意識

啓発って?

啓発というのは、エンライトメント、 悟り のことですが、

悟りってどんなものだろう? というのが私の最初の好奇心でした。

好奇心というよりは、もっと切実に憧れていたかもしれません。

自分の人生は苦悩でいっぱいでした。

 

というのも、15歳の時に摂食障害になってからというもの、青春時代はとても暗い毎日でしたし、対人恐怖症で性格が歪んでいて、つかんだささやかな幸せがいつ壊れるのかといつもビクビクして暮らしていました。

今の自分からは考えられない状態ですが。(笑

とにかく悲惨でした。(苦笑

 

自分の問題行動は隠しているつもりでしたし、誰にも知られてはならないことでしたし、

親は見て見ぬふりをし、触れてはならない問題でした。

 

10年間もそんな風に過ごしました。 青春という輝かしい時期をなんてもったいないことをしてしまったんでしょう。

それから これが完全に解決するのは 30年後だったんです。

本当に 心の問題が完全に快復したのは 瞑想を始めてからの事だと思います。

それまで ずっと普通の人のふりをして生きてました。どこか自分はおかしい と思いつつも

普通の人のようになれなかったのでした。

 

いや、程度で言うと、そんなこじれた精神状態も、ある意味普通のレベルのことなのかもしれません。

国民の、いえ、人間の何割かは苦しみながら生きてますし。 みんな表面には出さないですが、いろんなことを悩んでたりします。

どうにかしたいけど、なぜ苦しむのかわからず、どうやって抜け出すのかわからなかっただけでした。

そこまで最悪じゃないからいいや と諦めたり、そんなこんなで。

 

そういった時期を 長いこと潜り抜けて

いま、自分がこの50代を青春のように過ごしているのは、

若かった頃にできなかったことを今取り戻しているのかもしれません。

今は本当に心は軽いです。瞑想に出会わなければここにはいないと思います。

今、私は心穏やかに、みんなを愛し、人間が大好きで どの人も大好きなのです。

いつ死んでも構わないくらい 本当に思う存分生きてる という実感を持っています。

 

現実的には けっこう大変 な こともあります。

でも 今 生きていることが嬉しいです。

でも、死ぬことも恐れていません。

 

13歳の時、クラス内でいじめにあったことがあって 当時、自殺したいと思って過ごしていた時期がありました。

また、その後の人生でも何度も絶望を味わいましたが、 私は今、生きててよかったのです。

生きる価値などない と思っていたこともあった私ですが、

生きる価値は命がある限りある のです。

どう生きたいか とか これまで失敗したことなんかも 関係ありません。

何らかの責任とか 負わないといけないこともたくさんあるかもしれませんが

 

でも、何らかの重荷を負ってたとしても、

人生の一部で、日常の一部で

幸福な出来事もありますし、

もしかしたら 自分個人の人生は 割と何でもいいのかもしれません。

今はそういう感覚です。

 

自分自身が体験することでは、

人と接していて、 その人が笑j顔を見せてくれること。

これは この上ない幸せです。

 

みんなの笑顔が 私の栄養みたいなものだと感じています。

これは、ユニバースの意識も同じだと思うのです。

 

今、自分を取り巻く同じカルマを背負う一族の者は、かつての私と同じカルマに苦悩しつつ

生きようとあがいたりして、うまくいかないでジタバタしていたりもします。(^_^;)

見てる方向が違うよ~  と、言いたいのですが、、実際言いますが、、届きません。(ノ▽T)

気が付かないのです。 変えるのが怖いのかもしれません。

でも、みんなそこを通ります。

 

怖くなんかないんです。 何も失うものなんかありません。

最初から 何も所有していないのです。

すべてが借り物です。 ユニバースからの借り物。

そして、すべてを置いて 元いた処へ帰る時が来ます。

 

人生はどれだけ笑顔を作ったか が その価値だと いう話を どこかで聞きました。

価値かどうか そんなことはどうでもいいのです。

私は 人の笑顔が好きなのです。 

心からの笑顔を見ているだけで 幸せです。

だから、私も ありがとう ってたくさん言って 

そして 泣いても大丈夫だよ と 肩を抱きたいのです。

 

これが神の意識なら  神様 ありがとう。 幸せですよ。

 

