意識

子供の生命力

子供の生命力はすさまじいものがあります。

か弱い小さな体で生まれてきますが、けっしてか弱いものではありません。

内側から放出するエネルギーは有り余っているのです。

それらはのびやかに外界に向かって発散されます。

彼らは外界の環境に触れて鍛えられ 学び 多くのことを体験しながら、

見て 聞いて 嗅いで 味わって 感じて 知って 吸収したり、 

摩擦を乗り越えたりして

たくましく育つ

そういうパワーをもっています。

 

どんなに大事なお子さんでも この子は弱い と決めないでください。

彼らの秘める可能性とエネルギーは大人の想像を超えています。

子供は大人よりも柔軟で 喜怒哀楽がはっきりしていて それでいて順応力や 瞬発力も持っているのです。

エネルギーを押さえつけて内側に閉じ込めないよう 心を配ってください。

 

本当に危険なことを回避するためだけに警戒心を残しておきます。

 

子供は 大人より劣っているわけではありません。

ただ、経験がない、もしくは浅いだけです。

大人よりも鋭敏な認知能力があります。

彼らは頭でなく 身体全体で感じ受け取ります。

 

もちろん理解力もあります。

感情でコントロールしようとしないよう気を付けてください。

彼らは本質を見ています。

実は大人よりもよくわかっていたりします。

 

小さな紳士淑女として敬愛してください。

自分自身を大切にしたり、自分を信じられるように育ちます。

 

大人と同じようにプライドがあります。

強さを信じて 見守ってください。

育てる大人の価値観を吸収します。

大人が見本です。 

 

見本でいられる大人であってください。

在り方、生きる姿を見せることが教育です

 

子供は大人の夢の身代わり役ではありません。

子供自身の命と人生を生きます。

思うままに 羽ばたいて 多くの経験を乗り越えます。

自分の意志で生きれることは 幸福です。

 

あるがままにさせ 学びを見守る愛。

愛でいてください

そしてかつて子供だった あなた自身の命とエネルギーにも

同じ愛を向けてください。

芽

 

幸福を選択する

瞑想では ネガティブな感情が湧きだすことを カルマの解放と呼びますが、

一見 その感情は 現在起こったようにみえますが 本当は過去に感じた感情が 

何らかに刺激されて出てきているということが多いのです。

きっかけになるものは、

その昔傷ついた時と似たようなシチュエーション とか 言葉(キーワード)、景色、音楽、匂い、、夢、または脈略もなく

感情が大きすぎて 感じるのが辛く、奥深くに封じ込めたものほど 突発的に出てきます。

封じ込めるのは、心を護ろうとする生体の反応なので 自覚はありません。

封じ込めたことすらも忘れ消されてしまいます。

 

過去、何かが起きた時、十分に感情の解放(表現)ができていれば、残りカスのカルマも残りませんが、

怒りや悲しみを抑え込んでしまうと、後に尾を引くのです。

 

このような状態で過去からのネガティブ感情に悩まされる場合は、感情の解放のワークが有効で

色々な心理療法が利用されます。EFT療法もその一つです。

瞑想はこれらのネガティブエネルギーを 瞑想のうちに身体から少しづつ外に出します。

内側に起こるエネルギーの渦が浮き上がっているカルマを外に追い出す働きがあります。

それでスッキリするのです。

 

何年も続けていると、過去のトラウマやカルマたちが いなくなっていることに気付きます。

これらは無意識の領域なので 普段はあまり自覚はありませんが、 なにかにつけて出てきていた尖った感情が消えていることに気付くのです。

 

根が深いものほど時間はかかりますが、年単位で見ますと 本当に見事になくなってしまうのです。

先祖が、あるいは過去世から持ってきたであろう深いカルマは一生涯、何世代に渡って続くものもありますが

それらが自分の代で数年ほどで消えてしまうのです。

 

私自身は、かつて瞑想を始めるまでは、

自分が持っていたカルマを娘に渡したくない一心で いろんなことを試していました。

自分が感情に流されると、娘がそのカルマを受け取ってしまうからです。

子供を産んだ当初は 何も改善できていませんでしたから とてもへたくそな子育てであったろうと思います。

でも、子供が小学生になる頃からようやく 何が歪んでいたかがわかりはじめ、

中学生、高校生になるころには 母娘関係がとても良いので 娘たちは友人たちからうらやましがられていました。

 

