2018年02月07日

摩擦

負のエネルギーが現れた時、こんな言葉で表現できます。

摩擦・軋轢・ストレス・プレッシャー・葛藤

それに感情が伴うと、

嫌感がありますね。強いものは嫌悪とか怒り、悲しみ、 それが抑圧になると葛藤して苦しさになります。

 

摩擦のエネルギーです。

 

嫌だなと感じる感覚は、生体反応ですから ごく普通のことです。

この体は自分にとって良いものを悪いものを区別して意識に知らせます。

反応する対象は 人によっても違います。

何を危険と感知するかで 変わります。

小さい子供は 危険なものを知らないので、危険なものに対しても怖れを抱かないことがありますね。

危険と認識するために体験や教育が役に立ちます。

でも、役に立つのを通り越して、それこそ 取り越し苦労をする原因にもなります。

過剰に防衛反応が働く時です。 嫌悪感が起こります。

正義 という観念が発動された時には 相手を攻撃して排除しようとします。

 

これって、客観的な視野でないことがままあります。

そう、自我の都合で正義を発動するのです。

戦争ではこれがよく起こります。

正義を発動する側はいいのですが、発動される側は 困ったりします。

それは本当に悪なのか?

 

ただの摩擦を 善悪で裁いてはいけません。

摩擦は消えずちょっと向こうに押しやられるだけなのです。

 

愛のエネルギーを持ったとしましょう。

この世界の苦悩に慈悲の心を向けます。

そう、観音様みたいに。

そうしますと、そのカルマは癒され消えるのです。

 

イエス・キリストは、「右の頬を打たれたら左の頬を差しだしなさい」 とおっしゃったそうですが、

これは、

そんなに怒りのエネルギーをため込んでいるなら、ここで出して楽になりなさい

という意味を持っていますね。

自分の頬を差し出すなんてすごい勇気ですが(笑)

 

相手が怒りを吐き出したら 相手は楽になるのでそうしたがるのです。

意識とは裏腹にそれが起きたりもします。

そのエネルギーを受け取って投げ返したら永遠に負のキャッチボールをしないといけなくなります。

負のエネルギーは受け取らず、その辺に捨て置きましょう。

 

人が暴言を吐いても それは真実ではありません。

それはその方のカルマの感情なのです。

エネルギーではなく、真実は何か を見てください。

 

愛は癒しを起こし、歪みを戻し、世界を調和させます。

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