これから、どうなるかわからない 計画も立たない人生ですが

どうなりと笑って生き続けることでしょう。 生きてる限りは。

どうせなら 笑って生きましょう  happy01heart04sun

 

今苦しいと思っている あなたに 届けたい思いです。 present

エゴに気付く

今日は2名の方のフォローアップがありました。 ラブマントラと ヴァイオレットファイヤーマントラのフォローアップです。

この二つは、瞑想をしてみると体感が違います。 ヴァイオレットファイヤーは相変わらず意識が飛びます。(^_^;)

完全に空(くう)です。 もう空にハマるというのがわかってきました。(笑)

最初に伝授されるのがラブマントラで、ヴァイオレットファイヤーは4つ目です。

初心者の方はラブマントラ、 初めてで、かつカルマを多く抱えておられて苦しい方はババジマントラ、 優しく軽い瞑想がいいという方は、ハートマントラをお選びいただくこともできます。

ラブマントラの方が深く パワーがあり効果は大きいです。

ヴァイオレットファイヤーは、瞑想体験を重ねた方でないと受けられませんが、これは本当に 『すごい!』

唸ります。(笑

プラサードが あっさりに感じる。 なんでしょうね。 不思議。

 

今日、生徒さんとお話をしていた時に 

エゴに気付く という話題が出ました。  

そう、自分の目にかかった エゴのフィルターに気付いちゃう話です。

 

これ、見えるまで存在が全然わかりません。 

 

あまりにも近すぎて。。。

 

すーっと、色メガネをかけてたことを忘れて、あっ と思って色眼鏡を外した時の視界の明るさ!

あ、メガネというより まつ毛 くらい見えにくいものかもです。

意識の表面にへばりついていて それがくっついてるものだと気づかず、

気付いてもどうやってとればいいのかがわからない。

 

そんなものを見つけて、ペリっとはがすんですね。

 

ああ、もう、このエゴのこだわり 要らないな

今まで自分を守っていたつもりだったエゴの意識。 それはもはや役に立ってくれるよりも、生きづらくしている原因だった。

 

スッキリサッパリ 手放して軽くなって 自由になりましょう!

 

何がエゴの意識か  

他人のかけてるメガネは、こちらからはよく見えるんですけどねぇ。(笑

 

でも、みなさん、エゴがあることは悪いことではないんです。

エゴの意識は守る役目をまっとうしようとしているだけなんですが、

全体を見渡せないと狭い見解のまま 判断してしまうんです。

 

ですから、真我の意識を体感したい場合は、エゴにこう言いましょう。

 

もう怖がらなくてもいいんだよ。 心を開いてみてごらん? と。

ふさがったハートを開いてみると、つまっていた思いが溢れ出す。

それこそが色眼鏡のカルマなんですから。

 

手放す というのは 閉じ込めていた思いを 解放して 身体を緩めることなんです。

 

瞑想をしてみてください。

自我について④ 自我の癖

さて、自我についてお話を進めています。 

ちょっと日が開きましたが続きを書いてみます。

 

自我のマインドは自分自身を安全に永らえるため、体に備わった保安システムで

とても熱心に仕事をし続けます。

しかし、この自我の目線で見えるのは、 守るものは自分自身 外界は警戒すべき敵 なのです。

 

これを全体との分離 と言います。

この分離が分離でなくなった時、ワンネス体験をします。

世界は切っても切れない1つで、その一部としてずっと全体と一緒に生きてきた と実感するワンネス体験ですがこれは言葉で説明しても伝わりにくいばかりか 固定したイメージを植え付けてしまうと邪魔にもなるので 話過ぎるのはやめておきましょう。(^_^;)

 

できれば皆様には 瞑想を続けていただいて ぜひともワンネス体験をご経験していただきたいのです。

 

ワンネス体験は 自分という個と 全体の意識がつながった時に起きますが、

それを邪魔しているものが思考です。

ものを考えずにただ観察することができれば、それはうんと近くなります。

 

自我はとても視野が狭いのですが、自分の視野の中だけで理論を完結させてしまおうとします。

大きなものは 小さな入れ物には収まりません。

 

大きな意識は我関せずな感じで スルー なんでしょうね(笑

個として理解するよりも 意識を拡大して全体を理解すると 

そこに調和と安らぎが生じます。

 

