身体

身体さん ありがとう (笑) 

今日は仏画教室の日でした。

仏画教室は午後13時半開始なので 

軽く昼食を取って、昨日のコーヒーの残りに牛乳とお砂糖を入れてカフェオレを作って 持っていきました。

お茶を持っていくことは多かったのですがカフェオレを持ち出すのは久しぶり♪

なかなか 美味しかったのですが、量が少なかったので もうちょっと飲みたくなり、

今度は自動販売機のミルク入りコーヒーを買って飲みました。

うん、これも美味しい。。。

 

ここまでは良かったのですが、

そうだ カフェインの影響を受けやすい体質だった。。。

知っていたのですが、舐めていました。

カフェイン過剰です (ノд-。)。。

 

具合が悪くなってきました。

これ、時々なります。

ごめんなさい、自分の身体、舐めてました。

なんだか 体がだるい。。。 

はいはい、過ぎたるは及ばざるがごとし・・・

欲に負けました。

自制心の欠如です。 orz

 

身体 ってやつは、面倒な。。。

この体は私の意識とは別物 というのを実感する瞬間です。

基本的に自制心はかなり薄いので こんなことはよくあります(苦笑)

 

意識が予想していないことが身体に起きると 体という自然物に驚きを感じます。

こいつ(体)は私の支配下にあるものではない  ということを実感します。

 

そう、この体はこの世界が作っている生命体、自然物なんです。

私たちの魂(意識)は、この体を世界から借りて 乗っかっているだけだ ということを改めて思います。

 

昔は、気に入らないところだらけの 大嫌いだったこの体

何でそんなに嫌ったんだろう?

 

この体で愛されなかったから?

 母は子供への関心が薄い人だったんですが それは本当は私のせいじゃない

それを理解するまでにかなりの時間を要しました。

自分が嫌いになってから 15年くらい後。

 

今?  ですか?

今は嫌いも何も、この体は私のパートナーでもあるわけですから

大事にしてますよ。

私の周りにいてくれる人たちと同じくらいに愛してます。

 

ちょっと面倒なとことか 欠点はあるけれど、

使い方によっては すごい働きをする スグレモノな体です。

使い方を選んで 体さんにもいっぱい幸せでいて欲しいですね。

みんなを喜ばせることができる 楽しい体です。

最期まで上手に使ってあげよう ♪

みなちゃん

 

今月の体験瞑想会は 3回あります

7月6日(土)10:00~12:30

7月12日(金)19:00~21:30

7月19日(金)14:00~16:30   です  参加費は2000円 

瞑想から離れて再開したい方にもおすすめです。 

空を体験してみてください。

 

ありのまま

ありのままを見る ということは 実にシンプルです。

物事に良い悪いの判断や感情移入をせずに ただ起きたこと としてとらえます。

 

立場や 利害や 執着や 欲や、 社会通念や 道徳観や 価値基準や 裁き、 善悪の判断 などを使わずに 起きたことそのものを見ます。

 

大脳が発達した頭のいい動物である私たち人間は、何かの情報をキャッチしますと、

脳(思考)は 即座にそれをどう把握するか 様々な角度から吟味を始めます。

少ない情報では物足りず、想像力を駆使して 判断をしようとします。

過去の体験に基づいた尺度から  見聞きした知識を駆使して

理想か否か、 善悪はどうか、 正当性はあるのか  などなど

前頭葉フル回転でその出来事を測ろうと試みます。

 

過去のネガティブな体験は、危機回避のため 反応としてアラーム代わりの感情や恐怖が発生するのです。

 

太古、自然の中でくらしていた先祖には この機能はとても重要なものでした。

なにしろ、自分の生存がかかっているからです。

 

人間が発達した知能で発展させた文明の中で

生命が脅かされる自然から 確実に身を護るシステムを発達させた現代では

私たちは社会に保護されてかなり安全に生活できるようになり その機能を使う機会が減ったのですが、

 

