2021年10月19日

良し悪しの基準

何かが良いとか悪いとか

その基準て どこにあると思いますか?

 

私達人間は、ついつい あれがいいそれは良くないと 何かにつけてジャッジするのが好きですが

それはマインドがやっていることなんです。

マインド = 思考  です。

そのマインドにはいろんな基準が入っていて 

それぞれの頭の中にある基準のラインは、人それぞれだったりします。

なので、誰かがすることに驚いたりショックを受けたり、疲弊したりして

「ええ~~っ、、、そんなことするなんて信じられない!非常識な!!!」なんて

思うことが起こります。

そう、あの人は私と違う基準を持ってるんですよ。

それは あの人にとって してもいいことだった。

されてもいいことだった。。。

と言うものの 逆にされた時って びっくりするくらい怒ったりするんですけど。(笑)

されたら怒るのにするのは平気 

「あなたの物は私の物、私の物は私の物」的な?自己中思考と言いますか (笑)

最初はみんなそうなんですけどね、子供時代、分別がつく前は、自己中な見方しかできない

自分の気持ちしかわからない時ですね。

更に 何かをされて怒っている時、 人の批判は己の鏡

怒りを相手にぶつけてみると「オマエモナー」って幻の声が聞こえたりします。 (私だけかな?)

でも、この世の学びって するのもされるのも いずれは経験するので

そのうち気付くのです。

体験してみて初めてわかる気持ち

その両方を体験して世界を理解するんですよ。

経験って大事ですよね。

 

たまに 経験しても尚 一方的な気持ちしかわからない人いますけど、

そういう人は学びが終わりませんから 何度も何度も同じ摩擦を経験することになります。

おやおや? もし あなたが何度も同じ体験ばかりしてます とおっしゃるなら、

それはユニバース(この世界)の メッセージを見逃しているかもしれません。

宇宙の法則は 押し並べて平等に働いています。

エネルギーのあるところに 事象は起きるのです

自分が原因のことも 周りが原因のこともすべて関係者に必要な学びです。

皆で体験を共有してますからね。迷惑をかけたちかけられたり

それを許して手放す時

あなたの真の自由が訪れます。

摩擦の感情は瞑想で手放しましょう。

普段から瞑想をしていると 手放すのがスムーズになります。

 

そして重要なのは手放す時、産みの苦しみみたいな大きな解放の時は、

できるだけ抵抗しないで起きるままにさせておいてください。

下手にコントロールするよりも早く終ります。

カルマは解放されるほどに 内側からどんどん減っていくのです。

 

その人の一生分のかるまは バケツ1杯だよ

とボブは言います。

終らないカルマはないのです。

あなたが 終える と決めると

流れはあなたからカルマを引き出し、終わらせていくのです。

流れの行きつく先は 広大な海です。

海のような魂のふるさと

あなたは命そのものだったということを思い出します。

天使の梯子

思いが流れを連れてくる

思いが現実化する という宇宙の法則を耳にしてから

意識と事象の関係を意識して眺めてきました。

全く 本当にそうだな と頷くことばかりでした。

今はそれは揺るぎの無い確信になっています。

 

この世界は

私が確信する 当たり前なことが起き続けます。

 

当たり前だから起きる のではなく、そういうものだ と 設定されたことが起きるのです。

 

豊かさの循環は 

私が豊かだと感じると 豊かさはやって来ます。 当たり前のように。

私は人が大好きで、この世界は愛で出来ていると思っています。

私が人にすることを 人も私にしてくれます

粗末にすると粗末にされ

依存すると依存され

腹立てると腹立てられます。

嫌うと嫌われ 恨むと恨まれます。

大事にすると大事にされ、与えると与えられます。

それは対象者からではなく

違う方向から巡って来る。

因果応報って おもしろい。

身に覚えのないことをされたら、それは自分がしたんだけど忘れてしまったこと

前世のこととかも覚えてないし 先祖の因縁も私の記憶にはないのだけれど

今の私は 腹立てたり見下したり恨んだりするより

私は愛でいたいのです。

自分を犠牲にするとか 義務に縛られるなんてことは

できない質だけど、 

自分がしたいことは 止められない


私にやりたいことを諦めさせられるのは 流れだけ なのです。

私はこだるところは強情なので 流れは 私を止めるのにけっこうハードな事をしてきます

割とわかりやすく止めに来るのです。

人の言う事は聞かないけれど、流れには逆らわないことにしています。

私の中の 神の声、

そうしようと思っているのに動かない体や

そう思ってないのに口が言う言葉も 

私を運んで連れて行くのです

要らないものを落として

神のいるところに 愛のあるところに行けと言う。

全てが,私がエゴを手放すことをサポートしてくれているんだな と じんわり実感する日々です。

エゴの思い通りにならなくていい

流れは幸せなところに運んでいくのです。

要らないものは落とされ

流れの中で ただ 愛でいるだけでいい。

こんな簡単な事だったとは 昔の私は信じないんだろうな 

そうと思うと

肩の力を抜いてごらん と 言ってあげたいのです。