生きる

フィーリング

チャネリングとか 霊能、霊視

これらの能力を持った人は とびぬけてフィーリングを感じ取る能力が長けた人です。

フィーリングはどの人間にも感じ取る力がありますが、その感度は強い弱い という個々の違いがあります。

何を感知しやすいか というのにも個性があります。

 

これはどちらが どれが良いか ということではありません。

感じ取りやすい、影響されにくい という違いがあるだけです。

どちらにもメリットデメリットがあります。

これは生まれつきの性質なので 得意な人は得意ですし、不得意な人は不得意なのです。

 

ただ、持っている才能を訓練して更に磨く ということができます。

絵が上手な子供は美術専門の学校に行って更に才能を伸ばします。

走るのが速い子は体育系の学校に行って、スポーツ選手になるかもしれません。

本を読むのが好きな子は学問をします。

得意なことを集中して続けると更に発達し洗練されます。

使わなければ ちょっと得意 な程度でとどまるかもしれません。

この才能を 生かすも殺すも 才能を育てるサポートにかかってくるのですが

自分自身でこれを支えられるようになってからは ただ、信念を持つこと ですが、

幼少期は親がそれを担います。(ここで持って生まれたカルマの発動です。予定通りプログラムされたカルマがインプットされます。)

親の立場であれば注意を払ってください。

この段階で親が失敗しがちなのは、苦手なことにエネルギーを取らせすぎることです。

苦手は苦手でいいじゃないですか。

もし社会に出てそれが不都合なら 頑張ってできるようにするのもいいかもしれません。

それはできるのが当たり前 ではなく できるようになって良かったね~ と喜びます。

完璧などもとめないでください。完璧を追求するのは 専門分野だけで十分です

 

非の打ち所がない完璧さが 幸福をもたらすのではありません。

そこには人知れず苦悩があるかもしれません。

 

私がどう生きるかは私が決めるのです。

あなたがどう生きるかはあなたが決めています。

誰かに決めさせるのでも決めてもらうのでもありません。みな、自分で決めるのです。

人に決めさせたと思うあなたは、人が決めたそのことを選びました。

あなたの観念の中にはそれ以外の選択肢は見えなかったかもしれません。

人は無意識に選択していることも多々あります。

じゃあ、どうしたらよいのでしょうか?考えれば考えるほどわからなくなってきます。

人に聞くことはただしいのでしょうか?

実のところ

どう生きるか 何をするか どうしたらいいか の答えは あなた自身のハートの中にしか本当の答えがないのです。

他者の物差しで生きるのは窮屈です。自分に合いません。当然ですそれは他の人の居心地のいい場所なのです。

ハートとマインドも喧嘩します。 葛藤です。 考えと思いが対立すればするほど、強く葛藤します。

ハートに従ってください。

 

ただ、自分の行動と世界は摩擦を起こすこともあるので それはサーフィンで波に乗るように物質世界と自分のポジションのバランスを取るのです。

逆らおうとするカルマが取れれば取れるほど 流れに合致してきます。

 

この流れをどう泳ぐかはあなた次第です。

流れに逆らって遊ぶもよし、流れに乗って楽ちんなのもよし、

最終的には大いなる流れの大きさの前には 流れの目的地に連れて行かれますが。

 

この三次元世界を あなたは どう生きてみますか?

 

楽しい生き方のヒントをお教えいたしましょう。

あなたのパターンは手放さなければならないかもしれませんが (笑)

何をするかはあなたが決めます。ただ、瞑想教師は方向性を示す道しるべのようなものです

未来がある のではなく 今のあなたが未来の今を作ります

ガイドを有効にご利用下されば幸いです。

天空の城

 

愛が鍵です

今回のボブ氏の博多ワークショップで 強く印象に残ったこと、ボブ氏から受け取ったエネルギーを みなさまにもお伝えしたいと思っています。

現在のこの世界はとても変化の大きい時期で、これまで維持されてきた物質文明の転換期でもあるのです。

それは物質文明と科学、自我の解釈の限界点 

いろんなものが飽和と限界に直面しているところです。

人類が自然に対して加えてきた人工的な加工、自然からの搾取とバランスの限界

それら人工と自然のアンバランスが限界点に近づいている ということです。

人間が調子に乗ってやりすぎてるんですね。 人間増えすぎてますから。

 