身体(脳)のその機能は 依然働こうと頑張ります

 

自然の生命力のシステムってほんとすごいです。

在るものは 意図しなくても勝手に作動するんです。

 

必要がなくても そのシステムは機能しています。

 

普通に機能している分にはまだいいんです。

必要がなければ スイッチオフにもなるのですが、

 

一旦システムが過剰適応したり セキュリティが高くなりすぎたり、バグったりしてしまうと

結構 とんでもないことになってしまいます。

 

歯止めが利かない とか

警報アラーム鳴るの早すぎ とか  

違うものに攻撃指令とか

 

やっちゃうんですね。

 

アレルギーなんかもその一つ。

 

ありもしない恐怖の幻影に恐れおののき、

幻想のルールの中で、自分に逃げることを禁じ

疲れ果て、幻想と真実の見分けがさっぱりつかなくなってしまう。。。

 

もしあなたが 恐怖でガチガチになっていたり、

ストレスで 内部が崩壊しそうになっていたら、

まずはご自分を癒すことを第1番最初に取り組んでください。

まずは あなた自身の生命力を健全な状態にすること

これが最初に取り組む課題です。

 

難しいことなどありません。

 

ただ毎日瞑想習慣を続けるだけのことです。

アトリエ霽月にて おまちしております。

もう一人の私

頭で考えていることと、身体が反応することが違う なんてこと 体験したことがありますか?

頭で、「行け!」と言うのに 足がすくんで前に出ない

とか

口で「はい」と言ってるのに

全力で 『嫌だ』を表現してくる

 

正直であることを恐れないでください。

 

ちゃんとしていなければ

大人でなければ

ヒンシュクを買わないように

立派な態度を取りたい

 

いろんな義務感や正義感や正当性のために

あなたは本心を偽っていないでしょうか?

 

良いか悪いかは ちょっと脇に置いておいて、

内なる声に耳を傾けてください。

本当は どう言いたかったの?

 

ここで大事なことがあります。

ある覚悟が要るのです

 

あるがままを受け止める覚悟です。

 

それが良いか悪いかは また別問題なので しばらく脇に置いてしまってください。

 

なぜそうするのか?と言いますと、

裁く人がいると、裁かれることを恐れて 本当のことを言ってくれないからです。

そりゃ、罰せられる、責められる、追いつめられるとわかっているのに

堂々と一歩出せるような 勇気は 誰もが持っているわけではありませんし、

怖れが強ければ強いほど そこから逃げ出したくなります。

 

逃げることができないとなると、今度は反撃が始まります。

抹殺されるわけにはいきませんから、戦います。

相手を攻め返す、 切りかかる、 自分は悪くない理由を並べる、などなど

実力行使が出来なければ舌戦です。 

脳内で二人の自分が戦うと大変ですね。

どちらかが負けてコテンパンにやられますと、結局ダメージを負うのは自分です

 

他人との関係も、自分自身の本心との関係も同じです。

あるがままをまず受け止めて、問題があれば、どうすればより幸せでいられるのかを

話し合ってください。

一方的な正義を押し付けると、話がつきません。

無理やり力でねじ伏せて、服従させますと 恨みの導火線に火がついて、

いずれ、大爆発 bomb

 

無理な圧力は維持できません。

良い方向に向かわせたければ、まずはあるものをあるがままに受け止めて

それから 平和な気持ちで改善していきます。

無理解ではこれはできません。

 

あるがままの人間は 欠点もあれば失敗もする。

だけど、みな、本当は幸せの方向に向きたがっています。

脅かさなくても できます。

抵抗したら、責めるのはやめて 何を恐れているか みつけて、

恐れる必要はないよ と 言ってあげてください。

自分自身にも周りの人にも。

 

あるがままを認めることができたなら、もっと平和に改善する勇気も

きっと持つことができることでしょう。

幸福

今がとても辛くて幸福を求めている方

幸福はどこにあると思いますか?

