2020年10月

愛の波動を持った存在

悟りというものが崇高な境地で

選ばれた人間、高尚な人物にしかできないことだと思っているなら

それは間違いです。

悟りというのは 余計なものがくっついていない

純粋な意識の状態で

我々がくっついたカルマを落とすことで全ての人が

持っているもの なのです。

 

一番大切なものを大切にしていく

末節の枝葉にとらわれない

本質の純粋な愛 の波動になった瞬間

その人は純粋で美しい愛そのものになるのです。

 

もちろん、肉体がある間は

肉体の意識、自我 と同居していますので

エゴの意識や煩悩の感情は発生します。

 

でもその感情たちに呑まれるか、

他者にぶつけることなく手放すことができるか で

生き方は大きく変わります。

カルマの感情が出ている時は

ただ解放して手放せばよいだけです。

 

まだカルマの感情が大きい間は

解放が先決です。

詰まって噴き出しそうな大量のカルマのエネルギーを抱えたまま

それを出さないなんて不可能だからです。

まずはお掃除をしてお部屋(内側の世界)を片付けましょう

 

初めは大掃除かもしれません。

大きく出て行くほどに

内側に詰まったものは減ります。

沢山でたね! よかったね~

ピンクの光のサムネイル画像

マゼンダの光は愛の波動

ラブマントラの愛の波動 愛の光に身を浸してください。

あるがままの美

私はどうしてこんな風なんだろう?

と悩むことがおありでしょうか?

 

植物

肉食動物
 
草食動物
 
回遊魚
 
 
いろんな生き物がいます。それぞれの性質があります。
どの生物が素晴らしくて
どの生物が忌まわしい
とかいう問題ではなくて
それぞれがそのように生まれて
それぞれの生涯を全うする   ということ。
同じにはできません。
そこに良いも悪いもありません
 
私達人間にも
与えられた要素、与えられたカルマがそれぞれにあります。
宿命は選べるか?といえば選べないし、
経験も選べるようで選べない
なるようになっていくのです。
意図する事すらプログラム、カルマか宿命かもしれないのです。
思い通りにならない ということを受け止めるのが
人生の課題 悟りの道 でもあります。
 
あるがままを 受け止めきった時
そこには 存在の喜びが輝き始めます
 
ああ、生きているんだな と shineconfidentshine tulip
 
あるがままに咲く潔さは美しいものです
何も飾る必要もありません。
誰かに見せるために咲いているのではありません
あなたが存在を謳歌する ということです
 
なずな
 

待望の瞑想リトリート

お待たせいたしました。
11月連休にELM瞑想マスター ボブ・フィックス氏による九州地区(長崎県 雲仙休暇村)瞑想リートリート開催いたします。
 
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雲仙紅葉

それにしても見事な紅葉!リトリート時は紅葉ピークです。
めっちゃ楽しみ~ lovely maple

執着の苦しみ

瞑想で執着の思いは取れますか? というご質問がありましたので
回答を書かせていただきます。
 
 
 
瞑想で 煩悩や執着は消えていきますね。
 
ただ、苦しみはある程度通過します。
出て行ってくれないと無くなりませんが、出る時に苦しいです。
日常的に瞑想をしていると、瞑想時に出てくれる分は 意識に上がらないことも多いので
その分が楽になります。
 
解放の苦しみは必要な苦しみ と言えると思います。
 
苦しみが無ければ懲りずに執着しつづけてしまうでしょう。
 
エゴの思いは強いです。
 
ただ、執着するものは 失う運命にあります。
執着が怒り、悲しみ、恨み を 生みます。
 
持ち続けるか 手放すか は 私達次第なのです。
 
摩擦の感情(カルマ)は それがどういうことなのかを教えてくれているのです。
 
手放してください。
愛に変わるまで。

中秋の名月

中秋の名月、美しかったですね。

アトリエ霽月の『霽月』せいげつ は、雨上がりの澄んだ夜空に光り輝く眩しいような満月のことです。

そんな天候の条件に左右される 名月は何年に一度見られるのかな と思いつつ

今年の名月を見ました。

中秋の名月

都会の名月は 夜景の中にありますね。

スマホカメラでは くっきり写らないのがちょっと残念。

 

サロンの名前を霽月にした経緯をお話しましょう

元々私は 自分が明るすぎる太陽にはそぐわないと思っていたんです

月と太陽(陰陽)だと 月側のグループだと感じていたんですね。

夜のグループです。

燦燦と光り輝く太陽ではなく 暗闇の中に居て 辺りを照らす役目

でも、もっと以前、最初は、満月ですらなかったですね。

消入りそうな細い三日月に惹かれていました。

それが自分の自己イメージにしっくりくる感じだったんです。

スピリチュアルを学ぶにつれて だんだん光か強くなって

静かな心で夜の静けさを照らす などというのは自分にピッタリな感じ

だと思っていたのです。

それで最初はハンドルネームに静月 という名前を使っていました。

静かな月 青い光 そんなものがとてもしっくりと感じられていました。

ですが、瞑想をするようになってもっと意識が変わりました。

月は月でも 闇を消してしまうような強い光

霽月 というのがあるんだ と知って それは私の憧れになっていました。

瞑想教師になったころ、それを名乗るのは大それたことのように感じて

まだまだ自分にはそぐわしくないとも思っていたのですが、

憧れでなく それが私ですと言えるほどになると自分で先に設定をしたのでした。

実力は 後からでもついてくるものです。

経験を積んで いつの頃からか自信をもてるようにもなっていきました。

そして、どんどん 理解していったのです。

悟りは 今の自分自身の生き方 そのものでもあります。

そしてそれすらも意識しないほど 当たり前の自然な在り方

何も特別なことはありません。

何者にもならなくても 存在そのものが輝いていることに気付いたのです。

命がある という輝きです。

生きていることを喜んで謳歌している輝きです。

特に何が出来たから というわけではありません。

ただ、自分が好きな事をしているだけです。

そして、嫌なことがあったとしても それはそれ。

排除などしなくても 自分の命の輝きはそがれることはありません。

 

この境地は羽が生えたように軽くて自由なのです。

とらわれていた頃の重さ など もう思い出すこともないくらい遠いものになっていました。

でも、知っていはいるのです。闇はどんなものかも。

そこに戻ることはありません。

今の方が心地よいからです。

 

1人でも多くの方が 軽さと自由さを実感してくださいますように。

楽しく平和な悟りの意識へ

ようこそおいでくださいました。

一緒に楽しく 今日という日を歩みましょう

瞑想と 瞑想の場、教えの場に触れてください。

 

11月に九州で 瞑想合宿があります。

現在場所の交渉中です。

決まり次第告知いたしますので どうぞお楽しみに。shine