私たちは自然に育まれてこの地球上で暮らしていますが、人間のエゴはとどまるところを忘れてしまっているのです。

地球は 人類に これ以上の横暴をやめてください と言ってきていますが、物質依存の人間は耳を貸しません。

便利や贅沢を手放せずに所有することに執着し続けています。

 

所有というのは 人間の観念の中で起きています。

実際は所有権というのは 幻想ですが、幻想の鎖(観念)に我々人間はとらわれてしまいます。

暴力的な支配 は恐怖によって他の人間をコントロールするのです。

全体は 一人一人が身勝手に欲望を発揮すれば収拾がつきません。

ですが、ルールで縛られた世界もまた 支配には変わりないのです。

 

ではどうすればよいのか? 

 

その答えが愛でつながる ということです。

そこには規則というものはありませんが、見事な調和をもたらします。

これが神の意図する調和です。

歪みが生じれば成り立ちませんから、全体が部分を癒し調和に融合させます。

 

エゴはそんなことが実現すると思えない と言い 破滅に向かって行進を続けようとします。

それでいいのでしょうか?

 

便利を手放さねばならなくなるかもしれません。

享楽の刺激は少なくなるかもしれません。

 

ですが、愛の欠乏がゆえに享楽に溺れ、依存するよりも、 

カルマから解放され 愛で満たすことの方がはるかに幸福なのです。

人々が執着するお金、それははパワーがありますが、

愛のパワーはそれよりもはるかに広範囲に届き、持続性があります。

エゴのエネルギーがくっつくものは 摩擦とアンバランスを作り出してしまいます

 

愛は癒します。みな、それを求めています。

エゴが勘違いしているのは 癒してくれるのは他人の愛だと思っているのですが 本当は

自分の愛が発動することが必要なのです。

そのための瞑想がELM瞑想です。

優しさを取り戻し、恨みを手放します。

こころの傷を癒します。痛みを取り除くのは薬ではなく、愛なのです。

 

実際に愛そのもので生きるとどうなるのか?

限りなく実践してみたいと思う今日この頃です。

灯

1日瞑想会を終えて

本日は1日瞑想会でした。

午前の部は男性が多く、午後は女子のみ という珍しい日でした。

女性か増えるとお話に花が咲きますね。いろんな具体的な話題が出ます。

たぶん、私が女性なので 具体例を沢山話せるからかもです。

 

具体例は どれも一つの例にしかすぎません。

一つの例がすべてを決めるのではなく、いろんな要素や、いろんな選択肢で 現われは様々なバリエーションを持ちます。

話が自分とは違うと感じられることももちろんあるでしょう。

どんな認識もアリです。価値観や世界観は様々です 

物事に正解があるわけではないのです。

ではどう判断すればいいのか?と戸惑われる方もあるかもしれません。

私はどうしたらいいんでしょう?と尋ねたくなることもあるかもしれません。

 

その時、神様(高次元の意識)ならどう答えるかご存知でしょうか?

その答えは 「好きにしなさい」 です。

答えを持っているのは 自分のハートなのです。

 

本当は正しい生き方 というものはありません。

様々な生き方ができるようにデザインされた生き物が 私たち人間なのです。

 

ただ、宇宙の法則に逆らって生きると 流れとの軋轢が大きくなり、障害 とか やりにくさ、厳しさ、苦しさ、困難 を味わうことになります。

 

誰も逆らうつもりはない と思っているかもしれません。

ただ、カルマの感情は怖れや痛みから逃げたいと感じ 抵抗してしまうのです。

 

我々は、摩擦や刺激を見ながら エゴを緩め世界の大きなエネルギーの流れの方向を知るようになります。

ただ、最初はそれを認識していないのです。

 

この世で自分がエゴの出っ張り、トゲトゲを持っているとあちこちにぶつかって摩擦を起こします

その角を丸めることが 人間が丸くなる っていうことです。

 

