スタッフブログ

情報共有

個展前の慌ただしい日々を過ごしております。

制作モードになると日常の業務がストップしがち。。。

集中モードが違うのですが 以前に比べて切り替えが難しくなってきたかもしれない
どういう加減かはわかりません。年齢のせいかも?(笑)

あれやこれやの雑念を払うのに音楽を聴いたり、音をかけるのですが、
Youtube動画を聴いていて、注目の動画を発見しました。

もうご存知の方もおられるかもしれません。

ネドじゅんさんという方が悟りモードの脳の使い方を体感できる方法を紹介していました。
これはすごい気付きだ~ と思いましたのでシェアしたいと思います

ネドじゅんの三脳バランス研究所 実践スタート基礎1

これはワークの方法なので練習が必要ですが、悟り脳の状態を作るのにとても有効です。

幸せ脳 とか 縄文脳 って言い方もできます。試してみてください。👍 

揺さぶり

今年は波乱の幕開けでしたね。

元旦の地震のニュースは日本中にも激震をもたらしました。

被災された方々へ 心よりお見舞い申し上げます。

なかなか災害救援などが届きにくい地理でのことだそうで

この寒い時期の被災、どれだけご苦労の多い事かとお察しいたします。

一刻も早い救援や安全な生活の再開を願っております。

このような大きな揺さぶりや犠牲は 災害地域以外に住む人間にも揺さぶりをかけます。

これらは決して他人ごとではありません。

いつどこで誰が被災するか などわからないからです。

これはそれを恐れたり 不安になったり 苦しんだりしろ ということではありません。

それだけ私たちの平和など 永遠ではない という自覚が必要だということです。

今在る幸せは永遠に約束されたものではない 儚いものなのです。

私たち人間の命は 限られた儚いものです。

その人としての命をどう生きるか 問われているのです。

何事かを成し遂げろ という意味ではありません。

命を大切に生きているか? と問われているのです。

私達の意識が この身体に居る時は、ありとあらゆる制限があります。
身体から抜けてしまうとそうではありませんが、

身体にいるうちはいろんな制限があり、出来ることには限界があります。

でも、だからといって、つまらない生き方を我慢しろ というわけでもない。

あなたにできる最大限の喜べる生き方をしていい 

身体はともかく、物質的に自由になるものが少ない と 嘆いている方は

自分自身の可能性にまだ気付いておられません。

物質に依存してぬくぬくと生きている間は自分の可能性に気付けないことも多いのかもしれません。

だから、いろんな予想外の体験を経て、本当に大事なものは何かに気付き、

自分の真の可能性に目を向けだすのです。

人生がひっくり返るような衝撃的な出来事を経て、多くの魂たちが目覚め始めます。

その魂たちは 新しい世界を創り出して行くでしょう。

多くの人が助け合える可能性を使い始め、人が支え合う強さを認識するのです。

この文化は日本はとても発達しています。

先の東北の震災でも、熊本の震災でも 大雨の被害でも人々は助け合って再スタートをしました。

愚かな方法は捨て、愛あるコミュニティーを作っていくのです。

些細なことにこだわることを手放し、

本当に大事なものを見据えていくのです。

次世代の若者にエールを送りたいです。

新しい世界を作るのは優しさを知っているあなた方です。

どんなサポートができるのだろうか?と考えたりしていました。

私は未来の若者の生命力と感性を信じています。

あなた方は大丈夫だ 自分を信じろ とお伝えしたいです。

逞しく 優しく。

古い観念を打ち破り、自由で 愛に溢れた 世界を作ってください。

大人は全力でサポートを。

愛に気付くだけで拡がります。

人間はまんざらでもないのです。

 

恭賀新年

 
あけましておめでとうございます。昨年中はアトリエ霽月をご愛顧頂き、誠にありがとうございました。
年末にかけて 五十肩が出たり、熱を出したりと慌ただしいというか動きを封じられておりましたが、
開き直ってゆるゆるやっております。
なにはともあれ、機嫌良く💗
 