瞑想は意識を拡大させる作業です。

内側のお掃除が進むにつれて そこには全体の意識につながる意識だけが残ります

それをマインドが理解する

啓発(悟り)です。

 

フルフィルメント瞑想は いち早く内面のお掃除を進める手法だと確信します。

 

 

蓮

 

 

 

自我について③ マインドの仕事

アトリエ霽月の瞑想教師 野津寿子です。

久々に自己紹介。w

元々美大を出て絵描きでしたが 悟り と 仏画 に興味を持ってからは 仏絵師に転向し

瞑想にはまってからは 瞑想教師もするようになりました。

見えない世界と真理に強く興味が惹かれてここまでやってきました。

いったいどうなってんの?この世界?  というのがベースにあります。

わからないことは調べたい欲求は子供の頃からです。 (興味のある事だけでいいんですが)w

 

さて、

自我の思考は自己保全のシステムである ということを前回に書きました。

ちょっとおさらいです。

かつては 天敵から身を護るため 経験値と危ういものに対する警戒反応は生き延びるために必須でした。

ですが、文明の発達と共に、人間にとって不都合な環境が淘汰されてまいりました。

今では 野外で 猛獣に襲われることはありません。 

害を及ぼす人間を抑える仕組みも作っていきました。

法律です。世界は画期的に安全になりました。

ルールを守っている限りは安全ですし、人間はルールに守られています。

ルールを作る仕組みも発達しました。

 

ルールは大事!! ということが人間の心に強くインプットされ続けます。

警戒や不安 は 過去の経験値からインプットされ 何世代も引き継がれます。

これが世代を超えたカルマです。

 

もっともっと 安全に! と 人間の要求は進んでいきます。

 

これらを考え出しているのか 思考=マインド です。

自分を護るために一生懸命仕事をしてます。

マインドは常に作動しているシステムで 使いどころがないと 暇を持て余し、仕事を探しはじめます。

 

マインドは とても向上心があり、仕事熱心で 何もしないでブラブラ遊ぶ ということを好みません。

危険をサーチしなくては!!

常に好ましい満足のいく状況を追い求めます。

質の向上を目指そうとします。

働いてこその充実感  なのでしょう。不安を埋める事はモチベーションが高いのです。

 

安心してリラックスできていない時は特に マインドが不足を埋めようとどこが足りないのか、

まずいところ、都合の悪いところをサーチします。

 

緊急性の高いものから順に反応しますが、

環境に危険なものが少なくなると、 不利を有利に変える 向上する あるいは不満を満足に変えようとします。

足らないところ捜し。

危険が減っても、マインドは仕事熱心なので休みたくないのです。

何も取り立てて不満がない場合、あえて 不満を作ったりします。マインドは仕事をしたい。

第三者から見ると、その様子は選り好み? と いいますか、ぜいたくと言いますか、 こだわらなくてもいいようなことにまでこだわりだします。

重箱の隅をつつくような という表現がありますが、

ないところから不満を見つける というのは そういうことなのでしょう。

それがないと マインドが働けないですし、負の感情の出しどころがなくなってしまって、マインドには都合が悪いからです。

マインドは仕事をしている方が安心なのです。

悪いところの原因は 自分の中に作っちゃったら 自分で改善しないといけなくなるので、それは回避

多くは原因を外に作って それを裁き、コントロールしようと努力します。

特に生活に支障があるわけではないけど、マインドは仕事をしたいですから仕事を作ります。

余った予算は何がなんでも使わないといけない という 公共事業のようです。

このエネルギー来年には回せません。今のエネルギーは今使わないといけないので使いどころを無意識に探しているのです。

外部に差し当たって不足や危機がないと身近なことに目を向けます。

一緒に住んでる家族、 、

全体的には不満 てわけじゃないけど、

夫の食べ方が気に入らない、夫の転寝が嫌だ、妻の腹の肉が嫌だ 嫁の返事の仕方が嫌だ 子供の成績が満足じゃない などなど、 

 

とりあえず それ、大事な事? と自問自答してみましょうか。

マインドは 働きたいので、「いーや、譲れん!」と言いますが。。

自分の中のどのルールに反しているのでしょうか。

ひっかかるルールが存在しています。それが見るものを裁きます。

 

 

もし、自分では どうにもならない大きな問題に直面されておられる方がいらっしゃったら、

喜んでください!

