共存できる世界

私たち人間の思考、自我システムはこの身を安全に長らえる仕組みです と 以前のブログに書いたことがあります。

私たちは人間という生物に生まれたわけですが、全ての生物は自己保全(自分の命を守る)システムがあります。

生命そのものが 生まれてきた生命体としてそれぞれの生命というシステムを終えるまで(外敵から身を守り)生命維持しようという目的を持ったプログラムをDNAの中に組み込んでします。

それは自分が作ったものではなく、生命体というシステムがそれを創り出している

自然の摂理の一部です。

これかの自然の摂理の中の生命体は あのコロナウイルス(ウイルスは生命体なのかどうか?微妙な位置づけですが、システムとしては同じと考えますと)

ウイルスは時間と共に変異していきますよね。

最初は殺人ウイルスみたいに恐れられていましたけど、新しく出てきたオミクロン株は弱毒化しているようで人間たちはちょっと安堵しているようですが。

なぜそういう変化を創り出したか?という理由に なるほどとおもったことがありました。

殺傷力が強すぎて 寄生する対象を絶滅させてしまうとウイルス自体も繁栄できないので弱毒化して寄生対象を守りに入った・・・とか。

おお、ウイルスにとっては人間は牧場みたいなものなんでしょうかね。coldsweats01

自然というものは 調和するようにできています という宇宙の法則が働いているようで

この調和しないものの衰退 というものに かなりのインパクトを受けたことがありました。そうです、

進化して 合わないものは衰退 あるいは絶滅するわです。

 

話を元に戻します。

人間の思考の傾向は 人間が増えて反映するために与えられたプログラムなんですが、

そのプログラムが 何か特定のものに引っかかって調和とは違う方向性に拡大すると 自然の調和は崩れ、

それはやがて 行為した人間という種族そのものの衰退へと進んでしまう

このことに気付いている人間と気付いていない人間がいます。

これまでの世界は、まだ人間の数がそれほど多くない頃から、地球の膨大な資源にあやかって

人間がそれを頂戴しながら(自然の恵み)繁栄してきたわけですが、

増えることが幸せとばかりに どんどん増えて行った結果、資源の危機がどんどん実現しそうなことになっているんですね。

人間たちは 資本 とか 貨幣 とか 財産 とかいうものに 異常に執着を示して

それを増やすゲームにすっかり没入してしまって 現実世界で何がおきているのか わからなくなっていたのですが、

それに対して、「大人!ええかげんにせいよ!!!」と 怒りだした若者が世界の話題になって久しいです。

これは当然の流れでしょうね。

それを横目に見ながら 今までの消費生活をやめられないすでに大人になった人々は あと20~50年もすればすっかりいなくなるので

この世界にいる人間の生き方はやがて大幅に変わることでしょう。

ただ、資源があるうちに順応していくことも求められていますね。 

若草山の草を全部食べつくした鹿の大群が飢えて死滅する なんてことになってしまったら元も子もないですから

私たちはそろそろ、大人や老人たちも順応を意識して そろそろ消費を自粛 物を大切にする生き方を練習せねばなりません。

(人間がしないと自然の摂理が制限掛けてきます)

必要な変化に抵抗するよりも 何が必要で何が不要なのかを見極めていく目が必要かと思います。

今話題のサステナブル ですね。 調和する生き方。

大切なものを思い出させる出来事が頻発するのは流れの一環です。

早く気付いたもの勝ちですよ。

 

あるものを大事に分け合う世界

奪い合う世界 ではなくて 与え合う世界。

愛は豊かさです。

物質的な贅沢よりも 心の豊かさを満喫するようになります。

そこにはきっと幸せな人が沢山いるでしょう。

変化を恐れている人も ダメな人やひどい人なのではありません。

ただ慣れないものが怖いだけ。 もし人々が愛ある社会を創り出せば 変化は不安に包まれることはありません。

護るのは愛の力。

貪り、競争して奪い合う社会で死滅するよりも 共存を選ぶ ウイルスの方がちょっと人間より賢いのかもしれません。

青い惑星 地球上での出来事です。

繁栄も衰退も自然の摂理。常に進化 調和していきます。


地球