2019年11月27日

何を選ぶか

何をして良くて 何をしてはいけないのか

色んな基準があると思いますが

スピリチュアルのことを知るようになって最初に衝撃的だったのが

「神は私たちが何をしてもいいと思ってる」 ということを聞いた時でした

いやいやいや、そんなことはないでしょう・・・ coldsweats01

宗教には戒律があるし、この世界でしちゃいけないことって 凄く沢山ありませんか?

犯罪とか 人殺しとか 虐待とか 悪どい事とか ドラッグとか?

 

いえ、違うんです。

この世界は 何をしてもいいけど、

したら幸せが増えることと、したらひどい思いをすること が あるだけ

のことなんです。

 

で、そのどちらも体験してみて確認している人間がいます。

望む望まざるに関わらず、担当者は実践いたします。

 

在ったことのない犯罪は まだそれを裁く法律がありませんが

犯罪は 人間がそれをやって 多くの人々が物心様々な面で傷付くので

それはしないことにしましょうね という 人間社会の取り決めによって禁止されるものです。

これは神様が裁いているのではなく、

人間たちのマインドが 社会を整えようとしてやっています。

 

ただ、気を付けないといけないことがあります。

ルールを作れば生きやすくなるのか?というと そういうものではなさそう。

 

ルールは 役に立つこともあれば、そうでもないものもあり

法律は 言葉で記述され、その言葉だけが形骸化してしまうと

言葉に当てはまったものだけがOKで、それ以外は全部 ? とか

あるいはルールに沿わない全てが裁きの対象になってしまいます。

そう、融通がきかなくなるのです。

例外が認められなくなる。

 

最近話題のブラック校則などもですね。

整えるためにあったらいいもの なのでしょうか?

それは誰の基準で?

 

生徒が髪染めで金髪にすると この学校は不良がいる、レベルが低い 

なんていう社会からのレッテルを恐れて

髪は黒くなければいけない という校則を作ると、

地毛が茶色い生徒に髪を黒く染めさせる なんて馬鹿げたことになる

 

持って生まれたありのままの自分を否定される ということがどれだけ個人の尊厳を傷つけているか

校則を作った人は考えが及んでいません。

個人の尊厳を無視したルール

 

今ある悩ましい出来事をコントロールして排除したいエゴは

とても視野が狭いのです

 

もしあなたの周りに奇妙なルールがあったら、決まりだからと鵜呑みするのではなく、

また、嫌だと毛嫌いするのでもなく

 

それは何のために あるいは 誰のために作られたルールなのか ちょっと考えてみましょう。

知っていて合わせていても、それにとらわれていなければさほど問題にはなりませんが、

既存のルールでも もうすでに役割を終え、時代の変化に対応できなくなっているような 誰も幸せになれないルールがあります。

それは現実的にも再検討する必要があるでしょう。

この世界は常に変容しているからです。

このことを 仏教では 諸行無常 と言います。

籠の鳥