親の私が言うのもなんですが、娘たちは自立した意識を持ち、公平で思いやりがあり誰からも好かれます。 

私はもう何も心配することもありません。 彼女たちは自ら人生を切り開き、幸福を選択していくことでしょう。

 

これらのことを進める上で一番重要だったのが

母親である私自身が幸福に生きることを選択する ということでした。

 

犠牲者にならず、自分自身を護るのは自分の責任である ということを、

生き方で示すことが 本当の教育であり 愛情なのではないか と 思います。

 

自分の幸福に責任を持てる大人でありたい と思います。

 

斎藤一人さんの言葉、 「自分の機嫌は自分でとるものなんだよ」 

が時折私を勇気づけてくれます。 shinewink

要らないカルマは 速やかに手放したいものですhappy01

 

瞑想があなたの人生を変えます。

悩んでおられる方は ご相談ください。clover

マーガレット

欲について

寒い日がつづきますが、みなさまお元気でしょうか

昨日は表装の指導を受けに遠方まで出かけておりまして 

そのまま頭が掛軸のことで一杯一杯。(笑)

表装作業時は写真を撮ることをすっかり忘れてしまう有様 coldsweats01

 

年齢と共に 物事の切り替えがゆっくりになっており、八面六臂 という具合に行かないようになってまいりました。

年齢を馬鹿にしたり、恥じたりしてはなりません。 みんな一律に年を取ります。 自然の摂理 wave

 

あれもやりたい これもやりたい 

行動に対する欲が強いのかもですね(笑)

向上心というよりは欲なように思います。

欲張りすぎはいけない と 最近反省しております。

 

そう 向上心もある意味欲なのです

物事の良い悪い というのは 良いことと悪いことがある のではなく

バランスの問題でしょうね。 過ぎたるは及ばざるがごとし。 

できる事とできないことがあるのです。悔んだり恥じないことです。

できるようにやればよいのです。

 

過ぎると言えば、

自然界でも、繁栄して増えすぎると過密と食糧不足が生じ、自然淘汰されます。

人間も例外ではないですね。

 

増えすぎて なお、繁栄繁栄 と叫ぶのは違うと思います。

思う存分消費できる世界はすでに終わっていると思います。

 

世界や 他の生命と共存し、バランスを保つ心掛けが必要です

 

先日、聖徳太子のドラマを見つけまして もっくん(本木雅弘)演じる聖徳太子さんの平和への願いを見ていて

本当に 和を以て貴しとなす  ということが 大事 と言いますか 慈愛だなぁ と思います。

 

権力を得るために 殺し合いで解決するなんて 想像しただけで泣きそうですよ。 crying

殺らなければ殺られる なんて  本当に恐ろしい幻想です。

幻想を持ってしまうと現実化するんですね。

 

世界とこの命を 愛で包みたいと思います。 shineheart01shine

 

年始準備に忙しい年末ではありますが、 ゆったりとした気持ちで過ごしましょう。

無理しなくてもいいものは 無理をしないことです。 

命は輝かせるもの。 自然体でいきましょうね。

 

瞑想で静かな心に shine

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在るように在ること

自分らしく生きる ということは 思い通りになる ということではないのです。

 

理想どおりに 思い通りに させたい という 自我(エゴ)を手放すこと。

 

それが あるがまま

 

ある人が言った言葉

どこに植わっていても 杉は杉らしく真っ直ぐに、松は松らしく曲がって伸びるのがよろしい  と。

 

芽

 

死後の世界

生きている人間には確かめようのない 死後の世界の事 皆様はどのようなイメージをお持ちでしょうか

 

宗教や文化によって 様々な死後の世界のお話が語られています。

 

そして

死ぬことを極度に恐れている方もいらっしゃいますし、

まったく恐れていない方もおられます。

 

私自身は 生き方は色即是空の仏教的考え方がベースにありますが、

六道輪廻にある地獄 などは死後の世界とはとらえていません。

 

で、 死後の状態 をどのようにイメージしているかと言いますと、

 