私達は つい 自分が置かれている状況で幸せを測ろうとしてしまいます

マインドフルネス瞑想の本場、プラムビレッジでは 身体を自分のおうち(家)と呼びます。

心がおうちに帰って安心

心がおうちでくつろぐ

一番安心できるおうちはこの体に意識が戻って来ている時

いろんな記憶や妄想や 想像とか 頭の中のイメージで意識がどこかに出かけしまっている時は、心はここにいません。

イメージの別の世界、別の時間に行ってしまっています。

おうち(この身体、今この瞬間)に戻って イメージである悩みごとから離れて

この体と共にくつろぎましょう  って

瞑想の時、法話の時、マインドベルが鳴る時 常々言われます。

 

最初は 何のことだろう? と ぴんとこなかったものの、

そのうち、今この瞬間で この体に戻って来て今を100%感じてみると

私たちは 生きてることが本当に幸せで

この瞬間を100%感じている感動を覚えるようになります。

 

ああ、いまここ って 本当にすごく感動的な瞬間なんです。

あれやこれやの悩みや考え事に夢中になっている時は そんなこと 本当に何年もスルーしてきたのかも。

 

この世界に生かされている私たち。

この体の命に生かされている私たち

生きる事は 自分の意思 というよりも 命の意思

命あるこの体に乗っかっている私たちの魂

その魂の意識が 自分に与えられた体を通して 命を感じて

命を観察して いろんな体験を経験しているのです。

どんな出来事も この身体での経験

何をするかを選んで 

何を思うかを選んで

自分の周りの世界を作る一人として 世界に影響を与え続けています。

この体にいるうちは どんな人生を作り出したいのだろう?

あなたのハートは 何を選ぶでしょうか?

 

自我はいろんな希望を言うけれど

どんな流れになるかは 世界全体の流れ次第

何が起きるかわからないこの広い世界を 思う存分楽しんでみてください。

あなたが発する思いや波動が あなたの世界を作るということを知った時から

本当の意味で人生を楽しみ始めます。

 

生きているって 素晴らしい。

若葉

人間の身体を知る

人間の脳は ものすごく高性能にできていて、とても知恵があります。

いろんなものを創造する能力を持っています。

不便なものを工夫して 日常もとても楽になる道具をたくさん作り出しました。

 

私たちの生活は 夢のように便利になりました。

何十年かの短期間でこれほどに文明が発達するとは

本当に信じがたいほどです。

 

でも、便利になればなるほど、身体を動かす機会が少なくなっていることも事実です。

身体は動かさないと退化してしまうので スポーツや運動をしない人は

筋肉が痩せてしまったり疲れやすくなってしまいます。

普通の作業さえ しんどい と感じるようになっていくと、

便利は逆に不便にさえなってくるのではないでしょうか。

 

楽をするために苦しくなるのは 本末転倒です。

 

運動不足は生物的には バランスが悪いんですね。

身体は 頭から足の先までがワンセットです。

全体のバランスは全体を動かさないと活性化しません。

私達人間も生き物ですから、本来活動して生命を維持するしくみにできています。

 

かつて、農耕や狩猟や収穫など 身体を動かすことが生命維持と密接に関係していた頃、

身体はいやおうなしに動かさねばなりませんでした。

大変ですが 健全なんです。

適度の運動と適度の休養で良いバランスが保てます。

バランスはそれぞれの身体が知っています。

身体を動かす時代の人の心はもう少し健全でした。 鬱になる人も少なかったのです。

 

身体を動かすことは私たちの身体には必要な事です。

バランスが良い日常を ぜひ心掛けてくださいませ。

 

瞑想で精神のメンテナンスを

運動で身体のメンテナンスを

 

心と体は車の両輪です

バランスよく生活しましょう。

 

運動から遠ざかっている方は 軽い運動や体操から馴染んでくださいね happy01

ゆっくり歩くお散歩もいいですよ wink 

イライラの対象を手放す

理由なくイライラする時、 身体の中に何か不調和が起きています。

ホルモンバランス、あるいはエネルギーバランスが崩れています。

 

イライラ、モヤモヤ、落ち着かない、しんどい、

なんでこんな時に頑張らなきゃいけないの?

