自我の言い訳

私たちは大抵 私たちの、自分のルールに縛られています。

ルールを守ることが自分を守ることだと信じているので

時代に合わなくなったルールや他者が作ったルールまで守らねばならないものだと

いつの間にか信じ込んでいたりします。

それは絶対のものではありません。

それはコミュニティの中で摩擦を減らす役に立ってきたものかもしれません。

でも、変なルールも沢山あります。

今では役に立たないルール、と言えば 旧時代のルール

君主には従え というものだったり、

身分の低いものは切り殺されても仕方がない というものなどは

もう今の時代には全く通用しません。

200年前に当たり前だったルールが消えています。

今の大人が信じている常識やルールも 2世代3世代後には いろんなものが消えているでしょう。

その変化を 年老いた者は「今時の若者は・・・」などとぼやきます。

高齢者の時代のルールを当たり前だと思っていない若者がいるからですが、

そんなことはずっと昔から同じなんですね。

年長者の常識と 若者の常識は違います

大事なのはルールではありません。

 

では普遍的な善いもの とはなんでしょうか?

それは 愛

そこに愛はあるんか? ってCM ありますけど、

やはり常にこの問いかけなんです。

何をするか よりも 愛があるのかないのか

そちらの方が重要です。

流れに大きな影響を与えます。

ルールが変だ と感じたら 愛の観点から観ると 何がベストなのかを探してみてください

これは自己犠牲ということではありません。

他者を大事にしても 自分を犠牲にしてはそれは愛とは言えないのです。

他者の期待は 喜んでできなければ応えなくてもいいんです。

自分を大切に出来ない人は人を愛することも下手です。

自分だけ愛して他者のことは意に介さない というのも偏っています。

自分を取りまく世界で何が起きているのか 真実を観る ということが大事です。

それが分からなければ 解決策は見つかりません。

どうしたらいいか 分からない時は ハイヤーセルフ、神、ユニバース、守護霊

というような 大いなる存在へ委ね、祈ってみてください。

答えをください でも 善き方向にお導き下さい でも 幸せになります でも 

よろしくお願いいたします でもいいんです

私は成長します ありがとうございます。 っていうのも前向きでいいですね。

本質の意識 魂は 出来事を通して成長しようとしています。

自我がそれを止めようとしても 魂は成長に向かいます。

起きることが起きるだけなのです。

それをどう生きるかが あなたに与えられたチャンスなのです。

より愛に。 より自由に。 突破してみてください。

二見ヶ浦 糸島