非二元 その2

難解に思われる非二元のお話は 溝口あゆかさんが とても巧みに言葉で表現されます。

ご興味をお持ちの方は ぜひご覧ください。

 

溝口あゆかさんのブログ

 

私たち人間が 非二元を実感することは 難しい事ではありませんが

自我が非二元を理解することは少々難しいです。

私はいない という話ですから 「私は誰?」となってしまいます。

私とは 自我の私というイメージなんですが、

じゃ、今のこの現実は何?

私の人生は何?  と。

頭で考えれば考えるほど、出口のない迷路になってしまいます。

自我の思考範囲ではとらえられない、マインドからするとぶっ飛んだ領域の感覚 といえるでしょう。

自我の観念を手放してしまわないことには そこにチャンネルを合わせられないのです。観念の枠がその外に出してくれませんから。

 

自分の枠を手放すと 感じることができますが、 この枠を手放すのに自我がものすごく抵抗するんです。

恐いんですね 枠を外すのは。未知の領域は危険かもしれない と 恐れているし、

自分を守ってきた基準を外すなんて不安な事なかなかできない って思ってしまうのです。

例えば

善いも悪いもありません  と言うと、

犯罪は悪いやろ!許せんことやろ!したらあかんやろ! とマインドは言います。

その枠を外しちゃダメ! と抵抗します。

 

この世界に 犯罪とか 好ましくない事は起きます。この世界に 闇があります。 

それは幸せとは程遠い波動のもので 誰もそんな出来事と仲良しにはなりたくありません。

でも、人間がそれをやってしまうことがあります。

いろんな歪みに圧迫されつつ 人生をカルマの方向に向けてしまうことも起きるのです。

悲しい出来事です。悲惨です。 人間の持つ歪みと狂気は 落とし穴のようなものです。

よくわからずにそちらに行く人がいます。

内側のカルマが爆発的に発動する時 人々は狂気を帯びます。 

苦悩、怒り、憎しみ

その出来事がどういうことかを本当に体験して知っていれば犯罪をしようとは思わないし、戦争も起こそうと思わない。

だけど、実際の体験をしらないまま そこに入って行ってしまう人もいるのです。

悪夢に浮かされているような状態で。

 

私 という認識は、映画 とか 夢 のようなもので ストーリーの中ではそのストーリーにしっかり同化して登場人物になりきっている状態です。

テレビでドラマを見ていて主人公の気持ちになった気分でドキドキハラハラしている時と同じです。

自分の思考の中のドラマに取り込まれています。

ドラマの展開に心を奪われ 来週の展開が気になってしかたありません。

だって、マインドはドラマが大好きなのです。

ドキドキハラハラに気を取られ、夢中になります。

(そうなっていない人はそのままでOKです)

 

あ、夢か と分かってしまえば夢は夢なんですが、 その夢の最中はその時の夢の状況の中で必死です

でも、夢の中でも それが覚めるとわかれば余裕が出てきます。

 

今のこの夢(人生)をもっと楽しもう とも思えます。

 

私たちはイメージを操ることができる生き物ですが、

逆にイメージに縛り付けられやすくもあるのです。

苦悩の思いにはとどまりたくはないですね。

でもとどまっていたい心もあるので それはどちらでもいいのですが。。

 

自我は 無意識に自分を楽にさせようとして認識をいじって真実を歪めてしまうので、すごい面倒くさいことになってしまいます。

つまり、全ての出来事は自己責任 で 終わらせるのが嫌なので 悪者を作って 自分を被害者にしておきたかったりします。 これは自我の機能の一つなんです。

自我の価値観を護る防衛機制です。

その方が自我にとっては楽なんですね。

 

でも、そのことに気付くと、被害者の幻想は終わります。

本当は誰も悪くないんです。 たまたま 歪みや摩擦が生じただけのことですし。

 

対処は 歪みの修正と 傷ついたところを手当てして そして癒すこと。

そして 今のあるがままの自分を愛してください。 そのままで 十分素敵じゃないですか。

五体満足、 いえ、不満足だったとしても この世界を楽しんでください。 生きる事を楽しんで。

息をすることを。体があることを。何かを感じることを 五感を 四感でも 三感でも 味わうことを 堪能してください。

退屈している暇はありません。活動するようにできてます。 感じることも活動です。

好きでそこにいるならそのままでいいじゃありませんか。

マインドの奴隷になることもありません。 いつでも自由に生きられるんです。選択するのはあなたです。

 

いずれは すべて泡のように消えます。うつろいゆく現象 肉体とその思いも消えていきます。

 

残すものがカルマだと 子孫はカルマの処理に苦労するでしょう。それもよし。

(子孫に生まれるのは自分です)

残す記憶が 愛だと 子孫は幸せを享受します

(子孫に生まれるのは自分です)

苦しい夢なら覚めてしまいましょう。

 

心のとらわれは 手放して自由になってください。 恨みや怒り、しばし味わったら 手放してみてください。

難しい方はELM瞑想を伝授いたします。

ELM瞑想は 空と一体になる時間です。

 

初心者の方にはちょっと難しいお話だったでしょうか?

 

またいろんな視点で書いてゆきます。

駄文にお付き合い下さり ありがとうございます。

自由な魂への入り口となりますように。。