自然にも磨かれますが、進む方向が見えれば回り道をせずにまっすぐ早く進化します。

 

丸く生きるのと、丸いふりをして生きるのは違うことだということは皆さまもお分かりかと思います。

本当に大事なのは どのような心、波動を持っているか に尽きるのです。

この世界ユニバースにごまかしは利きません。ただ在る通りの波動がダイレクトに作用します。

目先の刺激にぶれないでください。

 

あなたの心、魂 波動 に穏やかな微笑みをたたえてみましょう。

あなたのまわりを幸福が取り巻きます。

瞑想があなたを穏やかにし、あなたに幸福をもたらします。

白蓮

 

 

 

子供との関係

私たちの意識は真我の上に肉体にある自我という機能がくっついています。
これは自己防衛反応です。
 
この機能が増大しすぎますとワガママになったりエゴイスティックになります。
 
元々幼少期は意識が 本能的な反応と エゴの反応のみで感情が発動します。
でも、人間は集団で生活する性質の生き物ですので、集団の中で体験してかかわり方を学んでいきます。
ここで、どんな大人に関わるか で生き方が変わります。
どんな見本が来るかで身に付けるものが変わります。
 
大人は 教えるよりも見られている と思ってください。
その姿、立ち居振る舞い、反応を 彼らは身に付けるのです。
 
表面的なものではなく、根底に流れるエネルギーを受け取ります。
 
ただ、見本であってください。
 
優しさがあれば優しさを学び、
批判があれば、批判を学び、
反発があれば 反発を学びます。
エゴがあればエゴを学び、
悟りがあれば悟りを学びます。
 
子供は大人の鏡です。しかも、裏側を映し出す鏡なのです。
 
だから、子供は親を育てることになるのです。
 

親以外の影響、時代背景や流行のものが違うので

現われは異なって見えるでしょう。

そんなものに価値を置くなんて!と感じられるかもしれません。

でも、その行動パターンや思考のパターンは親御さんのパターンと同じになるのです。

 

中には親御さんより先に悟るお子さんもおられます。

親と子供の立場が逆転しているのですね。

親の気持ちが大人になりきれないまま わがままで子供に甘えると

子供は大人の役割をせざる得なくなってしまいます。

子供を体験することなく大人になるので、根っこが空虚になっていることが多いのです。そういう時に身体に不具合が現れたりします。

こういう場合、親御さんが自覚されて変わると一番いいのですが

それが難しいほど親御さんのエゴが強いと、

お子さんは自分で自分を育てなければなりません。

一から自分を愛する愛し方を学んでいきます。

 

誰しも愛される存在であることを自覚してください。

あなたは神から愛されています。 その存在を実感するには

意識を変える方法で確かめることができます。

その方法をお教えしています。

 

お子さんもお母さんも、お父さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも

みんなが幸せでいたいのです。

心の中の不安や痛みを手放し

思いやりあって 互いを幸せにできれば どんなに幸福なことでしょうか。

 

すべては あなたが源です

 

楽しいねずみ

 

子供の生命力

子供の生命力はすさまじいものがあります。

か弱い小さな体で生まれてきますが、けっしてか弱いものではありません。

内側から放出するエネルギーは有り余っているのです。

それらはのびやかに外界に向かって発散されます。

彼らは外界の環境に触れて鍛えられ 学び 多くのことを体験しながら、

見て 聞いて 嗅いで 味わって 感じて 知って 吸収したり、 

摩擦を乗り越えたりして

たくましく育つ

そういうパワーをもっています。

 

どんなに大事なお子さんでも この子は弱い と決めないでください。

彼らの秘める可能性とエネルギーは大人の想像を超えています。

子供は大人よりも柔軟で 喜怒哀楽がはっきりしていて それでいて順応力や 瞬発力も持っているのです。

エネルギーを押さえつけて内側に閉じ込めないよう 心を配ってください。

 

本当に危険なことを回避するためだけに警戒心を残しておきます。

 