でもやらなきゃいけないことがある。どうして私ばっかりすることが沢山

ホントは休みたい 横になりたい、

でもできない。

私を休ませてくれないあれやこれ、あいつやこいつ、嫌だ

 

ちょうどそんな時に

くつろいでいる家族や同僚を見ると ムカ っと腹が立ったりしますか?

 

くつろいでるその人は 疲れているあなたを察知して手伝おうとしない罪を負わされます

「ちょっと身体がきついんだけど、手伝ってくれない?」の一言は発せられたでしょうか?

 

逆の立場で くつろいでるところに帰ってきた疲れた家族がイライラしてとげとげしい言葉を投げかけてきたら、 どんな感じでしょうか。

 

心配事や 気が付かない家族にイライラするのはやめて 用事も手放して 休みませんか?

あなたが設定した用事は全部こなされなければ そんなに困るでしょうか?

物事がスムーズに進むように あなたがエネルギーを注ぎ込むにも限界があります。

 

人は心地よい状態を作り出したくて いろんなアプローチをしますが、

それが絶対的に大事になりすぎると、そうでない状態を拒否したくなってしまいます。

 

いえいえ、この世界は私たちに都合の良い時もあれば悪い時もあり

そんなに思い通りにならないのが常です。

無理に思い通りにしようとしないでください。

特に人の心をコントロールするのは とても骨が折れます。

 

本当は

ほどほどが 丁度いいのです。

 

思い通りにならないことも

あるがままでいいじゃないですか

 

自分の身体も 人の人生も あるがままでいいじゃないですか。

心地よさは 身体が一番よく知っています。

 

眠たい時に眠れて 食べたいものを丁度良く

自分に無理をさせなければ 食べすぎる衝動も起こりません。

飢餓感は身体のアラームです。無理してるよ~というサインです。

瞑想するとストレスが抜けて 食べすぎは治まってきます。

 

思い通りにしようというイライラは 自分が作り出す余計なイライラじゃないでしょうか。

コントロールしなくても なるようになります。

もっと自然体でいませんか?

自然の流れをもっと信頼してください。

 

今はすぐに過ぎ去ってしまいます。

今を大事に生きてみましょう。

あなたの身体をいたわって 愛してくださいね。

 

本当の豊かさ、穏やかさを 楽しんでください。

お昼寝子猫

マインドと体

私たち人間の 多くの人々は 記憶と共に生きています

過去の思いに囚われている 人もずいぶんおられることでしょう。

私たち人間の 大多数の人々は 思考の中で生きています。

いろんなイメージを作り上げることにずいぶん時間を取られているかもしれません。

 

私達が、思考を切り離して生活することはなかなか難しいです。

思考することなしに生きていくのは 裸でジャングルにいるようなものですから。

思考=マインド は 私たちを護ってくれるもの なんですよね。

衣服みたいに。

衣服を着ていないと 恥ずかしかったり、
周りに認められやすい恰好とか 周りにいじめられやすい恰好 とかも あるでしょう

でも必要以上の衣服って 邪魔になりませんか??

 

ヒラヒラした飾り、、華美になりすぎると邪魔で動きにくくなったりします。

自分を守ろうと鎧をつければつけるほど 重たくて行動が制限されたり、

身体に合わないものを着ていると窮屈だったり疲れたりもします。

丁度いい快適な衣服  と同じように

自由を奪わなくて 重荷にならない 思考って どんな感じだと思われますか?

 

私たちのマインドは 安心を得るために観念をまといます。

物事を測る基準です。

イメージを掴むのにも いろんな物差しが欲しくなります。

 

更にマインドを安心させるために危険を回避し、安全策を講じるために

行動したくなったり 思考したがります。

これは自我の意識の癖でもあります。

特に 実際の現実が思うようにいかないと不満になって 思考を駆使して 落ち着こうとするのです

無意識にもそうなりがちですよね。

でも、

そのマインド(思考)は 本当に あなたを護っているのでしょうか?