🌸 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様に多くの祝福が注がれますように。
 
今年3/9~17には 福岡県うきは市吉井町 矢野邸蔵ギャラリーにて 個展を開催予定です。
(封じられついでにDMチラシ原稿がまだ制作途中のまま)
近日中に詳細を発信いたします。
今回は会場が広いのでこれまでの作品を一挙に展示予定です。
吉井町は旧街道の宿場町として栄えた所で、立派な武家屋敷、日本家屋が文化財として今も保存され続けています。
個展期間はお雛さまめぐりのイベント中。素敵な町ですので ぜひ観光がてら 個展にお立ち寄り頂ければ嬉しいです💗

近況報告

ここしばらくブログをお休みしてしまいました。

3月の個展に向けて制作を優先していたので 
制作しだすと他の全てがストップしてしまう という弱点がございまして、
なんだか脳の使い方がうまくいかないんですよね、わけわかんなくなっちゃう。

それが、年齢と共に拍車がかかっておりまして、全体的にペースダウンしております。

父の介護も相まって、諸々ペースダウン。(まぁ、しょうがない)

そんなこんなアタフタ暮らしておりますと、

やっちまいました。五十肩、悪化させてしまいました。

ん~、なんだこれ、痛すぎて何もできないんですけど?

こういうのは、なにがしか 止められてるんですよね。

欲張りすぎとか 無茶しすぎ とかで。

自分的には「いやいや、無茶どころかしなければならないことが全然出来とらんのですが~!」と叫んでおるのですが、

それがそもそも欲張りで無茶。だったりするわけ。

のんびりなようで、実は全くそうでもない。

痛がりながらワァワァ言って頑張ってる?と、

家族に痛がるのを見てられない といわれまして、

明後日は整形外科行ってきます。

五十肩って どうにかしようがあるのかしらん。

まぁならなければならないで やること減らします、っていうか

諦めます。

個展だけど、必要最小限の事を押さえて、3月は個展開催実現させます。

うきは市の吉井町はすごく良い所ですよ。3月はお雛様巡りの展示中で華やか。ぜひ遊びにいらしてくださいね。
そんなこんなで搬入や受付の助っ人さんも募集中なのです。

吉井町の美味しいランチやカフェ目当てにぜひ!😊

戸村寿子仏画展は3/9~17の予定です。案内状が完成しましたら後日アップいたします

人間という奇跡

私たち人間はこの世界を謳歌してきました。

色んな夢を膨らませ、いろんな功績を積み上げ、

色んなものを得たり、失ったり、

そしていろんな感情を味わって生きています。

この変化こそが人生の旅路です。

善きにつけ悪しきにつけ、それらの変化は 人生の彩りです。

もし 今、

あなたが、あなたの人生を気に入ってなかったとして、

何でこんな風なんだろうとか、

自分に与えられたのはなぜこんなものなのか?

と 思う方もあるかもしれません。

それは、

ありとあらゆるバリエーションの中から、あなたの魂が選んだ環境やご縁でした。

自分が選んだ記憶などはありません。
ですが、あなたの魂はそこに生まれてくることを承諾したみたいです。

え~、こんなのなんて知らなかったよう!ひどすぎる!

って思ったとしても、 たぶん、

「うん、それでいい」って言っちゃったんでしょうね (;´∀`)

何度も生れ変る輪廻の体験の一つです。

ここで、何かを掴んで帰るもよし、

まぁ、無駄な時間だったかもな なんてこともあるかもですが、、、

いえいえ、決して無駄なものなどないんです。

だって、それは貴重なデータの一つなのですから。

薬品開発のエビデンスも大いに越したことは無いですし。

魂の記憶のバリエーションも検証するデータが多ければ多いほど

正確な結論が出せるというもの。

そしてまた、すごく貴重な 例外を体験するのもまた

大変興味深いことなのです。

どんな人生も貴重な体験です。

そこで学ぼうと思えばいくらでも 愛 を学べます。

だってここには多くの人間や生き物が生きている世界で、

あなたが愛を渡したり、受け取ったり、

奪ったり、奪われたり、拒否ったり、拒否られたり、 と

様々な体験ができるのです。

愛とエネルギーの法則

スピリチュアルに関心が高い方はもうご存知でしょうが

最初は、「なんだよ、そんなルール(法則性)あるなんて聞いてねーよ!」とか

やさぐれそうになっちゃうんですけど、

それが分かった時、

「ええ~、知らんで損したぁ~~」って叫びつつ

自分を使って検証するわけですが、

これがもう最高に面白くてシビア。

全ての人間、いや人間だけじゃなくて全ての存在に対して平等にはたらいてるんですよね。法則性は。

ただ、その本人がどんなエネルギーや波動を発しているかの自覚があるかないか は違いますけど。

降り立った地と、オリジナルの装備(正確とか体質とかの個性)と 自分の波動(思いや生き方)で なにがしかの作品を紡ぎ出しているわけです。

気がつけば、無意識にやってきたことも多く、

実は自分のことが一番わからない。

だけど、この世界を自分の身体を使って どう生きるかを選びだしたら

今までになかった面白い人生が展開していくのです。

 