子供は 大人より劣っているわけではありません。

ただ、経験がない、もしくは浅いだけです。

大人よりも鋭敏な認知能力があります。

彼らは頭でなく 身体全体で感じ受け取ります。

 

もちろん理解力もあります。

感情でコントロールしようとしないよう気を付けてください。

彼らは本質を見ています。

実は大人よりもよくわかっていたりします。

 

小さな紳士淑女として敬愛してください。

自分自身を大切にしたり、自分を信じられるように育ちます。

 

大人と同じようにプライドがあります。

強さを信じて 見守ってください。

育てる大人の価値観を吸収します。

大人が見本です。 

 

見本でいられる大人であってください。

在り方、生きる姿を見せることが教育です

 

子供は大人の夢の身代わり役ではありません。

子供自身の命と人生を生きます。

思うままに 羽ばたいて 多くの経験を乗り越えます。

自分の意志で生きれることは 幸福です。

 

あるがままにさせ 学びを見守る愛。

愛でいてください

そしてかつて子供だった あなた自身の命とエネルギーにも

同じ愛を向けてください。

芽

 

本能と感覚

寒い日が続きますね。 今年は雪が降るのも早く、本当に寒いです。

 

私は、長らく続いた咳も原因がわかり、人に移らないと一安心で

治療も病院に指示を受けましたが、紹介された専門病院に行く前に 治ってきてます。 coldsweats01

 

行かなくてもよくなりそうです(笑)

 

睡眠 と 瞑想  ですかね~  smile

 

実は 西洋医学の対処療法的な治療には 疑問を感じておりまして、

薬で症状を抑えることは 根本的な治療とは ちょっと違う と考えておりまして

基本的に健康体をベースに 身体が治すのが一番効率がいい と 思っています。

 

ある瞑想仲間が 検査の数値はよろしくないのに まったく健康で 薬を飲んだり治療をすると悪化する

という不思議な人がおりまして、 

その人は独自の治し方をするのですが、 本当に本人のやり方の方が治る という例を見ることがあり

とてもとても不思議に思っていたのですが、

 

なんだか 自分もそうじゃないか と感じる今日この頃です。

良好な状態の体感と そうでない時の体感が 自分でわかるのです。

これは瞑想をしていると、ベースが整うので 自分の状態が良いか悪いかをダイレクトに見分けられるようになってる と言えます。

ですから、風邪が入ってきた様子 とか いつもと違う感じ とか 違和感のある場所 とか質とか

そういったものの様子が 体感で予想がつく感じでした。

より自然の本能が活性化される ということだと思います。

 

身体 というのは自然の創造物ですので 自然の力を意識が観察してる感じです。

 

それと 自分の一生が あるていど運命通りに生かされている という意識もありますので

自然体で生きていると 本来の一生を自然のままに終える ということがわかっているのです。

そういう自然から与えられた自分の身体や命や 運命と共に

それらと仲良く折り合って 平和に生きる ということをしたいと思っているのです。

 

ですから 無駄な負荷をかけないためにも 強引な行動や欲を慎み、

平和に優しく 生きていたいのです。

 

自分自身に環境を与えるのは意思の役目ですので 一体の生命として 賢明でありたい と思っております。

自然に優しく は自分にも優しく生きることですね。

そして 多くの恵みを与えてくれる環境も守りたい。

 

自然に感謝を感じる今日この頃です。

 

菜の花と富士

在るように在ること

自分らしく生きる ということは 思い通りになる ということではないのです。

 

理想どおりに 思い通りに させたい という 自我(エゴ)を手放すこと。

 

それが あるがまま

 

ある人が言った言葉

どこに植わっていても 杉は杉らしく真っ直ぐに、松は松らしく曲がって伸びるのがよろしい  と。

 

芽

 

人との関り

日常生活では特に気に留めませんが、 

意識についてのことを書いてみます。

 

価値観といいますか、世界観 

これはその人がどんなエリアに世界観を見ているか で 変わります。

 

人と」価値観が違う時など 相手の言ってることの意味が分からず

 

「は?」  ってなっちゃいますけど、(笑)