 

お前はそれじゃダメだ とささやきかけてくるマインドの中のルール

そのルールは一体なんのために誰が採用したルールか 考えてみたことがありますか?

 

ルールは ある時 人を生きやすくさせたかもしれません

ルールは ある時 利益を生んだかもしれません。

ルールは ある時 誰かを守ったかもしれません。

また、痛みを感じた人が それを再び味わうことのないよう作ったルールかもしれません。

その時に良かれと思ってそのルールが生み出されました。

ルールがあれば 守れる って信じたのでしょうね。

もちろん大いに役に立ったこともあったことでしょう。 誰かにとって。

 

でも、そのルールや基準は、今 

あなたを捉えて 不自由にさせてはいないでしょうか?

あなたが採用しているルールを他人が採用していないことに怒りを持っていないでしょうか?

社会では 互いにいろんなルールを持ち込んで裁き合うことに熱中してしまう人が増えていきます

ルールが完璧だと信じているからでしょうか。

 

型にはまらないケースを見て憤りの感情を作って 気分を汚していることに気が付きますか?

その場を幸福にしていないのは 誰でしょう?

あなたから怒りを引き出す人は 悪人でしょうか?

あなたに怒りをもたらす出来事は この世から消すことができますか?

できると思ってまだ取り組んでおられる方には酷な話ですが

難しいです。

 

でも あなたの怒りを消すことはできます。

 

自然は 自然に あるがままに生きようとします。

人間もまた、その性質を発揮して

ある者はエゴを発揮し、ある者は道に迷い

ある者はカルマのエネルギーを吐き出し

雑多な姿でそれぞれに存在します。

マインドから見ると 収拾のつかない混沌に見えるかもしれません。

 

でも、自然の姿を裁いたり、隠しても そのエネルギーは消えたわけじゃないんです。

隠しても あるものはある。

 

この世界、

いえ、自分自身ですら思い通りにならないのに 

人や世界を思い通りに変えることはできません。

思い通りにコントロールするには この宇宙は大きすぎます

例え 部分でも 部分は全体の一部なのです。

 

 

あなたのマインドは何を裁かなければならないでしょうか?

 

何のために?

 

本来の命は愛に育まれ自然に生きようとします。

あなたという生き物は あなたの意思と関わりなく 生きようとしています。

その力そのものが 愛 でもあるのです。

 

ただ、それをあなたの意識が 自然な在り方を阻止して、思い通りにしたがっているとしたら

これは自然との闘いになってしまいます。 自我と自然の闘い 

摩擦のエネルギーです

 

摩擦が小さいうちは 簡単だと思っているかもしれません。

でも、無理はなさらないでください。

生命力は そんなにやわじゃありませんから

圧をかけたら反発力が返ってきます。

 

この体、 自然で出来ているんですね。

自然からの預かりものです。

自分自身も自然でできています。

自分の中の自然さと 仲直りしてくださいね winkheart04happy01

 

ひらめく時間

何か、急にいいアイデアを思いついたり、問題の解決策が見えたり、

そういう閃きがやって来る時 って どんなことをしている時でしょうか?