今の時代は幸いです。

こんな面白い事が分かり始めて、それがじわじわと多くの人々に拡がって知られるようになりました。

まだ知らない、知りたい!という方はぜひ アトリエ霽月にご連絡ください。

この新しい世界観に必要なのは内側のお掃除です。

多くのものを抱え込んでいる状態では 新しい贈り物を受け取ることができないですから

頭の中に一杯になった未消化の感情を浄化するためにELM瞑想がとてもお薦めなのです。

瞑想を始めているけど まだわからない という方は 荷下ろしがまだ終わっていないですので そういう場合にも瞑想教師との対話をお薦めいたします。

人生の行き詰まりを感じたら、チャンスです
新しい世界へ進む扉の前に立っています。

あなたからのご連絡をお待ちしております。

瞑想伝授、瞑想セッション、カウンセリングのご用命は

お問合せフォームからご連絡ください。
お急ぎの場合はお電話でご連絡くださいませ。
電話に出られない場合はお問合せの旨留守電メッセージをお残しください。手が空き次第コールバックいたします。

アトリエ霽月 戸村寿子

人間の身体と心

すっかりブログをサボってしまいました💦

このところは、ぼちぼち仏画の個展準備に入っておりまして、
そういうモードになると頭の中が仏画一色になってしまいます。😓
集中する というよりか、他の事が抜け落ちてしまう感じ。。
できる人もいるかもしれないけど、私には無理っぽい。😅
これがどうにも修正できないのでいつのころからか諦めた感じ。
「完璧は無理」ポンコツを認め、降参しました。

しばしば思うのですが、特に私?(もしかしたら他の人も)
日常生活で 自分の行動が気分に左右されることが多いなぁ と思います。

何を決めるにしても気分で決めているようなものかもしれない。
客観的に 考えたり判断したり は、瞑想をするようになって感情が静かになってからやっとできるようになったことで。。
そうでない時はいつも感情でゴチャゴチャだった。
(なにせカルマ満載でしたから)
だから他の皆様が感情に振り回されるのはごく普通のことだと思います。
それに女子は特にホルモンバランスに左右されますしね。
男性にもホルモンバランスあると思いますよ。女子ほど上下の振れ幅が顕著じゃないだけで。
ストレスでホルモンバランス崩れたら体調も意識も不安定になるでしょ。
カルマとホルモン これは大きいなぁ。
振れ幅には 個人差も大きいですけどね。

集団に属していたり、人目があると 規範通りに動こうとするモチベーションが高くなりますが、
行動が個人的なものになるほど、気分に左右されやすいものだと感じます。

会社で働いている時や人目を気にしないといけない立場ではキチンとしたいのは日本人の特徴かもしれません。
でも、そういった自分の気分を抑え込んでしまう行動は、
いろんなものを抑圧したり、ストレスが溜まりますので
別の所で解放がおきたりするものなのです。

2023年の現代はどうなのかわかりませんが、
ちょっと前までのサラリーマンのお父さんがお酒の席で羽目を外すのなんかはそういうのなのでしょうね。

今の時代は昔に比べてかなり圧力は抑えられて来ているようですが、それでもまだまだありますよね。

ただ、社会・・というか(集団)会社の常識 とやらに 意識的にとらわれている人もまだまだ多いようですので
意識的に縛られて不自由な日常になっている人が多いかもしれません。

組織や集団の縛りは 適度ですと人間が効率よく働くのに役立ちますが、
過剰になっていくほど、人々が奴隷のようになってしまいます。

自分自身が 自分の思い込みの奴隷にならないよう気を付けたいものです。

あなたが苦しければ それは 適度 ではありません。

充実していて、よく働く自分を褒めてあげられる程度が充分な量なのです。
悲しくなるほど働いてはいけません。

適度なストレスは 人生のスパイスです。平和過ぎると人々は退屈でストレスが溜まります。
活動するようにできていますからね、この体は。
でも、やはり過度のストレスは病気の元です。