あちらの世界といいますか、魂の故郷、 生まれる前に私たちの意識が存在していたところ から

 

魂の乗り物であるこの肉体に 人 という生き物として宿り、

人生という旅をするのか 人間の一生で

 

肉体が古くなってあちこち不具合など生じ、活動に不自由を来してくる乗り物の終わり がやってくると

 

一度その乗り物を降りて、故郷に戻り 意識の海に混ざります。

 (これが成仏です)

 

そして、他の意識と一度まざりあってから  今世の私という意識のエッセンスを含む新しい意識となって

 新たに生まれる肉体に乗り、再び人生という修行の旅をスタートさせるのです。

 

これは本当かどうかは断言はできません。

私はかつていたあちらの世界のことは覚えてはいないのです。

ただ、とてもそのような気がして その流れに納得しているだけのことですが。

この仕組みはとても気に入っています。

 

母が病気で体が動かなくなって そういう自分の身の上を嘆き こんなになって生きていたくない と言ったり、

死んだらどうなるのか とおびえる時は いつも この話をしました。

 

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病身の身体から抜けると 身が軽くなって(質量がなくなるので当然) とても自由で

どこにでも行きたいところにいけるらしいよ!

痛みや不快感もなく 心地よいイメージで幸せな気持ちになるらしいよ♪

 

今はまだお迎えが来るまでは 生きるという修行が残されているけど、

運命を受け入れて 優しい気持ちになると 苦しまずに人生を卒業になるんだって。

だから、この世の恨みも無念も 全部捨てて逝くの。

許すということは 自分が苦しみから解放される ということなので

もう何も思い悩むことも手放して 流れにお任せすればいいんよ。

うまくやれなかったと思うかもしれないけど、

こんなに頑張って 一生懸命生きてきたんだから 何も後悔することなんかないんよ。

 

意識だけになったら 幸せを思うだけで 幸せが現れるんだって。

だからもう 何も心配することなんかないんよ。

私たち子供みんなが愛してるよ お母さん。

 

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yacht この世は魂の修行の旅先なのです。

いろんな条件を用意して この肉体という乗り物に乗り、

幸福とは何か?を思い出す旅なのです。

旅の道連れと 仲良くするもよし喧嘩するもよし

自分が何をすれば喧嘩になり なにをすれば仲良くなるか を 思い出す旅なのです。

 

その体験と学びの結果を持って 一回り成長した魂を故郷に持って帰るのです。

 

うまくできなかったことが悔しければ また戻って来ることでしょう。

 

身体から抜けて 気づけなかったことに気付いた時、また再チャレンジしたくなるそうです。

今度は逆の立場 の体験をしに。

いろんな立場、いろんなシチュエーションをやってみて 全てを理解していくのでしょうね。

 

今の自分の価値観だけが正義なのではなく すべては多種多様の条件で 与えられるものが違えば 表現は変わる

 

ということを知り、自分の肉体以外も同じ世界 同じ故郷 同じ魂 同じ一つのものである ということを思い出して

全てを慈しみ 愛を向ける 

 

そういう 宝探しゲームをしに ここにやってきているようです。

 

愛を見つけた者から 幸せになってゆきます。

 

愛は 存在だけで 愛を拡げていくことができるのです。

 

あ、そうそう、たまに乗り物の自我の意識が文句垂れてますけど(笑)

なだめながら機嫌よく旅しましょう♪

 

死後の世界は怖くはないし、 この世で 苦しく生きるも幸福に生きるも すべて自分次第だ ということが 今はよくわかるのです。

失敗はないんです。 ただ 体験があるだけ 今生はそれでよかったのです。clover

 

辛かった記憶は癒して 自分の命を愛してあげてください。shineheart04

そのレッスンが人生です。shine

 

 

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意識

私たち人間には心があります。 他の動物にもあるかもしれませんね。 情や愛 動物も持っています。

 

私たち人間が特別なのは 考える という能力があります。 イメージを言葉でやり取りする能力があり、

自分が経験していないことも 聞いたり読んだりすることで イメージでとらえ、疑似体験ができるのです。

物語を読んだり聞いたり。

そして更に、 記憶したり 考察したり、判断したり、妄想したり と とても脳が発達した生き物なのです。

発達した意識が肉体を動かしています。

 

ですが、時折 肉体は意識の思い通りにはいきません。

心も自然の仕組みDNAよって構成されたプログラムなので 顕在意識では抑制できないものもあります。

 

顕在意識、 普段私たちがものを考えているこの意識のことですが、これは意識の表面にすぎません。

海面

 

瞑想の講義では 意識は海に例えられます。

 

海の表面から外界を観察しているのが顕在意識

 

多くは外側の世界しか見ていません。

 

波間に揺れる小舟の気分です。

 

あなたは波が穏やかであることを願っていますか?