 

瞑想している時も たしかに いろんなイメージが湧いてきて 忘れていたことを思い出したり

いい考えが思い浮かぶなんてこともありますが

ひらめく時って 必ずしも瞑想の時ってわけじゃないんです。

 

一体 どんな時でしょうか

 

 お風呂でのんびりしている時  なんて声もよく聞きます

 

ある人は お弁当を作っている時 って言ってました (笑)

 

 

私が一番 ブログネタを思いつくのは なぜか洗面所 (笑)

洗面所で歯を磨いたり、髪を乾かしている時に なぜか とてもスピリチュアルネタ?が 降りてきます

ワンネスのこと とか 宇宙の法則とか それにまつわる 現象界の事例

最初は 現実の問題とか 誰かのトラブルなど きっかけになるものがあって、

それに関する気づきが展開していくんです。

ああ、そうか 。 そういうことか。 こう説明すればいいのか なんてことが次々に出てくる。。

これ、カルマが多いとネガティブ展開の妄想になるんですが、

カルマが無いとそれ以外の波動を読みます。

 

あまりにも次から次に出てくるので 洗面所から出てくるころには 最初出ていたイメージは忘れてしまいそうなくらいです。coldsweats01

そう、そこで見ていたイメージは あまり長くはとどまりません。

なので 気付くとすぐにメモでもしていないと 時間と共に消えてしまいます。

 

ブログに書く時は その時に出てきたイメージを再び言葉に置き換えていくのですが、

言葉を綴ると、イメージだけの時と違う方向に流れがちです。

たぶん 使っている回路が違うので 傾向が変わるのでしょうね。

 

閃きが起きる脳の状態というのは、

通常の思考のみならず、感覚を司っている脳が多岐にわたって活性化している時に起きるんです。

これは思考が活発になっている前頭葉が活動している時には起きにくい。

リラックスして 感覚や体を使って軽い作業をしていたり、 ゆったりと緩んで何かを味わっている感じ取っている状態に 脳の感覚を感じるいろんな分野が同時に活性化している時に 

感じているものと 理解の分野がつながった時に体感的理解は起き、閃きが発生します。

 

これを邪魔しているのが 思考とカルマのエネルギーです。

 

思考は感じることを休止させてしまいがちです。

考えるという行為にとても多くのエネルギーを消費するので 感じる器官を閉じて考えに集中してしまうためです。

妄想などもこちら側の作業です。

 

カルマの摩擦の波動の方が 自然の精妙な波動よりも荒くて強いために

内側にカルマがあると 全部持っていかれてしまいます。

気になることで頭がいっぱいになっってしまう状態です。

 

ということは、強く惹きつけられる という状態も ある種のカルマかもです(笑)

恋は人生の修行の相手の選別をしてくれるんですね。

やりたいことは、あなたに必要な学びをもたらします。

ポジティブに試練に向かえますのですごくいいことなんです。

 

私達は 内側からいろんなメッセージをもらっています。

 

どんどんワクワクして

どんどん体験をしてください。

辛い事でも大丈夫 あなたは それを越えていけます。

 

本当に体験を味わい尽くした時、

あなたは あなたの人生を発見します。

最期は本物しか残れないからです。

要らないものを落とし、 必要なものだけが残ります。

 

そう、自我が必要とするもの ではなく、

真我が必要とする 本当に大切なものが何か を 知る

その過程の壮大な旅と景色を 楽しんでくださいね!

 

自分自身に正直に生きた人ほど 核心を掴むのでしょうね。

試練が多い 祝福された魂は 素敵です。

 

 

 

 

病む自然さ

病む ということは 不自然な状況だと 一般的には思われています。

エゴが 肉体や生命体に不自然さを強要すると その肉体にとって丁度いい加減を見失ってしまい負担がかかる

それが、肉体を疲弊させ 病気を作り出したりします。

遺伝的な病気は 宿命としてのカルマの種が 発動する時に起きると言われています

これは 自我の意識にとっては不都合で理不尽で不幸な出来事と感じてしまいます。

でも、これは 長い間、世代を超えて蓄積された生き方の不自然さが 病の種であるカルマを子孫に引きついでしまうのです。

これは不幸なことばかりではありません。 

病気に限ったことではないのですが、うまくいかないことや 摩擦を感じる事 辛い体験 というのは

魂を磨く 磨き石のような役目にあります。

そのことに向き合い 自分の思い通りにならないことに嘆き、感情的に荒れ、周囲に八つ当たりするのではなく、

自分に与えられた状況の中で、いかに愛になれるか という魂のステージを上げる試練なのです。

それができるようになると 自分自身に自信がつき、自分や運命を信頼することができるようになります。

 

きつい体験は、そのことを乗り越える覚悟をした時、あなたの魂、あなたの心、あなたの生き方を強くしていきます。

 

ずっと辛い体験が終わらない と感じている方は 何かと向き合うこと 受け止める事から逃げてはいないか?