マインドがそれに注目している間、つまらない些細な問題には絡みません。

マインドは全体の出来事の何パーセントかの足りないところに挑みます

 

乗り越えるべきテーマ(問題)が1つ2つはっきり外側にある方が 身近な人間関係は円満なのです。

不満を身近な大切な人々の中に見つけずに済みます。そんなことしている場合じゃないですから。

その問題を身近な人と協力して乗り越えていきます。

家族の絆を作ります。

チームおさる

 

自我について② 自己防衛システム

アトリエ霽月の瞑想教師 野津寿子です。 自我について2日目です。

テーマの心の在り方 というより、心について です。

 

自我の意識はどういう仕組みになっているかと言いますと、

自我は身体に備わった 自己防衛システムなのです。一種のセキュリティソフト

個体を危機から護り、安全に維持するためにフル回転で仕事します。

個のために働いているので 全体のことまで考慮していません。

魂が経験を積んだり、成長してキャパが拡がると

個のエリアが 個体から 家族 グループ クラス 学校 会社 町 国 地球  と エリアを拡げますが

これには何世代か転生を重ねる必要があるようで、

生れ落ちて物心ついてくる時の意識には何の自覚もありません。

すでに作動中のソフトです。

 

このプログラムは 体験したことをデータとして取り込み、ルールを作成していきます。

でも、それらは固定されたルールで 変化に対して融通性がなく、

一視点からしか景色を見ていません。三次元を平面のようにとらえるので立体的側面は見えないのです。

つまり裏側のことは無視。 一面を全体としてとらえる癖があります。

 

短絡的でもあり、微妙に違うエネルギーを読み分けることもできません。

マインドの弱点です。微妙な変化に対応できません。

 

更に、一度作られたルールは削除されにくく、どの場面にも適応されて行きます。 融通がきかないのです。

ルール絶対。必要のない場面でもルールは作用してきます。

邪魔な場合ですら 当てはめてブレーキをかけてきます。

 

意識下でルールとしてインプットされたものは 箇条書きの法律のように第一優先され、固定化されます。

我々の行動を監視し、他者の行動も監視し、裁こうとするのです。

これは個体を危機から守るためですから 仕事熱心なマインドは余念がありません。

 

↓ こんな感じでしょうか

見張りワンのサムネイル画像

 

TPOには対応いたしません。 

用途以外のご使用は 使用者の責任でお願いいたします

という感じ。(笑

こんな商品あるんですね(笑

マインドにスイッチOFFはないですが。。w

 

話は戻ります (^_^;)

マインドは物事の本質よりもルールを優先したがるようになります。

ベースに危機に対する不安がありますから 絶対に守りたいのです。

 

マインドの目的は ひたすら個体を安全に永らえたい

 

これは 外界に命を脅かす天敵が存在する世界では非常に有効に働きます。

マインドは仕事熱心な監視員なのです。

これは身体に備わった機能で、意識はこの保安機能も作動させながら 身体を運転しています。

この三次元で人生という旅をするための乗り物 身体。

 

       rvcar==3

 

  次回へ続く

自我について① リア充って

私、 自分、 僕、 俺、 我

 

私とは、  何をもって私なのか?  ということを考えたことのあるあなたは

 

ちょっと変わり者?ですね(笑)

 

自分自身のことを見つめたことがある人

 

これは現状が充分満たされて幸せ一杯の人は なかなか しません。

いわゆるリア充と呼ばれる人々

 

これ、若者言葉ですが、なかなか的確な表現ですね、(笑

リアル(現実)が充実している人(若者) のことをリア充と呼ぶようです。

 

リアルが充実してる というのは、

恋愛がうまくいき、部活やサークルや仕事や友人関係などがうまくいき、

家庭に問題を感じることもなく、もしくは多少の問題があっても悩み苦しむほどではなく、

やりたいことがそこそこできているという実感があって、

毎日が楽しい人々のことです。

 

THE 青春!! みたいな  w

 

恋愛関係や 仕事に真剣に取り組み、時には悩み、

でも、相対的に充実しているんです。

自分の存在に疑問を持つこともなく、 取り組むことが見えていて

喜怒哀楽をいかんなく発揮し 輝いてるんです。

 

ほほえましいですね!  ある人はうらやましいと思うかもしれません。

それに比べて 自分は 毎日が張り合いがないなぁ なんて 思ってませんか?