苦しくなったら、ひとまず全ての問題を脇に置いて、
何も掴まない心の状態に戻ります。(心だけ荷下ろしします。しばらくの時間だけでもいい)

押し寄せる感情の波に飲み込まれている時でさえも
内側の静寂に立ち返るのです。瞑想はそのための時間。
飛ぶ鳥も羽を休めなければなりません。

もしも 今
あなたの人生に試練が現れているなら、あなたは愛のためにそれを乗り越えてください。
愛でないもののために戦う必要はありません。

そして、本当の愛とは何なのか という大きなテーマを
見直してほしいのです。

それが分かった時、あなたは新時代の生き方ができるようになるでしょう。

感情の波が過ぎ去った時、あなたは本当に大事なことがわかります。
そのためにも試練は必要なのです。
あなたが試練を越えた時、あなたの魂は大きく成長しています。

焦らず、心を鎮めて 静寂から世界を見てください。

愛の波動

人を動かしたり変えたりする原動力は

怖れ か 愛 のどちらかです。

カルマ か 愛 か

この 愛 は 恋愛や執着を含まない エターナルラブ 永遠の神の愛 のことです

人間の本質にある 優しさや慈悲の心で それは見返りを期待する意識はありません。

日本人はこの愛「困っている人があれば助ける」という意識を持った人が多いので

全世界から賞賛されることも多いようです。

日本の文化は素敵です。

でも、エゴはあらゆる隙間に入って来ては
意識に我を混ぜ込んでしまいます
これは肉体を持つ生き物の防衛反応なので仕方がないのですが、
エゴの意識は 全体を見渡す余裕が無い ということと
愛ではない波動(怖れ)を持ち込み始めるので せっかくの愛の波動を下げてしまうのです。

愛でないものは摩擦を生みます。
摩擦が生じた時に、愛はその摩擦を溶かしますが、
愛でないネガティブな波動は 火に油を注ぎます。

なので、事が起きた時は特に 波動を愛に戻す ということが必要なのです。

他者のエゴが あなたの何かを奪ったとしても、
あなたは愛でいたほうがいいのです。

あなたの持つ波動は あなたに次の豊かさをもたらします。
物質的豊かさとは限りません。
あなたが満たされる状態になっていくのです。

そういうことを説いている宗教や宗派は多いので 
それで救われる人々も沢山おられるでしょう。

ただ、人間の心には隙間に染み込むエゴと潜んでいるカルマがありますので
きがつかないうちに怖れを元にした考えが発生してしまいます。

危険なものは回避すべきですが、行動のベースが怖れになっているなら
あなたは 愛を忘れているかもしれません。

宗教は、真理を教えとしているものも多く、それを手掛かりに幸せな生き方ができるようになることも多いです。
何か心強いよりどころを感じて安心することによって、怖れから離れ、波動が上がります。
でも 宗教 という仕組みに問題があって、
教えを理解する前に、戒律という形にとらわれ、怖れてしまうことや
それで他者を裁き始めることなのです。
それをせずに 愛がベースで快く戒律を守って暮らすことには何の問題もありません。
(怖れを煽って信者を集めている宗教はこの限りではありません)

波動を愛にする ということがどういうことか を理解した時
多くの宗教が 真理を見ている ということに気付きます。

教えや戒律の表現はそれぞれに違っていたり、時には何かにとらわれたものもあるかもしれません。
摩擦を回避することに熱心になりすぎて 人間の本質を忌避したり、悪を生み出したりすることもあります。
でもそれは怖れに他なりません。

大事なのは 愛 に戻ることです。

そうしなければならない のではなく、そうした方が幸せに生きられるからです。

目先の問題ではありません。

おうちの中や家の周りを掃除するのと同じです。

綺麗な場所で気持ちよく暮らす 

(笑) 片づけられなくても 愛に満ちた波動ならば
それはそれでいいですよ。

笑顔のある生活を。

本質に気付く

10月も後半に入り、ずいぶん涼しくなってきましたね。
そりゃあそうだ と思いながらも
毎年今日は暑い、今日は寒いと言いながら
季節が」変わっていきます。
1年が早く感じるのは歳のせいでしょうか(笑)
ホントに早いです。個展まであと5ヶ月ほどしかない!ヤバいです。

御多分に漏れず、お尻に火がついて焦る性分は直らないというか進行してます(苦笑)
そんなこんな 普通の人間の生活。焦っても仕方がない。
できるようにやろう。というところにいつも落ち着きます。

さて、話は変わりますが
皆さんは 宗教に対してどんなイメージをお持ちですか?