と見直す必要があります。

 

独りよがりな考え方をしていないか

エゴを発揮して支配を望んでいないか

周囲に期待して 甘えたり 依存を望んでいないか

都合の悪いことを周りのせいにして腹を立てていないか

また、自分自身をないがしろにしていないか

 

あらゆる在り方の歪みや摩擦の体験 身体の不調も

あなたに いろんなメッセージを送って来ています。

 

一言では片づけられるほど単純ではありませんが、

何らかの歪み 習慣や考え方、感情的及びエネルギー的な偏り 負の感情の蓄積

そんなものが あなたの生命のバランスを崩す原因となっています。

 

自然体が 思い通り とは限りません。

意識は自然体にも拒否を出したりします。

 

でも、本当にエネルギーバランスの取れた生命は ストレスを自浄する力もありますし

病気になりにくいですし、老化もゆっくりなのです。

 

エネルギーの歪みに身体はとても正直に反応していきます。

それが病気です。

身体は自然から生まれた自然の産物ですので、反応も自然の通りに起こります。

病気は自然からのメッセージなのです

 

病気になる時、身体はあなたに 「ちょっと待って」と言っています

「休んでください」「何かがバランス悪いです」と 言っています

健康体は多少の不健康要素や毒も 身体から排除する力を持っていますが、

疲弊した身体はその力が弱まっていきます。

だって、環境がストレスフルだから仕方がないんだよ!とおもっておられる方もいるかもしれませんが

物理的な負荷は減らす必要がありますし、自分の肉体を護る責任は自分自身にもありますし

外部の刺激は ストレスにしない方法もあるんです。

 

身体にストレス与える行動をやめられない と 自分を責める必要もありません。

その行動が起きるには 意識の深いところ、深層部分に原因があるからです。

行動だけ制御しても解決にはなりません。

 

意識の深いところは表面意識は上がらないので いきなりはいじることができません。

原因に蓋をして表面や身体症状だけ整えることも無理があります。

薬で抑えることができたとしても根本原因がなくならなければ またなってしまうことも多いのです。

 

まずは溜め込みすぎたストレスのエネルギー(瞑想ではカルマと呼んでいます)を

手放すことが第一課題でもあります。

 

無意識層のお掃除は 意識的にするのはなかなか難しくもあるのですが、

ELM瞑想は 無意識層の感情のエネルギーの方にアプローチして

ダイレクトにあなたの内面をお掃除します。

 

年齢を重ねると 若い時のような弾ける生命力 というわけにはいきませんが

もし長く健康で気分よく過ごしたいと願っておられるなら

ぜび ELM瞑想を実践されることをお勧めしています。

 

伝授を受けたいけれども、受けに来られないという方がありましたら、

一度ご相談ください。

お問合せフォームよりご連絡いただければ いくつかのアドバイスをさせていただきます。

 

皆様の健康な人生をサポートしたいと願う日々です。

 

身体に良い習慣、心に良い習慣 として 瞑想を始められることをお勧めします。

ELM瞑想の効果は驚異的です。

結果を出すために必要なのが 1日2回の瞑想習慣です。

心の傷の癒し方

心が傷付くと とても痛いです。

身体の傷ではなくて 目に見えない傷 それは身体の傷以上にとても痛くて苦しいものなのです。

心が傷付くと 身体に反応が出ます

胸と心臓が ぎゅっと縮み 息苦しくなって 身体全体もぎゅっと萎縮してしまいます

血管も縮んでしまい、血行が悪くなって 身体が冷たくなっていきます。

ぎゅっ  

 