 

 

実はですね、この記事を下書きしていた直後に

セッションを受けに来た方がリア充の話をしていかれたので

タイミング良すぎ~!ちょっと不思議でした。(;・∀・)

 

 

毎日クタクタになるほど働いて なぜ生きてる?なんて疑問を持つ暇もなく働いているけど、

このままでいいのか? と思ってしまう人は リア充を感じるのに何か邪魔しているものがあります。

 

もし、自分自身がリア充だと思ったなら、 特に深く考えることはありません。

そのまま 突っ走ってください。

そして、もし 何かに立ち止まって 何らかの疑問が出てきた時、

アトリエ霽月のお話が 役に立ってくると思います。

 

この世は変化し流れるものですから、いろんな場面で 

ふと立ち止まることもあるのです。

 

そういう時の道先案内人が瞑想教師です。

 

心のひっかかかり それはカルマとも呼びますが

漠然としていて よくわからないまま モヤモヤと不完全燃焼な感覚だったりもします。

 

こういう時は 自分自身の魂が成長を望んでいます。

自分自身を見つめなおすチャンスなのです。今までのループから抜けます。

顕在意識の好む好まざるに関わらず、魂は成長を望んで歩むのでしょうね。

 

ようこそ、新しいステージの 扉の前へ。

扉

愛する力を開く

7月23日 毎日暑い日が続きます。 蝉がにぎやかに鳴いていますね。

世界は生命力であふれています。

暑い日、眠れない日は瞑想がお薦めです。

眠れなくでも疲れが取れます。

 

ところでみなさん、

一番大事な関係性 なんだと思いますか?

子供さんとの関係、親との関係、パートナーとの関係、友達との関係

 

愛で包まれていると幸福ですね。

 

あなたは誰かを愛していますか?

 

 

そして、 自分を愛すること  できているでしょうか。

 

今日はご自分を愛することが苦手 という方に向けてのメッセージです。

 

私自身もかつてこれが 最も苦手でした。(^_^;)

かなり長いこと 自分のことは嫌いでいたのです。

 

私なんか誰にも愛してもらえないとさえ 思い込んでいた時がありました。思春期の頃から30年くらいは。

 

個々の原因を見つけようと思えば見つかりますが

これは なぜ?と疑問を解明しても 仕方がないくらいに、無意識のうちに身体に染みついている思いの一つです。

きっかけとしては思い当たることも確かにあります。

(私自身は10代の頃に傷ついたことが尾を引いていました。)

しかもそれが40歳くらいまで続いていました。(長~っw)

スピリチュアルに出会うまでは本当にこれに苦しめられていたと思います。(今では笑い話ですが)

 

愛は多少なりとあったと思います。基本お人よしの私は他人を愛することはそれほど難しいことではありませんでした。

でも、自分だけは完全に置き去りだったと思われます。

価値を感じられなかったんです。

 

これは、完全に負の思い込みでした。

自分の中で自分には価値がないかもしれない という恐れが インプットされていました。強烈に。

 

理由は、雑多にありましたが、特にあれこれとできないことがありました。

今思うと、全部できてようなんて かなり厚かましかったのかもしれません。(笑

自己否定の理由は人それぞれにいろんなパターンがあると思います。深層心理はベールに包まれています。

 

その心理のからくりも説明しだすと長くなっちゃうので またにしますが、

ありのままの自分では価値がない と思い込んでいる人のどれだけ多いことか。

 

これは 頭でやめた方がいい と思ってもなかなか変えるのが難しかったりします。

腹で納得しなければ ハートから自分が愛される存在だと納得できません。

でも、これは変えることができます。

 

なぜ愛されているかを理解すること

なぜ今の状況にいるかと納得していくこと

愛される存在ということを実感していくこと

怖れや不安を癒していくこと   です。

 

自己否定が誤った思い込みだと理解すると 不安感は半減します。

この世界のしくみを知ると どう生きたらいいかを知ります

そして、瞑想によるパワフルなカルマの解放で 内側のネガティブ感情をサヨナラしていきます。

 

何十年も 何世代も重ねてきた生き癖は一朝一夕には変わらないかもしれません、

ですが、変わりたいという意識が芽生えてきたということは とても幸いなのです。

内側を変化させられるのは自分しかいませんが

みな、その方法がわからず悩みます。

 

