相手をどうみるか

子供の頃から生き物を観察するのは大好きでした。

今はアトリエで猫を3匹飼っています。

「猫は日々あるがままを生きてるね」 なんてよく言われますけど

そうですね。自分の気持ちに正直です。 それしかありません。

自分を偽る なんてことはしません。

嫌なのに「いいよ」なんて言わないし、嫌な時は嫌そうにします。

ある時ある人が言いました。「猫は気楽でいいなぁ。何も考えなくても養われて。」

ん? そうかな? それはなんか違うかも と 思いました。

彼らは、エサが欲しい時は媚びます。

ゴロニャ~ン 撫でていいよ~ って撫でられに来てスリスリして大好きアピールをしてきます。

「オヤツくれないかニャ~ン?」 その意図を読み取られてないと

「なんだ、撫でるだけかよ。ならもういいわ」って どこか行ってしまいます。

どうしたら飼い主がおやつをくれるのかを けっこう覚えていて、

わざと可愛く鳴いてきます。「ミャ~ン」大きな図体になっても頑張って子猫っぽく鳴いてみたりなんかします。

更に、飼い主が一方的に撫でたがる時にも ちょっとガマンして撫でさせてくれたりしています。

しっぽが「もうそのくらいにしてくんないかなぁ」 ってプンプンフリフリしてますが、

それを飼い主やお客さんが気付かずに撫で続けようとすると「ゴメン、もうカンベン」とスタっと立ち去ってしまいます。

猫は言語以外の意思表示方法を持っています。

目で訴えて来ることもあります。

「おやつ欲しいなぁ、ママ~」黒目がちなウルウルの目をぱちくりさせて目で語ってきます。

なんか美味しいものなーい?  誰か遊んでよ~う!

うっとおしいニャ、 うるさいニャー、 どうでもいいニャ、 ホントにもう!!  イライラするっちゃん!

今はやめて! イライラガリガリ、 プンプンウニャウニャ

もう人間の感情とほとんど変わらなく見えます。

ただ、人間みたいに前にあったことを思い出してイライラしないだけで 

今現在を豊かな感情で生きています。

人間はいろんなタイプがいて 我が家の旦那さんはかなり猫に近い(?)人で (笑)

彼の感情を深読みする必要が無いので 私は疲れません。 私にはとっても良いパートナーさんです。

更に、彼は 自分の価値観を押し付けない所も猫さんたちと同じなので 私も猫のようにいまここを生きやすい という家庭環境です。

そう、私も猫っぽいかもしれません。 他者の価値観に干渉することがほとんどないからです。

(相談を求められたら意見を言いますけどそれはあくまでも自分の見解で正解というものはありません)

もし私がもっと人間っぽかったら、自分の価値観で相手を裁いたり自分の価値観に合わさせようと相手をモラハラよろしく責めたり非難したり欠点をあげつらったりするかもしれません。

「あの人こういうところがおかしいと思うのよ」 「そんな常識もわからないの?大人なのに?」なんてことを口にするかもしれません (したことはあるかも)

でも、ある時に気付きました。

猫レベルにできないことが沢山ある私は、人様を責めるなんておこがましい事はしたら申し訳ない・・・

片付けが悪い とか 約束を忘れてしまうとか ルールを知らない とか 言ったことを翻す とか

気が利かないとか 興味のない話は退屈そうにしてしまう とか 社交辞令とかお上手を言えないとか

そんなこと、私も出来ないことですし、自分がちゃんとできないことを責めたりすると ちょっと恥ずかしくなってきてしまいます。

脳内オバケの 『オマエモナー』 が出てくる

また、出来たとしても別のできないことが沢山あるわけですから 

人様を非難する などということは私のようなポンコツ人間が言えるようなことやないなぁ と思ってしまいます。

ちょっとやそっと 迷惑かも とおもったとしても、自分がそれ以上の迷惑を知らずにかけていることがあるかもしれないし、

自分自身などは できることtできないことがあって、出来ないことはそれがどれだけ素晴らしい事であったとしてもなかなか出来ないし

無理をしてそれをしようとすると 本来の自分の長所が死んだりするので、

「ごめんやけど、私はこのままでいさせてもらうわ」 という選択になってしまします。

だから、他の人が自分と同じようにできないことを責めることはしないようにしています。

 

「あの人、なんでこんなこともできないのかしら!?理解できないわね」 なんて言葉を聞いただけでも

「あなたではないからだ」 とか 「あなたも最初から出来たわけじゃないでしょうに」 とかいう言葉が脳裏に浮かんできたり

大体は 人を責めてしまうとその後 言った言葉が向きを変えて 悶絶するハメになってしまいます。(脳内オバケ出現)

 

自分自身のこともすべて完璧にコントロールできる人間はいません。

息をしたり、心臓を動かしたり、成長したり老化したり、それら(臓器)は意図するだけでは止めることもできません。

この体さえも 意志だけでは自由には出来ないのですが、他者を自由に自分の思惑に合わさせよう、コントロールしようというのは

エゴの傲慢じゃないかな と思うわけです。(無理な事をしようとしている)
 

他者の価値観は自分の価値観とは違う 

どちらが正解という訳でもないんです。

そもそも 価値なんて最初から存在しているわではなく、それぞれがそれぞれの理由で価値づけをしているだけ。

そんな一定じゃない基準で測られても どうすればいいのかわからないですよね。

 

最近はYouTuberのひろゆきさん流『論破』という言葉が流行ってますけども

自分が正しさを証明する というのも 屁理屈っぽくて面白かったりしますが、

正しさを証明する って 本当はなんか不思議ですよね。

裁判や法律を使って悪人が勝つなんていうのも不条理ですしね。

エゴを戦わせている限り 結果は不毛な気がするけど。。。

 

じゃあ、何が良いのか? って 答えはなかなか難しいというか、

エゴの世界では成り立たないかもしれませんが、

愛になった時に成立する 『それぞれがそれぞれのしたいようにすることができると生きやすいな』 と思うわけです。

これね、環境がどう という問題ではなさそうです。

自分自身の内面が愛かどうか で 周囲との関係性が変わります。

(なぜかと言うと、自分が愛だと周囲が癒されて、周囲のエゴが減少するから)

 

これからやって来ると言われる 心の時代 は とらわれが少なく自由で豊かな心 がよりクローズアップされるようになり 人々は生きやすくなっていくようです。

だから皆様も 今までの価値観に合わないわ!と 腹立てたり不安がるのはやめましょう。

もう昔には戻りません。常に今が展開・進化していくのです。

 

ちょっとこれも言いたかったのですが、

にゃんこも1匹1匹 性格や好みが違います。

好きなものが違うし、行動も違います。 一定の対応ではダメだ ということです。

1人1人の個性をちゃんと観察していると 何が一番いいのかを判断できるようになります。

人間の価値観を押し付けても お互いがストレスなだけでしょうね。

人間同士の関係は・・・ ちょっと 雑 なのかもしれませんね。coldsweats01

相手のそのままをそのままみ見る ということは すべての生き物に対して大事な事じゃないでしょうか。

思い遣ると そこには愛のつながりが生まれます heart04

蓮の花びら