生きるということ

ただ 今ある命を輝かせて 生きる 活きる。

 

これは言葉にすると単純ですが 実際は 簡単なようでそうでもなかったりします。

 

というのも、それができる人は簡単なことですが、

自我はなかなかそうもさせてくれなかったりします。

 

辛い試練の真っただ中、

受け止めがたい現実に直面している時

大きなものを失ったり

ひどくプライドが傷ついた時、

また

心がひどく傷ついた時。

 

ショック や 恐怖 や 不安 痛み

 

それらのネガティブな感情のことをカルマと呼んでいますが

そのカルマと向き合って 終わらせて 

そして愛になることが 魂の成長の過程です。

 

ネガティブな感情は内側で暴れると 自分を責めたり自分を傷つけます。

 

カルマに向き合うのが辛いので 自我は見ないように工夫します

そのことが無いように感情を感じなくする反応

逃避や抑うつもその一つ

行き場がないネガティブエネルギーは 出るところがないと形を変えて、体に表現されます。

病気

 

また、持て余した怒りのエネルギーが内側で受け止められずに 外側に出ると

他人を攻撃したくなったり、悪いのは自分じゃなくて他の誰か という犯人捜しをしたり。

 

実際のところ 犯人や悪意などはあまり存在せず、

その出来事 という事実だけがあり、

私たちは 感情を味わう という宿命だけがあります

 

その感情をすっかり味わってしまったら 感情の嵐が終わり、 

この事柄が終わって 魂が成長し新しい明日新しいステージを生きる というところに立つのですが

 

この作業を邪魔するのが 自我です。

 

甘えがある場合は 自分で立ち上がるのを嫌がったり

現実を受け止めるのを拒否したりします。

 

まだ誰かに甘えて助けてもらいたい 子供の意識

 

運命はそれを許しません。

これでもか というほど 追いつめて 自分で立たねばならないのだ ということを神々は教えようとするのでしょう。

 

大きな痛みと宿命に磨かれる魂

 

自分より弱いものしかいない状況で育つ魂。

 

自然の学びは過酷ではありますが、

 

その試練を潜り抜けてきた魂の輝き のまばゆさは 

言葉にはできない 美しさとパワーがあります

これを愛というのでしょう

 

愛のパワーは 肉体の有無に関わらず この世に存在し

人々を癒し励まし そして

 

愛し続けます。