 

海上の嵐

嵐などに遭いたくありませんね。

もし嵐が来たら どこへ逃げ隠れしましょうか 

嵐(災難やもめ事)を遠ざけるには どうしたらいいの?

 

いろいろ苦心します。(^_^;)

 

自分がいる世界の 天候(状況)の変化に一喜一憂します。

 

でも、目をつむって 内側を見つめると

 

海面下

 

そこには別世界があります。

 

意識の海 へと 降りていきます。

海面に近いところはまだザワザワしていることでしょう

でも、 波の影響の薄れる 深海は

それはそれは静かです。

 

意識の世界も 海と同じです。

私たちの意識は海に例えられ、肉体を越えて全部と一つに繋がっています。

人との関り

日常生活では特に気に留めませんが、 

意識についてのことを書いてみます。

 

価値観といいますか、世界観 

これはその人がどんなエリアに世界観を見ているか で 変わります。

 

人と」価値観が違う時など 相手の言ってることの意味が分からず

 

「は?」  ってなっちゃいますけど、(笑)

相手の世界観の中ではそれがとても正当なことだったりします。

 

ありえない、 意味がわからない、 頭おかしい、 なんて憤ったりなんかしますと

相手を理解することを拒否していまします。

 

特に家族など、近い関係で深くかかわらなければならない相手ほど、その感情が強く出てしまいます。

関係ない他人は まったく、関心など持たず、スルーすればいいだけなのですが。

家族は意見や見解の違うそのことで摩擦が起きてしまうのです。

 

何? と  びっくりしたときは 

「信じられないわ!」 と言ってしまうのをやめて

この世界には いろんな価値観があるのだな と 傍観してみましょう。

 

「へぇ、そんな見方もあるのか」 

「この人は何にこだわっているのだろうなぁ」

「なぜ そう思うのだろう?」

 

背景や 深層心理がわかると、 意外と とっても理解できたりします。

そういうことがあったなら そう思ってもしょうがないよな  って。

 

それと、

物事をとらえる意識の位置で ものの見方はとても変化します。

こちらがどこからものを見てるか です。

 

個人のエゴのエリアは見解が狭いです。

「何それ、しんじられない」のエリアです。

 

実はこの言葉、母の口癖でした(笑)

なんで信じられないんだよ  と よく心の中で突っ込んでました。(苦笑

見解が狭い (笑)

自分の価値観しか信じないとそういうことになります。

 

他の人とは 過去の体験が違うのです。

感じ方や 好みも違います。

性格も違います。

 

「何それ、信じられない」  って言われると、 言われた方は その後は言葉につまってしまいます。

しつこく説明するか、 もういい って こちらから切っちゃうか ・・・

 

私は しつこく説明するタイプですが、

元夫は 切っちゃう派でした。

 

当時は 歩み寄る余地 なかったなぁ。。(^_^;)  とても無力感を感じてました。

そのうち 自分からも何も言わなくなった。 

これ、断絶ですね

 

言っても理解してもらえないだろう って思っちゃうんですよね。

言い方とか情熱にもよるのだと思うのですが、

一度傷ついちゃうと諦めがちですよね。

 

でも、もしかしたら 相手もそう思ってたのかもです。

本当のところは 違っていても共存は可能なんだと思います。 

 

相手のやり方は尊重して 敬意をもってそれぞれが共存する というスタンスだと 関係は壊れることがありません。

例え、離れたり、家族を解消することになったとしても

それぞれが尊重されるところに 摩擦はないのです。

 

摩擦は エゴが思い通りにしようと 周囲を支配しだしたとき、ひどい摩擦になります。

 

あるがままを 尊重する  は  とても 自然な調和です。

 

