2021年10月20日

共依存

日本人は共依存的 という言葉を見ました。

たしかに。

私は誰かのために。誰かは私のために。

他者の存在や仕事に依存して それが無いと自分の生活が揺らいでしまうのは

共依存に他なりません。

ドキっとしたあなたは共依存かも。(私も少し)

私は元々 バリバリ共依存だったので それが今残っていても全然不思議じゃない。

でも、どっぷり共依存の時は 本当に生きるのが苦しかった。

誰かが現状をキープしてくれないとまさに生活が揺れまくるのです。

他者をコントロールする必要が生じます。

もう大変。。気が揉める。。怒りがいっぱい。。裏切られたとか思っちゃう。

そんな日々はコリゴリです。

日本社会は かなり共依存的要素が高い ・・・というのは

支え合っている関係性で成り立っているからです

それは愛から出てきた関係性のスタイルですが、

どこかで 愛で縛る 共依存へすり替わってしまうのです

共依存は 愛じゃありません。愛が抜けた時、それはただの依存。

相手の自由を認めません。 強烈なエゴなんです。

そこには

「それをされたら困る」「迷惑かけるなよ」「みんな思いやり合っているんだからさ」

「私がどれだけしてあげたと思ってるのよ」「あなたも返しなさい」「あなたも我慢しなさい」

などという 自己都合と正義の押し付けがあります。

それをしないで愛でいるためには

他者の意志や望みを尊重できることが大事です。

ああ、それはちょっと困っちゃうこともあったり、残念だったりするけど、

あなたがそうしたいならそうしていいよ。

そう言えること。

現実的に困るならその移行にどれだけ協力してくれるか 尋ねてみましょう。

もし、ぶった切られても、その人には共依存から脱却する必要があったならば

その卒業は必要な事なのです

共依存であったことが問題なのですから。

手放しましょう。

共依存を引き剥がされる痛みがあった時は

共依存であったことを手放しましょう。

あるがままであらせることが愛だよ と ターラが言います

温かく微笑みながら

グリーンタラ顔