私は30代くらいから仏教に興味があったので、
いくつかの仏教系の宗教団体とかお寺にお説法を聞きに行ったりした時期がありました。
今は行ってないです。お説法はYouTubeで聴けますからね。

36歳の時に福岡に引っ越してきて、ママ友さんからスピリチュアルを教えてもらってからは
特定の宗教団体に入ろうとは思わなくなりました。でも『真理』というものはあるんです。

神 とか 仏 という意識の存在もあると思います。
私にはその声は言葉では聴こえないのですが、
意思や感情は分かる気がします。
なんで神仏がいると思ったのか というと、

それらの意思表示を示してくる時があります。
これはどうしても それ としか思いようが無いだろう!というほど、
はっきりしたものを示してくることがあるんです。

でも、そういうものに気付く ということをしなければ見逃したり、
気のせいだ と思ってしまうものなのでしょう。
流れの方向性や法則を知らないうちもそれは見分けがつかないかもしれません。

ただ、私達人間の在りように合わせて、それに意思表示してきます。
そして、それを感じ取る私達自身のことをハイヤーセルフ と呼びます。

私たちの内側にハイヤーセルフの声を聴く

この世界の動きを見てユニバースの意思を読み取る

そして、ハイヤーセルフやユニバースの喜ぶように生きれば
神仏も私達自身も幸福を感じて生きることができます。

でも、身体の方のシステムの方が強いんですよね。
危険回避のシステム、未知のものを恐れるシステムです。

知らないものが怖い というのは それは敵かもしれない という怖れなのですが
その時に、それが味方や守護だ という可能性は切り捨てちゃうんですよね。

危ないいからチャレンジしない というやり方です。

私の個人的な体験では 未知のものが怖い と思っていた時期は、生きることそのものが恐ろしかったです。

私は不幸になるかもしれない とか、まだやったことも無い事をうまくやれる気がしなかった。

それをやってみたこともないくせに なにもせずに 最初からうまくやろうと思っていたのでしょうかねぇ?
笑っちゃいますよね。当時のプライドはすごく思いあがっていたのかも? 
あるいは ちゃんとできないと愛してもらえない と思っていた とか。

で、まだやってみたことがないことは 最初は上手に出来ないものですよねぇ。普通は。
それを最初からうまくできないと投げ出したら もう何にも出来るようになんてならないですよね(笑)
頑張って褒めてくれる人がいてくれないと成り立たない。
周りの大人に恵まれなかった人は苦労します。
スタートがマイナスだもんね。(^_^;)

でも、やってて楽しい事はそんな評価とか割とどうでもよく何度もやって気が付いたらちょっと人より上手になっていて
また気分良くなってますます上達していきますよね。

だから好きな事をした方がいいんです。

でも、そのことに興味が無い他人は、それを評価しません。

興味が無いんですから 当然です。みんな、興味の対象は違うんです。

なので あなたの好きな事をしてください。 とことん。

そうすると 自分のしていることを楽しめて ハッピーになって他人にも笑顔を見せたり
親切にしたりするようになるんです。
身内に脚を引っ張る人がいる場合は苦労するかもしれません。
その人は たぶん、育っていく過程で 自分が否定されたんだと思います。