相手の世界観の中ではそれがとても正当なことだったりします。

 

ありえない、 意味がわからない、 頭おかしい、 なんて憤ったりなんかしますと

相手を理解することを拒否していまします。

 

特に家族など、近い関係で深くかかわらなければならない相手ほど、その感情が強く出てしまいます。

関係ない他人は まったく、関心など持たず、スルーすればいいだけなのですが。

家族は意見や見解の違うそのことで摩擦が起きてしまうのです。

 

何? と  びっくりしたときは 

「信じられないわ!」 と言ってしまうのをやめて

この世界には いろんな価値観があるのだな と 傍観してみましょう。

 

「へぇ、そんな見方もあるのか」 

「この人は何にこだわっているのだろうなぁ」

「なぜ そう思うのだろう?」

 

背景や 深層心理がわかると、 意外と とっても理解できたりします。

そういうことがあったなら そう思ってもしょうがないよな  って。

 

それと、

物事をとらえる意識の位置で ものの見方はとても変化します。

こちらがどこからものを見てるか です。

 

個人のエゴのエリアは見解が狭いです。

「何それ、しんじられない」のエリアです。

 

実はこの言葉、母の口癖でした(笑)

なんで信じられないんだよ  と よく心の中で突っ込んでました。(苦笑

見解が狭い (笑)

自分の価値観しか信じないとそういうことになります。

 

他の人とは 過去の体験が違うのです。

感じ方や 好みも違います。

性格も違います。

 

「何それ、信じられない」  って言われると、 言われた方は その後は言葉につまってしまいます。

しつこく説明するか、 もういい って こちらから切っちゃうか ・・・

 

私は しつこく説明するタイプですが、

元夫は 切っちゃう派でした。

 

当時は 歩み寄る余地 なかったなぁ。。(^_^;)  とても無力感を感じてました。

そのうち 自分からも何も言わなくなった。 

これ、断絶ですね

 

言っても理解してもらえないだろう って思っちゃうんですよね。

言い方とか情熱にもよるのだと思うのですが、

一度傷ついちゃうと諦めがちですよね。

 

でも、もしかしたら 相手もそう思ってたのかもです。

本当のところは 違っていても共存は可能なんだと思います。 

 

相手のやり方は尊重して 敬意をもってそれぞれが共存する というスタンスだと 関係は壊れることがありません。

例え、離れたり、家族を解消することになったとしても

それぞれが尊重されるところに 摩擦はないのです。

 

摩擦は エゴが思い通りにしようと 周囲を支配しだしたとき、ひどい摩擦になります。

 

あるがままを 尊重する  は  とても 自然な調和です。

 

あるがままを 尊重できれば、すべてが収まるところへとスムーズに収まっていくのです。

間違った場所にしがみつかなくjても 縛り付けなくても よいのです。

未来を心配しないでください。 ダルマ・流れ という大いなる意識を信頼してみましょう。

日々を懸命に生きればよいだけです。

日々を輝く人には 必要なものがやってきます。

これは本当に不思議かもしれませんが、世界の意識は 我々をっ見守っています。

この意識を 神 と呼んでいます。

Godafoss falls

自信なんか持たなくていい

自信がないとお悩みのあなたに お伝えしたいことがあります。

ズバリ 

自信なんか 持ってなくてもいいんです。

 

人間は所詮未熟です。

 

完璧な人間などいないのです。

あなたが見ている完璧な人物 ・・・それは完璧に見えるだけです。

 

成功している人は 自分の長所を生かして いくつものチャレンジを乗り越えた結果 です。

 

チャレンジもしていないのに 経験も積んでいないのに

自信がないのは当たり前です。

 

1回や2回や3回や5回や10回 の失敗体験にめげないでください。

誰だって失敗するんです。 いっぱい失敗するんです。

誰だってうまくやりたいですけど そうもいかないこともある。

 

人生なんて失敗の連続です

うまくいかないことをなんとか生き抜くのが人生です。

そのチャレンジ といいますか、 不安定な道のりを上手にバランスを取りながら生きれるようになることが

生きる ということです。

不器用なりでいいのです。

 