悲しみは心だけで感じているのではありません。

身体全体も悲しみます。

そして体はその体感を覚えているのです。

悲しみのエネルギーは身体を震わせて痛みを感じつつ外に出ていきます

 

 

しかし、その時に悲しむ機会を逃してしまうと もうその悲しみのエリアには怖くて入れません。

「いやだ!」「見たくない」「もういい」

外界から心の窓を閉ざし 外部の刺激を遮断して自己の中に閉じこもります。 

奥深いエリアに隠れてしまいます。  岩戸に隠れるアマテラスのように。

 

悲しみの感情は、外にあふれ出れば、内側に悲しみのカルマのエネルギーはこもらず、涙とともに流れ洗い流されますが

傷を抱えたまま 深くに籠ってしまうと 出ていくことが恐ろしくなってしまいます。

「もう傷つくのは二度とイヤ」  心が傷付くことを恐れてしまいます。

癒えない傷に誰かが触れたり またあの痛みを感じるのは もう恐ろしくて仕方ないのです。

そうしてカルマのエネルギーは内側に封印されてしまうのです。

 

これは人の心の中で起きる出来事です。

長い人生の中で 誰にでも起きます。

 

傷付いた感情をしっかりと悲しむことができれば、涙があなたを癒します。

泣いて、怒って その出来事を受け止め どうにもならないんだ ということを受け入れることができるのです。

しっかりと涙があなたを洗い、カルマが抜けてあなたの心は平静になってゆきます。

苦悩の感情がとれ、ただ起きたできごとだけがそこに残り、これはこれで仕方がない と

あなたはそこから立ち去ることができるのです。

 

カルマの解放は あなたの真我の意識が表にでてくることを促します。

自我の感情は自分の都合、 自分にとっては都合が悪かったけれども 実際は誰も悪い人はいなかった 

 ということがわかります。

悲しみや怒りを内側にもったままだと、その出来事のきっかけや原因を作った人が悪者に見えてしまうのです。

でも、その人物はただ偶然にそこにいて本人の普通にしていただけだったりします。

悪意を持っている人は本当にごくわずかです。 出来事は偶然のいたずらのようなものです。

ただ、条件が合致した時に事が起こります。

その条件が揃いやすい環境であった ということです。

まだ誰も波動を整備できていなかった か

環境のパワーバランスが崩れていた か

そんなことが起きると思っていなかった か  

みんなのストレスが溜まっていた あるいはみんなとても疲れていた か です。

殆どの人間は次に起きることは予想できないんです。

 

霊能者なからわかるとお思いでしょうか?

いえ、霊能者や超能力者ですら 自分の運命は完全に予言できないのです。

 

人生の試練は 必要があってあなたのところにやって来ます。

それはただの悲劇ではありません。

 

その出来事を通して この世のネガティブな要素を体験し、深い理解へと変えていく

あなたの魂の成長を進める 大切な体験なのです。

試練があるほど、樹は深く根を下ろします。

 

もし、あなたが傷付いたことがあったなら、素直に悲しんでください。

悲しんだり怒ったりすることを後ろめたく思わないでください。

 

ただ、それは人にぶつけない方がいいんです。

傷付く人に向けないでください。

悲しむことは 一人でもできますが、一番いいのは

ただ寄り添って見守ってくれる人の存在感を感じる時です。

あなたは決してひとりぼっちではないのです。

あなたを見守る意識があります。

物質的な身体がなくても、あなたの幸せを願う意識があるんです。

慈悲の観音菩薩の意識です。あるいは あなたを大切に思う人の魂かもしれません。

「この苦しさを救ってください」という願いを受け取って 癒しをもたらします。

目では見えずとも あなたに寄り添って 抱きしめてくれています。

その存在感は 心の目で感じ取れることもあります。

あなたが心を拡げた時、または あなたの真我が目覚めた時に。

 

いつでもあなたを癒そうとしてくれています。