その戦いが 敵がいなくなっても続いてしまうのでしょうね。
自分が否定されたくないために他人を否定する という、
誤った方法を取ってしまっているのです。

だから否定しないであげてください。

もちろん、自分も否定しなくていいんですよ。

誰も間違ってはいないのです。一生懸命生きただけ。

そういうことがわかって、あなたが大きな愛に気付くと
世界はあなたを祝福し始めます。

それはやがてリアルな体験をすることになります。

そういうものが 真理として宗教が立ち上がるのですが、
どういうわけか 教えを語り継ぐ間に、本質の愛の意識が空洞化してしまうようです。

それが形骸化した宗教です。

あなたは本質を知るだけで 真理を体験します。

この世界は愛でできていますので、
人間の怖れや我欲、恨み を手放してしまえば
愛しか残りません

何が愛で 何が愛でないのかを 私たちは学んでます。

宗教の教えは 縛るものではありません。

それを頼りに愛を見つけていくためのものなのです。

縛り始め当た時、本質を見失います。

体験を通じて 人間の我と愛を見極めていくのです。
あなたは 愛を体験してください。

愛を選べばよいのです。

物理法則とスピリチュアル

スピリチュアルって以前は非科学的なものとして扱われていましたよね。
超常現象 って表現されたり。

でも、知れば知るほど、物理法則どおり。
今は物理学的にも意識の波動とか証明されちゃったので
いろんなところでいろんな人が引き寄せの法則とか意識が現実化することを発信していますね。

面白い時代になったものだと つくづく感じます。

ちょっと考えてみると、昔(ちょっと前まで)は
自分たちが知らない物理法則は 超常現象 って言ってたのか・・・ 
非科学的とか迷信 なんて言い方もあるけど。

その昔、地球が平らなお盆のようなものだと思われていた時に
地球は丸い!と言った人を「頭がおかしい」って周りのみんなが言ってたのと同じ。
当たり前 ってのは「正解」とは限らないのですよね。

面白いですよね。

人間ってどれだけ自分を賢いと思いたいのか? って笑っちゃいますよね。

正義を振りかざす っていうのも同じですよね。

主人に滅私奉公したり、君主に忠義を誓うのがカッコイイ生き方だと思っている人、現代はもういませんしね。
いるのかな? いないと思うけど。

あ、いや、いるかも。
社畜と呼ばれるみなさん、滅私奉公しちゃってる。
でもこれは 主人にじゃなくて、給料に滅私奉公してるんですかね。
資本主義社会 というのはそういう社会。

これは人間が幸せになれそうにないシステムみたいですね。
お金の奴隷にはならない方がいいし。

でも、お金を持っていないと生きづらい都会に人間が集まっちゃって
お金が無いと生きにくい生活を続けようと必死に労働して お金を流通させてる。

これ、「六道輪廻から抜けられないよう~」っていうのと
同じ構造じゃないかな?

お金の崇拝をやめないと経済六道輪廻から抜けられない
つまり、天国になったり地獄になったりの綱渡りが続く ってことですね。

お金と文明、お金が無くなることへの不安から
増やそうとして 無くしたり、取られたり、
なかなかに怖い六道輪廻かも。

そういう時、不安をあおる原因の一つに
病気になったらどうしよう とか 死んだらどうしよう 
路頭に迷ったらどうしよう っていうの がありますね

これ、魂は死なない ということがわかると、途端に怖くなくなっちゃうんですよ。

身体が死んだって私はいるんですもの。存在するんです。意識が。

そしてまたどこかに生まれるかもしれないし。生まれないで見てるだけをするかもしれないし。

その意識の状態が かつて戸村寿子だったことを覚えているかどうか なんてことはどうでもいい。

それはほんのひとときの経験でしかないのだから。

人生なんて本当に一時の経験でしかないです。 
というのはもう残りの方が少ない人間だからそう思うんですけど。(笑)

確実にある期限を見てそれが来るのを恐れる というのは なんか面白くないですよね。
それは、死 というのがあまりにも未知だと感じているからでしょうね。

知らないものは怖い。
だから使い勝手が悪くても知っているものの方が安心 なだけで。

資本主義社会は、それを操っている人のためのもので、
お金は単なる手段で神ではない。

道具に命をかけたり、道具のために魂を売ったりするのは
悪魔に魂を売るのと同じに思えるのだけど。

それが正しいことだと信じていたり、嫌だけどそれでしか生きられないと思い込んでしまっていたら、
かなり生きづらいだろうな と 思うのです。

この世界の人間が作ったシステムだけを見るのではなくて、

もう少し元からある自然の流れや意識の持つ力のことを知って
この世界を生きやすい生き方をしてみませんか? と私は大きな声で言いたいのです。

で、それが知れ渡るのが次世代の人間の生き方。

新しい時代の到来なのです。

宗教性と科学は融合するでしょうね。
誤った宗教性も淘汰されるんじゃないかな と 思っています。

でも、人間は間違ってみないとわからないので、
どれもが必要なプロセスなんでしょうね。

妄信は危ういです。「間違った考え」という表現は微妙なんですけど、
妄信って何世代にも渡って引き継がれちゃうものですしね、
気が付いたら幸せになれないものにしがみついてる。