あるがままを 尊重できれば、すべてが収まるところへとスムーズに収まっていくのです。

間違った場所にしがみつかなくjても 縛り付けなくても よいのです。

未来を心配しないでください。 ダルマ・流れ という大いなる意識を信頼してみましょう。

日々を懸命に生きればよいだけです。

日々を輝く人には 必要なものがやってきます。

これは本当に不思議かもしれませんが、世界の意識は 我々をっ見守っています。

この意識を 神 と呼んでいます。

Godafoss falls

愛という定義

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愛というと 日本人の多くはなんだか甘ったるいムードを連想しますが、 

ここでいう 愛は ちょっと違います。  

恋愛の愛とは少し質の違う 愛 です。

 

情熱的な愛  ではなく ほんわかあったかい愛 を想像してみてください。

 

恋愛の愛は エゴの愛 としたら、 こちらの愛は エヴァの愛 と呼んでいました。

ユニバースの愛 神の愛 とも言います。 真の愛 純粋な愛 と表現してもいいかも。

 

神の愛は あるがままにさせておく 見守る愛 なのだそうです。

神は裁くことは 本当はしていません。

本人の選択を尊重します。自由意思を尊重してただ見守るのです。

本人の成長を見守ります。

 

何か悪いことをしてそのあとひどい目にあう時、バチが当たると言いますが

バチが当たる という感覚は 神がしているのではなく、

エネルギー法則の結果、したことが自分に返ってきているだけのことなのです。

 

神は 我々の魂が幸福に満たされることを喜び、悲しみ傷つくことを悲しみます。

愚かなことに人間はなかなかそこに気付きません。

ですが、今からでも気づいていくと神は喜ぶのです。

 

人が愛を心に持ちますと 調和 が起きます。 

世界との調和  他人との調和 です。

この調和を ダルマ と呼んでいます

人間以外のものが調和することも愛です。

調和は満たされた繁栄へと進化します。 そこには喜びのエネルギーが溢れています。

 

ダルマ の反対は カルマ

カルマは 摩擦 です。

 

人間の感情で言うと、抵抗、嫌悪、否定、攻撃、

 怒りや悲しみを伴っています。

 

愛には否定がありません。

否定がない というと、全部肯定しなきゃいけないのか? と憤りを感じる人もおられると思いますが、

全部肯定するのとは違います。 否定も肯定もないのです。

神の世界では 良いも悪いもありません。

ただ 創造的 調和的な 愛の現象と、

摩擦が起きるカルマの現象があるだけなのです。

 

人間が生きていく上で

危険なものや、何らかのもの、あるいはエネルギーを奪おうとしてくるものからは、

回避 や 避難 静観(注意深く見る) を使います。

そこには恐れは必ずしも必要ではなく、むしろ冷静にただ観察 見守ることが望ましいです。

 

対象を観察すると、その根底にあるものが見えてきます。

それを理解することは 愛。  ただ受け止める。

 

すべての生命は 懸命に生きようとしています。

時にこじれ、揉まれ、傷つきながら。

 

この理解に行きつくには 魂の成長過程での体験が必要です

わからないこと、できていないことを責める必要はありません。

理解できた時、魂の成長が起きます。

世界観が拡がるのです

 

愛ある行動 愛ある意識 は、しなければならない のではありません。

できればより自分の周りが豊かになり、できていないことは、ただ、自分自身が生きづらくなる というだけのことなのです。

心が温まりたいなら、自分の心を温かくすることから始まります。

心が温かい人に出会うと温かさをもらいます

そして心の温め方を知ります。

人の心も温めてあげましょう。

世界が喜びます。

 

自分の周りに温かさがいっぱいになります。

あなたが愛の源です

 

私が愛の源ですshine

感情

感情というのは 突発的に出てきますね。

なぜ? とか考える間もなく 怒りがこみ上げきたり、悲しくなったり

 

その感情に悩まされることがあります。

 

でも、感情自体はあまり意味はなく、 ただの反応だったりします。

 

瞑想的には 過去の感情の記憶 を カルマ と言います。

過去に体験したネガティブな体験の心の傷が まだ癒えてなくて 痛むのです。

 

心の根底ではそういうことが起きています。

 