根本的な問題の理解と 漠然とした感情の払拭を進め、 晴れやかな人生を送りましょう

 

自分でどうしたらいいかわからない方は ぜひ アトリエ霽月にご相談ください。

命が輝いて咲きますように。

 

 瞑想伝授とEFTセッションがあなたの心を平和にします。

晴れやかに個性を咲きましょう。 今からでも遅くありません。

ポピー

カルマ 細胞の記憶 

カルマは種のように

 

カルマは最初は形になっていません、

仕込まれた火薬が化学反応のように 特定の刺激によって発火し発動します

 

身体のカルマは痛みや不快感の

感情のカルマは、 怒り、怖れ、不安、などのネガティブ感情エネルギーの 

カプセルのようなもので、

カプセルが開くまでは存在に気づかなかったりします。 

 

これはすべての人間が 持っています。

肉体が生まれ 意識としての魂が 肉体に乗って現世という3次元の世界で様々な体験をし、

いろんな刺激で 魂が経験を積み磨かれていく ということです。

魂のお勉強はカルマとしての感情を放出、昇華して何らかの気づきを経て 魂を成長させます。

そう、試練です。

 

意識としての魂がそこから逃げ出そうとする場合もありますが、試練は宿命でもありますので、

逃げれば事象が追いかけてくるのです。再チャレンジの機会が与えられる。

 

一度逃げると、次に追ってくる試練はワンランク規模が大きくなって、逃げにくいものとなります。

逃げれば逃げるほど、抑え込めば抑え込むほど、さらに上をいく規模の試練がきますので、

逃げない方がいいのです。

目の前にやってくるものを一つずつ 乗り越えていけばそこで試練が合格になりますから

人生の中の障害物がどんどん減っていきます。

小さいうちに済ます のが らくちんコースです。

 

乗り越える というのは戦うことではありません。

戦うことは受け止めない 受け入れない 拒否の表現なんです。

自然の学びは人間の好む好まざるに容赦なく 必要な試練を与えてきます。

でも、落胆する必要はありません。

乗り越えるほどに人生は軽くなるのです。

 

なかなか試練が終わらない という方。

ちょっと立ち止まって 静観してみます。

向かう方向が間違っている場合、試練は終わりません。

 

本来の流れ、道 の方向に修正させよう というのが 方向性ですが

その方向性がどちらかを向いているのか? というのは、 けっこう難しい問題に思えるかもしれません。

最初から、ノーヒントなのです。

ただ、法則だけが存在し、間違った方に歩むと 流れの摩擦がある というただそれだけが存在します。

 

これまでの人間社会は自我の価値観のもと、

全体的に自然の流れと違った方向に進もうとしてきました。

そうでなければ このように摩擦の多い社会にはなっていないのです。

 

これは、ある意味、魂が流れ以外のものを見たり体験したかった ということなのかもしれません。

失敗をして 成功の甘美さをより強く実感する ということなのでしょうか。

 

失敗を担当する魂は勇気があります。苦労を買って出てやってみせてくれています。

 

流れそのものを見つけた魂は摩擦を感じることが減ってきます。

なんでもがスムーズに。。

 

摩擦は手放して みてください。

本来の流れが戻ります

 

川

 

看取り士

みなさん、看取り士という職業をご存じでしょうか?

 

昨夜、看取り士の柴田久美子さんの講演会を聞きに行ってきました。

 

知人で 元看取り士だったという人がいたのですが

その内容までは話されなかったのでよく知りませんでした。

 

柴田さんのお話では、

今の日本は 臨終の場が 病院になってしまって、

旅立つ人との別れの時間が希薄になっていたり、

身寄りのない方は寂しく旅立たれることも多くなったのですが、

 

また、柴田さんは お父様の臨終の際に、

人が旅立つ時、残される者に大きなエネルギーを与えて旅立っていく というご経験があり、

看取りの場に強い思いがあり、看取り士という職業に着いたのだそうです。

そして、その感動を多くの方々に知ってもらいたい ということで

看取りの重要さを伝えるために 全国を講演して回っておられるとのことでした。

看取られる者の気持ちだけでなく、看取る者が得る感動が大きいのです。

 

