「何のために生きるのか?」という問いかけを考えてみたことがありますか?
世間では割とよく聞くんですが。
自分も若い頃はそんなことを考えたりしてたみたいです。
何か目的とか成果とかが無いと生きている意味がないような気がして。
でも、悟りが分かって来てからわかりました。
人は、生きるために生きているんです。
生物としての命を紡いでいる、つまり、後世に「名」じゃなくて「種」を残すために生かされてる。
でも、環境に適応しなかったり、生存できる場自体がなくなってしまうと絶滅しちゃうんですけどね。その種は。
その代わり、別の種が命を紡ぎ続ける。
地球が消滅したら、種どころか生命そのものが絶滅しちゃいますけど、その場合は、生が滅んでも 命はのこるみたいです。
そう、魂。
記憶じゃないですよ。魂 というか 命の源。
人間という生き物としては、何か特別感のあることに執着して活動したがりますが、
別に特別かどうかなんて 本当は大した意味もありません。
たまたま、担当した魂がのっかった身体についた名前で (人間界の) 記録に残るかもしれないですが、それも人間という種が生きている間だけの記録ですし。
どの個体がそれをやるかなんて、個体が決めることじゃなくて、条件がそろったところのそれがやり遂げるだけなんだろうなぁ。
そうそう、なんといいますか、2億くらいの精子のなかから1個だけが卵子に到達するのと同じような感じで、その他大勢もじつは必要な存在。
廃棄されるその他大勢に意味はないのかというとそういうわけでもないのです。
特別な1個になろうとして成れるという訳じゃない。
到達した特別な1個が 必ずしも幸福に生きられる ということでもないし。
すべてが、生きるために生かされている存在なので、
本当は生きたいように生かされている全員が実験的な存在なんじゃないか と思うのですが(笑)
意識と身体すらも同一ではないことに愕然としている自我。
もうコントみたいで面白いですよね。
思い込みに縛られてみたり、勘違いしたり、方向性間違ってみたり
いろんなチャレンジしてるんだなぁ って感心します。
魂はいろんなバリエーションを体験したい。
ならば、やりたいようにやってみるのが一番。
私が面白いなぁ と 思うことは、何にしたって因果応報で
自分がしたことの結果は自分で受け止めることになる世界で生きてる ってこと。
そう、欲しいものを創り出すのは他でもない自分自身なんだということに気付いていくこと。
この世界にはヒントが沢山。
まだ気付かないとしたら、それはまだ思う存分体験を済ませてないってことなんでしょうね。
本当に生きたいように生きてください。
誰のせいでもないし、あなたはあなたの思い通りにしか生きられないのです。
閉じ込めているとしたら あなた自身かもしれませんよ。
ハートはあなたの羅針盤
心の向かいたい方に。