一番いいのは、傷を刺激する事柄を排除する ことではなくて 傷を癒すことです。

 

ひどい心の傷のことをPTSDと言いますが、その場合は出ている症状(激しい感情)のために

身体が弱りますので 刺激は回避します。 わざわざ痛めつける必要はありませんから。

 

でも、過敏に反応する場合 とても生きづらくなります。 刺激から逃げ回らなければなりませんし、

まだ来ていない刺激にまで怖れを抱きます。

 

そんな刺激などものともしない強さがあればどうでしょう?何も怖いものはありません。

強さは健康なベース(精神)の上にしかできません。表面だけ強くすると、とても壊れやすく柔軟性のない状態になります。

それは根底に怖れがあるからです。

 

どうすれば 強くなれるのか ですが、

瞑想は 心の傷を癒すのにとても効果を発揮します。 海馬の心の傷の記憶を解放して手放していく作用があるのです。

感情が押し込められている場合(出すことを恐れて抑圧している場合) 詰め込まれたゴミ(ネガティブ感情)は外に出る必要があるので出てきます。 

これにうろたえてはいけません。出て行った感情を呼び戻して再び押し込めてはいけないのです。

出たモノはそのままサヨナラします。

 

過去の感情出て行ってくれてありがとう! です。

瞑想をしながらだとこの作業がとてもスムーズです。

 

感情が見えることを恐れないでくださいね。

持て余したら瞑想教師と語り合ってください。

一緒に見送りましょう。

 

心を落ち着けるセッション、EFT療法もかなり効果を上げますよ。

困った時はぜひお試しください。

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悩み

私が仏教や瞑想に興味を持ったのは 幸せに対する強い憧れがあったから でした。

今となっては悩みに悩みぬいた過去はわざわざ思い出さないと出てきませんしそれで心が痛むこともありません。

現在は突発的な出来事に驚かされることや 困ったな という場面に出くわすこともありますが、

昔のように悩んだり動揺することはしなくなりました。

相当楽天的です。楽天的になってしまいました。(笑) 

20171122112945.jpg とりあえず面白がる…w

 

瞑想に興味を持たれる方はなにがしかのお悩みを持っている方も少なからずおられます。

 

それが身体的な不具合や症状に悩まされている場合は、

瞑想はとても良い効果をもたらします。

 

一朝一夕に とはいきませんが、長く続ければ続けるほど体調は整います。

身体の機能が正常に働き始めます。身体の循環がよくなるのです。

 

心と体は連携していますので身体を整える事も大事です。

 

瞑想には体を整える作用があります。

これは心が掃除されて身体が緩む という順番でしょうか。

 

悩みごとが精神的なものの場合、

瞑想することでとらわれを減少させてゆき、徐々に悩むことから離れていきますが、

アトリエ霽月でご指導する場合は

何か具体的な悩みごとがある場合は、それを悩まずに済む考え方やこだわりの手放し方も勉強します。

個人セッションではそういう内容のことが多いです。

場合によってはEFT療法も使います。

 

悩みは 外側の状況が作るものだと思いがちですが、

本当のところは、悩む という心の選択の問題だったりします。

最初は意味が分からないかもしれませんが、もののとらえ方を瞑想的に拡げていくと

その意味がわかってきます。

 

仏教の色即是空は このことを言っています。

 

色(しき)というのは  この世界のいろいろな出来事や状況 のことですが、

 

色はあってないようなものだ というのが色即是空

 

う~ん、この説明じゃあわかりませんね~(笑)(笑)

 

色(起きる出来事や物事)をとらえるのは私たちの意識ですが、そのとらわれてしまってる意識の状態が 苦しみや悩み なのです

 

瞑想はそれを手放す時間です。

毎日瞑想をして とらわれから離れる時間を増やしていくと、

日常でもとらわれない時間ができてきます。そして徐々に空(くう)が増えてくる

特にELM瞑想は その作用が強い瞑想法でもあります。

 

でも、とてもかたくなな意識の場合、そのとらわれをなかなか手放したがりません。

 

なぜ、そんなにかたくなになってしまうかというと、

 

手放すのが怖い という深層心理が潜んでいます。

 

もう一つ、悩むことや問題を抱えることにメリットがある場合です。