経験を許しているので、それは止めません。

体験させて学ばせるのが高次元の神のやり方です。

結局は体験したときに本当に身に染みてわかるので 失敗もやった方がいいことが多いです。

できるだけ早めに 修復が小さなもので済むうちに。。。。

 

小さなつまづきのうちに失敗や物事の原理に気が付いていると 大きな過ちは犯しません。

ですが、失敗という体験をしたことのない元々真面目な人や、

ずっとエゴの力が強く、なんでも思い通りにできてきた人は 

後になって、とりかえしのつかないようなところでひどい失敗をして 思い知る ということになったりします。

それが 手痛い失恋だったり、経営していた会社の倒産 とか、 大病を患って健康を失う とか、家族を失う とかそういう類の大きな出来事で頭を打つ という ということが起きたりします。

でも、それも運命の一つなのですが。

 

上記のような すごい痛みが一気に来ますと、 人は悟ってしまうことがままあります。

悟りのためにそのような経験がある としたら、 神様はちょっと残酷です。

 

でも、私たちは悟ることで 全体か幸福に向かいます。

それだけエゴが カルマを作っているということでしょう。

 

エゴは強烈です。

 

瞑想をすれば エゴのエネルギーは薄れていきます。

エゴが得ようとしているのは 承認の枯渇感であったり、癒しであったりするのですが、

瞑想はそれを満たしていくからです。

 

宇宙の法則  『執着するものは失う運命にある』

これは、エネルギーが凝縮されたところは圧が高まりすぎて 他のエネルギーが薄い所へ流動する流れができます。

つまり、押し出してしまうのです。

執着でこちらへ寄せたいあまりに そこにエネルギーを注ぎ込みすぎて、

本来求めるものの存在するスペースを自ら失ってしまう という皮肉なことになります。

 

執着を手放して 自然にそこに存在させてください。

それはそこにあるかもしれないし、移動するかもしれないし、

それはわかりません。

でも、来るものは来て去るものは去ります。

我々の見る世界は諸行無常であります。

私たちの魂に必要なことが必要なだけやって来て 事が起きます。

お天気のように 晴れたり曇ったり 

 

穏やかなエリアはどんなものも癒され 存在しやすく エネルギーは安定します。

 

執着を外しましょう。

握りしめる手を離しても それはなくならないんです。この世界に温かく存在させましょう。

 

むしろ、きつく握りしめるほど圧迫され するりと手の中から飛び出してしまうでしょう。あなたの念が そうさせてしまうのです。

 

ただ、心の中の執着を外すだけで 大丈夫です。 

苦しみから解放されます。

陽だまりのようなエネルギーでいてください。

優しいものの集う場所となりましょう。

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