私たちはこの世界をどう見ているのでしょうか?
起きていることは一つですが それをどうとらえているかは様々です
自動車事故に遭った時、ある人は
「畜生、なんてこった忌々しい!どこ見て運転していやがるんだ!車に傷が入ってしまった、修理代どうしてくれるんだ」と怒り心頭
自分の責任を回避して 事故った相手にどうやって責任を負わせようか必死で考えます。
また ある人は
「ああ、びっくりした。どれだけのことが起きたんだろう?
そうか、この程度なら大したことない。怪我をした人がいなくて良かった」
同じ程度の事が起きた時、その後の展開は 両者で大きく変わります。
前者は長らく揉め、後者は相手も態度が軟化するので必要最小限のことを痛み分けします。
始めて出会う人との関わりをどんなものにするかで 個人の人生や縁は変わります。
事故で出会ったその人と その後 友人になるかもしれません。
目先の損得勘定で未来の豊かさを失うのはもったいないことです。
仏教で、「親切でありなさい、物惜しみをしないように」
と 説かれるのはそのためです。
スピリチュアルのことを学び始めて
損を引き受けると 神様からご褒美が来る というような体験を
何度もしました。
人が嫌がることを引き受けても同じです。
自分にできることならします。
ただ、自分に出来ないことを引き受けると苦しみます。
私たちは 私たちに出来ることだけをし、出来ないことはできないと言います。
したくないと思うこともしない方がいい。
それは無理にすると「あの時してやったのに!」と恩を着せてしまうからです。
人に親切にするのは、神や仏をご供養したり この世界を癒すためです。
何かを得るためにしているのではなく、
みんなが幸せな平和な世界、住みやすい環境を作るため。
恨みの気持ちを作るくらいなら何もしない方がいいのです。
恨みは毒のようなものです。
あなたは あなたの土地に何を撒きたいのか
いつも無意識に選んでいるのです。
荒れた土地は耕して草木が育ちやすくするように
人間関係に愛をもたらすのは あなたです。
あなたの世界は あなたが創ります