2017年12月12日

あるがまま という愛

あるがままにさせておくのが 神の愛

神は我々を裁く存在だと思いますか?

 

実は神は何も裁かないのです。

 

因果応報 というのは 自ら発したものの結果 ですので これはただのエネルギーの法則なのです。

エネルギーの法則は万物に平等に作用しますので 例外はありません。

ただ、どの例も それぞれに環境的条件が変わりますので 作用の仕方、時間や現われは一律になるような単純なものではないのです。

 

それらの作用の中で翻弄されながら 自分の身の上に起きることを学んでいく人間を

 

神は静かに見守っています。

 

それぞれの学びを邪魔しないのです。

 

荒ぶる神 と呼ばれるものは 自然現象のエネルギーです。

それを神と見て 作用を 意思に見立てているのが 日本の八百万の神です。

創造主の神(命の源) は 手を出しません。

ただ 意識が存在しています。

調和 という意識です。

 

私たちに人間の学びは あるがままにさせておく愛 というものを知ることです。

 

他者への干渉は 支配欲から来ます。

あるがままを愛し、その存在そのものを愛する ということが神の愛を知る ということです。

 

リーダーシップのあるものは リーダーとなり 集団を統率し護りますが 支配してはならぬのです。

エゴが支配を始めたとき、そこに歪みが生じ、軋轢と亀裂ができはじめるのです。

リーダーも 一般も それぞれが人として敬愛しあうことが 平和そのものです。

 

エゴを持った人間と付き合うことは 摩擦はつきものですが、

エゴにエゴで対応すると、 衝突し、喧嘩になり、憎み合い、争い、戦いはじめるのです。

戦わない初めの一人になる勇気は 本当に必要だと思っています。

愛として存在することが世界を調和へ導きます。

 

そのままにさせておくにしろ、止めるにしろ、、

愛が動機の選択は 愛ある結果を生みます。

 

始めの一人になる勇気を持ちます。

あなたは源です。

 

もちろん 独りではありません。

キバナセツブンソウ