お彼岸が過ぎましたがまだ暑いですね。
今年は夏日の最多記録更新 だとか。
夏の終わりが苦手という方もおられるようですが、
私は涼しい秋を待ち焦がれております 😊🍁
昨秋2022年の10月に大阪から福岡に父を引っ越しさせ、
半分介護生活がそろそろ1年近くなります。
父は身体の方は足が少し弱って杖を使わないとよろけるのですが、杖でゆっくり歩くことはできます。コロナにもかかりましたが、免疫力はあるようでちゃんと治りました。
ただ、認知症はじわじわ進んでおりまして
洗濯機に続き、ついに電子レンジの使い方がわからなくなったようです。大阪で使っていたものなのですが、どのボタンを押せばいいのかわからず、触らなくなりました。
新たに覚えることはもう無理で、説明や指示は水で書いた文字のようにすぐに乾いて消えて行きます。
「どうしたのかなぁ、最近、なんだか頭がおかしいんだ」なんて言いますが、それにどう説明したところで私の言ったことはすぐに忘れられてしまいます。歳をとるというのはこういうことか というのは、父ではなく私の方に入ってきます。
認知症の父は子供の頃の思い出と 若い頃の思い出だけに戻って行くようで、毎日何度も同じ思い出を語っておりますが、
私はだんだん返事の仕方がわからなくなっています。
どうしたものか・・・。
こういう場合 身内より他人の方がやりやすい のかも。
ボケる前に自分の活動を仕舞えて置いた方がいいだろうな。
そうだ、私も自分のしていることが自分しかわからないことが多すぎる。
なので 最近、終活のことを考えるようになりました。😅
エンディングノートとか作っておかないとなぁ とか。
口頭では少しづつ伝えてるんですけどね 聞いた人が忘れなければ ですが。😅
でも、以前知り合いの霊能者に 「80代までは生きるわね」と言われたことがあるので
あと20年くらいは猶予があるようですので それならなんとかなるかも?
しかし、あと20年しかない とも言える。
いや、いつまで生きるかなんて年齢に関係なくだれにもわからないものですけどね。本当になってみないと未来なんてわからないですけど。
(今の延長でしかない とも言う) そう思うと 20年程度の短い年月で何ができるかなんて今してないなら無いのも一緒だし、頭でどれだけ考えても思い通りになどいかないかもしれないです。
(確かなのは動いてみること)
でも、どうしてもやっておかないといけないこと など なかったりもするので、(こだわっていないので)
まぁ 周りが困らないように対策は早めに立てておこう ということくらいが 自分のミッションだと思っているわけです。
それも、出来なければ出来ないで それはそれでなんとかなるようになるんでしょうし、何をどうしてほしい なんてことは本当は特にございませんのです。何か残したとしても いずれは消えてなくなるものなんでしょうしね。
そういえば、いつ頃からか 生きることや旅立つことに
何の執着も未練も恐れもなくなり、生きていたくないなんてことも全く考えなくなり、日々ノンキなのでございます。
所詮 今しかないし、何者でもない自分でしかないし。
それは情熱が無いのか? というと、そういう訳でもなく
楽しい事は楽しいし、今日1日のすることを子供みたいに楽しんでいたりもするのです。(子供ほど活動してませんが)
ああ、そうだ、先日思ったことには
子供の頃1度だけ行ったことがある上高地にもう一度行ってみたい。
九州も自然が豊かで、出かける場所には事欠きませんが
1度見た上高地の風景が長らく私の人生の中で原風景みたくなっているので、やはりもう一度その風景を生で見てみたいのです。
たぶん、2~3年内には行けるでしょう。
それ以外の見たい風景は九州内に沢山あるので
私は見たい風景は見放題 という恵まれた環境にもおります。
九州は先祖のルーツでもあるので ここに住んでいて良かったなぁ と またまたハッピーになるのでした。
脳内お花畑は 意外といいかもしれない。(笑)
こだわらなければならないことなど 本当は無いからですね。😇
こだわってみたければこだわっても構わないだけなんですから。