内側の静寂

6日ぶりの更新です

みなさまいかがお過ごしでしょうか?

4月から新しいステージが開けた という声をよくお聞きします。

アトリエ霽月は 仏画のイベントが一段落してからは静かな日常です。

面白いもので 頭の中のモードって 何をするかで使うところが違いますよね。

絵の制作時は 時間を意識するところが休んでいるようで

やはり瞑想と感覚が近いようです。

時間と同時に言葉も消えたりします。

不思議な感覚です。

先日から 合間に非二元の話題を書こうとしていましたが、

これもまた 言葉で説明するうちに何か焦点がずれてしまうので 

まとまらず難しいな と感じていました。

非二元は、自我が落ちた時、あるいは静まった時、自分がそのものと一致する感覚になります。

全ては元々 基本がが非二元 なのです。それを分離させているのは 自我の意識です。

自我は 身体の意識で、この体を守るために何かを感じたり、考えたりし続けます。

危機感が消えている時は それを使わなくても大丈夫なので、

リラックスすると現れるわけですね。

静かに目をつむり、今 ここに 平和に存在していることで 自分自身が世界と一致することができます。

瞑想時は 自覚があってもなくても 

意識が非二元のエリアまで拡がっています。

ELM瞑想の30分の間に 拡大して非二元(ワンネス)を体感する時間を体験していますが、その時間が長くなった時は 深い瞑想 という感じになります。

でも、瞑想で大事なのは 騒がしい感覚を外に解放する浄化作用ですから

騒がしい瞑想こそ 頑張って瞑想を続けますと

だんだん ヨギのように瞑想者 という実感をもてるようになっていきます。

私たちの意識は 自我の奥深く 最初からずっとあった 真我で

何とも隔ての無いこの世界そのものだ ということを実感するようになります

それは内側のお掃除(浄化)が進んだ時、

誰にでも現れる感覚で それに気付き始めるのが悟りの入口 なんですね。

悟りには、 瞑想の実践が大事です

仏像ディティール

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3月までの