意図 と 大いなる流れ

ありとあらゆるいろんなものが雑多にひしめき合うこの世界

その中で 摩擦が起きたり 調和したり 自然はいろんな表情を見せます。

人間は まるで自分が統制のとれたものであるかのように思って生きていますが

実のところ、衝動に突き動かされ 無意識と意識の区別があるようでないような 

理屈がつけられない部分は 一生懸命考えて いかにもまともであるかのような

面白い理屈をひねり出したりもします。

そう、自我の意識のために。

自我は自分自身や、周囲の環境を支配することを 無意識に望んでいるので

思い通りにならないものに 憤りを覚えたり、干渉してコントロールしようとします。

 

コントロールするか しないか

そんなことは 実際どっちでもいいんです。

やりたければ、やってみる

神はその自由を人間に与えています。

 

もっとも神そのものが 意識の根源ですから

神はありとあらゆる体験を望んで 人間にそれをさせているのかもしれません。

 

天国や あるいは地獄

 

それらを実際に体験してみたかったのでしょう。

やってみなければ それがどんなものであるか わからないですから。

 

実際にやってみて いい感じだったことと

ひどいことがあったと思います。

 

もうこんなこと二度とごめんだ と 思うようなことも。

 

また、嫌に違いないのに その原因がわからず

なぜか 何度も繰り返すことも。

 

解決策を見つけていないうちは どうしたらいいかわからない

闇雲に禁じたところで

本能が起こす衝動をどう統制したらいいか わからない。

 

仏教ではこれを無明 と呼びます。

明るさが無い 光が見えていない のです。

闇の中をもがいてさまよう  その人間の苦悩

それは心の中の闇なのです。

 

瞑想で使うマントラのエネルギーは

灯り なのです。

 

灯りを持って 洞窟に入って行くと、 潜んでいたコウモリが驚いて

バタバタと騒ぎながら 外に逃げてゆく

 

これがELM瞑想のしくみです。

 

明かりを内側に灯すと

カルマのエネルギーは バタバタと 外に出ていきます。

 

これが瞑想の初めに起きる 雑念の状態です。

 

カルマのエネルギー(過去の感情の記憶)は マントラの波動に 外に押し出されてゆきます。

 

雑念だらけだった瞑想は失敗ではありません。

私たちがしようとしているのは 内側の掃除だからです。 

 

静寂な瞑想は 意図だけでは作り出すことはできません。

掃除しないで綺麗にはならないからです。

 

掃除 = 浄化 とも言います

 

浄化が進んだ結果 内側の静寂が実現するのです。

 

お掃除は 何も難しくはありません。

 

日に2回 座って目をつむるだけだからです。

詳しいやり方は 伝授の時にお教えします。

 

瞑想 いいですよ。 good

健全な心身は 効果のあるメンテナンスの賜物です。

 

瞑想会でも 更に浄化が進むコツ  お教えします。

瞑想室祭壇