人が生まれる場に立ち会うと 大きく感動する のと同じように

人が亡くなる際に 愛で見送る状況は とてつもなく大きな愛のエネルギーの場になるようです。

残されたものに熱い大きな愛が残されるのです。

 

温かい愛と思いが引き継がれる。。。

 

興味深いお話でした。

 

実は私の母は2年半前に亡くなったのですが、

亡くなる時、 私たち兄弟と、孫娘たちは、柴田さんがおっしゃた見送り方と同じことをしていました。

 

生前、体が動かなくなる病気で 生きていることにも死ぬことにも不安と絶望を持っていた母に

私は死ぬことは恐ろしいことじゃない ということを話して聞かせました。

チベットの死者の書なんかを読んだり、肉体を離れる時どうなるのか という話をしばしばして、

母が不安にならないようにしていました。

魂の旅立ちは故郷に帰る旅だと 私は思っていたのです。

 

いよいよ臨終の際は、自宅にこそ連れて帰ることは叶いませんでしたが、

不思議と子と孫がみんな病院に駆けつけることができました。

亡くなるおばあちゃんをみんなで囲み、みんなが母を触り、一番近しく面倒を看た妹が母の頬を撫で続け

おかあさん、おかあさん、ありがとうね

と伝え続ける中で 母が息を引き取りました。

そして、亡くなった母は すぐに自宅に運ばれ居間に寝かされて、その晩はみんなが母の周りに寝ました。

私の娘たちは 亡くなったおばあちゃんの頬を撫でたり手をさすったり 

まるで生きている時のように扱っていました。

 

母は寂しくなかったろうと思います。

 

その時、全員が 強く愛を感じていました。

 

看取り士の方は 見送るご家族の不安な気持ちのご相談に乗ったり、

臨終の際に戸惑っているご家族に何をしてあげたらいいか ご指導したり

 

身寄りのない方の臨終に立ち会い、温かく見送って

幸福な臨終を迎えるお手伝いをするのだそうです。

 

 

臨終を見送る者の方が 愛のエネルギーをもらうのです。

そして世界を 愛で見るようになります。

 

海老壮さんと麻央さんもそうですね。

 

臨終の心得、 多くの方がこのことを知っていると、社会は変わります。

命の根源を見せられるような体験 です。

 

瞑想で空を知る のと 同じ類のものだ というお話もありました。

ご興味があれば こちらを読まれてみてください。

 

本 いのちの革命

 

 

時の流れ 

御法

 

この世は移ろうものである と 過行く時と 去りゆくご縁を物思いに

人が 時を見つめるのは、今も昔も 変わらないものでございます。

 

そう、今日はちょっと 源氏物語調の語り口で  

始めたりなんかしますけども、、

 

昔も今も 人の感受性というのは それほど変わらないのでございます。

 

悲喜こもごも。

 

普通のスピリチュアル系ですと、 ラッキー ハッピー! 全身全霊で輝いちゃおう! というのが主流といいますか、

最も好まれる路線なのでございますが、

 

アトリエ霽月の主人は ちょっと物思い癖がございます。w 

見えない世界へ思いを馳せてしまうのです。

 

この世は光と闇でできていて それをすべて包括してこの世界です。

 

いいも悪いもなく ただ全部がそのままで愛される存在だと認識しています。

 

その中でも ラッキーハッピー炸裂太陽の申し子 のような魂もあれば、

 

幾多の苦難を潜り抜けて心を磨くタイプの方々もおられるのです。

 

本当にいろんなことがあり、

その中で生きていること  笑ったり 喜んだり 涙を流したり、 怒りに打ち震えたり、 そして心が折れたり、

でもまた 愛を感じ、 この世の美しさを見つけては 歓喜の涙を流すのです。

 

このような常に変化をする世界におりまして、 

折々の節目を迎え、 その変化に戸惑いながらも また新しさを楽しみつつ 

過去に執着しないで今を生きることができれば、

 

人生という旅は とてもドラマチックで 感動的なものとなります。

 

アクションを起こして 流れに飛び込むも好し、

ただ静かに漂うのも好し  でございます。

 

変化に怖れることなかれ

諸行無常なのでございます。

 

奢れるものは久しからず、 また逆もしかり。

人生は 波乗りのようなもの。 

 

上手な流れの乗り方 お教えいたします。

 

心安らかバージョンでございます。

 

 

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