器用にやっている人をうらやましく思わないでください。

持っている長所が違います。

自分に合わないことにしがみつかないでください。

 

自分のために試練を乗り越えてください。

トンネルのような先が見えない時期もあるのです

 

とにかく前に歩きます。

 

上手にすることがよいのではなく、

生きようとすることがすばらしいのです。

 

あなたが生きていることを充分に実感した時

神が喜びます。

あなたの魂が喜びます。

 

死んだように生きてはなりません。

生きてください。

 

輝く生き方というのは そういうことのようです。

 

あなたが幸福ならば その形はどんな風でも良いのです。

今を不満に思わないでください

不満などキリがないのです。

 

あなたはそのままで完璧に素晴らしい魂なのです。

 

生きています。生み出され、生かされています。

 

この人生という機会を楽しもうとしてください。

そう、つまらないことも バカバカしいことも 楽しめるのです。

 

自信は生きてきた実感と共についてくるものなのです。

笑うネズミ

幸福を選択する 3

気が付くと時間が過ぎ去っていることが多くなりました。

今 に 没頭すると 時間の感覚がなくなります。

目の前ではいろんなことが起きています。

 

また同時に 止まっているようでもあります。 常に今の連続で、ここには今しかありません。 そんな感じです。

 

過ぎ去ったことを引っ張って生きなければならない ということはありません。

未来も心配を拡げればきりがありません。

今に全力を注ぎます 

そんなスタンスになってきました。 

過去に意識を向けると 妄想が拡がります。 未来もそうですが、過去を追いかける方が吸引力があります。

でも 最近はあまり過去のことは頭にありません。

 

なんだかんだ言ってますが、

なにか忘れていることがあるようなら ごめんなさい (笑)

もし私が忘れていることがあってご迷惑おかけしていたらば 速攻言ってくださいませ!(^_^;)ゞ

今しかないのは 年齢のせいかもしれませんね(笑

 

 

さて、本題ですが、

魂は肉体に降りてくると、その一生のうちに担当する一定量のカルマをやり終えてあの世に帰るのだそうです。

そのテーマの体験と学びをしにこの世に生まれる ということをするようです。

何を体験するかが 生まれる前にすでに選択されているようです。

そして、その決め事を 一度すべて忘れて 人生が始まるのです。

何を体験するのかわからない新鮮な状態で 様々な体験がスタートします。

 

喜び、悲しみ、怒り、安楽 苦悩 様々なものを体験して 魂が成長する機会が与えられます。

カルマの出来事は あなたの魂が学び、成長するために起きています。

出来事は あなたの中に眠っているカルマを外に出すために起きています。

 

もしあなたが これまで 長らく怒りを内側に封じ込めているのなら 出て来ようとするものはたくさんあることでしょう。

 

あなたが 怒りを発散しやすいように 誰かが上手にやらかしてくれて あなたの怒りを引き出してくれるでしょう。

そのチャンスに乗って、怒りを速やかに開放し、カルマを終わらせていくのがあなたの使命でもあります。

 

問題は、

相手が悪いのではなく、 相手はあなたのカルマの解放を手助けしてくれる役目を果たしたのです。

 

ありがたいことです。 一つ課題が終わりました。

 

過ぎ去るものに未練は残しません。

 

この世のすべての物質、現象は 変化しつづけます。

変化するものを留めようとしたり、執着したりすると そこで葛藤が起きますので、執着も手放します。

私は私を苦しめない努力をします。

私を幸福にするのは私自身にしかできないからです。

他者に幸福をゆだねると、他者に依存して 別の苦しみが生じます。

自分の幸福は 自分で責任を持つのです。

 

成熟した魂の意識です。

 

そして 自分を幸福でいさせることに熟練してきたら、

 溢れる幸福感と愛を 他者にも分けます

これが分かち合い というものです。

溢れる愛には見返りが必要ないのです。

 

このことにより、あなたは 他者から 見返りを求めない愛を受け取るようになります。

これこそが 真の豊かさです。

与える事の喜びと やってくる愛に包まれる人生が始まります。