神という言葉ですが、みなさまはどんなイメージをお持ちでしょうか
神 と 言葉で表現すると 受け取る人によってイメージが違っていますと、
語弊が生じることがあります。
伝えたいことと 聞いた方の取り扱うイメージが違ってしまって 理解が混乱するのです。
何か信仰をお持ちの方は信仰するご本尊?としての神 とおもうと、
その神 という表現は 神聖なものを汚された気分になるかもしれません。
なので、神という言葉の扱いにはいつも 躊躇してしまうのですが、
私が神と表現するものは 特定の宗教宗派のものではありません。
神 と呼ばれているもの、
仏 と呼ばれているもの
大いなる存在 と呼ばれているもの
ユニバース、高次元の意識、 いろいろな言葉で表現される それ
私はそれらの存在はじつはいろんな人間が同じもののことを見ていて それぞれの解釈で自分たちの神、仏として信仰しているのではないかと思っています。
これは私独自の解釈ですので 特定の宗教宗派を否定するものではありません。ただの見解です。
なのでここでは私の解釈での神を扱わせてください。
その、 神という存在
ずっと最初から今、未来まで 在る普遍的な意識 として存在した 神 です
それは私たちの意識の故郷なのだろうと とらえています。
私の認識する神には特定の宗教における教えや戒律のようなものはありません。
(宗教における戒律に関してはまた解釈と見解がありますが、それはまた別の機会にお話ししようと思います。)
ただ、この世界の法則性と 原点が存在しています。
神 という意識は 始まりはいつなのかはわかりませんが、宇宙が存在する最初からあったとも言われています。
意識 そのものが 存在しているのだと思います。物理的な実態はありません。あるのは波動だけかもしれません。
その意識には方向性があり、流れを持っています。
それは 調和 であり、その調和が 愛 であり、 繁栄と豊かさと美しさに包まれているのです。
私たちが気が付くことは 愛を持って調和することで豊かな繁栄に向かう のですが、
自我という個々のマインドは それよりも肉体のプログラムを優先して目先の損得で動いてしまいがちなのです。
全体の流れが見えず、目の前の反応だけで対応してしまいます。
これがエゴです。
生き物ですからエゴがあるのは当然ですが、
想像力・創造力を持った人間のエゴは 増大していくのです。
内側の神を忘れ、表面的なエゴが増大した時、神と法則を忘れ、この世界のバランスを見失います。
神を思い出すと、神の意向を知ると 調和に向かいます。
これが平和と豊かさと繁栄につながるのです。