2021年11月05日

大いなる存在

今日、生徒さんからノンデュアリティの話題をいただきまして

ああ、そうだった と 原点に立ち戻りました。

「私はいない」 この世界は境目のないただひとつの存在 

エゴは 私 僕 俺 自分 と 自分自身という認識に縛られておりますが、

私 というものは 実体は ないんですね。

私の身体や思考が ただ発生して 状態としてあるだけで。

 

でも、このとらえ方は エゴにはなかなか理解しにくいので、

「え?私いるじゃん!」ってなってしまいます。

ここにこうして 怒っているのは誰だって言うの! などと。

それもただ反応が起きてるだけ ってことなんですが、

自我の認識は 自分がいるというのが大前提にある世界観なので

そこを外して ものが考えられない。

ああ、こうやって、思考を駆使して日本語を操って 感情を持って

ジタバタと生きている私。 平気な顔したり、 人をなだめたり、

良い人ぶったり? 今日は何が食べたいだとか 好きな人がいるとかいないとか

そんなことをしているこれは 人間という生き物とそこに宿った意識

どんな風に生きるかは 育った環境の中で学んで 脳みその中にいっぱい記憶を詰め込んで

社会とか国家というコミュニティの中で生きている生き物。

過去という記憶と 未来という想像を抱え 好きな事をしたり諦めたり

自分が取り込んだ価値観に制限されながら生きている生き物

生まれて 死んで 沢山生まれて 沢山死んで

人間は地球上で今一番たくさん繁殖している生物だけど、

増えすぎると環境を食い尽くして 淘汰されるのかな?

そんな大きな流れの中で

目先の事にとらわれて窮屈さを感じながら生きることもできれば

意識を拡げて 身体からもっと広く拡がった意識でいきることもできる

そんな生き物に乗ってこの世界を眺めている意識

それは ここからまた あそこにもどっていくのでしょう。

今 何かにとらわれていることが バカバカしくなりませんか?

そのとらわれは あなたの中で発生している幻想にすぎません。

泣いても笑っても この体は生きて そして死んで 命は帰るのです。

大いなる源へ。

次の身体はまた無数に生み出されています

私たち一人一人は大きな命の一すじの輝きに過ぎません。

何度も輝くのだろうか

生きたいように生きませんか?制限など手放して。