スピリチュアル分野に詳しい方はもうこの言葉はご存じかもしれません。
非二元 ノンデュアリティ
分離していない一つのものである という意味です。
何が一つか というと、全てが一つ。 この世界は全て切っても切れない分離することのできない一つのものだった
ということなんですが もう私たちの本来の認識を全部ひっくり返すほど、認識を変えないとこのことが理解できません。
これまでの世界観は私たちの頭の中で展開しています。
個の自分を核にした自分を取り巻く世界と自分という自我のストーリー。
私 というのは この脳みそが作り出しているイメージに過ぎません。
この肉体と魂は ただこの世界の一部の現われに過ぎない。
延々と続く生まれては死ぬ繰り返しの生命活動の一部 一瞬の現われ。
ですのでどう生きたって大差ないわけで そこに意味はないんですが
自我の意識は意味を欲しがるんです。
自我は 意味とか価値とか所有 というイメージが欲しいんです
本当は 私 というものはこの脳の中だけにあるのですが、それを全てだと思い込んで苦しんだり各党したり一喜一憂しちゃってるんです。
自分(例えば 野津寿子)というストーリー このストーリーやイメージに 実体はありません。
でも人間はイメージで世界観を作り上げて見えない境界や制限を沢山作っています。
実体はないんです。
ここで自我の意識は 自分の存在を否定されたように感じて 抵抗する
今まで必死で取り組んできた過去が無意味になることを受け入れられずに 「そんなわけはない!!」と叫びます。
自我は消滅したくないので 必死で抗います。 「私がいないわけはない」と。
ただのイメージなんです。
私たちは 宇宙の営みの一部の現われ
肉体に乗っかっている意識という生命活動。
神という意識のほんの一瞬の小さな一粒でしょう。
死んだら 自我が消えて なーんだ。死んだのは肉体だけか と 思うかもです。
そして自分自身が神そのもの(の一部)だったと気づく
思い通りにするも何も、全てが自分で取る取られるが無い。自分しかいないのですから。
ここですごいのは この世界が作り出す現象の中に 本当に崇高に美しいものが沢山あるのです。
それは一瞬の輝きかもですが、その美しさに触れた感動を神(神の一部である我々)が経験するのではないかと思います。
肉体にいる今、何にとらわれて 苦しんでいるんでしょうね。
どっちでも どれでも いいんですよ。好きにすれば。
所有のイメージをどれだけ持っていようが、肉体で扱えるものは限られてますから 一番したいこと一番その時にしたいことを選べばいいんです。 目の前にない 遠いものにはすぐ手は届かないですが 歩いていけば触れるかもです。
物質の制限のある世界を楽しんでください。
自我にとって以外は 自分というイメージなんて 割とどうでもいいことです。
だから単に幸せでいればいいんですよ。今すぐ苦しみのイメージを手放してしまってください。
苦しみが大事でないなら手放しましょう。(手放し方がわからない方はまた特集します)
現象としては 古い肉体は何かと不具合もありますが、それもただの現象なので できるだけ上手に付き合うと言いますか、その場その場で一番いいようにすればいいんですね。
ただそれを受け止めて 今 一番いいようにできることをすればいいんです。
頭の中のイメージに振り回されないで ただ静かな観察者の意識で世界を見ています。
今 この現象を見ている私。 肯定も否定もない ただ それがある。
何も悩む必要はないんです。どれでも それなりです。
今ここを 楽しみましょう。
痛いところがあったら、手当して 癒しましょう。
非二元からほど遠く、自我に圧倒され、抱えたイメージや心の痛みに悩まされている人は 瞑想してみませんか?
EFT療法も傷ついた心を癒します。