何が違うのか というと、
摩擦を起こす行動は生きづらく、摩擦を手放すとスムーズ。
(だけど慣れない生き方は怖いみたい)

そもそも、なぜわざわざ生きづらい生き方を選んで来たか ですが、
人間はスムーズだけだと刺激が足らなくて退屈するみたいで
欲にかられたりして いろんな摩擦に飛び込むんですよね。
たぶん、今生で魂がそれをやりたかった ってことみたいですが、
それが嫌になったら、止めていいんですよね、本当は。
(だけど、慣れない生き方は怖いみたい)

いつだって 本当は選択は自由。

ただ、集団の妄信は沢山犠牲を出すので
早めに大勢が目覚めて欲しいなぁと思うのでした。

戦争なんてのも集団自殺みたいなものです。

まだ寿命でもない生きているものを殺すのは本当に大きなエネルギーが要る。

そんなところにエネルギーを使わないで
分け合って多くの命を育むことに使って欲しいですよね。ほんとに。。

現代人のテーマも同じです。

分け合って多くの命を育む というのは

自分の命も守られる ということです。

私がするから 私もされる。 それしかないのです。 エネルギーだから。

愛の波動はピンク色 だそうです。
ピンク色の中で喧嘩しにくいですよね(笑)

あ、これは桃色かなぁ(笑) 概ねピーチのペールピンク🍑
個人的にはこのピンクが好きだけど
ボブさんはマジェンダのピンクって言ってたので

👇こっちですね

これでも少々 私の好みに寄せてます(笑) 色ね。

視野

世間ではいろんなことが話題に上がりますね。
災害が起きたりスキャンダルが話題になったり。

刺激的な出来事が起きると人々の関心は一気に持って行かれますね。

関心事って意識という画面の大部分を占めちゃいますね。

ロシアのウクライナ侵攻はこの世界、地球上という単位でみると、随分規模が大きな出来事のように見えますが、
個人的なトラブルなんかは個人としてはウクライナ以上の関心事だったりする。

意識 というスクリーンの中での大きさは、実際の大きさとは関係なく捉えられる。

瞑想者、覚者が達観する というのは、
このズームアップされた関心事項から 限りなくズームアウトして
広範囲を捉える ことですね。

問題は一瞬でちっぽけなものになってしまいます。

痛みにフォーカスしている時は 
この世の終わりのように思える痛みも、
過ぎて痛みが消えてしまうと すっかり忘れてしまったりもするのですが、
カルマのエネルギーが抜けきってない場合はまだまだ痛んでいるので、その傷は大きな厄介なものに感じてしまいます。

神視点では一時的な通過点でしかない出来事も
痛みを感じている当事者には酷い許せない出来事にしか見えなかったりします。

ですがそれも、いずれ過ぎて消えてしまうものなのですが。

痛みから離れたい場合はカルマを終わらせるか、

刺激から離れるか、どちらかしかないでしょう。

でも、カルマを終わらせたい魂は 痛みを感じて昇華しているので
いずれにせよ持ち越しているカルマの痛みは避けようがないものもあります。

それでも、もっと早く終わらせたい 場合には、

赦して 責めない

ということを受け入れますと、摩擦は起こらなくなります。

平和な心というのは そういうものです。

摩擦に懲り懲り とおもえたら、摩擦から手を引こう と思えます。

でも、不思議と人間と言う生き物は 摩擦や苦しみを好みますね。
平和は退屈だったり寂しかったりするのでしょうか。
刺激は魅力的なのかもしれません。

 

一方的に酷いことに巻き込まれる魂は、

先祖のカルマを請け負って、終わらせていく使命を持っているのだそう。

とても勇気があり、愛の大きな魂なのでしょうね。
試練を引き受けた魂は大きく愛へと成長し
蝶のように羽ばたきます。