生きる 

私たちは 何かのために生きているのではなく

生きるために何かをします。

日々、生きるために必要な何かをしています。

 

この世に生れ落ちて 生きる という目的のために

活動しています。

 

何のために生きているのか

それは命があるので 生きているのです。

 

意識は 身体という生命体を預かった魂です。

 

なぜ? 

理由を求めても 意味理由など本当はありません。

意味は人間が考えているだけなのです。
いろんな意味付けは出来ますが、それはしてもしなくてもどうでもいいのです。

 

命を生きる それが与えられたのです。

 

神(魂の根源の意識)は 

魂を 物質世界に解き放って

自由に体験させてるようです。

どう生きるのか

観察されているのかも?

次は自分がやってみたい と思っているのかな?

いずれにせよ 何度も生を繰り返すことを経験しているのです。

 

生命という可能性が どういう方向に進むのか

 

繁栄したり 衰退したり

創造したり 破壊したり

終焉と再生を繰り返しながら

生命というシステムがどれだけ環境に適合できるでしょうか。

 

私たちは神の創造物であると同時に神そのものなのです。

個の魂と神は同じところから来ています。

魂は 神の出張所。

 

地球という一つの世界で

分裂と融合を繰り返し、

誕生と進化と変容と衰退のサイクルの中で

体験し、

観察し続けています

 

そこで 何か 発見したり 試したり 悟ったりしながら

私たちの意識は それを見ているのです。

 

自分が何をしているのか

自分が何をしたらいいのか

自分は何をしたいのか

 

その答えは 

あなたの目の前の今にあります。

 

あなたは 今という材料を

どう料理してもいいのです。

あなたの調味次第で 人生は彩ります。

 

思うように変化してくれない  と思っているあなたは

この世界の理(法則性)を まだ理解していないだけです

 

あなたがそれに気付く時

あなた自身が 自分の人生に何を体験したいのか

選ばべるようになってきます。

 

選択肢の範囲、出来ること出来ないこと

どうすれば 実現が起きるのか

 

あなたに与えられた可能性

 

あなたは それを見つけることができます。

 

かつての古い価値観と思い込みは もう役立たなくなっています。

新しい世界観を知り始めたくなったら

ここに新しい扉があります。

 

瞑想は 真我の世界を開きます。

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