身体の声を聴く

その昔、私が鬱になった時がありまして

心が落ち込むのと 身体の調子が悪くなるのとで

本当に日々が大変だったことがありました。

当時は いろんなことを自分に要求していて

加減をするのがとても下手で、

大概 頑張りすぎて壊れる か、全く頑張れる気がしない

あるいは身体が動かない ということがよく起きていました。

当時は 毎日が生きづらい と 感じていて

生きていることが嫌だ とすら思っていたことがありました。

どうして自分は上手に立ち回れないのだろう とか

どうしてポジティブになれないのだろう とか

生きることはしんどいことだ とか

人が苦手 とか 思っていましたが、

最近はそんなことを思っていた ということすら忘れて

毎日機嫌よく暮らしています。

何がどう変わったのか??

 

昔の私は 親の価値観を採用していました。

それから、辛かった体験をトラウマとして常に携えていました。

未知のものを恐れていました。

世界は怖いものを溢れている と 思い込んでいました。

 

でも、ある頃から、それをどんどん手放して行ったのです。

高いプライドは 自信の無さの現われでした。

人から見下されるのがイヤでしたが、

人が見下している と 思うのは

自分が人を見下す要素を持っているからです。

自分が好きで 大事に出来ていると

誰から何を言われようと 大して腹は立ちません。

だって、自分の価値や良さ、使い方は自分の方がよく分かっているからです。

人が何か言っても言わなくても、

私は依然 私のままで、何も変わりません。

正確に言うと 変われませんでした(笑)

得意な事は得意だし、苦手な事は ずっと苦手です

 

同じ時間を使うなら

得意な事に時間を使うことにしました。

同じ時間を使うなら

楽しい事を選ぶようになりました。

そして 一番変わったのは 優先順位です

他人の基準で自分を変えることはなくなりました。

自分の好いようにすることを優先しました。

他者が怒っても 変えられないものは変わりませんでした。

自分はあまり変われないので

そのままでいい と言ってくれる人と関わるようになりました。

このままではダメ!と言ってくる人には

ごめんなさい 無理して付き合ってくれなくていいよ と思ったり言ったりします。

人には皆 選択の権利があるからです。

 

自分が自分のままで生きていると

それでいいよ と思ってくれる人しか近寄って来なくなりました。

どんなに威嚇されても 圧をかけられても 変わる気がない ということが

最初からバレています

何も隠さないのです。

キツい時は「キツいよ~」と言い

頑張れる時しか頑張らないのですが、

否応なしに頑張らないといけない時もありました。

自分のためには さほど頑張れない私は

誰かに迷惑をかける とか 大事な人を守りたい とかいう理由では

頑張れたので そういう時は頑張りました。

モチベーションがそれだと キツい とか弱音を吐く気にならなかったのです。

もちろん、モチベーションは一人一人 傾向が違うでしょう

私の場合は どうやら それだっただけのことでした。

私の場合は 自分の心も体も ほとんどがコントロールしにくいものでした。

GO! も STOP! も

全く 思い通りになってはくれませんでした。

だから 尚更 この体と心とは仲良くせざるを得なかったのでした

 

自分の心と体と 仲良くして

身体の声や 心の声をよく聴くようになって

全ての問題は もつれた糸を解くように

解けて 真っ直ぐになっていきました。

エゴは支配やコントロールをしたがります。

でも それを手放した時

本当の自然体が現れます。

歪んだままピースとしてハマっているのはキツい

本来の在り方でいると 自分に合うものだけが残ります

そんな風にして 今の私がいます。

摩擦は起きません。
(強いて言えば、本来の自分のままで居ようとし始めた頃、大きな摩擦はありました)

要らないものが取れて 必要なものだけ 残っていきました

最初に予想などつきません

意外なものが丁度良かったり、そんなものが要らなかったりするのか と

驚かされることも多々

そんなことはダメでしょ? と 諦めてたことも

そうでもない ということも多々 ありました。

 

色んなものが見つかって

色んなものが去って

丁度いいものが残ります。

 

素敵なものが残るには

私の波動を ハッピーにしておくことが大事 と 分かりました。

平和でハッピー

そこに不幸は存在できません。

 

これは 思い込みを捨てると

みんなができると思います。

思い込みを捨てるのは 怖い事もヤバい事もありません

ただ、心の中で 「そのこだわりと思い込み 手放します」と呟くだけでした

 

良い事と悪い事を判別して

他者を裁くことの方が 不幸に感じました

誰かが要るから人生が生きにくいのではないのです

誰かに怒りを抱いて 拒絶することが苦しみの始まりだったのでした。

善い事は自分で率先してすればいい

悪い人を探し回ることで 人生に幸せは訪れませんでした。

私も 私を取り巻くこの世界も とても素敵なもので一杯です

好みでないものはもちろんあるでしょう。

それに一々注目して不快がるのは 不思議な行動です

わざわざ この広い世界で 嫌いなものに注目してわざわざ不快さを味わいに行く

ある意味 悪趣味なのです

もしくはドM?

自分のいる場所は キレイにして 心地よくリラックス

したいものです。

心と体を整えると 健全さが蘇ります。

瞑想で健康が戻るのは 心と体を包む波動を浄化するからでしょう

ELM瞑想は やはり すごい と改めて思う今日この頃です。

 

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