2021年07月17日

揺さぶり

スピリチュアルを学び始めた頃

身の回りに起きる出来事を 『お試し』と呼んでいました。

私たちの意識(魂)が試される という意味

私たちの意識は体験を通して 学び愛を大きくしていく

キャパシティ(器)を大きく成長させる ということをしているそうで

体験して様々な感情を味わい、感情を味わいつくして

その試練を乗り越えた時 大きな愛に目覚める ということが起きます。

最初にそう教えてもらい、その 「乗り越える」というチャレンジをしていた時期がありました。

これは、今のELM瞑想の理論から表現すると

カルマの解放が終わると真我の意識が現れて 悟りを得る  というのと同じ意味です

体験を通して 大我の愛 に気付き 目覚めると

苦が消滅します。

それはどんな状況に置かれているか は 問題ではありません。

正確に言うと、

どんな状況に置かれているかは問題にならなくなってしまうのです。

 

渇望や 絶望 は 欲しいものがあって それが満たされない ということで生じますが

すでに満たされている人は 満たされない苦と縁がなくなるのです。

満たされていてもまた足らなくなることってあるんじゃない?

今の満足はいつまで続くか分からないもの  と思うかもしれません。

それは その場合の満足は物質やある条件下でのみ得られる 条件付きの満足です

この物質や持っているものに依存した満足は 永遠に持ち続けることは不可能です。

肉体が死ぬ時は 全て奪われますし。

でも、無くならない満足 無くならない幸福感 というものがあります。

愛する という波動です。

これは 愛される ということではありません。

愛する という波動を出している場合、結果的に愛される ということが起きますが、

愛されるということは副産物でありメインではありません。

愛する というあなた自身の波動で あなたが満たされていくのです。

行動も問題ではありません。

行動も副産物です。行動してもいいししなくてもいい

そこは問題ではありません。

あなたが 愛 であるか そうではないか・・・

この場合の愛の反対側は エゴ でしょうか

あるいは 無関心。

無関心は 冷たく、 エゴは摩擦 です。

愛は 熱くもなく冷たくもなく ほんのり温かい。

あなたは あなたの内側にある愛に温められるのです。

もちろん他者からの愛も あなたを温めます。

でも、あなた自身が愛の温かさを発生できずにいるなら

あなたは他者の愛が薄れると冷えてしまい、

他者の愛に依存し続けなければならなくなります。

もしくは 冷えたまま過ごす。。。

カルマが解放されて、取れますと、

あなたの中心に在った 真我の愛が光り出します。

あなたの意識を覆っていた カルマが取り除かれ、隠れていた真我の意識が現れるのです。

真我は 愛でできています。

全ての存在を包み込むように見守る 大きな愛の視線です。

その目は ジャッジをしません。

ただ 観ているのです。

そして 体験に感動しているのです。

喜怒哀楽 すべてを味わい

あなたの意識が この世界を体験して理解していくのです。

 

愛は、自分の身体以外の存在と繋がる目に見えない 媒体 のようなもので

それは すべての存在をつなぐ糊のようなものなんだよ と マスターは言います。

その 自分自身から出てくる 愛 という糊に気付くと

もう 孤独にはなれません。

存在と存在の 距離は 関係なくなるからです。

めを閉じて感じるだけで つながるようになります。

瞑想の度に そのつながりは大きな実感へと変化していきます。

時間をかけて 私たちはカルマを手放し

世界と一体となっていきます。

 

あなたは 愛でできている ということに気付くでしょう。

この世界がどれほどに美しいかを 知る時です。

山水紫雲

この地表を どれだけの命が覆っていることでしょうか

私たちはこの世界の一部なのです。

この世界は あなたの身体のようなものです。

世界と和解してましょう。

信頼と愛に 応えてくれます。

世界を好きでいること

身体を好きでいること

あなた自身の存在を愛していること

あなたを幸せにするのは、あなた自身です。